第22章
そろりと襖が開いた。
「着替えてる?フロントは明かりついててさ、ソファの影通ったりして大変だったんだから」
伊勢谷が言う。
「マジかよ。玄関出るとき、フロントんとこ通るよな」
尚平が苦々しい顔をしてつぶやいた。瞬は能天気に欠伸をしている。
「でも、ここで行かないわけにいかないし。さっさと出ようぜ」
俺の言葉に一行はうなずいて、足音と周りの音に全神経をとがらせながら廊下を歩き、ロビーへの階段を下りた。しかし、あろうことかフロントで、着物を着た若い人に見つかってしまった。
「えっと・・・・・・修学旅行の、高校の方ですよね?こんな時間にどうしたんですか」
声を上げようとする女の人を必死で止めて、俺たちは頭を下げる。
「お願いします、今日の自由時間に財布落としたみたいで。先生には言わないでほしいんですけど」
俺の言葉に、女の人はあくまでもお客様だから安全が・・・・・・などとつぶやきはじめた。
本当、頼むから───────思わず天まで見上げそうになって、あわてて顎を引く。
「本当に、お願いします。元は私のせいなので・・・・・・」
白砂の言葉を瞬と尚平が制して、頭を下げた。女の人──────旅館の人なら「仲居さん」か──────は一旦フロントに引っ込んで、女将さんと相談してきたようだった。やがて女将さんと見える人も出てきて、もう一度頭を下げる。しばらく迷うそぶりを見せながらも、2人は懐中電灯3つ、渡してくれた。
「先生には言いませんから・・・・・・でも、何かあっても旅館側としては責任は負えませんよ」
その言葉に思わず声をあげそうになって、
「ありがとうございますっ」
と頭をまた下げる。これで何回目か、数える気にもなれない。
2人ずつに分かれたほうが効率もあがるだろうということで、それでも女子だけになったりすると危ないので、男女に分かれて「グッパ」の「グー」「チョキ」「パー」と、3つに分かれるバージョンをする。俺がチョキで、白砂と一緒になった。
「じゃあ、みんな時計持ってるよな。5時にロビーで」
俺の言葉に、瞬が「気をつけろよ」と言う。
「お前らこそな」
と尚平が笑い、「なんか楽しくなってきた」と呑気な事を言い始めた。
みんな手を振って、3つに分かれて進み始めた──────
「本当にごめんね、知らない土地に夜中で歩くなんて、物騒すぎるよね」
道中、さっきも聞いた台詞を言われて、「いいって言ってんじゃん」と軽く流す。
しばらく歩いた気がするが、財布らしき影は見つからなかった。懐中電灯で足元を照らしつつ、今日回ったルートを見ていく。寺などはさすがにしまっていたので、それは明日にもある少しばかりの自由行動の時間に探していくしかない。
「あっ・・・・・・」
桂川の、渡月橋付近を見ていた時だ。川に光を当てていた白砂が声をあげた。
「何、あった」
と聞くと、うなずく。あわてて取りに行こうとする白砂を制して、財布があった場所を照らしておくように言う。草を掴んで、少し身を乗り出せば届く距離だったのでそうして、手を伸ばす。
──────とその時、ものすごく強い風が吹いた。雲行きが怪しくなってくる。なんで、昼はあんなにいい天気だったのに─────────そこで、俺は京都に来る前に見た週間天気予報を思い出した。
『火曜日は、昼は晴天ですが夜から雨が────────』
クソ、なぜ思い出さなかった。なぜ、実際に起こる前に思い出さなかったんだ。自分を責めている間に、白砂が俺の腕を引っ張る。
「もう、いいよ。足立君このままじゃ落ちそうだし、川の流れもきつくなりそうだし」
そう言うが、せっかく目の前にあるものをあきらめたくはなかった。財布は、上手く何かに引っ掛かっているのか今にも流れそうだが、なんとか持ちこたえている。白砂の手をほどいて、もう一度草を掴んだ。雨は、嵐並みに強くなっている。いつしか川の流れもものすごく速い。
水の中に突っ込んだ手が流れに呑まれて、乗り出していた身も流されそうになった。それに反抗するように草を思いっきり掴み直すと。
プチ
かすかに音がして、体が水に落ちる。白砂が手を伸ばしたのが分かったが、その手は虚しく空をかくだけだった。
うわ、死ぬのかな。こんな深夜に、携帯も置いてきて、助けも来なくて、死ぬのか。
不思議と、そこまで悲しくもなかった。ただ、美湖と同じ側に行けるのかな、それだけ。
その時、誰かが腕を掴んだ気がした。白砂か?いや違う。掴まれている気はするが、宙に浮いている気もする。チラリと上を窺うと────────美湖のような顔が見えた、気がした。
目が覚めると美湖が、いや白砂が、心配げな顔でこちらを見ていた。
横を窺うと、さっき見た財布が放り出してある。腰をあげようとして顔をしかめるが、木にもたれかかるようにして無理やり起き上った。
「あ、財布・・・・・・取れた?」
と俺が白砂に聞くと、泣きそうな顔で笑われた。
「足立君が、掴んでたんだって。ごめんね、本当にこんな死にかけるようなことまで─────」
また謝る白砂に俺も笑いかけて言う。
「全然。よかったじゃん、財布見つかって。なんで川に落ちたのかは知らないけどさ。・・・・・・あ、でも中身、あった?」
白砂は首を横に振った。
「同情かな、1000円札1枚は入ってたけど。でも、お金より」
財布をごそごそして、写真を取り出す。
「これの方が、大事だから。私が生まれてすぐにどっか行っちゃった、お母さんの1枚だけの写真なんだ。お父さんとお兄ちゃんと私、捨ててったって事は分かってるんだけど・・・・・・やっぱ、大事で。・・・・・・変、なのかな?」
首を傾げる白砂に、俺は首を横に振って微笑みかける。
しばらく濁流の川を眺めながら、黙って過ごした。5時まではあと1時間くらいある。
ふいに、白砂が口を開いた。
「好きだって言ったらさ、足立君怒る?」
思わず顔を見返すと、困った顔で言われた。
「こんなことに巻き込んどきながら、ごめんね。でも、修学旅行のちょっと前からずっとなんだよね。班決めるときに、女子探してたでしょ?私たちもそうで。で、なつと心美が『どうせなら』って言ってくれたから────────」
そこまで言って、笑う。
「こんなことになるって分かってたら、誘ったりしなかったんだけどな」
俺はしばらく考え込んだ。答えは言う間でもなく「断る」なのだが、即答は何だか悪い気がするので、考え込むふり。
「ごめん、やっぱ無理だ。いや、違うから、財布の事はまじで関係ないからな、ただ────────」
一息置いて、白砂の目を捉える。
「他に好きな奴、いるもんで」
一瞬、白砂の目に悲しみの色が浮かぶが、すぐにそれを笑顔に変えて白砂は言った。
「そっか、ごめんね余計なこと言って。こんな夜にありがとう。・・・・・・伝えるだけでも出来て、良かった」
そこで、また一息つく。
「1回だけでいいんだけどさ、『香澄』って呼んでって言ったら困る?」
さっきから話し方が本当に美湖そっくりで、俺は困惑しそうになった。
「そろそろ戻るか。今から行ったら、5時ちょっと前に着くだろ。・・・・・・香澄」
うわ、美湖以外の女子下の名前で呼んだのはじめてかも。自分の速まる鼓動を聞きつつ、言う。
「妙なわがまま聞いてくれてありがと」
と白砂は微笑んで、歩き出した。4時半の空は、徐々に明るくなっていくところだった。
ありえないにも程がある展開です、ごめんなさい(笑