第2章
ピンポーン
月曜の朝、俺はしぶしぶ水野家のインターホンを押した。
すっぽかすという手も、もちろんあった。しかし、俺がインターホンを押すまで窓からの母さんの痛すぎる視線があったのだから、押さないわけにはいかない。そして、押したからには一緒に行かないわけにはいかない。
「はい」
玄関から、水野さんが顔を出した。
「あ、いや、その、娘さんを迎えに────親が、行けって言うものですから。・・・・・・もし迷惑じゃなければだけど」
「迎えに来た」と伝えて、あわてて「親が」と付け加える。自主的に来たわけではない、ということを伝えるためだ。
「あ、ちょっと待ってて、呼んでくるから」
水野さんが一度奥に引っ込む。────と、中から水野さん・・・・・・お母さんそっくりの綺麗な顔立ちの女の子が出てきた。
「水野、美湖です」
か細い声でそう言って、小さく頭を下げる。
────極度の人見知り。
「あ、足立光陽です」
俺も頭を下げて、唾を飲み込んだ。
「い、行こっか」
そう言って水野さん・・・・・・お母さんの方を見ると、微笑んで言う。
「ありがとう、よろしくお願いします」
もう一度、俺は軽く頭を下げて美湖・・・・・・という名の少女にうなずいた。
その人も小さくうなずいて、お母さんに「行ってきます」と言う。それを確認して、俺は学校の方へと歩き出した。
ずっと、美湖、さんはうつむいている。
「人見知り?」
と聞いてみると、顔を赤くしてうなずいた。
道中、工藤さん家の「凶暴な犬」に吠えたてられて美湖さんは小さく声をあげた。
「そいつ、1週間ぐらいは吠えるけど、噛みはしないから」
と言うと、「1週間っ?」とまたしても声を上げる。
しばらく歩いて、俺はあることを思い出して美湖さんを振りむいた。
「そこ、こけないように気をつけ・・・・・・」
言い終わる前に手が出た。今まさにこけかけていた美湖さんの腕を掴む。
「気をつけて」
改めて言った俺に、美湖さんは小さくうなずく。
「あり・・・・・・がとう」
「そこ、なぜかは分かんないけど、今までに何回もこけた人いるんだ」
美湖さんが、俺の言葉に初めて笑った。
俺もつられて笑う。
「あ、そうだ、えっと。・・・・・・足立君て、何組?」
相変わらずの小さい声で美湖さんが聞いてきた。
「俺は3組。あと、光陽って呼んでくれていい・・・・・・っていうか、呼んでくれた方がいい。呼びにくかったら光でもいいけど」
俺の言葉に、美湖さんが「よかった」と笑う。
「私も、3組って言われて。でも、光・・・・・・がいるなら、ちょっと安心かも。なら、私のことも美湖って呼んで」
はじめて、美湖がこちらと目を合わせた。やっと目を合わせてくれて、だんだん口数が増えている気がして、俺はなぜか嬉しくなった。 人の笑っている顔を見て嬉しくなるなんて、14年生きてきて初めてのことである。
「光────!」
後ろから大声で呼ばれて、美湖がそっと窺うように後ろを見る。俺は振り向かなくても誰だかは分かったので、無視して歩き続けた。
「無視するなよ」
俺の背中に軽くげんこつを入れて、そいつが言う。
「ほら、やっぱ瞬だろ。振り向かなくたって分かるのに、いちいち振り向けって言われても。しかも、毎朝毎朝そんな大声で呼ぶなって、何回言えば分かる」
俺が言い終わる前に、瞬は美湖を見、俺を見、囁いた。
「彼女?」
その言葉に、思わずこけそうになって瞬を睨む。
「俺的に、結構長い付き合いだと思うんだけどさ、それでもまだ俺にそんなものが出来るって、お前本気で思うのか?」
「思わない」
────自分から撥ねておいて、即答されたらそれはそれで何かムカつく。・・・・・・なんとも身勝手な。
ふいに、美湖のクスっと笑う声がして瞬と俺は同時に振り向いた。
それに気付いて、美湖が「仲いいんだね」と言ってくる。
「うん、まぁ────幼なじみだから」
と、瞬が返した。
「小1って、幼なじみなのか?」
「分かんね」
「知らないのに言ったのかよ」
さっきからずっと、俺たちのやり取りをどこか面白そうに美湖が聞いている。
「あ・・・・・・名前、言ってなかったか。俺は瞬。苗字は、永井ね。瞬って呼んでもらっていいから」
「あ、そっか。私は水野 美湖。私のことも、美湖って呼んで」
その言葉に、瞬かちらっとこっちを見て、苦笑して首を横に振る。なんだか、意味ありげで気に入らない。
「ほら、早く行くぞ」
と、俺はそっけなく行って再び歩き出した。瞬が駆けてきてから、ずっと止まっていたのだ。
おかげで、今日は学校に着いたのが少し遅い。
学校付近に来ると、同じ制服の奴らが一度は振り替える。
見たことがない人、つまり美湖がいるのと、美湖の顔立ちが綺麗すぎるからだろう。
美湖を職員室の前に連れて行って、「先に教室行ってるから」と瞬と2人で歩き始める。
「うん、ありがとう」
と、背後から声がかかった。今日で2回目の「ありがとう」だ。でも、今回はつっかえていない。
何か返す代わりに小さくうなずいて、俺は瞬と階段を駆け上がった。