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俺の体に恋をした

作者: セイダー
掲載日:2025/11/22

 美術室前の廊下に飾られた水彩画に、ふと足が止まった。

 薄暗い曇り空。森の中に隠れるように鎮座する小さな祠と、その前に立つ、一組の少年少女。

 優しい色使いと、陰影の表現。絵はあまり詳しくないものの、作者が相当な技術を持っていることはわかる。

 ただそれ以上に、この風景に惹かれる。この景色を、知っているような気がする。

 そして何より、下のプレートに書かれた言葉。


『君を知った日 横井弥千代』


 作者の名前を、俺は知っている。いや、名前を見た瞬間、様々な記憶が蘇る。


「西浦、秋人(あきと)…くん?」


 呆然と絵を見つめていると、背後から声をかけられる。

 振り返ると、長い黒髪とぱっちりとした目が目立つ、可愛いとも綺麗ともいえる美少女が、驚いたような表情でこちらを見ていた。

 初めて話すはずだが、彼女は俺の名前を正確に答える。

 数秒前の俺なら、見知らぬ人に声をかけられたと困惑しただろう。でも、今の俺は彼女の名前に確信があった。


「横井弥千代(やちよ)…ちゃん」


 名前を呼ばれた彼女はぱっと顔を上げ、驚いた表情でこちらを見つめ、それからくすりと笑った。


「覚えてた?」

「いや…今の今まで忘れていた」


 正直に白状したが、彼女は怒りもせず、またくすくすと笑う。

 名前を読み上げた瞬間、古いアルバムの中にしまっていた写真を思い出す。

 小学校の入学式で一緒に撮った写真。祭りの日に浴衣を着た写真。夏休みに川で魚釣りをして遊んだ写真。

 子供の頃の思い出には、全て隣に彼女がいた。それなのに、どうして忘れていたんだ。


「無理もないよ、小3の時に私が引っ越して、それっきりだったから」


 そうだ。俺が8歳くらいの時に、彼女は家族と共に故郷を離れてしまった。その引っ越し先が、どうやらこの街だったようだ。

 だけど、あれだけ仲良しだったなら、手紙やメールでやり取りしたっていいはず。なんで俺はそうしなかった。


「絵、描くんだな。上手だ」

「ああ、うん…ありがとう」


 どうも反応が煮え切らない。自分としては満足してないのだろうか。

 彼女の作品だと知ると、景色に既視感があるのも納得が行く。恐らく、俺達の故郷の風景なのだろう。

 もしかして、描かれてる少女は彼女で、少年は俺だろうか。聞こうと思ったが、思い上がりが過ぎるような気もしたので黙っておいた。


「会えてよかった。今度また話さない?あっちが最近どうなってるかも知りたいし」

「あ、ああ。もちろん」


 昼休みが終わることを告げる予鈴が鳴る中、彼女はまた会うことを約束し、笑顔で自分の教室へ去っていった。

 子供の頃の幼馴染との運命的な再会。まるで恋愛シミュレーションゲームの導入のようで、心が躍る。

 しかし同時に、俺の中に違和感もうずまいていた。

 記憶にあるし、アルバムの中に証拠の写真もある。だけど。

 俺に、女友達なんていただろうか。



    ※



 それ以来、弥千代とはよく話すようになった。

 絵がきっかけで再会したこともあり、俺は弥千代の勧めで美術部に入部した。絵筆なぞ握るのは小学校の図工以来だが、意外にも俺にはセンスがあるようで、先輩や顧問から褒められ、段々と絵を描く魅力に取り憑かれていった。もちろん、昔から描き続けている弥千代には遠く及ばないが。

 次第に、プライベートでも会うようになった。清楚でお淑やかな外見とは裏腹に、彼女の趣味は意外にも少年的だった。

 少年漫画を読むし、ロボットのプラモデルも作るし、カラオケに行けば特撮番組のオープニングをノリノリで歌う。一緒に歌える相手を探していた男女デュエットを歌えた時は感激したものだ。

 そういった彼女の趣味、その大半が俺と一致する。特に小学生の頃に流行ったカードゲームを見せると大喜びし、一緒に対戦もした。非常に白熱したが、違和感も増した。

 男友達と対戦したことはあるが、弥千代としたことはあっただろうか。


「はい、ダブルブレイク。反撃できる?」

「…いいえ」

「じゃ、これでトドメっと。対戦ありがとうございました」


 …結果は、俺の惨敗だった。



    ※



 あれからすっかりカードゲーム熱が再燃した弥千代は、街までカードを買いに行くことを提案してきた。

 「部活用の画材を買うついで」と言っていたが、その前後の会話からカードが主目的なのは間違いない。


「おまたせ、秋人くん」


 待ち合わせ場所に現れた弥千代を見て、俺は思わず息を呑んだ。

 白いオフショルダーのブラウスに、淡い色のロングスカート。シンプルだが、彼女の長い黒髪とスタイルの良さが際立っている。

 男の俺が言うのもなんだが、女としての自分の魅せ方を熟知しているようだった。


「…似合ってるな」

「ありがと。でも秋人くんに比べると地味になっちゃったかな」


 俺の方は、白のスラックスにグレーのシャツとジーンズのジャケット。アクセントでネックレスまでつけている。

 普段滅多に使わない整髪剤で髪型も決めてきたが、普段通りのシンプルな弥千代を見て、浮かれすぎていたことを反省する。


「ねえ。最初に私の服を買いに行こうよ。秋人くんに合わせたい」

「いや、逆だろ?俺がもっとシンプルなものに着替えるからさ」

「いいからいいから。秋人くんのセンスが見たいの」


 妙に強情な彼女に圧され、俺達はレディースの洋服店に向かう。

 女物の服なんて選んだことがないので、変な格好をさせてしまったらどうしよう。

 小一時間悩み抜いて、俺は彼女の魅力が最大限に引き立つと思ったコーディネートを渡した。


「…秋人くん。さては脚フェチだな?」


 にやりと笑う声と共に、試着室のカーテンが開く。弥千代は俺が渡した赤いニットのトップスと白いミニスカート、そして黒タイツを装着して、仁王立ちしていた。

 黒い髪と白い肌。タイトな服で強調された女性らしいプロポーション。それに加えて、短いスカートから覗く脚が、黒いタイツに包まれて艶かしく光っている。

 予想通り、とてもよく似合っている。だが、俺の性癖を見透かした笑顔に、罪悪感がいっぱいになった。


「…ごめん、嫌なら別のにするから」

「嫌とは言ってないじゃん。可愛いし、このまま着ていくよ」


 嫌がる素振りを全く見せず、そのままレジへと向かう弥千代。それは、本当に可愛いと思ってのことか、それとも俺が選んだものだからか。

 なんであれ、俺が選んだ服を着る女性と一緒に歩くという事実に、胸の高まりは収まる気配がなかった。



 結構な枚数のカードと、わずかばかりの画材を購入。

 用が終わったので帰宅するはずが、弥千代が通りがかりのゲームセンターに引き寄せられ。

 なぜか、ホラー系のシューティングゲームをやることになった。


「うわっ!こっち来た!」

「右右!ほらほら、弾切れてるよ!」

「ちょ、待って待って!うわあああ!」


 狭く薄暗い個室の中で、次々と襲い来るゾンビたち。

 画面に血飛沫が飛ぶたびに、俺は情けない悲鳴を上げて身をすくませる。

 一方で、隣の弥千代は冷静そのものだった。


「狙い撃つぜぇ!」


 かっこよくポーズを決める余裕すら見せながら、的確にヘッドショットを決めていく。


「よ、よく楽しめるな…こんなグロいやつ」

「このシリーズはまだライトな方でしょ。ほら、ボス現れたよ」


 ミニスカートを翻しながら、ゾンビの大群を薙ぎ倒していく美少女。

 男として情けないことこの上ないが、その頼もしさにすがりたいという感情まで湧いた。

 結局、俺は最初のステージボスになす術なく敗北、残りのステージは弥千代一人でクリアしてしまった。


「ふぅ、スッキリした」

「…そうか」


 ほとんど観戦しっぱなしだったが、飛び散る鮮血や襲いかかる腐肉が頭から離れない。多分今日の夢に出るだろうな。

 俺が青ざめた顔で立ち尽くしていると、駆け寄ってきた弥千代が俺の手を掴んだ。


「ごめんごめん、一人で楽しんじゃって。今度は音ゲーやろうよ」

「…ああ」


 どうせ夢に出るならこっちがいい。

 笑顔で俺の手を引く少女を、俺は精一杯目に焼き付けた。



 そのまま様々なゲームを楽しむこと1時間。

 疲れ切った俺達は、喫茶店で一服してから帰ることにした。


「コーヒーと…弥千代は?」

「ホットティーと…ストロベリーパフェください」


 店員が俺の前にブラックコーヒーを、弥千代の前に紅茶とパフェを置く。

 紅茶にレモンを乗せた弥千代は、アイスとイチゴが山盛りになったグラスを、こちらへと差し向けた。


「え…」

「食べたかったんでしょ。おごってあげる」


 にやにやと笑いながら指差したのは、壁に貼られたパフェのステッカーだった。弥千代がメニューを見ている間、ずっと眺めていたのがバレていたのか。


「いらないって、そんな女々しいもの」

「そう?甘いもの好きに男も女も関係ないと思うけど」


 もちろんスイーツ好きの男子がいたっていい。俺がそうなんだから。

 だが、両親に「昔は辛党だったのに」と茶化されてからは、人前では避けるようにしていた。ましてや、女の子の前でそんな姿を見せるのは恥ずかしい。


「気にしない気にしない。ほら、お食べ」


 頂点に乗ったイチゴをスプーンですくい、こちらに差し出す弥千代。

 疲労から糖分を欲する体と、女の子にあーんされるという男の夢を求める本能に背中を押され、俺は顔を真っ赤にしながらスプーンを口で受け止める。舌いっぱいに広がる甘酸っぱい味は、多分イチゴとクリームだけが由来ではない。

 弥千代はくすくすと笑いながらまた一杯すくい、今度は自分の口へと運ぶ。間接キスなど気にする様子は一切ない。

 幸せそうにソフトクリームを味わう弥千代。その顔を眺めていると、この感情が、勘違いとか一時の気の迷いとか、そんなものではないと確信した。



    ※



「横井弥千代さん。好きです。俺と付き合ってください」


 後日。他の部員が帰り、2人きりになった部室。片付けを終えて帰る直前。

 俺は弥千代に、深々と頭を下げた。

 自信はあった。子供の頃の幼馴染と運命的な再会。趣味も合うし、互いに好印象。断られるような理由は思いつかない。

 だから、頭を下げてから1分以上返事が来ないことに、段々と心臓の鼓動が激しくなっていった。


「あの…駄目、か?」


 恐る恐る顔を上げると、弥千代は呆然とした目でこちらを見ていた。

 やがてはっと我に返ると、目を泳がせながら、しどろもどろに口を開いた。


「あー、うん。えっとね…」


 濁した言葉ばかりの返事に、後悔の念が湧き上がる。

 ちょっと仲が良いから、ちょっと幼馴染だからって気があると思っていたのは俺だけだったのか。折角楽しく過ごしていたのに、友達の関係すらこれで失われ…


「あ、違うの。嫌ってわけじゃなくて…うん、そうだね」


 こちらが泣きそうになってるのに気付いたのか、手を振って否定する弥千代。しかし首を縦に振らないのは、そういうことじゃないのか。


「返事をする前にね。ひとつだけ、伝えておかないといけないことがあるの。

 ちょっと、私の家に来てくれないかな」


 静かに微笑む弥千代に、告白を嫌がるような素振りはない。それならなぜ、今ここで答えてくれないんだろうか。

 しかし、返事を聞くまでは心のもやもやは晴れない。俺は頷いて、一緒に弥千代の家へと向かった。

 …女の子の部屋に入れるという事実に浮かれていたわけではない。



    ※



 弥千代の家に入ると、彼女の母親が笑顔で歓迎してくれた。子供の頃に頻繁に会っていたというが、正直あまり記憶にない。


「ごめんねー、引っ越しの日に挨拶できなくて。この子ったら、秋人くんに会わせろ、行きたくないって大暴れしちゃって」

「お母さん!そのことはもういいから!」


 顔を真っ赤にした弥千代が母親をキッチンへ押し込んで、俺達は弥千代の部屋に向かう。

 言われてみれば、俺は弥千代と別れの挨拶をした記憶がない。最後に会ったのはいつなのか。

 そんな疑問は、弥千代の部屋を見た瞬間に吹き飛んだ。女の子らしくファンシーな化粧台や可愛らしいクローゼットなどが置かれている。スタイルにも気を配っているのか、部屋の隅には運動器具やマットもある。

 同時に、少年漫画やロボットのプラモデル、特撮ヒーローの変身アイテムも飾られている、男の子らしくも見える不思議な空間。それでも、部屋全体から漂う甘い香りが、ここが女子のプライベート空間であることを物語っていた。


「はい。適当にくつろいで」


 部屋の中央に座ると、ちゃぶ台に麦茶が差し出される。もちろん適当にくつろげるはずもなく、正座で麦茶を受け取る。

 弥千代は自分の麦茶を一口すすると、部屋の隅に立てかけられていた額縁を取り出した。


「これ、覚えてるかな」


 それは、高校の美術室の前で見かけた絵。展示期間が終わって、弥千代が持ち帰っていたらしい。


「そりゃ、俺と弥千代が再会するきっかけになった絵だしな」

「うん…でもそうじゃなくて、もっと前」


 もっと前というと、俺も弥千代も田舎で暮らしていた時のことか。あまりよく覚えていないが、やはり…


「ここに描かれてるのは、私とあなた。こっちが私」


 弥千代は、中央右に立つ、ランニングシャツを着た少年を指差す。


「そして、こっちがあなた」


 左に並ぶ、白いワンピースを着た長い髪の少女へ指を動かす。


「逆…じゃないのか?」

「うん。逆。この絵に描かれてる時…小学3年生の夏まで、逆だったの」


 顔を上げた弥千代は、俺の目をまっすぐに見る。

 その表情、いつもの少女らしい柔和な笑みの中に、少年的な力強さを感じた。


「あの日、私…俺は君と入れ替わったんだよ。弥千代ちゃん」


 自分のことを俺と呼んだ弥千代は、俺のことを弥千代ちゃんと呼んだ。



    ※



 小学3年生の夏休み。

 8月の終わりに弥千代が引っ越すと聞いた秋人は、一番の友達を失う事に大泣きしたという。

 三日三晩、双方の両親と弥千代本人になだめられ、ようやく納得した秋人は、この夏休みにできるだけの思い出を作りたいと、毎日のように弥千代と遊び回った。

 弥千代の方も別れるのは辛かったので、秋人のわがままを全て聞いて、朝早くから夜遅くまで、くたくたになるまで付き合った。

 そんなある日。山登りをしていた2人は、急に降り出した雨から逃げ回っているうちに、森の中に建物を見つける。

 小さな祠と、それを護る簡素な覆堂。一体いつからここにあり、何年手入れされずに放置されているのか、いつ崩れてもおかしくない。しかし、一時的に雨宿りする分には問題ない程度には形状を保っていた。

 小屋の中に入った2人は、雨宿りに借りるお願いも込めて、祠にお参りする。作法も知らない2人は、ただ適当に手を合わせ、頭を下げる。

 その時。落雷が覆堂を襲う。小屋の中にいた2人に直撃したのかどうかはわからないが、爆音と衝撃には幼い2人には耐えられるものではなかっただろう。

 その後捜索に来た大人達は、覆堂の中に倒れる弥千代と、彼女を護るように抱きかかえた秋人を発見する。気を失っていた2人は、そのまま麓の病院に運ばれ。


「目が覚めた時、俺…西浦秋人は、横井弥千代の体になっていた」


 弥千代は、男のような目つきと口調のまま、かつて起きた出来事を話す。


「目覚めた俺は、すぐに周りに自分が西浦秋人だと主張した。でも、自分自身わけがわからなくて、うまく説明ができなかった。ショックで記憶が混乱しているだけだとか、秋人と別れたくないから駄々をこねてるだけだとか言われて相手にされなかった。

 そのまま引っ越しのトラックに乗せられ、この街へ連れて行かれて…7年間、この体で生きてきた」


 にわかには信じがたい出来事。しかしその表情が、俺と鏡映しのようにそっくりで、話に説得力を持たせていた。それでも、腑に落ちない点が1つ。

 なぜ、俺はその事を覚えていないのか。彼女が西浦秋人であるなら、俺は横井弥千代のはず。しかし俺に、彼女として生きた記憶はない。


「外傷のほとんどないこの体と違って、そっちは後頭部を強く打ったらしくてな。目を覚ましたのは、俺が引っ越した2日後のことだ。

 俺の…弥千代ちゃんの親から伝え聞いた話だが、目を覚ましたお前は、記憶喪失になっていたらしい」


 記憶喪失…?そんなことあっただろうか。

 だが、言われてみれば、小3の夏休みの記憶が曖昧で、思い出そうにももやがかかったようにはっきりとしない。


「周りからあれこれ説明するうちに、段々記憶を取り戻したと言うけどな。

 多分、周りから言われたことを鵜呑みにして、新たな記憶と人格を形成していったんだろう」


 小学生の未熟な、そして想像力逞しい頭脳に、「お前は西浦秋人だ」「男だ」と説明され、「これがお前だ」とアルバムの写真を指差されれば、それが真実、そして実際に体験したこととして刷り込まれてしまっても仕方ないだろう。

 8歳までの記憶。そして今日まで男として生きてきた自分のアイデンティティが、がらがらと崩れ去る音が聞こえた。


「覚えてないようなら構わない。もう一度友達になればいいと思ってたが、付き合うとなると話は別だからな。

 返事の前に、それだけは伝えておきたかった」


 寂しそうに苦笑する弥千代…いや、秋人。これで俺が記憶を取り戻せば、元の体に戻る可能性が生まれると思ったんだろうか。

 だが、ここまでの話を聞いても、俺に横井弥千代の記憶は蘇らない。

 この話を信じる根拠はある。色々と男らしい弥千代。妙に女々しい俺。絵画趣味も、元々は俺が持っていたものなのだろう。

 それでも、この7年間で形成された男としての性自認は揺るがないし、今更女の体に戻ってくれなんて言われても、その体で生きていく自信はない。

 だが、男の記憶を残したまま、女として生きることを強いられた彼女の葛藤は、俺の比ではないだろう。


「…ごめん。そんなことも知らないで、告白なんてしてしまったなんて。気持ち悪かったよな」


 男でありながら、男に異性と見られ、告白される。俺なら想像するだけで吐き気がする。

 ましてや、相手はかつての自分自身。相当な不快感があったはず…


「え?なんで?」


 と思ってたのに、彼女はきょとんとした顔で首をかしげた。


「入れ替わった直後なら嫌だったかもしれないけど、人生の半分近くこの体で生きてきたからね。もう心はすっかり女だよ。

 嬉しかった。告白してくれて」


 柔和な表情に戻った弥千代が、ほんのり顔を赤くして微笑む。それは、数分前まで自分が男だと主張していたとは思えないほどに、女の子らしくて、可愛らしい笑顔だった。


「ただ、その…不可抗力とはいえ、あなたの体を勝手に使ってきたことは事実だから、そこをちゃんと謝っておかないとと思って…」


 手をもじもじしながら、しどろもどろに目を泳がせる。

 なるほど。用を足したり風呂に入ったりと、女友達のあられもない姿を見てしまうことの背徳感と戦い続けたのか。あるいは、好奇心のままに好き勝手に触りまくったか。


「そ、そんなこと言ったら俺だって、お前の体で立ちションもしたし温泉にも入ったし、なんならエロ本読んで一人で―――」


 咄嗟にフォローしようとして、とんでもないことを言いそうになった。性自認はほとんど女になってるって言ってただろ。

 恐る恐る弥千代の顔を伺うと、少し照れつつも笑って流してくれた。もしかして、弥千代は弥千代でその体を…これ以上はやめておこう。


「と、とにかく。覚えてないことで謝られる筋合いはない。

 それに、俺が本当に弥千代だとしたら、綺麗に使ってくれて感謝したいくらいだ」

「綺麗…そうかな?」

「綺麗だよ。俺がそのまま使ってたら、そんなに美人になってたかわからん」


 俺には女のことはよくわからない…いや、よく覚えていないが、ドレッサーに並んだ化粧品とクローゼットにかけられた洋服の数々。そして部屋の隅に片付けられた運動器具は、女磨きに努力してきたことを物語っていた。

 自分が着飾ることの楽しさに目覚めたのかもしれないが、俺がその体の持ち主なら、美しく育ってくれて感謝するところだ。


「それなら私も。自分が大人になったら、こんなにイケメンになると教えてくれてありがとう」

「イケメン…?そんなことないだろ」

「ううん、かっこいいよ。美術室の前で再会した時、本当に昔の自分なのかって不安になったくらい」


 互いに互いの…かつての体を褒め合い、一緒になって照れる。

 俺は深呼吸して心を落ち着かせ、まだ顔の赤い弥千代の顔をしっかりと見据えた。


「弥千代」

「…うん」

「俺、やっぱり弥千代が好きだ。

 幼馴染の横井弥千代でも、かつての西浦秋人でもない。今の君を愛している」


 故郷で共に遊んだ記憶は、周囲に植え付けられた偽りの記憶。

 それなら、今目の前の彼女を愛しく想うこの感情は、あの美術室の前で再会した時から今までの間に育まれたものであり、今の彼女。その体と、その魂に感じたもののはずだ。


「こんな俺でも…かつての君の体でもよければ、俺の恋人になってください」


 姿勢を正し、深く頭を下げる。自分の昔の体に頭を下げられるのは、一体どんな気分だろう。

 再び流れる、気まずい静寂。しかし、先程よりも早く、沈黙は破られた。


「…はい。不束者ですが、よろしくお願いします」


 それは、告白をOKする意味の言葉。

 聞き間違いじゃないことを確かめるべく顔を上げると、いつの間にか近寄っていた弥千代と、数十センチの距離で目が合う。

 ほんのりと顔を紅潮させた弥千代は、にっこりと笑うと、俺の肩に手を回し、唇を重ねてきた。

 柔らかな唇の感触と、両腕から伝わる暖かな体温。ふんわりと甘いシャンプーの匂いに心臓の鼓動が高鳴る。

 10秒ほどで体を離した弥千代は、にこりと笑いながら口を開いた。


「不束者ですが、よろしくお願いします」

「…なんで2回答えるんだよ」

「だって、2回告白されたから」


 子供っぽくくすくす笑う弥千代を見て、ついつい俺も笑ってしまう。


「それなら、キスも2回しようか」


 俺の提案に、弥千代は笑顔で目を閉じ、口をこちらに向ける。

 弥千代の肩を抱き、頭を軽く撫でてから、今度は俺から唇を重ねた。



    ※



 夏休み。

 俺は弥千代を連れて、実家に帰省した。

 弥千代にとっては、久しぶりに再会する実の両親のはず。しかし弥千代はあくまで横井弥千代として、西浦秋人の彼女として、他人行儀に挨拶していた。

 親に何か言うことはないのか。そう尋ねてみたところ。


「そんなに急がなくても、数年後にはまたおとうさんおかあさんって呼べるからね。文字にすると義がついちゃうけど」


 とのこと。

 …気が早すぎじゃないだろうか。もちろん俺もそのつもりではあるが。

 帰省の目的は弥千代と交際を始めたことを親に報告することと、もう一つ。両親には美術部の制作だと言い訳して、2人で山に向かった。「こんな雨の日じゃなくても」と苦言されたが、雨の日の必要がある。

 傘を差しながら1時間ほど歩き回り、ようやく目的地に辿り着いた。昔の俺達は、こんな山奥までよく来たものだ。


「あちゃー…まあ、7年も経ってるしねえ」


 そこには、かつて何か建物があったことを示す、木材と屋根瓦だけが散乱していた。

 俺は覚えていないが、弥千代の反応を見るに、ここがあの事件のあった祠で間違いないようだ。


「雨宿りは…できそうにないな」

「そうだね。そもそも必要ないし」


 出発した時はまあまあの勢いがあった雨も、今は傘もいらないほど静かになっていた。当然、雷が落ちる気配もない。


「残念か?」

「…そうでもないかな」


 祠と覆堂の残骸を目にしても、弥千代に悲しむ素振りはない。

 元の体に戻るわずかな可能性を求めてというより、今の体で生きていく決心を固めるために、ここに来たかったようだ。


「まあ、せっかくだからお参りしようよ」

「そうだな…この場合、合掌か?二礼二拍か?」

「適当でいいんじゃない?神様か仏様かもよくわかんないし」


 そんな雑な認識だから、バチが当たったんじゃないだろうな…なんて一瞬思ったが、そんなはずはない。なぜなら俺も弥千代も、とても幸せだから。

 手を合わせ、静かに頭を下げる。その時、ふと脳裏に光がちらついた気がした。

 目を開けると、丁度弥千代もお参りを済ませたところだった。念のため体を確認するが、もちろん西浦秋人のまま。


「…何か思い出した?」


 俺の不審な様子が気になったのか、弥千代が顔を覗き込む。


「…1つだけ」


 明確に記憶が戻ったわけじゃない。だけど、祠に向かって頭を下げた時。以前も同じ事をしたという既視感を覚えた。

 その時、俺がどちらの体にいたのかはわからない。だけど、祠に何を祈ったのかは、はっきりと思い出した。


「俺…いや、私。

 ずっと前から、君のことが好きだったみたい」


 『この人と、ずっと一緒にいられますように』。

 あの日の自分は、そんな願いを、心の中で唱えていた。


「…俺もだ」


 男らしく笑った弥千代と、手を繋いで山を降りる。

 雨は止み、雲の切れ間から明るい日差しが差し込んでいた。


Pixivにも投稿しています。


ブログに解説書いてます。

http://soranomukoue.blog50.fc2.com/blog-entry-2299.html

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