第4章
授業が終わり、念のため美湖に帰りは大丈夫かどうか聞いてみる。少し不安げだったがしっかりうなずいた美湖に「じゃあ」とだけ言って、俺は1組にいる瞬のところへ行った。
「行くんだよな?」
と声をかけると、瞬はうなずいて「ちゃんと持ってきたし」と言う。
今日は、2人で川の絵を描こうということになっていた。今は部活が休みの週で、学校で絵を描く機会というのがなく、家で地味に描いていたわけだが、2人とも風景画が恋しくなって瞬が誘ってきたのだ。
川というのは近くも近く、登下校に通るところだ。俺らが予定しているのはちょうど今朝、美湖がこけかけたあたりのところ。
「そういや、美湖ちゃん、来てないの?」
瞬が聞いてきた。
「だって、大丈夫って言ってたし」
と答えると、「連れてこれば良かったものを」とつぶやく。
「何、惚れたりしたわけ」
面白がって聞いてみると、「別に」と返ってきた。表情は動かなかったし、頬を赤らめたわけでもないので本当だろう。
しばらく、黙って描いていた。
ふいに瞬が俺のを覗きこんで、「なんか川、小さくないか」と聞いてくる。
「だってこれ、空メインだし。この時間帯の色好きだし、しかも今日は飛行機雲も綺麗だし。お前、それ描かないのもったいないぞ」
そう言うと、「橋メインだから」と返事が来る。
「あの手すりのところの影が綺麗だし、川にもいい感じで映ってるし。この時間帯だからこその角度なんだから」
言われてみれば、確かに。それはそれでもったいない気がする。
「まぁ、お互い『個性豊か』ってことで・・・・・・」
「お前、先生みたいな事言おうとしただろ」
瞬の言葉にすかさず突っ込むと、「ばれたか」と笑う。
その時、後ろで人の気配がした。そっと振り返ってみると、美湖だ。今の今まで気付かなかった。
「うわ、声かけたらよかったのに」
と俺が言うと、「邪魔したくなかったから」と困ったように笑う。
「ここ、座れば」
と、瞬が自分と俺との間を空けた。
「光、ごめんね」
的なことを言いつつ美湖は、瞬が空けたところに座りこむ。
しばらくの間、俺らは描き、美湖はその絵と風景とを見比べながら、時間が過ぎた。
絵も終盤にさしかかった頃、美湖が口を開く。
「2人とも、絵上手いんだね」
ここで恒例の、「相手激励会」が始まった。
「絶対、光の方が上手いから」
「いや、明らか瞬だし」
「そんなことない。絶対、光だから」
美湖を挟んで言い合っていると、珍しく大きめの声で美湖が言う。
「2人とも、上手いから」
「でも、どちらかと言えば正直瞬だろ?」
「どちらかと言えばもクソも、普通に光だよな?」
強制的にうなずかせるような勢いで同時に尋ねると、首を横に振る。
「どっちも、同じくらいに上手いって」
これ以上続けさせるものかというように言うので、さすがに俺らは口を閉じた。
それを確認して、美湖が続ける。
「瞬君はね、なんかハッキリしてて分かりやすいって言うか、絵見てすぐに景色が分かるって言うか。光は、細かいから実際綺麗なものがもっと綺麗なってる気がする。・・・・・・2人の色つきの絵は見たことないけど、白黒だけでもそう思えるもん」
どう返せばいいのか分からなくて、瞬と顔を見合わせているとさらに美湖がつぶやいた。
「2つとも、反対だけどどっちも好きかも」
ここで、瞬と2人で照れ笑いを浮かべることになる。やがて、瞬が口を開いた。
「やっぱ光って、細かいよ。こいつ、だからかは知らないけどほとんど色鉛筆・・・・・・だろ?」
俺はうなずく。
「そう。絵の具って、難しいじゃん。乾くの待たないといけないし、それが難しくてさっさと塗ったら色が混ざるし。・・・・・・瞬は、絵の具使うの上手いよな」
俺らの話を聞きつつも、美湖はまた「激励」が始まらないか神経を尖らせているようだった。
「色鉛筆の方が出来ないって。よくあれだけで綺麗に仕上がるよ。俺が色鉛筆持ったら、ホントに幼稚園児みたいなことになるから」
と、瞬は顔をしかめた。
「今度、2人の絵見せてよ」
美湖が言う。
「じゃあ明日、美術室寄って行く?」
瞬が言うが、俺が言い返した。
「部活停止週なんだから、ダメだろ」
ここで美湖が首を傾げたので、「部活停止週」について説明する。
「2ヶ月に1回、金曜にテストがあって・・・・・・」
「テストなんかいらないよな」
瞬が苦い顔をして口をはさんできた。
「それの勉強のために1週間部活がなくなるんだ。・・・・・・真面目に勉強する奴なんか、いないけど」
「なんでそんなテストがあるのか、本当不思議」
瞬の言葉に美湖もうなずき、若干嫌そうな顔をする。テストと聞いていい顔をする者など、いないだろう。────でも。
「お前みたいに、テストでもないと勉強しない奴がいるからだろ」
「お前と大して変わんねーって」
「変わるから!」
さっきの褒め合いはどこえやら、またも美湖を挟んで言い合う。
「ほら、美湖が困ってんじゃねーか」
そっと後ろへ後退りしていた美湖を引きあいに出した。
「お前だって散々言ってたくせに」
瞬の言葉が事実だったため黙り込んだ俺の隙をみて、美湖がさっきと同じく、大きめの声で言った。
「ここで、終わり」
・・・・・・美湖が来て、2人の言い合いを止める人が出来て、良かった。
「よし、そろそろ帰るか」
もう辺りはすっかり暗くなっている。まだ手元が見えるうちにスケッチブックと鉛筆とを片付けて、立ち上がる。
瞬とはここで別れた。今日は近道で帰ると言う。
「じゃあ、明日な」
「おう、じゃあ」
美湖も手を振って、2人で歩きだした。
あの犬のところが近付くと、美湖は俺の右側、犬から離れた方に移動し、前を通る時もうつむいて目を合わせようとしなかった。その姿がなんとなく可愛くて、思わず笑ってしまう。
「別に、柵があるんだから」
案の定吠えたてられて、自分のスカートの裾を握りしめている美湖に言うと、「だって」と口ごもる。 その様子にもう一度笑っているうちに、家に着いた。
「じゃあ」
と帰ろうとすると、後ろから声がかかった。
「明日の朝も・・・・・・来てって言ったら、図々しい・・・・・・かな?」
「犬、そんなに怖い?」
逆に聞き返した俺に、顔を赤らめて美湖がうなずく。
「じゃあ、今日と一緒ぐらいの時間で」
俺が言うと、心の底からホッとしたような顔で笑った。
「また、明日ね」
そう言って、家の中に入って行く。あそこまで犬を怖がる美湖の心境が理解できず、無視すればいいものをと思いながら、俺も家に帰った。