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(4)

 事務所を後にした俺たちは、本当に全力で走っているのか疑わしいほど足の遅いメイを俺が叱咤しながら、数日ぶりでそこへやってきた。

 イモータル・スペースと呼ばれるそこは、この世界と生者の世界、あるいは死者の世界とを結ぶ場所だ。

 死神の中でも上位のものならここを通って直接ほかの世界に行って干渉することもできるらしい。また、これは噂ではあるが、より上位の存在──天使とか悪魔とかいわれるものたち──ならば、過去や未来に行くことも可能だと言われている。

 だが、メイのような下級の死神にはそれは縁遠い話で、俺たちが行くことができるのは生者の夢の中だけである。

 俺たちが通行することを許されているごく限られた範囲を通って、ターゲットの夢の中へはいるための小さなブースヘとたどり着く。

「ぜぇー、ぜぇー……」

「おい、息を切らすのは後にして、座標をセットしろよ」

 いくつもならぶ小部屋の一室に入ったとたん、メイはその場にくずおれそうになる。だが、室内の機器は細かいので俺には操作できない。

 三畳ほどの広さの小部屋にはモニターといくつかの操作機器、そして俺たちが入ってきたのとは反対側にもうひとつ扉がついている。あの扉の向こうが夢の世界だ。

 ただし、そのまま扉を開いても誰の夢の世界にとばされるのかわからない(というか、その状態では危ないので扉が開かない)。そこで機器を操作し、個人個人で固有の座標をセットすることで、ねらったターゲットの夢の世界に入れるようになるのだ。

 さらに、座標をセットすれば、モニターの方にメイのパソコンでみたのと同じ、ターゲットの生者の世界での様子も映るようになる。

 俺たちが事務所からここへ駆けてくるあいだ、十五分ほどの時間が経過している。雄一はもう学校へ着いている頃合いだ──何事も起きていなければ、だが。

 メイがひーひー言いながら座標をセットすると、映し出されたのは教室の様子だった。

 雄一は窓際の席に座っている。とりあえずまだ騒ぎは起きていないようだ。おれはほっと息をついた。

「どうやら通学時は問題なかったようだな」

「そうですかー、それはなによげほっ、げほっ」

 メイは室内に設置されたふたり掛けのソファに倒れこむようにしていて、モニターをまったく見ていなかった。まあ息を整えるくらいの余裕はあるだろう。

 メイのことは放っておいて、おれはまたモニターに目をやった。

 雄一は自分の席でただおとなしく座っている。教室内にはすでに多くの生徒が登校してきていたが、誰も雄一には話しかけない。たまにちらりと目をやるものはいるが、それ以上のことはなかった。

 これは母親を亡くした雄一を気遣っているからなどではない。雄一はずっと以前から、この扱いを受け続けているのだ。

 ホームルームが始まる前の教室内は、クラスメイトがいくつも輪を作り、世間話に興じている。雄一のことを気にしなければ、その光景に何の違和感もない。

 だが、雄一を中心にして見れば、それは異質な光景といえた。

 昨日見たテレビの話、いま遊んでいるゲームの話、スポーツの話、アイドルの話……そんな他愛もない会話を楽しむ無邪気な中学生たちが、ただひとりの人間だけは意識して意識しない(・・・・・・・・・)ようにしているのだから。

 メイの使い魔として生まれる以前の記憶を持たない俺には、雄一にも、まわりのクラスメイトたちにも感情移入することができない。だがその分、この光景の異様さははっきりと感じることができた。

「あれっ、なんだよ、武市がいるじゃねぇか」

 そろそろ予鈴が鳴るという頃になって教室に入ってきた男が、雄一をちらりと見やったあと教室に響く声でそう言った。

 誰にともなく、という感じではあるが、声の大きさからして独り言ではない。

 一メートル八十越えの背丈で、中学生とは思えないがたいの良さを持つそいつは、このところ雄一へのいじめをエスカレートさせている中心人物だった。

 この体格だと、教師といえどもおいそれと注意できないのだろう、制服はどう見ても校則違反といえるレベルで着崩している。

 そいつの言葉に応えるものはいなかったが、あちこちで無秩序にかわされていた会話も一瞬にして途絶え、教室はにわかにしんとなった。

「おまえ、死んだんじゃなかったのかあ?」

「テツさん、それはこいつの母親だよ」

 今度の言葉は、雄一に向けられたものだったが、答えたのは一緒に入ってきたひょろながい男だった。同級生なのにさん(・・)付けで呼ぶあたり、典型的な腰巾着といったところだ。

「なんだ、もうこいつの辛気くさい顔を見なくてすむと思ったのによ」

 いじめ野郎は、そう言いながら雄一へと近づいていく。

「いっそ、おまえも死んじまったらどうだ?あ?」

 雄一の机の前に立ったそいつは、挑発的な笑みを浮かべながら雄一を見下ろした。

 雄一はなにも答えない。これまでからまれたときは、いつもそうやってかわしてきていた。

 だが、今日は少し違った。雄一は無言のまま、にらむような目つきでそいつを見上げたのだ。

「なんだ、やんのか、ああ?」

 その視線が癇にさわったのだろう。そいつは一転、目つきを鋭くして雄一にすごんだ。が、雄一は眼をそらさない。

 これは──まずいぞ。

「おい、メイ、やばいぞ、おい!」

 俺はあわててかたわらのメイを呼んだが──。

「ふみゃあ、ぐーぐー」

「おまえが寝てんじゃねーっ!」

「あだっ、だっ、つむじは反則ですよぅー!」

 ソファに倒れこんだまま眠りこけていたメイを、俺は容赦なくつついて起こした。

「ううー、背が伸びなくなっちゃいますよぅ」

「それ迷信だろ。そんなことより、こっちを見ろ」

 つつかれたあたりをさすりながら身を起こしたメイだったが、モニターを見るとさすがに顔色を変えた。

「い、一触即発じゃないですかー」

「なんとかしろ!」

「そんなこと言ったってー、ここからじゃ眠ってない人にはどうしようもないですよぅー」

「見てるしかないってのか?」

 いっそ殴りあい程度で済んでくれればいいが──。俺は血の気の引く思いでモニターを見つめた。

 そのとき、予鈴が鳴った。

 無機質に響きわたるその音で張りつめていた糸がゆるみ、固唾をのんで見守っていた周りのクラスメイトも思いだしたように移動し、各々の席に着きはじめる。

「ちっ」

 いじめ野郎も興をそがれたのか、自分から視線をはずすと自分の席へとむかっていった。

「はぅー」「ふーっ」

 その様子をモニター越しに見ていた俺たちは、同時に溜めていた息を吐き出した。

「あ、危なかったですねー」

「できること少なすぎるな、俺たち……」

「そこがしたっぱの辛いところですよぅー」

 とにかく、当面の危機は去った。あとは授業中に、ちょっとでもいいから眠ってくれることを願うしかない。


 その日の時間割は俺たちの味方だった。昼までの四時限は数学、古文、化学、日本史である。体育もなければ、移動教室もない。ひたすら座学である。

「この時間割なら、なんにもしなくても爆睡確定ですよぅー」とはメイの弁である。

 世の中にはどんなに授業がつまらなくてもきっちりノートを取って最低限の予習復習だけで一夜漬けもせずにテストで好成績をあげる、そんなやつだっているのだが、こいつには思いもよらないらしい。

 が、雄一がそんなタイプだということではない。学校の成績は平々凡々である。ましてこの数日ほとんど眠っていないのだ。授業中に突然刃物を抜いて振り回しはじめる、なんてことにさえならなければ、どこかで限界がくるだろう、とは俺も思っていた。

 思っていたのだが──。

「おい、もう四時限目が終わっちまうぞ」

 昼休み前の最後の関門は日本史だ。

 日本史担当の教師は定年が近そうなおっさんだが、とにかく抑揚なくしゃべる男だった。何の工夫もなく教科書を流し読みし、あとは板書。メイの力で話が長く、つまらなくなっているはずではあるが、これはそんな介入がなくても関係ないレベルのひどさだった。

 一定の高さとリズムを刻み続けるその語りは、もはやお経か子守歌の領域だ。

 教室内の生徒たちは全体の八割ほどがすっかり机に突っ伏して夢の中、ほか一割ほどが水飲み鳥のように首をかっくんかっくん言わせながら耐えしのいでいる状況だった。

 が──雄一はしっかりと目を見開いていた。

 ここまでの退屈な授業を一睡もすることなく過ごしている。あいつの場合、休み時間でも誰かと会話してリフレッシュするなんてこともできないから、ほかの生徒たちの何倍も強烈な睡魔がおそってきていてもおかしくないはずなのに。

 しかし、まじめに授業に取り組んでいるのかといえばそんなこともない。一応、教科書とノートは広げているものの、さっきから一度もペンを握っていないのだ。

 目線は基本的に正面を向いている。雄一の席は窓際にあるので、正面すなわち黒板ではない。

「あいつ、授業まったく聞いてないんだな……」

 時折窓の外に目をやるような素振りを見せる以外、雄一は動きを見せない。教師たちの眠りにいざなう呪文も、無理に聞こうとしなければその効果は半減するということだろうか。

 いや、それよりも、母親の死から三日あまり経って、雄一はほとんどひとことも口をきかず、そして眠らない。こうして座っている姿からは感じさせないが、それだけ異常な精神状態なのだ。

 ついにチャイムが鳴り、昼休み前最後の授業も終わりを告げた。

「きりーつ、れーい」

 チャイムの音で覚醒したクラス委員の形式的なかけ声がかかり、教師が教室から出ていくと、とたんに教室内に活気が戻ってくる。

「おい、もう昼休みだぞ!」

 俺はメイをかえりみた。

「うへへ、給食はカレーとソフト麺──」

「……」

「……はっ!寝てないです、寝てないですよ?」

「とりあえずよだれを拭け」

 もうツッコむ気力もなくなってきた。

 メイはあわてた様子で口元のよだれを袖口で無造作に拭きとるとモニターをのぞきこむ。

「え、もうお昼ですか、本当に?」

「そうだよ。どうすんだ、こいつ全然眠る気配がないぞ」

 授業中とはうってかわって騒がしい教室内では、生徒たちが机をくっつけあってグループを作っている。本来、このグループは座席によって分けられているものなので、雄一が机をつけるべきグループもあるのだが──。

 雄一は当然机を移動させないし、そのことを指摘するものもいない。

 このクラスでは、これが普通──明文化されていないルールになってしまっているのだ。

 雄一は無表情で、カバンを開き、今朝自分で用意した昼飯を取り出す。

 弁当箱。箸箱。そして鞘付きの果物ナイフ。

「だからナイフを出すなよ!」

 俺は思わずモニターにツッコんだが、当然雄一の耳には届かない。

 ナイフは鞘に収められているし、そもそも今は誰も雄一に注目していないので、とりあえず騒ぎにはなっていない。

 雄一も机の上に置いたナイフをすぐにどうこうする様子はなく、弁当箱のふたを開いた。

「雄一君はきっとご飯を食べるのにナイフが必要なんですよ、たぶん……」

「どう見たって箸だけで食える献立だけどな」

 メイもさすがに落ち着かないのか、気休めにもならない冗談を言った後はモニターを食い入るように見つめている。

 雄一は箸を取り出すと、ナイフは脇に置いたままもそもそと弁当を食べ始めた。

「よしよし、このまま何事もなく終わってくれよ……」

 食事をとれば、午後の授業はさらに強烈な睡魔が雄一を襲うだろう。とにかく眠ってさえくれれば、直接説得するチャンスが生まれるのだ。

 雄一は弁当を食べることに集中している。

 この様子なら、と軽い安堵を覚えたそのとき。

「あれ、おまえ母ちゃん死んだくせに、なんで弁当があるんだよ?」

「うわっ、バカ、絡むな!」

 俺はその様子を見て、またモニターに叫んでしまったのだった。


 不躾なその声を、雄一は無視していた。

 そうしていれば、反応がないことに飽きてやがて絡んでこなくなる。ここしばらくの間、徐々にひどくなるいじめの中で雄一が自分で学んだことだった。

 だが今日に限っては、相手もなかなか引き下がらなかった。

「親父に作らせたのかあ?」

「テツさん、こいつ親父ももう死んでるぜ」

 前から知っているはずのことを、わざわざ大声で言う。

 教室中に響きわたるその声に、抗議するものはもちろんいない。みな声を潜めて見ているだけだ。

「ってことは、自分で作ったのかよ?」そいつは、大仰に驚いて見せたあと、言った。「どうりでまずそうに見えるわけだな!」

 それから子分とふたり、腹を抱えて笑いあう。

 笑い声は、ほんのさざ波のようではあるが、ふたりの周りにも伝播した。

 雄一の食事の手が止まる。

「見ろよ、コメなんてベチャベチャだし」

「卵焼きじゃなくて、目玉焼きが入ってるぜ。しかも焦げてるし」

 ふたりはなおも雄一の弁当を指さしてあげつらっている。

 ふたりに同調する笑い声も、少しずつ増えていく。

「ま、こいつの弁当って、母親が生きてたときもまずそうだったけどな!」

「あはは、言えてる!」

 ──違う。

 雄一の箸を握る右手に力が入る。

 ──母さんのお弁当は、おいしかった。いつも忙しいから、あんまり手の込んだものはなかったけど、ご飯がベチャベチャになっていることもなかったし、卵焼きだっておいしく作ってくれた。

「それに、見ろよ!」弁当を指さされる。「こいつの弁当って、漬け物が入ってるんだぜ。コンビニ弁当でもないのに」

 そいつが指摘したのは、弁当箱のすみに入れた三切れのたくあんだった。

「うわ、まじだ。しかもまずそう」

「前からだぜ、これ。こいつの弁当のぞくたんびに入ってやがんの」

 たくあんは、雄一の母親が生前に漬けていたものだった。自家製だからか、既製品のような黄色ではなく、大根の白色がそのまま残っている。

 雄一の母親は漬け物づくりが数少ない趣味だったようで、たくあんに限らずいろいろ漬けていて、弁当にもほぼ毎回入っていた。

 ただ、雄一はとくに母の漬け物が好きだったわけではない。今日もろくに料理の経験のない雄一では弁当箱を埋めきれず、冷蔵庫にタッパーに入って残されていた漬け物を、深く考えずに入れてきただけだった。

 だが、そいつに指さされたとたん、マグマのように熱くたぎる感情が腹の底に生まれたのを、雄一ははっきりと感じた。

「そんなにうまいのかよ、これ」

 そいつはそう言うと、おもむろにこちらへ手を伸ばし、たくあんをひと切れつかみとった。

 口に入れて、噛みくだく。

「うえっ、まずぅ」

 そして、すぐ吐きだした。

 教室のタイル床の上に、たくあんが無惨な姿で飛び散った。

 その様子に、教室に薄い笑いが広がる。

「ひでー、食うんじゃなかった」

 そいつはなおもぺっぺと唾を吐き出す仕草をすると、子分が差し出したペットボトルの水で口をゆすいだ。

 そして、雄一にむかって汚れた床を指さし、言った。

「おい、おまえ掃除しとけよ。おまえの食い物で汚れたんだからな」

 雄一がそいつを見た。

「なんだよ、文句あんのか」

 そいつも雄一をにらみかえす。

 といっても、雄一はにらんでいるわけではない。無表情で見つめているだけだ。

 少しの沈黙のあと、雄一が今日初めて、口を開いた。

「僕、知らなかったよ」

「あ?」

「僕──母さんの漬け物、本当は大好きだったんだ」

 雄一は箸を机の上に置いた。そして、そのとなりにずっと置かれていたものに手を伸ばした。


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