第20章
そのあと俺は、しばらく空を見上げてからベッドに戻った。
といっても、せいぜい後1時間少ししか寝ることは出来ない。まぁ、それでも寝ないよりはましなはずだ。
というわけで、1時間程寝てから、俺はいつもと同じような朝を迎えた。中学の時とは道が違うので、俺が瞬の家のベルを押して行く。何があっても、俺はベルを押す側らしい。
「おはよー」
と、瞬が言ってくる。
前のように後ろから駆けてくることもないので、前のように「光─────────っ!」などと呼ばれることもなくなった。
「おはよ」
と俺も返して、駅の方へと歩き出す。高校生になって初めて手にした定期を使って電車に乗ると、同じ制服の人がちらほらいる、のは常のことだ。
例によって例のごとく、絵の話などをしながらガタガタと揺られていると、途中の駅で美術部の先輩が乗ってくる。これも、常のこと。
学校に着けば瞬と一緒に階段を上って、その途中で尚平が後ろから走ってきて、3人で肩を並べ、教室の前に来ると瞬と別れる。
教科書を机に突っ込んだら尚平たちと喋り、ベルが鳴ったら席に座って朝読書の本を広げた。
担任の先生が入ってきて、先生も自分の本を広げつつ、全員が読書をしているかチラチラと確認してくる。この担任の読書に関する厳しさは学年全員が理解しているので、本を読まないという墓穴を掘る馬鹿はいなかった。どれだけ読書嫌いな奴でも、この先生に頭を思いっきり叩かれ、怒鳴られ、睨まれるよりはマシだと、とりあえずは字を目で追っている。
今日は水曜日で、俺が一番好きな曜日だ。それも、今日は特にいい方である。水曜の1時間目は美術で、2時間目は美術と音楽が交互に入るようになっている。そして、今日はそれの美術の日、というわけだ。音楽もそれなりに好きなので、2時間目が音楽の日でも特に嫌とは思わない。
「これ、デザイン出来た?」
と、隣の机の尚平が聞いてきた。今は、紙粘土で何かを作ろう、というようなもので、俺が最も苦手とする分野だ。尚平は絵よりもこっちの方が得意らしいので喜んでいる。
「デザインは出来たけど・・・・・・絶対作れねぇよ、こんなの。ていうかさ、紙粘土はちょっとしかもらえなくて中に厚紙とか針金とか入れて────────「自分なりに工夫」って本当に出来ないんだけど」
美術部の顧問でもある先生を上目づかいで密かに睨みつつ、俺はつぶやいた。
「工夫、いつもしてると思ってたけど・・・・・・ほら、雲のところ消しゴム使うとか、空とかはTシャツでこすってぼやけさすとか」
尚平の言葉に、思わず俺は顔を見返した。
「あれって工夫?」
「え、違うの?」
逆に目を丸くされて、俺は戸惑ったが、1人で納得した。あんなの、自然と身に着いた技能だった。特に誰かに学んだわけでもなく、ただ雲は白だったら上手く出来なかったから、空は一色に塗ると綺麗にならなかったから。気付けば自然とするようになっていて、いつ見出したのかなど覚えていない。木の色を塗るときは消しカスを下に置けばくぼみの部分が上手く出せる、というものに至っては、たまたま机の消しカスを片付け忘れていて、うっかりその上で色鉛筆を使ったらいい感じに出来た、という「偶然」さだ。
「そうか、あれって工夫なのか」
1人つぶやいた俺に、尚平が笑って答える。
「うん。だからさ、日頃からやってんだから出来るって」
そうは言ってもなぁ、と俺は飽きてきて頬杖をついた。そうは言っても、絵と工作は違う。
ためいきをつきつつ教科書をめくっていると、湖の写真が載っていた。
「・・・・・・ぁ」
後の流れは推して知るべしである。
2ヶ月ほど経った頃、全員の作品が完成した。遅れていた人は放課後残ったり、家で仕上げてきたりしたのも含めて、だ。
俺の作品は、石で囲った湖に木が立っていて、その周りに花などが咲いているような感じだ。
どこかというのは言う間でもない、あの池である。
結構平凡なデザインではあるが、俺にとってはいい出来だ。色塗りが絵の具、という点で少し色が雑になっているのも加えると、「美術部の人が作った」とは言い難いが。
瞬と尚平には、どうしてこんなものが出てきたか、というのは言っていない。それを言ってしまうと、「秘密基地」のことも言う事になるだろうし、あれだけ美湖のはしゃいだ姿を見るとうっかりバラすわけにもいかなかった。
瞬のは、というと、さすが絵の具の扱いが上手いこともあって色は綺麗だし、形もまぁまぁ整っているし、とりあえず俺のよりは上手い。
尚平のは・・・・・・もう、自分で「得意」と言えるだけあって、とてもとても口で言いあらわせるものではなかった。
「これも、工夫ってわけか・・・・・・」
家に帰ってから、俺は1人でTシャツで空の部分をこすりながらつぶやいた。
自分なりの、工夫。今となっては、色鉛筆を使う人ならこんなことをやってる人くらい知っているが、これを見つけた幼い────────かどうかもよく分からないが────────頃は、人もやってるなど考えたこともなかった。自分で見出したわけだから、これは「自分なりの工夫」に値するのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えているうち、下から母さんの呼ぶ声が聞こえた。
父さんも母さんも揃って夕食、というのは久しぶりで、なんだか新鮮だった。
「最近、絵は描いてるのか」
という父さんの問いに、俺はうなずく。
「本当に、前通りよね」
と、母さんがクスクス笑いながら付け足した。
「前通り・・・・・・なのかな、最近は人物画もちょっと増えてるけど」
俺の言葉に、父さんがかなり意外そうな顔をする。
「最近に見た時は、風景画ばっかだったのにな。─────いや、でも1個、天使っぽい絵があった気がするけど」
最近、というのは中2の時のだ。今が高2なので3年前だが、大人にすれば3年くらい「最近」になるらしかった。・・・・・・そんなことより。
「天使っぽいってなんだよ、っぽいって」
口を尖らせた俺に、父さんは笑って応じる。
「いや、最近とはいえども3年前の絵だから、記憶の中で曖昧になってるだけだって。今見たら普通に天使に見えるさ」
とりあえず、「3年前」という自覚はあるらしかった。でも、父さんの頭の中で「っぽい」という曖昧なままでは困るので、強制的にもう一度見せてみることにする。見せたところで、「普通に天使に見える」ことが無かったらこの上ない笑い物になるが、「普通に天使に見える」ことを願いつつ、夕食のあとに自分の部屋に引っ張り上げることにした。それを言うと、母さんも「私も久々に見る」と言いだして、最終的には3人で上がることになった。
「なんだ、上手いじゃない」
天使の絵を見て、第一声をあげたのは母さんだ。父さんも、無言でありながら目で「感想」らしきものは窺えた。
良かった、と安堵の息をついて、「どう、天使っぽいの」と、どこか挑戦的な口調で聞いてみる。父さんは苦笑して、
「いや、普通に───────ていうか普通以上に天使だよ」
と言った。「普通以上の天使」がどんな天使かは分からなかったのだが、俺の疑問を読んだかのように母さんが代弁する。それに、父さんは少し困惑したような顔で答えた。
「いや、だから・・・・・・天使自体が普通以上なんじゃなくて、その絵の天使が普通以上っていうか、いやその─────とりあえず、思ってた以上に上手かったってだけだっ、以上!」
無理やり断ち切られたその話題に、俺と母さんは首をかしげるばかりだったが、とりあえず父さんに褒められた、ということだけは察することが出来た。「父さん=滅多に褒めない」という方程式が自分の中で定着しているので、思わずにやけそうになって、咄嗟に何でもない顔を作る。
そのあとも、父さんは中2に見てから増えた絵を、母さんは中学に入った辺りの頃からのをそれぞれ見始めた。俺は、その間何をすればいいのかも分からなかったので、とりあえず描きかけだった絵の続きに没頭する。
母さんの方が、絵の関心が薄いらしくあっという間に見終わったようだった。・・・・・・いや、もしかしたらざっと見ただけで、全部見てない可能性もある。
「今描いてるの、何?」
見終わった後に、俺の手元を覗きこんで母さんが聞いてきた。
「んーっと・・・・・・今日の朝見た雲と虹。いい感じに綺麗だったから、写真撮ってきてそれを写してるところ」
と答えると、首を傾げる。何も言わなかったが多分、内心は「写真で撮ったんだからわざわざ絵に描くことないでしょ?」といったところだろう。
「違うよ、写真と絵では全然違うから」
何も言われていないのに一方的に口を開いていて、母さんがまじまじとこっちを見てくる。
「よく分かったね」
「分かったも何も・・・・・・考えることって、大抵そんなとこなんじゃないかと思って」
ふーん?と母さんはまたも首を傾げた。俺が母さんの考えが分かったのは、今までに何回も同じことを聞かれたからだ。写真は写真、絵には絵のいいところがある。もちろん、絵を描いたからと言って写真を捨てることはない。いいところをそれぞれ楽しむ、というのが俺と瞬、尚平のやり方だ。