第13章
究極の季節外れです、ごめんなさいw
「光ー描けた?」
美術室でふいに声をかけてきたのは瞬だ。
「あとここだけ。瞬は描けた?」
「うん」
「ゴメン、ちょっとだけ待って。あと本当にちょっとだから」
と俺が言うと、瞬はうなずいた。
今日は珍しく先生から課題が出ている。1つの像を前に、美術部一同ひたすら「描き」。一同といっても、もちろん幽霊部員寸前の1年はいない。
「出来た人から帰っていいってー」
課題を出すなりさっさとどこかに行ってしまった先生からの伝言を先輩が言った。
「よっしゃ、出来た」
俺が瞬に言うと、「じゃあ帰ろー」と早速かばんを持つ。出来あがった絵を机の上に置いて、廊下に出た。
「最近なんか暑いよなー」
近々の決まり文句をまた瞬が口に出す。
「最近もクソも、近頃は毎日言ってるだろ」
「それは、そうなんだけどさ」
そりゃだって、もう5月の終わりだ。うぅ、春の暖かさを楽しむ隙もなく・・・・・・クソ暑い夏がやってくる。
日が落ちるのも遅い、というのはそんなに嫌いでもないのだが、この暑さをどうにかしてくれるというのならこんな利点も喜んで返上するはずだ。
「じゃあなー」
気付けば、瞬との分かれ道だった。
「あぁ、また明日」
手を振って、家へと歩いていく。
そういや明日からは、夏服に変わるのだ。あまりの気温に予定より早くずらしたらしい。
隣を、すさまじい速さで飛ばしていく車が通った。マフラーから出る黒い煙に思わず咳き込んで舌打ちをする。
「あんなのがいるから、温暖化で余計に暑くなるんだろ、馬鹿」
聞こえるはずもない相手に野次を小声で────小声ならもはや野次でもない気がするが────飛ばした。
家について、入ろうとした時。
どこかで、悲鳴が聞こえた。
誰のかとかは、考えた気はしない。
気はしなくても、反射的に分かった。
どこで聞こえたかなんて、大体の方角しか分からなかったが、そんなのも考える余裕なんてない。
とりあえず俺は駆けだした。気付けばかばんは手元になかったが、かばんなんぞどうでもいい。そういえば今日は美術室にためていた絵をかばんに入れていたが、今となっては絵でさえもどうでもよかった。 絵なんか、描けば増えるじゃないか。あいつは、どんなに描いても、どんなにあがいても、1つしかないじゃないか。
まだ、救急車のサイレンは聞こえない。
気付いた奴、呼べよ馬鹿。
運動は得意ではなかったが、今ならクラス一足が速い奴でも抜かせるような気がした。
走って、走って、走って─────────────────
サイレンが聞こえた。
視線の先には、人だまりがいる。野次馬を押しのけて、突き飛ばして、輪の中心の、今、まさに運ばれようとしてた奴は。
予想、外れろ。
外れた、違う、違わ──────ない。
「美・・・・・・湖」
喉の奥から絞り出した声は、自分でも笑いたくなるほど掠れていた。
「水野さん家の、娘さんよね?」
どこかでおばさんの声が聞こえる。その言葉で、自分は美湖の親を連れてくるべきだったと後悔した。
救急隊員の人が野次馬をどけて、救急車を走らせる。
ここから一番近い大きい病院って、どこだ。そんなもの知らない。生まれて大けがなんて負ったこともない。
野次馬がだんだん帰って行く。
俺は、その場に1人で立ち尽くしていた。
「何、ちょっとこけただけだろ。大袈裟に救急車なんか。病院でどうせニコニコ笑ってるんだろ」
自分を励ますためかは知らないが、そう呟いてみる。
病院が分からないんだから、がむしゃらに走っても仕方がない。とりあえず、家に戻ることしかできなかった。
家に着いた時、美湖の家を見ると普通に電気がついていて、何も知らない様子だった。
──────言った方が、いいのかな。
でも、ぐずぐずと迷っているとダメだ。30秒ほどで結論を出して、思い切ってベルを押した。
「はい。・・・・・・あ、光君。美湖知らない?買い物頼んだまま、まだ帰ってないんだけど会ったわけでもないか・・・・・・」
まさか、娘が事故ったとか─────違うって、だから大袈裟な、だけ。
「美湖、さっき見ました。救、急車・・・・・・で」
涙腺が緩みかけたが、グッとこらえた。そんな、俺よりもっと辛いはずの人の前で泣いたらダメだ。
美湖のお母さんの表情が変わった。
「何か、あったの?」
「俺は分かりません。家に帰ろうとしたら、悲鳴が聞こえて、行ってみたら、救急車があって」
すみません、とつぶやいた。
美湖のお母さんは首を横に振って、車を出してくると言った。病院に来るなら、俺のお母さんに伝えてきて、と。
もちろん同行することにした俺は、家の玄関から用件を伝えて返事も聞かずに外に飛び出す。
美湖のお母さんが開けてくれていた後ろの席に乗って、美湖のお母さんも準備をすると思いっきりアクセルを踏んだ。
──────さっき野次を言った車も、もしかしたらこんな状況だったかも。
そうしょっちゅう事故が起こっていたら参ったものだが、ちらりとそんな思いが頭をかすめた。
それでも、今は見も知らぬ他人の心配などしてられない。
「光君、降りて」
病院について、駐車も乱暴なままにロビーまで駆けこむ。
制服はもうぐちゃぐちゃだったはずだが、そんなことを気にする余裕など残っていない。
「大袈裟なだけ、ホント、ちょっとこけただけ」
美湖のお母さんが受付の看護師に名前を言って、美湖のところに連れて行かれるまでずっと自分に、暗示をかけるように俺はつぶやいていた。
連れて行かれたところに、美湖は寝ていた。
ドラマとかによく出てくるあれ────正式には「ベッドサイドモニタ」というらしいが────に書かれている数字は、かなり小さかった。なんだっけ、心拍数。
あれが0になったら機械的な音が鳴って──────いや、鳴らないから。ドラマの話だから、そんなの。今目の前でそんなこと、絶対起こらないんだから。
再び暗示をかけ始めて、見てられなくてきつく目を閉じた時、あの音が、聞こえた・・・・・・ような。
「5月29日......」
医師がつぶやく声もして、「謹んでお悔やみ申し上げます」という決まり文句とともに看護婦たちもぞろぞろと去って行った。
美湖のお母さんが隣で泣き崩れたところを見れば、あの音は気のせいではなく、本当だった。
つまり、美湖は────────────────
いなくなった。
泣きそうな、でも涙は出なくて、俺はずっと拳を握りしめていた。
犬に怖がったアイツ
やたらと絵を褒めてくれたアイツ
あの池を秘密基地とはしゃいで笑ったアイツ・・・・・・美湖。
たった今、俺は美湖が好きになっていたことに気付いた。
もうそれを言う事が出来なくなった直後にそれが出てくるとは皮肉な話である。
なんで今。
あの時、カーテンの隙間から美湖の家を覗こうと思ったその時に、その行動から、さっさと気付いておけば良かったものを。
でも、それはもう遅かった。
美湖は、いなくなったのだ。
その現実を突きつけるように、病室には重苦しい空気が渦巻いていた。