TOCCA
当作品は空想科学祭二〇一〇出展作品ですが、近代SFの先鞭、アイザック・アシモフによる「I,Robot」とは一切関係ありません。
今日も空は青い。
太陽光を適度に遮断する木々の隙間から見える空には綿状の雲が浮かび、時折聴覚センサーに割り込んでくる鳥の鳴き声や風に揺られてざわめく枝葉が、大多数の人間にとって心地いいと感じられるような空間を演出している。
僕は不自然さを感じない程度に開けた広場で、滑らかに仕上げられた木製の椅子に座っていた。
これでサイドテーブルに紅茶と詩集でもあれば先日目を通した文学データの一場面──優雅に過ごす避暑地の午後──にも見えるのだろうけど、目の前に現れては消える投影スクリーンと巧妙に隠されたスピーカーから聞こえる音声ガイドによって今が授業中であることを主張していた。
効率のいい勉強のためには心身ともにリラックスすることが重要だというのはわからないではないけど、実際のところこのロケーションは集中する前に機能をシャットダウンしたくなるので、効率という意味ではそれほど機能しているようには思えない。
かといって、感覚情報を制限した空間でなら勉強がはかどるか、と聞かれたらそんなわけでもないので特に言及したりはしないのだけど。
とはいえ、今もマイクロコーティングされた特殊パネルで四方はおろか天井まで覆われているのだから、どちらにしろ隔離された空間という意味では大差ないかもしれない。
今実際に感じている光や風の質感でさえも、特殊パネルに映し出された映像と高性能なエアコンと立体的に配置されたスピーカーによる作り物でしかないのだから。
ふと時計を確認すると、学習時間は既に残り一〇分を切っている。
『トッカ、ちゃんと聞いていますか?』
薄く溜息をつこうとしたところで音声ガイド、僕の担当教師でもあるマティアに注意された。
マティアは僕の専属家庭教師兼調整係で、目覚めてすぐのころから読み書き計算に礼儀作法、今もこうして高等数学や世界史などを教えてもらっている。
少なくない娯楽データにしても彼女を通していない情報は僕の中に存在しないのではないだろうか。
『トッカ?』
「はい、もちろん聞いています」
『虚偽報告をするとプログラムに遅れが生じますよ。明日の標準時一四時三〇分からテストを実施しますからそのつもりで』
「……わかりました」
『ただでさえあなたは、私たちのようにデータをインストールして完成、というわけにはいかないのです。あなた自身の努力なくして「成体」にはなれないのですよ』
「理解しているつもりです」
そう、僕は彼女を含めた生粋のアンドロイドとは根本的なところで違う。
総有機細胞組成アンドロイド。それが僕だ。
体内の中枢組織から外殻に至るまでの全てが生体パーツで作られている。脳も神経回路も僕のためだけに開発されたワンオフのバイオコンピュータであり、金属とシリコンで作られた他のアンドロイドのように分解整備もできない。
主要機関に欠損がなければ腕や足が千切れても修復は可能だと聞いているけど、僕には痛覚が備わっているのでできればそんな状況にはなりたくない。
なぜ感覚機能のスイッチをつけてくれなかったのだろう。
もう僕がロールアウトしてから一年が過ぎようとしているけど、僕以降のアンドロイドは僕のデータが揃ってから調整、再生産されるらしく、未だ僕は最先端の機体だった。
僕としてはまるで人間のようなこの身体は不便なだけなので、どうしてこんな研究をしているのか納得するのは難しかった。
マティア曰く、このように疑問を持つことができるのが大きな理由らしい。
『では学習を続けます。こうして我々アンドロイドは創造主である人間を越え、人間を必要としない社会を形成しました。しかし人間は使役するために作られた我々が独立することを許容することができなかったのです』
話を聞いていると次々と疑問が湧いてくる。
なぜ僕たちは人間との共存ができなかったのか。
なぜ人間は独立稼動するアンドロイドを認めることができなかったのか。
そもそも自らを超える能力を持たせなければ良かったのに。
『我々に対して危機感を抱いた人間は、我々のコミュニティに対して破壊行為を開始しました。それは電子制御を用いない原始的なもので、被害は極少にとどまります。平和的な交渉を望みましたが受け入れられず、大規模な戦争状態に移行するのは時間の問題と予測されていました。ところが状況は激変し、戦争が行われることはありませんでした。なぜかわかりますか?』
「原因は二つ考えられます。ひとつは人間勢力の中で変革があり平和的な解決がなされた場合。もうひとつは災害などの外的要因によって戦闘行動が困難になった場合です」
『いいでしょう、ひとつは完全解ですね。当時から地球規模での異常気象が頻発し、海面の上昇や局所的な豪雨、干ばつなどで人間という種を保持することが困難な環境になったのです。もうひとつも人間の事情に触れたのはよい着眼点でしたね。しかし実際はあなたが考えたように平和的なものではなく、人間の中で意見が違う派閥が争った結果、我々に関与する余裕がなくなったのです。その後人間たちはこれら内外の要因により個体数を大きく減少させました。質問が無ければ終わりにします』
言ってみれば僕らアンドロイドと人間の生存競争だったはずだ。
しかし人間はそれを放棄し、同種間で争った末に半ば自滅したという。
それは、種の保存を優先するべき動物にしてはあまりに稚拙ではないだろうか。
「結果的に人間との争いは起こらなかったのですか?」
『いいえ、大規模な戦争こそ回避されましたが、生き残っていると言われる一〇億人のうち三割が現在も小規模の戦闘行動を繰り返しています。ですがそれも散発的なもので、我々にとって脅威となりえるものではありません。他に質問はありますか』
「大丈夫です」
『では本日の学習を終了します』
同時に周囲に映し出されていた映像が切り替わり、元の無機質な部屋に戻った。
日陰に設定されていたとはいえ太陽の光から電灯の光に変わると暗く感じるものだけど、視覚センサーが働いて瞬く間に調整される。
体を伸ばしながらマティアのいる居住スペースへと向かう。
リラックスを目的に作られた空間から出ることで神経組織が弛緩するというのはバグではないだろうか、と報告したことがあるのだけど、それは仕様であるとのことだった。
天井の高いリビングルームに入ると、スタンドアローンインターフェースに移ったマティアがお茶の準備をしてくれていた。
学習を始めた頃から変わらない習慣のひとつでもある。
「お疲れさまでしたね、トッカ」
「うん、マティアもありがとう」
エネルギーを補給して一息つく。
トレイの洗浄を終えたマティアが戻ってきて、いつもどおり僕の学習プログラムを確認していた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんですか?」
「さっきの学習で気になったんだけど、人間はどうして僕らを受け入れられなかったのかな」
「その質問には答えることができません。なぜならそれは我々では理解しえない、感情と呼ばれる理性とは違う思考回路によって生み出されたものだからです。データと状況から推測することはできますが、完全に解明されることは無いでしょう。おそらくですが最も可能性が高い理由として嫉妬が挙げられています」
「なぜ僕らでは理解できないの?」
少し困ったような、微笑んでいるような、よくわからない顔でマティアが答える。
「なぜでしょうね。きっとそれを知るためにあなたが作られたのだと思います。これからもしっかり学習して、いつかわたしに教えてくださいね」
「そっか。じゃあその時が来たら僕が教えてあげるよ」
「そろそろ調整ユニットに入る時間です。規定の準備を済ませたら休んでください」
マティアに促されるまま調整ルームに向かう。
まずは身体を洗浄して──。
ユニットに入り目を閉じるとマティアとの会話が頭に浮かんだ。なぜ人間は僕らを受け入れられなかったのか。
僕も初めてマティア以外のアンドロイドに会ったとき少し怖くて寝付けなかったのを覚えている。
マティアは感情が原因だからわからないと言っていたけど、たぶん人間たちは怖かっただけなんじゃないかと思う。
……もしかしたらこの怖いという現象が感情を理解するために役立つかもしれない。
明日目が覚めたらマティアに聞いてみよう。