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短編(異世界など)

勇者召喚に失敗した王国、代わりに勇者の母親を召喚してしまう

作者: みき
掲載日:2026/08/17

「成功だ!」


 白い光が消えた瞬間、玉座の間に歓声が上がった。


「勇者様だ!」


「これで我が国は救われる!」


「女神よ、感謝いたします!」


 床に描かれた大きな魔法陣の中心で、佐々木恵子は買い物袋を両手に持ったまま、しばらく黙っていた。


 右手には大根。


 左手には特売の卵。


 目の前には王冠をかぶった老人。


 その周りには、剣を持った騎士や、長い杖を持った人たちが並んでいる。


 天井はやたら高く、壁には知らない国の旗がかかっていた。


 恵子は一度だけ目を閉じた。


 そして、もう一度開いた。


「……ここ、どこですか?」


 歓声が止まった。


 王冠の老人が目をぱちぱちさせる。


「お、おお。勇者様。突然の召喚、さぞ驚かれたことでしょう」


「召喚?」


「はい。我がアルディナ王国は今、魔王軍の侵攻を受けております。そこで異世界より、魔王を倒す力を持つ勇者様をお招きしたのです」


 恵子は黙った。


 それから、ゆっくり買い物袋を床に置いた。


「確認していいですか?」


「もちろんですとも」


「あなたたちは今、別の世界から、勝手に人を連れてきたんですか?」


「……はい」


「本人の許可なしに?」


「……はい」


「魔王と戦わせるために?」


「……はい」


「帰れるんですよね?」


 誰も答えなかった。


 恵子は、その沈黙でだいたい理解した。


「帰れないんですか?」


「い、いえ! 魔王を倒せば、きっと女神様が――」


「きっと?」


「……おそらく」


「おそらく?」


 王様の顔から汗が流れた。


 恵子は四十四歳だった。


 夫と、高校二年生の息子と、中学二年生の娘がいる。


 ふだんは町のスーパーで働いている。


 魔法も使えない。


 剣を持ったこともない。


 走ればすぐ息が切れる。


 どう考えても勇者ではない。


「ところで」


 恵子は周囲を見回した。


「私のどのへんを見て勇者だと思ったんですか?」


 また沈黙が落ちた。


 やがて、青いローブを着た魔法使いらしい老人が、おそるおそる口を開いた。


「……本来、召喚されるはずだった勇者は、十七歳前後の若者でした」


「十七歳?」


「はい」


「男の子?」


「その予定でした」


 恵子の目が細くなった。


「十七歳の子を、勝手に戦争へ連れてくるつもりだったんですか?」


「いや、あの」


「未成年ですよ?」


「み、みせいねん?」


「子供です」


 玉座の間にいた大人たちが、そろって目をそらした。


 恵子は深く息を吸った。


「それで、失敗して私が来たと」


「おそらく、勇者となる者と最も強いつながりを持つ者を、魔法陣が誤って選んだのではないかと……」


「最も強いつながり?」


 嫌な予感がした。


「勇者になるはずだった方は、あなたの血縁かもしれません」


 恵子の頭に、家でゲームばかりしている息子の顔が浮かんだ。


 十七歳。


 男。


「……まさか」


「心当たりが?」


「あります」


「おお!」


 王様の顔が明るくなった。


「では、もう一度召喚を行えば――」


「やめなさい」


 低い声だった。


 玉座の間が凍りついた。


「今すぐ、その魔法陣を消してください」


「し、しかし勇者がいなければ、我が国は――」


「だからって人の息子を勝手に連れてくるんですか?」


「……」


「しかも帰れるかどうかもわからないところへ?」


「……」


「あなた、自分の子供でも同じことができます?」


 王様は答えられなかった。


 恵子は腕を組んだ。


「まず話を聞きます」


「え?」


「魔王軍が来てるんでしょう?」


「は、はい」


「どこまで来てるんですか。何人いるんですか。こっちの兵士は何人ですか。食料は。けが人は。逃げる場所は」


 王様は口を開いたまま固まった。


「……なぜ、そのようなことを?」


「子供をさらう前に、自分たちでできることを全部やったか確認するためです」


 その日、アルディナ王国の大臣たちは、生まれて初めて異世界の主婦に会議へ呼び出された。


 そして三時間後。


「話になりません」


 恵子はそう言った。


 机の上には大量の書類と地図が広げられている。


 国王、宰相、騎士団長、魔法師団長が並んで座っていた。


 全員、怒られている子供のような顔をしている。


「まず、前線の兵士が三日まともに寝ていないってどういうことですか?」


「敵の攻撃が激しく……」


「交代させればいいでしょう」


「兵が足りません」


「王都に二千人いるじゃないですか」


「王都の守りが薄くなります」


「前線が崩れたら王都も終わりでしょう」


「……」


「あと食事。黒パン一枚と干し肉だけ?」


「戦時ですので」


「戦う人に食べさせないでどうするんですか」


 騎士団長が小さくなった。


「それと避難。国境近くの村にまだ人が残ってますよね」


「本人たちが土地を離れたがらず――」


「説得したんですか?」


「一度、兵を送りました」


「一度で諦めない」


「はい……」


 なぜか全員、素直に返事をするようになっていた。


 恵子はため息をつき、地図の一点を指した。


「それで、魔王軍はこの川の向こうにいるんですね?」


「はい。三日以内には橋を越えると思われます」


「人数は?」


「およそ八千」


「こっちは?」


「前線に三千。王都を合わせれば五千ほどです」


「勝てないですね」


「だから勇者様を――」


「私は勇者じゃありません」


「ですが!」


「戦えません。剣も使えません。魔法も使えません」


「では、どうすれば……」


 恵子は地図を見た。


「魔王軍は、なんで攻めてきたんですか?」


「魔族は人間を憎んでおります。それ以外に理由など――」


「本人に聞いたんですか?」


「……え?」


「魔王に、どうして攻めてくるんですかって」


「聞くわけがないでしょう!」


「なんで?」


「敵ですぞ!」


「敵だって口くらいあるでしょう」


 大臣たちは顔を見合わせた。


 恵子は頭を抱えたくなった。


 異世界でも、話し合いが足りないらしい。


「使者を出します」


「危険です!」


「じゃあ私が行きます」


「もっと危険です!」


「私は戦えないんでしょう? 相手も警戒しないんじゃないですか」


「そういう問題ではありません!」


 騎士団長が初めて強く言い返した。


「あなたは異世界から来られた方だ。我々の都合で呼び出しておいて、危険な場所へ一人で行かせるなどできません」


 恵子は少し驚いた。


 最初よりは、まともになっている。


「では護衛をつけてください」


「……行くこと自体はおやめにならないのですね」


「子供を呼び出されるよりはましです」


 三日後。


 恵子は魔王軍の陣地にいた。


 両脇にはアルディナ王国の騎士がいる。


 向こうには、角の生えた兵士や、青い肌の兵士、耳の長い者たちが並んでいた。


 思っていたより普通だった。


 少なくとも、話ができない化け物には見えない。


「人間が、何の用だ」


 大きな黒い天幕の中で、魔王はそう言った。


 恵子は少し拍子抜けした。


 魔王は五十歳くらいに見える男性だった。


 黒い角はある。


 けれど顔は疲れていた。


 目の下には、はっきりくまができている。


「寝てます?」


「……は?」


「ちゃんと寝てます?」


「何を言っている」


「顔色悪いですよ」


「人間の女。貴様、魔王を前にして――」


「三日寝てませんね?」


「……二日だ」


「二日でも駄目です」


 魔王の側近たちがざわついた。


 恵子は椅子に座った。


「話をしましょう」


「我々に降伏しろと?」


「違います。なんで戦争してるのか聞きに来ました」


 魔王は黙った。


「人間は、魔族が人間を憎んでるから攻めてきたと思っています」


「……馬鹿馬鹿しい」


「違うんですね」


 魔王はしばらく恵子を見ていた。


 やがて机の上に、一枚の地図を広げた。


「三年前から、北の山で雨が降らなくなった」


「はい」


「我ら魔族の土地は作物が育たなくなった。家畜も減った。そこで南の国々に食料を売ってくれと頼んだ」


「アルディナ王国にも?」


「ああ」


「断られた?」


「それだけではない。国境を閉じられた」


 恵子は眉をひそめた。


「なぜです?」


「魔族が大量に入れば国が乱れると」


「それで戦争に?」


「最初は国境近くの倉庫から食料を奪った。こちらも生きるためだった。すると人間の兵が来た。こちらも兵を出した」


「それで、引けなくなった」


「……そうだ」


 恵子は長く息を吐いた。


「どっちも馬鹿ですね」


「何?」


「魔族も人間もです」


 天幕の中が静かになった。


「食料を奪われたら、人間は怒るでしょう」


「では我らは飢えて死ねと?」


「違います。だからその前に、もっと話せばよかったんです」


「話して断られた」


「一回?」


 魔王が黙る。


「一回で戦争始めない」


「……」


「向こうにも同じこと言いました」


 その日、人間と魔族の代表による話し合いが始まった。


 最初は怒鳴り合いだった。


 王国の宰相は「村を焼いた」と怒り、魔王の側近は「国境で魔族を追い返した」と怒った。


 恵子は十分だけ我慢した。


「はい、そこまで」


 両方が黙った。


「怒るのは後。まず、これから人が死なない方法を決めます」


「しかし――」


「今夜から停戦」


「勝手に決めるな!」


「じゃあ、このまま戦って何人死ぬんですか?」


 誰も答えなかった。


「食料が足りない魔族には、アルディナから麦を送る」


「そんな余裕は――」


「王都の倉庫に去年の麦が残ってます」


 宰相が目を見開く。


「なぜそれを」


「帳簿見ました」


「しかし、それは冬の備えで――」


「全部渡すとは言ってません。半分貸すんです。来年、魔族側から鉄と薬草で返してもらう」


 魔王が腕を組む。


「我らの山では良質な鉄が採れる」


「ならちょうどいいです」


「人間に売ったことはない」


「これから売ればいいでしょう」


「簡単に言うな」


「戦争するより簡単です」


 誰も反論できなかった。


 そこからは早かった。


 アルディナ王国は国境を一部開き、魔族側へ食料を送った。


 魔族軍は橋の向こうまで下がった。


 人間の兵も同じだけ下がった。


 捕虜は互いに返した。


 焼かれた村には、魔族側から木材と人手が出された。


 魔族の土地には、人間の農家が乾いた土地でも育つ作物の育て方を教えに行った。


 もちろん、全部がすぐうまくいったわけではない。


 何十年も相手を怖がってきた人たちだ。


 けんかもあった。


 約束を破る者もいた。


 それでも、戦争よりはずっとましだった。


 一か月後。


 アルディナ王国と魔族領は正式に停戦した。


 玉座の間で国王が泣いた。


「勇者様……あなたが世界を救ってくださった」


「だから私は勇者じゃありません」


「では、賢者様!」


「違います」


「聖母様!」


「それはもっと違います」


 恵子は疲れていた。


 家に帰りたい。


 息子と娘が心配だった。


 夫はもっと心配だった。


 あの人は洗濯機を回せても、洗ったものを干すところまでが一仕事だ。


「約束してください」


 恵子は国王に言った。


「もう二度と、勝手に異世界から人を呼ばないこと」


「……はい」


「子供を戦争に使わないこと」


「はい」


「困ったら、まず話し合うこと」


「はい」


「兵士にちゃんと寝てもらうこと」


「はい……」


「返事が小さい」


「はい!」


 魔法師たちは、一か月かけて帰還の魔法を調べた。


 幸い、召喚された本人が強く元の世界を思えば、一度だけ帰すことができるらしい。


 ただし、二度とこちらへ来ることはできない。


「十分です」


 恵子は即答した。


 帰る日。


 魔法陣の前には、国王や大臣だけでなく、魔王まで来ていた。


「世話になったな」


「こちらこそ」


「我は、勇者とはもっと強い者だと思っていた」


「私もです」


「だが、お前ほど恐ろしい者は見たことがない」


「どういう意味ですか?」


「二日寝ていないだけで一時間説教された」


「当たり前です」


 魔王が小さく笑った。


「息子にも、よろしく伝えてくれ」


「何をです?」


「勇者になどならず、母親を大事にしろとな」


「それは私から言います」


 光が恵子を包んだ。


 最後に聞こえたのは、国王たちの声だった。


「ありがとうございました、勇者の母君!」


「だから勇者じゃないって言ってるでしょう!」


 次の瞬間。


 恵子は近所のスーパーの前に立っていた。


 右手には大根。


 左手には卵。


 時計を見る。


 家を出てから、まだ一時間しか経っていなかった。


「……何だったの、あれ」


 夢だったのかもしれない。


 そう思いながら家へ帰る。


 玄関を開けると、高校生の息子が二階から降りてきた。


「母さん、おかえり。遅かったじゃん」


「ちょっと異世界に行ってた」


「は?」


「あなた、知らない人に『世界を救ってください』って言われても、ついて行っちゃ駄目よ」


「何の話?」


「特に魔法陣には気をつけて」


「母さん?」


 息子が本気で心配そうな顔をした。


 恵子は靴を脱ぎながら、買い物袋を持ち上げる。


「今日カレーだから、玉ねぎ切って」


「急だな!」


「あと宿題終わった?」


「今やろうと思ってた!」


「その言葉、異世界でも聞いた気がするわ」


「本当に何があったの!?」


 台所へ向かいながら、恵子は少しだけ笑った。


 世界を救う勇者なんて、たぶん必要なかったのだ。


 必要だったのは、困っているなら困っていると言うこと。


 相手の話を聞くこと。


 疲れたら寝ること。


 そして、腹が減っているなら、まず何か食べること。


 少なくとも恵子は、それで一つの戦争を止めた。


「母さん、肉これで足りる?」


「足りない。冷凍庫にもう一パックあるから出して」


「はーい」


 異世界でもこちらでも、夕飯の時間はやってくる。


 恵子にとっては、そのほうがずっと大事だった。


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