第14章
「光ってば」
下からお母さんの声がずっと聞こえてくる。
美湖のお通夜は今日あるようだった。出席しないといけないのだろうが、行ったら現実を突きつけられるようで恐ろしい。
「起きてるんでしょ?」
お母さんが部屋に顔を出した。
「悲しいのはそりゃ分かるけど、学校は行かないといけないんだから」
その言葉に、俺はしぶしぶ起き上った。行きたくはないが、最終的には行かないといけないんだし、ずるずると引き延ばしていると無駄に急ぐことになる。
出来るだけいつも通りにふるまおうとして、普通に着替えて普通に顔を洗い、普通に朝食を食べた。
今日は「普通の」水曜日だ。
鏡を見て、自分の顔にぎょっとする。泣き腫らした目は、見るも無残なものだった。
「行ってきます」
と家を出る。水野宅のベルに指を伸ばしかけて、「そういや今日、風邪だっけ」などとわざとらしい言葉をつぶやいた。
ずっと黙って歩いていくと、いつも通り瞬が後ろから走ってくる。
「光─────!・・・・・・あれ、美湖ちゃんは?」
瞬に罪はない。こいつは何も知らないんだから。それは分かりつつも瞬の態度に腹が立った。
「いねぇよ、そんなの」
ボソッと答えて、歩く速度を速める。
「そんなのって・・・・・・何か、あった」
瞬の表情がいつになく真面目になった。
「いっつも迷惑かけてるだけだけどさ、何かあったときぐらい、言えって。そんくらいの仲・・・・・・だと思うよ、俺は」
こいつになら、言ってもいいと思った。そう軽々しく口にすることでもないが、「幼なじみモドキ」だ。いつも調子のってる奴でもいざとなったら頼りになる。これが小1からの付き合いで分かったことである。
「・・・・・・美湖が、いなくなった」
「死んだ」だの、「亡くなった」だの、そんな言い方はしたくなかった。
「いなくなってって・・・・・・どこに」
怪訝な顔をした瞬に、少々嫌でもそんな表現をするしかないと悟って、最初から説明することにする。
「昨日の夕方、車に轢かれて」
一度口をつぐんだ俺に、瞬は促すわけでもなく話を聞いているようだった。瞬の中でも答えは出たかもわからないが、「入院」と「手遅れ」は違う。
「病院で、亡くなった」
涙は出尽くしたからか、出てこなかった。
そこまで言った時、瞬が立ち止まる。俺は瞬を振り返って続けた。
「瞬と別れた後、普通に家に帰ったんだ。それで、入ろうとしたらどっかから悲鳴が聞こえてきた。誰のかとか、考える余裕もなかったけど直感的な感じで美湖だって思った」
「予想が外れたらよかったけど」と俺はうつむいてつぶやく。
「当たったんだな」
瞬が言って、俺に追いついてきた。俺の中指を握って────なぜ中指なのかはこの際置いておくとして────言う。
「大丈夫だった」
美湖が、じゃなくて俺がだ。
「じゃなかった。じゃなかったけど、お前に言ったら少しは軽くなったかも」
と答えると、瞬が弱々しく笑う。
「じゃあとりあえず、良かった。人が死ぬのは悲しいけどさ、そのせいで周りの人まで死ぬのは────心が、ってことな。もっと悲しいんだから」
その言葉に答えるつもりで、俺は瞬の人差し指を握りしめた。
お調子者の、でもいざとなると力になってくれる友達を、ここまで大切に感じた日ははじめてだった。
「分かったよ─────ありがと」
俺の言葉に、瞬は嬉しそうにうなずく。
「でも・・・・・・いきなりだよな」
ふいに表情を暗くして、瞬が言った。
「交通事故だから・・・・・・いきなりなんだよ。お通夜、今日の8時からだって。来れる」
瞬がうなずく。
「塾だけど・・・・・・そんなもの、どうでもいい」
どうでもいいで思い出したが、かばんは無事に帰ってきた。近所の人が家に持ってきてくれたらしい。
「制服だよな」
「うん、制服」
学校でどう話されるかは分からないが、絶対に泣かない。というか、泣けない。涙腺が崩壊しようとも─────泣かない、というのは矛盾しているわけなのだが。
「学校では、泣くなよ。弱いとこ見せるなよ」
俺の心を見透かしたように瞬が言った。
「泣かねぇよ、そんなの」
あぁ、泣かないとも。クラスの奴にそんなとこ見せてたまるか。
学校に着いた。ほとんどの人が美湖の訃報は知らないと思うが、近い地域の人は聞いたらしい、俺を気の毒そうに見てくる。なんでかって、恐らく毎朝一緒に登校してくるからだろう。
教室に入ると、このクラスでは全員が知らないようだった。みんな普通に「おはよう」と声をかけてきて、自分たちのおしゃべりを続行する。
チャイムが鳴って、先生が入ってきた。いつもと違う表情に、みんな戸惑っている。
「読書は今日はしなくていい。みんなに知らせがある──────────」
教室が静まり返った。
「2組の水野、美湖さんが昨日の夕方に・・・・・・」
聞いてられなくて、俺は耳をふさいだ。
「車に轢かれて、亡くなったそうだ」
誰もどんな声も、何の音も発さずに、教室はかなり重い空気に包まれていた。
「今から全校集会だから、学級長先頭にして廊下に整列」
いつもなら各自グダグダと喋りながらダラダラと並ぶわけだが、今日はさすがに素早く並ぶ。
他のクラスも静まり返っていて、それは体育館に行っても同じだった。
「おはようございます。残念な知らせで...」
校長が言い始める。
「3年2組の────────」
再び俺は耳を塞いだ。
知らないうちに黙祷が始まっていて、この全校集会が終わった後は平常授業だった。
こんな日に授業なんかしてられるか、とは思ったが、そんな早退するわけにもいかない。
ノートも書かず、教科書を眺めているだけだったが、とりあえず出席はした。
美湖。2年のときはずっと隣にいた奴だ。人間はちょっと違うけど動物、といった奴。
今は理科の時間で、ちょうど哺乳類だの鳥類だの、そんな感じの単元だ。クラスの1人が質問する。
「人間って、何?」
「人間は霊長類で、動物かどうかといえば、ギリシアの哲学者、アリストテレスは『社会的動物』と言っています」
おい聞いたか、社会的動物だってさ。「ちょっと違うけど動物」って解釈、ちょっとだけ正解じゃないか。
そんなことをグダグダと考えつつ、今日の学校は終わった。