第9章
家に帰ると、まだ親はいなかった。会社に泊まるんじゃないだろうな、などと考えながらそのまま風呂に入り、寝てしまう事にする。
「寝てしまう」と言っても、時計を見ればまだ10時だ。そう簡単に眠りにつけるはずもなく、結局起きて適当に床に積み上げられた過去のスケッチブックを見返してみることにする。
新しく絵を描く気は湧いてこなかった。
「うっわー、下手くそ」
本当にそう思うものばかりで、笑ってしまう。それでも印象深い絵は描いた当時のことも覚えているし、あの時は確かに「いい出来」と思ったのだ。
俺が大人になったとき、あの天使の絵や川─────「空」メインだといいつつも─────の絵を見て、「下手」とつぶやくようになるのだろうか。
そう言いたいと思った。そう言えるほど、上手くなっていればいいと思う。
そして、その「下手な絵」を美湖がどんな気で見たいのかもなんとなく気になった。
「これを・・・・・・上手とか言えるかな」
でも、美湖は口からでまかせを言うような性格ではない。2日しか接していなくても、なんとなく分かる。
「ただいまー」
下から母さんの声が聞こえた。とりあえず、降りてみる。
「晩ご飯、食べた?・・・・・・あれ、食べた?」
普通に聞きつつも、食器を使ったあとがなくて戸惑ったようだ。
「食べた。なんか、美湖ん家に呼ばれたから、食べてきたんだ。美味しかったよ、お母さんがレストランで働いてたことあるって」
すごいね、というつぶやきが聞こえる。
「お礼、しとかないとね」
「美湖曰く絵見せてもらったお礼だとさ。・・・・・・でも、晩ご飯と絵って全然格が違うよな」
ボソッと付け加えた俺に、母さんもうなずきかけ───尋ねた。
「絵って、いつのから?」
さっきの発言は、自分から「美湖を部屋にあげた」という爆弾を仕掛けたものだと思ったが、そこは突っ込まれなくて助かった。
「小5。真面目に描き始めたころから」
「美湖ちゃん、疲れたでしょうね」
母さんの言葉に俺もうなずいて、さっきの会話、「美湖が疲れなかった」というのを伝える。
すごいね、ともう一度つぶやきが聞こえた。結果的に、「水野さん家はすごい」ということだろう。
「で、あんたはもう寝る用意も出来たわけ」
母さんの問いにうなずいて、「寝ようとしたけど無理だった」と答える。
「そりゃ、毎日12時に寝てる人が・・・・・・昨日の夜は1時に寝たような人が10時半に寝ようとしても無理でしょ」
ごもっとも。なぜか、いつも母さんの言葉には妙に納得させられる。
「でもまぁ、早く寝るのに悪いことはないんじゃないの?私お風呂入ってくるからね、寝るなら寝ちゃえば」
かなり他人事のような言い方だが、実際とりあえずは「他人」なのだから仕方がない。
「うん、寝てみる。おやすみー」
なんだか、寝ることは出来る気がした。
次の日の朝もいつも通りの日々が過ぎて行った。
そのまま金曜になって、例のテストがある。俺も、もちろん瞬も全く勉強などしてなかったし、美湖もしていないと言っていた。────美湖は元々優秀なので、俺たちと一緒に考えるべきでないのは言うまでもない。
案の定、美湖はテスト中もそんなあわてた様子はなかった。俺はというと、本当にさっぱりだ。ふと右隣を見ると、岡本も机にうっぷつしてあきらめた様子である。
どうせ成績には、「意欲関心」にしか入らないんだし適当に答えでも書いておけばいいということで、明らかに間違っている、それらしい式を書いてみた。まぐれで1つでも当たっていることを願い、あとは運任せである。
数学はこんな感じだったのだが、社会はほとんどが4択だったので適当に選びつつ、すいすいと進めることが出来た。 「4択って素晴らしい」と思うのは毎度のことだ。
そのまま1週間が過ぎ、テストが返ってきた。
結果は予想通りの無残な点数だったが、「意欲関心だもんな」と同じく無残だった岡本と頷き合う。
「勉強していない」と言っていた美湖の点数を覗きこむと、俺の2倍ほどの得点だった。
「ちょ、美湖お前、勉強してないとか本当に嘘だろ!?」
「いや、本当に何もしてないんだって」
このやり取りを見ていた岡本が、「日頃から復習してるからじゃないの?」と口をはさんでくる。
なるほど、それなら普通に納得だ。 1人でうなずいた俺を見て、美湖が不本意そうな顔で反論してきた。
「別に、してないよ?」
「じゃあ、元々の本能だよね」
美湖の言葉をあっさりと岡本が蹴る。口を尖らせて、しかし言い返す言葉も見つからなかったのか、美湖が黙り込んだ。
「本能って、動物かよ」
俺の言う事を、岡本はきょとんとした顔で聞いている。
「人間って、動物でしょ?」
確かに動物ではあるけど。なんか・・・・・・違うだろ、うん。
「ちょっと違うけど、とりあえず動物なんじゃないかな」
美湖も言い始めて、いきなり俺は自分の意見に自信がなくなってきた。
そりゃだって、テストで自分の2倍以上の点をたたき出している秀才がいるのだ。これを信じないでほかにどうしろという。
「ほらーっ」
自信たっぷりな顔と声で岡本が言ってきた。
「ちょっと違う、っていうのを聞き逃したか、お前」
さっき「信じる」と確かに思ったが、こんな顔をされたらやはり言い返したくなるものだ。
その時、先生が終学活をはじめるというので、プツリと会話は途切れた。