第11章
ピンポーン
今日も俺は、美湖の家のベルを押した。 しかし、今日は学校に行くためではない。
「おはよう、一瞬今日学校だっけ、ってビックリしちゃった」
いつものようなはにかんだ笑顔を見せて、美湖が言った。
「俺も、なんでベル押してんのかちょっとだけ悩んだ」
それだけ言うと、俺は自転車にまたがって美湖を促す。
美湖もうなずいて、俺たちは池に向かった。
子供づれが多い公園を抜けて、その先の木の並木を抜け、さらに奥の森に入ったその先に池はある。
「本当、すごい」
その池があるところに入るなり、美湖が声を上げた。─────俺も、はじめて来た時はこんな風に声を上げて、父さんが笑って。
「お楽しみって、これ」
俺が言うと、美湖が振り返って満面の笑みを浮かべる。
「私、喜んだよ」
「なんだよそれ」
吹きだした俺に、美湖がきょとんとしたように言った。
「だから、光が昨日『美湖が喜ぶ』って言ってたからさ、なんていうか、期待通りに喜んだよ、みたいな感じで」
まったく、美湖の考えてることは本当に分からない。
「・・・・・・でも、これなんとなく見たことある気がするんだけどな」
首を傾げ─────「あっ」と声を上げた。
「何」
「絵だ。うん、光のスケッチブックに載ってたもん。結構前のやつ」
絵通りに、青緑で澄んでて綺麗、と美湖のつぶやきが聞こえる。
絵・・・・・・そうだ、父さんが俺をここに連れてきたのはこの絵が目当てだったのだ。絵を、描かせたかったのだ。何を隠そう、俺に絵を描かせたのは父さんだ。美大に通ってたとかなんとか言って、なぜか俺にも絵を教え込んできた。────まぁ、絵が好きだからいいのだが。
「そういや、描いてた」
俺が言うと、「今日も、描ける」と聞いてきた。
「まぁ、持ってきてはいるけど」
鞄を覗きこんで1人でうなずくと、「描いてもらえないかな」と言う。
「別に・・・・・・いいけど、なんで」
「光が絵描いてるとこ見るのが好きだから」
ニコッと笑って、美湖が言った。
「ふーん・・・・・・」
そんないいものなのかな、など思いつつ池の周りをグルグル歩いて、一番いい場所を見つけて座りこんだ。美湖がこちらに来ようとしたが、「そこにいといて」と制する。
首を傾げたが、何も言われなかった。
見られてるなどと思ったら緊張して何も出来ないので、ただスケッチブックと池だけを見つめて描き続けた。無心に、ずっと。
─────密かに美湖も入れた、というのは内緒である。美湖を、といっても単に「女の子を」というだけだったのだが。
下書きが出来たところで時計を見ると、1時間半たっていたことを知った。でも、まだ色を塗っていないので時間をかけた割には簡潔だ。絵具で池の水の部分に色をつけていくまでは、さすがの美湖も「上手い」とは言えないはずである。
道具一式を持って美湖のところへ戻ると、案の定「見せて」と言われた。
「ダメ、色塗ってから」
と言うと、「なんで」と口を尖らせる。
「だって、水なんかは白黒だとしょぼいもん」
と答えると、「大丈夫、光だし」と言われた。
「どういうことだよ、それ────まぁ、何を言っても明日か明後日には仕上げてくるから、待ってて」
そう言うと、少し残念そうだったがうなずいた。
俺の中で、この絵は天使の絵の次に大切になりそうだった。
絵も描いたわけで、特にすることもなく池の淵に座ってしばらく話していると、ふいに美湖が黙り込んだ。そして、少しの間考える素振を見せた後に口を開く。
「ここ、人来ないんだね」
「だって、並木抜けて森抜けて、って感じで結構町から外れてるし。知ってる人は少ないと思うけど」
と言うと、「瞬君は?」と突然瞬の名前を出した。多少驚きつつも、「知らないと思う」と答えると、美湖は立ち上がってのびをしながら言う。
「じゃあ、秘密基地っぽいものなのかな」
「そうかもな。俺らがいるときに、まぐれで知ってた他の人が入ってこなかったら」
そう言うと、美湖は嬉しそうに笑った。
「私、ちっちゃい頃から秘密基地的なもの憧れてたんだ」
「それは、俺も一緒」
今日、ここに美湖を連れてきて本当に良かったと思った。
そういえば俺の父さんはここを知っているわけだが、別に大丈夫だろう。