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(2)

「うーん、誰もが待ち望んだ画期的アイテムきたーっ、って思ったのにー、どうして押したがらないのかな?」

 俺はメイの頭を痛くない程度に突っついてこちらを向かせる。

「いきなりそんなもん見せられたら普通は誰だって引くわ。ちゃんと説明してやれよ」

「それって、遠回しにわたしはふつーじゃないって言ってます?」

「むしろストレートに言ってるつもりだが」

「ううっ、とらちゃんにはやさしさが必要ですよぅー」

 メイは半泣きの顔をしながらも、雄一に向き直った。

「えっとですねー、べつにわたしたちはてきとーに雄一君を選んで夢の中にお邪魔したわけじゃないんですー。ちゃんと理由があるんですよぅー」

「理由って──?」

「雄一君、いま学校でいじめにあってますよね?」

 雄一ははっと顔を上げ、メイの顔をまじまじと見つめた。メイは愛想笑いを引っ込め、真剣な表情で見つめかえしている。

 ややあって、雄一はうなずいた。

「──うん」

「結構、きびしくなってきてるんじゃないですか?」

「うん。去年くらいまでは無視されたり、教科書を隠されるくらいで済んでいたんだけど、今年に入ってからだんだんひどくなってきて、体操服をカッターか何かでびりびりに破かれたり、トイレに連れ込まれて便器に顔を突っこまされたり──。直接殴られたり、お金をせびられたりしたことはまだないけど、先生も見て見ぬ振りだから、いつかされるのかもしれない」

 雄一はまくしたてるように言った。教師が役に立たない上、親は母親のみで、パートを掛け持ちして毎日忙しく働いている。これ以上心配や苦労をかけたくないと思っているのだろう、こいつは誰にも相談できていないのだ。

「もしかして、僕はあいつらに殺されるの?それで、そんなことになる前に、スイッチを押して死んでしまえってこと?」

 雄一がそう言ったので、俺は少し感心した。おもったより頭の回転は速いようだ。ただし、正解というわけではない。

「あ、そこまではいかないですよぅー。確かにいじめっこどものやることはこのさきどんどんエスカレートしていきますけど、殺されるところまではいかないです。雄一君の心構え次第で、耐えきることも十分可能ですー」

「じゃあ、どういう……」

「ただ、そのさき高校へ行っても、雄一君はやっぱりいじめられますー。もちろん、中学のいじめっこと別のところに行っても、ですよ。大学へ行ってもはぶられておトイレでご飯を食べることになりますし、就職してもパワハラされるし、電車で痴漢に間違われる確率もすごく高いんですよぅー」

「要は、おまえの対人運って最悪なんだよ」

 具体的すぎて逆に要領を得にくいメイの言葉を、俺がまとめてやる。

「おまえの問題だから、環境を変えても改善しない。運勢のことだから、努力のしようもない。おまえがこの先どれだけがんばって生きていても、この方面でいい思いをすることはまずないな。とりあえず、一生童貞で終わることは間違いない」

「とらちゃんはちょっと下品ですー」

 ほんのすこし頬を赤くしたメイが、また後を引き継ぐ。

「というわけで、雄一君はこれから生きている限り、いやな目にばっかり遭うんです。死神として、わたしが保証します!」

 メイはどんと胸を叩いた。そこで威張ってどうする。

「そんな……」

 幸いにも、雄一はショックで下を向いてしまっていて、的外れなメイの態度には目がいっていなかった。

「で、そこで改めて、これです」

 メイはまたポケットを探ると、一度しまいこんだスイッチをまた取り出した。

「じゃじゃーん」

 また効果音付きで。

「このスイッチを使えば、最低の人生もすべてないことに出来るんですー。しかも痛くも苦しくもないので、自力で死ぬよりお得ですよぅー」

 メイはこのスイッチの機能を相当気に入っているのか、自然と笑顔になり、声も明るさを増した。

 また眼前にスイッチを突きつけられた雄一は、だいぶ押されている様子だった。おっ、もうひと息かな?

「僕──まだ、死にたくないです……」

 か細い声で雄一がそう言った。

「でもでも、いいことひとつもないんですよ?」

「ひとつもなんて、そんなことわかんないじゃないですか!」

 雄一は訴えたが、残念ながら俺もメイもうそは言っていない。少なくとも、他人が関わることでこいつがいい目を見る可能性ははっきり言ってゼロだ。

 対人運をのぞけば別に普通なので、逆に言うと他人が関わらないことでならこいつが幸運を拾ったり成功を収める可能性はなくもないんだが……このご時世に、他人とのコミュニケーションゼロでやっていけることがどれほどあるのだろうか。

「ぼうず、残念だが……」

「すこしでもいいので、なんとか運勢をよくしてもらうわけにはいきませんか?」

「そうしてあげたいのはやまやまですけどー、わたし死神なんで、出来ることはすこしでもやすらかに死んでもらって、魂を清らかにしてあげることくらいなんですよぅー。生きている間のことは管轄外なんです、ごめんなさい」

 メイはそう言って頭を下げたが、相手は下を向いてしまう。メイがまたあわてて明るい声で付け加えた。

「あっ、でも、今死ぬとですね、未成年のうえ犯罪も犯してないきれいな魂になるので、天国行きは間違いないですよ?多分、転生までの期間もおまけしてもらえるんじゃないかなー、きっと。ラッキーですねー」

 正確には俺たちの仕事は死んで魂になったやつを死後の世界につれていくところまでで、そこからさき魂がどういう扱いをされるか決める権限はない。なので今の言葉の確証はまったくないのだが、まぁおそらくはメイの言うとおりになるはずなので、俺は黙っていた。

「このまま生きていると、魂はだんだんとすり減って汚れていくし、そのうえもし我慢しきれずに自分が犯罪を犯したりすると、どんなにかわいそうな境遇でも地獄行きは免れません。今のうちに死んでおいたほうが、将来のためだと思うんですよぅ」

 メイの言葉は間違ってはいない──のだが、もう少しうまい言い方はできないものだろうか。

 雄一は下を向いたまま考えこんでいるようだった。これまでの人生を振り返り、そこからこのさきの人生を想像しているのだろうか。

 やがて顔を上げた雄一少年は、それまで見せていた気弱げでいかにもいじめられていそうな情けない表情から少し変化していた。

「やっぱり、僕は死にたくない──いえ、まだ死ねません」

 目の奥に、はっきりとした光が宿っている。

「ええっ、どうしてですかー?」

 メイのほうは相手の変化に気がついているのか、いつもと変わらぬ調子でそう聞いた。

「確かに、あなたたちの言うとおりの人生なんていやですけど──だからってここであっさり死んでしまったら、母さんに申し訳が立たない」

「あ──お母さん……」

 メイがなにか言いかけ、やめた。

「母さんは、親父が五年前に死んでからずっと、ひとりで僕を育ててくれているんです。パートはいくつも掛け持ちして、でもちゃんと毎日僕の弁当も作ってくれて──。本当は親父の生命保険を使えばもっと楽に生活できるのに、僕が大学まで通えるように、って、ほとんど手をつけずに残してるんです」

 力強く語る雄一の言葉を、メイはやや目を逸らしがちにして聞いている。いつも真っ正面から相手の目を見てはなすこいつにしては珍しい。

「僕が死んでしまったら、母さんの五年間の苦労は無駄になってしまう。それに、そうしたら母さんはひとりぼっちになってしまう。そんなこと、僕にはできません」

「ううー、どうしてもダメですか?いいことないんですよー?」

「はい。それにカラスさんは対人運が最悪って言いましたけど、僕には母さんがいます。たとえ他の人から嫌われたとしても、母さんがいれば大丈夫です。耐えて見せますよ」

 そう言うと、雄一は初めて笑みを見せた。つらい人生を生き抜く覚悟ができたのか、晴れがましく見える笑顔だった。

 だが──こいつの運勢の最悪っぷりは生半可なものではないのだ。

「メイ、言わなくていいのかよ」

 伝えるべきことはまだある。俺はメイを促したが、メイは口をとがらせてそっぽを向いてしまった。

「おいこら、どうした」

「うううー……」

 メイは言いしぶっている。なんでも気にせず口に出せる娘だと思っていたのだが──。

 俺が言ってもいいのだが、一応俺たちの関係はメイが主、俺は使い魔にすぎない。メイが言わないことを俺が言うのはさすがにはばかられた。

「決心、変わりませんかー?」

「はい。僕は自殺もしないし、もちろん犯罪を犯すつもりもありません。母さんの苦労に報いることができるよう、精一杯生きていくつもりです」

 雄一のほうは、すっかり心を決めてしまったようだ。出会った当初とは別人のようにしっかりとした口調でそう答えた。

「メイ、いいのか?」

 俺が聞くと、メイはため息のように大きく息を吐いた。

「はぅー。仕方ないですー。今日のところは退散しますー」

「ごめんなさい。僕のために来てくれたのに」

「いいえぇー、お気になさらずにー」

 憑き物が落ちたかのような表情の雄一に対し、メイの笑顔は少々疲れを感じさせた。

 すこしずつ霧が晴れていく。この夢が終わろうとしているのだ。

「ではまたー」

 メイの簡単な挨拶とともに、互いの姿はぼやけ、視界が暗闇に落ちた。


 俺たちは雄一の夢から抜け、自分たちの世界へと戻ってきた。

 生者の世界と死者の世界の狭間──そんな曖昧な世界だが、意外と住民は少なくない。

 俺たちのように生者の魂を死者の世界へと導くものもいれば、また逆に新たに生まれる魂を生者の世界に送り出すものもいる。仕事は結構多いのだ。

 生者の世界のように広大ではないが、俺たちの世界もまた、ひとつの街なのである。

 そこそこ賑わう中央通りを抜け、裏路地にはいる。空腹に訴えかける匂いを容赦なく振りまいているホットドック屋を素通りし、さらに細い路地に入ると薄汚れた雑居ビルが見えてくる。そこの三階が俺たちの所属する事務所だった。

「あううー……説得失敗ですー」

 事務所の扉を開け、自分の席に座るなりメイが肩を落とした。

 俺はそんなメイの肩から、部屋のすみに設置された止まり木へと飛び移る。

 事務所の中には仕事用の机が四つ並べておかれ、さらにその奥にもうひとつ机がある。が、今は俺たち以外には誰もいなかった。俺たちの仕事はノルマ制で、出勤日も時間も決められてはいない。仕事のあるやつだけが来るようになっているから、珍しいことでもない。

 時間は生者の世界とリンクするようになっており、今は朝方だ。どういう原理かこの世界でも太陽は昇るが、この事務所の窓は西向きになっていて朝日はほとんど入ってこない。

 メイは自分のデスクのライトスタンドの電源を入れて手元を明るくすると、仕事用のパソコンを立ち上げた。

「どうするんだ、これから」

「できれば、明日もう一度説得したいんですけどー……」

「あの様子だときびしいんじゃないのか?ありゃ生きる意思をはっきり固めちまってるぞ」

「ですよねー。わたしの言葉巧みな営業トークをかわしきるなんて、たかが中学生と思って少々甘く見てしまいましたですよぅー」

「──というか、おまえが中途半端な説得をするからだろうが」

「あれ、わたしのせいですか?」

「ほかに誰のせいだって言うんだ」

「とらちゃんの……」

「つつくぞ」

「暴力反対ですよぅー」

 答えながら、メイはパソコンを操作している。画面には何色にもわかれた棒グラフや波形グラフ、さらに数値データなどが映し出されていた。

 メイが言うには、これは「お客さんの運命をチェックしたり、ちょこっといじくったりできちゃうすごいソフト」なんだそうだ。さすがにこれを操作できるのは死神だけで、使い魔である俺には見ていてもなにがなんだかわからない。

「だいたい、どうしてあのとき──」

「あっ、ちょっと待ってください」

 メイは俺の言葉をさえぎると、しばらく無言になってキーボードを叩いたり、画面の数字を確認していたりしたが、やがて画面から目を離した。

「うーん、やっぱりダメですねー」

「どうした?」

 俺はまたメイの肩に乗ると、画面をのぞきこむ。──が、やはりなにがどうなっているのかはわからない。

「あ、とらちゃんはこっちで見たほうがいいですよね」

 メイがなにやら操作すると、グラフや数字が消え画面いっぱいに動画が映し出される。

 すこし暗い画面の中には、先ほど夢の中で会話をした武市雄一が映っている。ターゲットの生者の世界での行動をチェックできる画面なのだ。

 雄一はちょうど起きたところらしく、ベッドに腰掛けて眠そうにまぶたをこすっている。すぐに立ち上がらずぼんやりしているのは、夢の中での俺たちとの出会いを思い返しているのだろうか。

 今のところ、画面の中に異変は認められない。

「残念ながら、もう限界だったみたいですー」

 だがその言葉で、なにが「ダメ」だったのか、俺にはわかってしまったのだった。


「変な夢だったなぁ……」

 眠気を追い払ってベッドから腰を上げた雄一は、さきほどまで見ていた夢の様子を思い返しながら洗面所へと向かった。

 普段見た夢は、誰かに話したくなるような突飛なものであっても、少し時間がたてばあっという間に細部がぼやけ、思い出せなくなっていってしまうものだ。だが、あの夢の会話内容はいまでもはっきり思い出せるし、あの眠そうな目をした黒と白のドレスの少女も、その肩に乗っていた人の言葉をしゃべるカラスも、その容貌をはっきりと思い出すことができるのだ。

 それだけでも十分おかしな夢といえるが、夢の内容もだいぶ変だった。なにしろ、いきなり女の子に「押したら死ぬスイッチ」を突きつけられるのだから。

 だが、あの夢を見たおかげで、救われた部分もある。

 事実、ここのところ雄一へのいじめは激化の一途をたどり、いっそ死んでしまったほうが楽なのでは、と思うこともあったのだ。

 しかし、いざ目の前に「死ぬ」という選択肢をつきつけられて考えれば、そんな簡単な手段をとることはできないのだと、雄一は自分の力で気づくことができたのだった。

 一生童貞だとか、ひどいことも言われた気がするが、そういう意味ではいい夢だったと思う。

 トイレで用を足し、洗面所で顔を洗いながら、雄一はそんなことを考えていた。

 2DKとはいえ狭い公営団地だが、家の中は静まりかえっている。

 雄一はダイニングキッチンへとでると、冷蔵庫に張り付けられた母のパートのシフト表を確認した。それによると、昨日はコンビニの夜勤シフトだった。今日はまた昼から、近所の弁当屋のパートが入っている。

 それなら、もう帰ってきているはずだ。気配がない、ということはもう母は自分の部屋で寝ているのだろうか。

 だが、普段ならどんなに忙しいときでも雄一の朝食と弁当の用意だけはしてあるのに、今日に限ってダイニングのテーブルの上にはなにも置かれていない。

 雄一は母親の苦労を良くわかっているから、一日くらい弁当がなくたって文句を言うつもりはなかったが、さっきからこの家にいるはずの母の気配をまったく感じないこともあって、ちいさな不安が胸によぎった。

 雄一は母の部屋へ向かった。

 疲れて眠ってしまっているだけならいい。その様子を確認すれば、このかすかな胸の締め付けも霧散するだろう。

 母の部屋は畳敷きの和室になっている。入り口のふすまはしっかり閉じられていた。

 小学生の頃はなんの躊躇もなく全開にしていたふすまを、遠慮がちに少し開く。

 この部屋には父の遺影がおかれている。いつものように線香の匂いがした。

 畳の上に、母の足が投げ出されている。やはり、眠ってしまっているのか。だが布団も敷いていないし、寝るなら寝るで、ちゃんとしたほうがいい。

「母さん──入るよ?」

 成長期を迎え日に日に大きくなる自分の身体が通れるように、ふすまを大きく開いた雄一は眼前の光景に目を見開いた。

 足を投げ出した母は、着替えもすませていない。だらしなくうつ伏せになっており、上半身を父の遺影をおく仏壇代わりの小さなテーブルの上に突っ伏していた。伸ばされた右手がその父の遺影をつかみ、引き倒している。

 眠っているのではない。倒れているのだ。

「母さん!」

 雄一があわてて部屋に入り、母を抱き起こす。

「母さん!」

 もう一度叫ぶが、返事はない。

 母は、息をしていなかった。

「母さんっ!」

 雄一がどれだけ声を張り上げたところで、言葉を返すものはない。父のために灯された一本の線香が、煙をゆらゆらとくゆらせるばかりであった。


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