表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

(6)

 霧に囲まれた世界で、雄一の姿はすぐに見つけることができた。

 先日ここで初めて会ったときは小さくなって座り込んでいたが、今日はせわしなく首を動かして辺りを見回しながら歩き回っている。母親の姿をさがしているのだろうか。

 完全に落ち着いているようには見えず、さきほどモニター越しに見た「イっちゃってる状態」を思い出してしまう。

「対応を間違えたら、俺たちに襲いかかってきたりしてな……」

「こ、こわいこと言わないでくださいよぅ」

 メイはおっかなびっくりながらも、歩みは止めずに雄一へと近づいていった。

 が、こちらから声をかける前に雄一と目が合ってしまい、思わず立ちすくんでしまう。(ついでに言うと、そのときおもいっきり肩をすくめたので、そこに乗っかっていた俺は滑り落ちそうになった)

「あなたたちは……」

 雄一が先に口を開いた。その口振りは思ったよりまともだ。

「あ、えーとぉ──」メイはあからさまにおろおろしている。

 そしてなにを思ったのかこう口走った。

「お、お母さんですよー?」

「……」

「……」

「……」

 (とき)が止まった。

「おまえ──なに言ってんだ?」

「えっ?だ、だって、母親のふりしろって言ったのとらちゃんじゃないですかー」

「バカ、そりゃさっきの話だろうが──って、しまった」

 メイのバカにつられて俺まで失態。

 さっきのは母親の声なんかじゃないと、こっちからばらしてしまった。

「やっぱり──さっきのは、あなたたちの声だったんですね」

「はい、そうです──あっでも、決して雄一君をだまそうとかそういうんじゃ」

 あわてて弁解しようとするメイ。だが、雄一はそう聞いて怒るわけでも、俺たちを問いつめるわけでもない。心配していたよりも、ずっと落ち着いているようだ。

「いいんですよ。それに、僕もうすうす気づいていましたから。母さんの声にしては、きれいすぎるなって」

「えっ、きれい──ですかー?」

 普段言われなれないことを言われて驚いたのか、メイはおたおたを止めて聞き返した。

「はい。母さんの声は、もっとかすれてて、聞き取りにくいくせによく通るっていうか──そんな声でしたから」

 雄一は言いながら、つかの間目を閉じた。頭の奥に残っている母の声を思い出したのだろうか。

「どうして、僕を呼んだんですか?」

 やがて目を開いた雄一が問う。

「もちろん、止めるためですよぅ」メイが答える。「あのままじゃ、大惨事になるところでしたよ?間に合って良かったですよぅー」

「確かに、殺す気でした」雄一はさも当然、とばかりにそう言った。「あいつはもちろん、僕を笑いものにした連中をできるだけ多く殺して、最後は自分も死のうと思っていました」

「やけになるのは良くない」俺はできるだけ優しい口調でそう声をかける。「そんなことしたって、何の意味もない。凶悪犯罪者として名前が残るだけだろうが」

 雄一は俺を見ると、かすかに(あざけ)るような笑みを浮かべた。これまで見せなかったたぐいの表情に、背筋が寒くなるのを感じた。

「やけになんてなっていません。むしろ母さんが死んでから、ずっと考えていたことなんです。あなたたちに未来を教えられて、僕は立ち向かっていこうと思っていた。でもそれを支えてくれるはずだった母さんがいなくなって、それでもそうやっていけるだろうかって。ずっと考えて──そんなの無理だし、意味もないことだって思いました」

 雄一の言葉遣いはしっかりしている。顔つきもまともだ。だが、口にする内容はあまりにも痛々しい。

「今度眠ったら、たぶんまたあなたたちが来て、スイッチを押すように言うと思いました。そしたら、僕は押したでしょう。でも、そんな風にして死んだら──僕はなんでこの世に生まれてきたんでしょうか。たった十四年だけ生きて、なにも残さずに死ぬ。何年かしたら、僕をいじめていた連中だって、すっかり僕のことなんか忘れてしまう」

 雄一の頬に、すこしずつ赤みが増している。しゃべっているうちに、また興奮してきているのだ。

 だが、俺は口を挟めない。生前の記憶を持たず、つい先日生まれたばかりの俺では、こいつの思いのたけをさえぎってまで口にする言葉など思い浮かばない。

「そんなの許せないって思った。僕が生きてきた証を、何か残して死にたいと思った。でも、僕にはなにもない。──ならいっそ、傷跡だっていい」

 俺がこいつの周りにいる大人のひとりだったなら、なんと言っただろう。こいつの世界の狭さを諭しただろうか。そんなふうに思い詰めなくとも、これからおまえにはいろんなことがあって、その中でおまえもいろんなことを残すことができると、希望を持てと言っただろうか。

 だが、俺はこいつの未来が輝きに包まれていないことを知っている。希望は薄く、絶望はより濃くなっていくことを知っている。

 本来なら、そうした運命に陥ってしまったものを絶望から救済し、安らかな死を与えてやる──それが俺たちの仕事だ。

 ここまでこいつを追いつめてしまったのは、ひとえに俺たちの力のいたらなさというほかはない。

「でも、ひとごろしは、いけないことです……」

 小さな声で、メイがそう言った。

「それは、生きてる人の考え方だ。僕はもう死ぬんだから、関係ない。それに、あなたたちは死神なんだろ?死人がいっぱいでたほうがいいんじゃないの?」

 雄一は過敏に反応し、そう言い募った。かなり興奮して、口調も変わってきている。

「それは、違います、誤解ですー。本来死ぬはずじゃない人を殺すのは、世界の運命の流れに影響を与える行為なので、厳しく制限されているんです。私たちは、雄一君のように特殊な運命の流れから抜け出せなくなった人たちに限って死神としてのお仕事をしているんです。無差別に人を殺すのは大罪です。大目玉です。地獄行きなんですー」

「地獄だってどこだって、連れていけばいい。死んだ後のことなんて、どうでもいい」

 雄一はそう言い放った。「どうせ、どこにいたって、僕がひとりなのには変わらないんだから」

「それは、違います!」

 メイが叫んだ。

 正確には、強い口調で言った、という程度の声ではあったが、いつも間延びした口調でしかはなさないこいつがこんなにはっきりとした声を出すとは思っていなかったので、俺は驚いた。

 雄一もやや面食らったのか、一瞬素の表情に戻ったようだった。だがすぐにまた興奮が戻ってきて、顔つきを厳しくする。

「なにが違うのさ?」

 鋭い目つきでそう言われて、メイはまたいつものようにおどおどしはじめる。

 ──おい、しっかりしろ。ここが正念場だぞ。

「ゆ、雄一君は、ひとりじゃないです。お母さんがいます」

「母さんは、もう死んじゃったじゃないか!」

 雄一が怒声をあげる。母親のことに触れるのがもっともデリケートなことであるのは当然だ。

 だが、メイは怯まなかった。肩がふるえてはいたが。

「確かに、お母さんは亡くなりましたけど……。お母さんの魂は、今ちょっと困ったことになっているんですー」

「困った、こと?」

「はいー。お母さん、天国に行けないかもしれません」

「どういうことさ。母さんは悪いことなんかなにもしてない!」

 雄一は強く抗議した。

「たしかにそうなんですけどー、お母さん、やっぱり雄一君のことがすごく気になっているようで、ほとんど未練になっているんですー。その状態だと、死者の世界、えーっと天国とか地獄とか、輪廻転生とかそういうもろもろのある場所なんですけど、そこへ入るための審査を受けさせてもらえないんですー。今は魂の状態で、死者の世界の入り口に留めおかれてる状態なんですよぅ」

「僕のことが──」

「このままだと、最悪の場合は門前払いされて、生者の世界で悪霊になっちゃいます」

 雄一は下を向いた。

「生きている間、僕のせいで苦労していたんだから、忘れてしまえばいいんだ。それで、天国に行ってくれればいいのに……」

「そんなわけにいくか」

 俺の口から、自然と言葉が出た。

「父親の生命保険も使わずに、過労死するほど必死になって働いてたんだろ?」

「だから、僕のせいだろ?死んでしまったんだから、もう母さんも自由になればいいんだ」

 やれやれ、と俺は首を振った。俺にはこいつの母親の気持ちが分かる。ひょっとしたら、俺もかつては人の親だったのかもな。

「逆だよ、坊主。おまえのおふくろはおまえのために生きていたんだ。仕方なしにじゃないぜ。おまえの成長の手助けをしてやることこそが、彼女の生き甲斐だったんだ」

 でなければ、使える金を取っておいてまで、過酷な労働をするはずはない。

「なのに、この時期に死んじまった。これから高校や大学の受験があって、就職活動があって──いちばんおまえが大変な時期なのにな。おふくろさんはおまえを支えてやりたかったのに、それが出来なくなったんだ。悔しいはずだし、未練にもなるだろ」

「死んでしまったからといって、それですぐすべてがなくなる訳じゃないんですー」

 メイが引き継いだ。

「生者の世界と死者の世界は、別の世界だと思われがちですけど、実際はつながっているんですー。ただ、自由に行き来はできませんけど。容れ物が変わるだけで、魂は共通です。生者の世界での記憶や自我は、死者の世界ではぼやけてしまいますし、生まれ変わったらきれいさっぱりなくなっちゃいますけど、魂そのものは変わらないんですよ?」

 メイの説明する内容を、一度聞いただけで理解することは難しいだろう。生者の世界にいるものなら、なおさらだ。

 だが雄一は神妙な顔で話を聞いていた。

「魂は、つながっているんですー。すこしでも関わった人とは目に見えない糸で結ばれて、それは死んでも、生まれ変わっても、魂そのものが消滅しない限り、ずっとつながっているんですー。もちろんそのつながりは身近な人ほど強くって、雄一君と雄一君のお母さんの魂は、今でもしっかりと強く結びついていますー。そして、互いに影響を与え合っているんですよぅ」

「影響を──ってことは、もし、あそこで僕があいつを殺していたら、どうなっていたの?」

「きっとお母さんは、ひどく絶望したと思いますー……。そういうことがあると、魂自体に傷が付いて、消滅してしまうこともあるんです。そこまでいかなくても、そういうのは『いい魂』ではないとされるので、えーと、いい扱いは受けないと思います……」

 メイは言葉を濁した。実際、俺たちは死者の世界のことをすべて知っているわけではない。

 俺の知っている限りでは、深い傷がある魂は転生させられることなく、消滅するまでどこかに閉じこめられるという話だ。肉体と違い、魂の傷はなかなか回復しない。

「そんな……」

 雄一は、その場に座り込んでしまった。自暴自棄になったあげく、最愛の母を死んでなお傷つけようとしていたことを知ったのだから、無理もない。

「それじゃ僕は、どうしたらいいの?お母さんが天国に行くためには──」

「ひとつはですね──」

 メイはスカートのポケットを探り、例のスイッチを取り出した。雄一の目が吸い込まれるようにしてそちらへ向けられる。

「これをぽちっと押して、お母さんのところに行くことです。今ならお母さんは死者の世界の入り口で足止めされているので、追いつけますねー。ただ、審査は一緒に受けられますけど、そのあとも一緒にいられるかはわかんないです。生者の世界で家族だった、とかを考慮してもらった例ってあまり聞かないので──」

「それに、おまえが死んじまえば確かにおふくろさんの未練はなくなるだろうが、それなりにショックは受けるだろうな」

 俺が付け加えると、雄一は唇を噛んだ。

「もうひとつは、スイッチを押さずに、人殺しもせずに、がんばっていき続けることです。雄一君がちゃんとひとり立ちできそうだなっていうのが分かれば、お母さんもそのうち安心して、審査を受けられるようになると思いますー」

「僕は……」

 雄一は言いよどんでいる。それは無理もないことだと思う。

 母親のことを最優先に考えるなら、このまま生きていくことがいちばんいい、ということになる。だが、それはこいつにとって過酷な道だ。

 できるだけ全部が丸くおさまる方法はないだろうか。俺は首をひねって考えた。

「母親が死者の世界に行ってからもう一度会って、そのときにスイッチを押したらいいんじゃないか?」

 それなら、母親のショックも抑えられるのではないだろうか。

「あ、それいいですねー」

 メイも同調した。

「でも、たぶん一ヶ月くらいはがんばって生きてもらわないといけないですけどー」

「それくらいなら何とかなるだろ、なあ、ぼうず?」

「はい、あの……」

 雄一が何かを言いかけた。

 そのとき、なにもない霧の空間に、唐突に腹に響くおどろおどろしい音楽が鳴り響いた。

「う、うわっ」

「なんだ、突然?」

 俺と雄一は驚いて辺りを見回したが、メイは平然としてポケットに手を突っ込んだ。

「あ、電話ですー」

 そして携帯電話を取り出した。

「着メロかよ!」

「死神っぽくて、かっこいいかなー、って」

「おまえのセンスってどうかと思うぜ……」

「えー、ダメですか?あっ、ちょっと失礼しますねー」

 メイは雄一にひとこと断ると、折り畳み式の携帯を開いて耳に当てた。

「もしもしー、メイちゃんですよぅー。あっ、課長」

 どうやら電話の相手は俺たちの上司のようだ。

「はい、今対応中ですー。えっ?あー、はいー。えっ、そうなんですか?」

 どうやら雄一に関することのようだが、メイはたびたび驚いている。なにがあったのだろうか。

 気にはなるが、電話の向こうの声は俺の耳まで届いてこない。

 しかし、こうして会話の片一方だけを聞かされるのってなんだかイラっとするな。

「はい、わかりましたー。それじゃ、しつれーしますですー」

 メイは数分にわたってやりとりを続けたあと、電話の向こうの相手にむかって深々とお辞儀をした。携帯を耳からはずし、ぱたんと閉じる。

「はー、びっくりです」

「どうした?」

 メイは俺の問いには答えず、雄一の方へと向き直った。

「あ、雄一君、おめでとうございますー」

 そして、ぺこりと頭を下げた。

 当然、雄一は事情を理解できずにぽかんとしている。

「えっとですね、今連絡があって、雄一君の運勢がほんのちょっとだけ良くなったらしいんです」

「え?」

 メイの言葉に雄一は首をかしげる。俺も驚いてメイを見た。

「どういうことだ?変わりようもないほど悪い流れだから、ターゲットになったんだろ?」

「そうなんですけどー、どうも普通はありえない想定外の介入があったらしくて、その拍子に運よくぽいって抜けたらしいんですよぅ」

「ぽいって?」

「はい、ぽいって」

 こいつの表現はよくわからない。

 が、とにかく大事なのは、こいつの最悪な対人運が改善されたってことだ。

「じゃあ、とにかくこいつは、これから普通の人付き合いができるってことか?」

「いきなり、そこまで良くはならないですよぅ。これまで最悪だったのが、最悪というほどでもなくなった、って程度ですー。いままではどれだけ知り合いを増やしてもお友達になれる可能性はほぼゼロでしたけど、それが百人知り合えばひとりくらいはメルアド教えてもらえるかも、ってくらいになったんですよぅー」

「それ……良くなったのか?」ほとんど誤差じゃなかろうか。

「全然違いますよぅー。可能性はあるんですから。それに、これからは自分の努力ですこしずつ運勢を良くしていけるんですよ?いままでは最悪すぎて、努力じゃどーにもならなかったですけど」

「ふむ……だ、そうだ。ぼうず。理解できたか?」

 雄一は俺にふられると、幾度かまばたきをした。

「あ、はい。なんとか」

「いちど悪い流れに乗っちゃった人がそこから出てくるのって、すっごく珍しいことなんですー。雄一君はラッキーですねー」

 メイは本気でそう思っているのか、いつもの脳天気な笑顔を雄一にむけた。

「で、ここからが大事なんですけどー。これで雄一君はわたしたちが魂を回収する条件からはずれちゃったんです。さっきの電話の要件はそれで、雄一君は今日の十四時をもって、わたしたちのターゲットじゃなくなります」

「がんばって生きるしかないってことか。さっきのやりとりは無駄になったな」

「はいー。でもですね、えっと……」

 メイは手に持ったままだった携帯電話をちらりと見た。

「いま、十三時五十五分です。なので、あと五分間だけ、雄一君は権利がありますー」

 そう言うと、携帯をポケットにしまいこみ、代わりにまた例の物を取り出した。

「いまなら、このやすらかに死ねちゃうスイッチを押して、お母さんのところに行くことも可能ですー。十四時をすぎると、もうこのスイッチを押しても意味なしです」

 メイは歩み寄ると、雄一が手を伸ばせばすぐにスイッチが押せる位置に立った。

「スイッチ、押しますか?」

 雄一は無言のまま視線を落とし、光沢のある赤いボタンを見つめた。

 だが、それは数秒のことだった。雄一はすぐに顔を上げる。

 そして、首を振った。

 意外にも、ほとんど悩む様子はなかった。

「──いいんですか?」

「はい」

 問いかけに、今度ははっきりと口に出して答える。

「まだあと三分くらいは、悩んでいても大丈夫ですよ?」

「決めましたから」

 あまりにもあっさりしているので、俺も少し不安になる。こいつ、ちゃんと理解してないんじゃないのか?

「運勢が良くなったって言っても、ほんのちょっとだぞ?それに、すぐに何かが変わる訳じゃない。目が覚めたら、おまえはまた当分、ひとりぼっちだぞ」

 今日までのことで、こいつは十分うちのめされてきた。このまま生者の世界に戻っても、また多くの苦労を背負うことになる。

 そこまでする必要があるだろうか。こいつが母親の近くに行きたいと願っても、何の不思議もないように俺には思えた。

 だが、雄一はこう言った。

「ひとりぼっちじゃ、ないです」

「?」

「さっき、教えてくれたじゃないですか。魂はつながっているんだって。母さんと僕は、母さんが死んでしまっても、離れてしまったわけじゃないんだって」

 雄一はまるで悟りを開いたような、すがすがしい笑顔を俺にむけた。

「それさえわかっていれば、大丈夫です。どんなに他人に嫌われたって、やっていけます。母さんが安心して眠れるような人間に、なって見せます」

「ぼうず……おまえ、大した奴だな」

「えへへ」

 照れたように笑うその様子は、歳相応の少年のものだ。

 だがもうこいつは、同年代の誰よりも──あのいじめ野郎なんかは比較にもならないほどに、大人になったのだ。

「本当に、いいんですね?もうこれ、しまっちゃいますよ?」

 メイが最後の確認をする。

「はい、ありがとうございました、メイさん」

 雄一ははっきりとした言葉で、そう礼を言った。

 ──多分こいつは、大丈夫だろう。これからもいろいろ不運はあるだろうが、この数日で経験したことを糧にして、乗り越えていくに違いない。

 そしていつかは、自力で運命の流れを乗り切って、幸せだってつかむだろう。

 それだけの力のある声だった。こいつに友人ができないなんて、俺にはそのほうが信じられない。


「はぅー、疲れましたー」

 俺たちは雄一と別れ、あの小部屋へと戻ってきた。

 今度ばかりはメイだけではなく、俺も全身で倦怠感を感じている。

 このまま、ねぐらへかえって眠ってしまいたい気分だが──。

「はあー、もどって報告書をまとめないとー」

 仕事が終わったら、すぐに報告をあげなければいけない。メイはうんざりした表情でそう言った。

「俺、先に帰っていいか?」

「むっ、とらちゃんずるい!わたしに押しつける気ですかー?」

「押しつけるもなにも、報告書はおまえの仕事だろうが」

「それでもー、最後まで一緒にいるのが相棒ですよぅー」

「相棒ねぇ……」

 俺からすれば、保護者の感覚なのだが。

「それに、多分課長からおこごとがあるので、そろってないとまずいと思いますよ?」

「お小言?」

「だって、雄一君の魂が回収できなかったので、今週はノルマ未達成ですからー」

「あっ!そうか……」

 そもそも俺たちの仕事はそこが本分だ。

 雄一の魂を回収しなかったのは上からの指示でもあるが、それはノルマが減ることを意味していない。

 もともと今回の仕事は、雄一と雄一の母親、ふたり分の魂を回収することが前提だったのだ。

「それにですねー」

「まだあるのか?」

「多分ですけど、雄一君の運勢が変わったのって、わたしたちのせいなんですよぅー」

「へっ?」

 たしか、あのときのメイの説明では「想定外の介入」があったということだったと思うが。

「雄一君が刃物を抜いたとき、眠ってなかったのに扉を開いて呼びましたよね?あれ、実は重大な規約違反というか、やってはいけないことなんですー。マニュアルにも書いてありますよ?」

「えっ!そ、そうだったのか?」

 俺はマニュアルの項目を思い出そうとしたが、まだすべてが頭に入っているわけではなく、うまくいかなかった。そもそも、あのときは必死で、そこまで考えを及ばせる余裕なんかなかったのだ。

 だが俺と違ってメイは昨日今日死神になったわけではない。マニュアルの内容はしっかり頭に入っている。

「──ん、てことは、あのときもおまえはわかってたんだよな?どうしてそう言わなかったんだ?」

 俺は率直な疑問を口に出した。

「だって、とらちゃん必死でしたからー。わたしだって、とらちゃんがいなくなっちゃうのはイヤでしたもん」

「メイ……」

 こいつ、なんだかんだと言いながら、俺のことを助けてくれたのか。

「その結果として雄一君が起こすはずだった犯罪が起こらなくなって、それで運命の流れが変わっちゃったみたいなんですよぅー」

 つまり、俺たちがマニュアルで禁止されている行動をとったことが、「想定外の介入」だったというわけか。

「悪い犯罪が起こらなかったのはいいことなんですけど、でも違反は違反なので、もどったら課長にすごーく怒られると思いますー」

「そういうことなら仕方ないな」俺は少しばかり、胸が熱く感じているのを隠して言った。「一緒に怒られてやるよ」

「電話で前代未聞だって言われたので、下手するとこうかくくらいはあるかもですねー」

「そうか──って、降格?」

「はい、こうかくです」

「そしたら、俺は?」

「しょうめつです」

「なんだそりゃ!」

 どちらにしても消滅の危機なのかよ!

「無差別殺人事件を引き起こすよりは軽くて済むとは思うんですけど、こればかりは聞いてみないことにはわかんないですねえ。もしそうなったら、まあ残念でしたってことですー」

「残念でしたですむか!」

「魂の消滅ですから、念も残りませんけどねー。ってちょっととらちゃん、肩の上で暴れないでくださいよぅー」

「うるせぇ、もし降格になったら、おまえの髪の毛全部むしってやるからな!」

「ええっ、スキンヘッドの美少女死神なんて、斬新すぎますよぅー」

 俺は小部屋のなかで暴れ回る。

 俺、がんばっただろ?初仕事だっていうのに、メイを引っ張ったり引っ張り回されたりしながら努力して、なんとかうまくまとめたはずだ。

 メイにしたって、バカなりにがんばっているところもあって、これならまあ一緒にやっていけそうだと思いかけていたのに。

 これで終わりだとしたら、そんなのはあんまりだ。

 雄一より、俺のほうがよっぽど不幸じゃないか。

「ほらとらちゃん、行きますよー」

「くそーっ、消滅なんて、認められるかーっ!」

 俺の叫びは、広く静謐なイモータル・スペースに、むなしく響きわたるのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ