ぼんくら王子が婚約破棄を宣言したので毒杯を賜った結果、王国乗っ取りは阻止されました
「アデル・ガルニエ!お前が私の心の支えであるソフィー・ゴーギャン伯爵令嬢を長い間虐げてきたことは明々白々である!これ以上お前の好きにさせてこの国の国益を損なうことは許さない!今この時をもってお前とは婚約を破棄し、新たにこのソフィー・ゴーギャン伯爵令嬢を私の婚約者とする!」
王家主催の夜会でアンセルム第一王子殿下がやらかした。
衆人環視の中で婚約破棄を声高に叫び。
日々多忙でソフィー様に構う暇など皆無であるわたくしに冤罪を仕掛け。
それをもって国益を損なうなどと大袈裟に騒ぐ。
最低でも国王陛下と王妃殿下、宰相閣下には根回しくらいしてから婚約破棄に持ってくるだろうと思っていたけれど、陛下と閣下の表情から察するにその程度の手間すら惜しんだ、いえ、おそらく思いつきもしなかったぼんくら。
王妃殿下は口元が緩んでいらっしゃるからご存知であったろうと思われるが。
しかしアンセルム第一王子殿下がここまで愚かな事をするとは。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
でも、これはかねてから渇望していた絶好の機会。
わたくしが枷から解き放たれ自由になる時がようやくやって来たのだわ。
わたくしは表情を変えることなくアンセルム第一王子殿下にお辞儀をして言った。
「アデル・ガルニエ、殿下の仰せのままに婚約破棄を承ります」
「そもそもお前は!……何?……婚約破棄を受け入れるのか?」
「はい。つきましては後顧の憂いなく身を引く為にもお聞き届けいただきたい事がございます」
「ふん。聞いてやらぬでもない。言ってみろ」
「わたくしの願いは三つ。ひとつ。この婚約破棄を国王陛下から許可をいただき速やかに確定させることにございます。ふたつ。これより三日間の猶予をいただいた後、アンセルム第一王子殿下より直々に毒杯を賜りたく存じます。みっつ。その三日間の猶予期間に、わたくしが行って参りました全ての公務をソフィー様が引き継ぎ遅滞なく進められることを、陛下がお選びになった第三者と共に見届けさせていただきたく存じます」
「そ……それは」
わたくしの言葉に周囲が騒つく。
アンセルム第一王子殿下とその腕に絡みついているソフィー様の顔は青褪めた。
殿下の考える事などこちらはお見通し。
まだ国王どころか王太子にもなっていないのにわたくしを側妃に、などと言い出すに違いない。
わたくしをこのまま曖昧な地位に留めて仕事だけさせ、自分たちはこれまで通り遊んで暮らす魂胆だろう。
だがもう一人ソフィー様という金食い虫が増えるのであれば殿下が王太子になる間も無くこの国は破綻する。
そうなった時殿下が責任をわたくし一人に負わせるであろうことは火を見るより明らかだ。
それを潰すためにもわたくしは毒杯を選ぶ。
「いや、その、そこまでしなくてもよいのではないか?お前を側妃にしてやってもよいのだから」
「いいえ。なりませぬ。未来の王子妃、さらには王太子妃、ゆくゆくは王妃ともなられる御方をわたくしが長い間虐げていたことは明々白々であると殿下は仰いました。そのような事をしでかした女をある程度の権限を持たせた状態でいつまでも殿下やソフィー様の側近くに置くなど、危険極まりないことにございます。そのような前例を作ることは王家のためにもなりませぬ。ですからわたくしは毒杯を賜りとうございます」
「しかしだな……」
「よい。アデルよ。其方の望み、しかと聞き届けた」
歯切れの悪い殿下の言葉を遮るように国王陛下がはっきりと仰った。
「父上!」
「アンセルム。そもそも婚約破棄と新たな婚約はお前が望み、衆人環視の中で宣言したことだ。王族の言葉は絶対。取り返しなどきかぬ。アデルの願いは後顧の憂いなく身を引きたいというだけのもの。お前はそれを聞き届けるだけの気概も持てぬのか?」
「それは…………いいえ」
「では決まりだ。ちょうどガルニエ公爵夫妻もいることだ。さっそく婚約破棄を確定させることにしようではないか。明日より三日間、ソフィーはアデルの公務を引き継ぎ必ず己自身の手で行え。その見届け人として宰相のシュバリエを指名する。ただしシュバリエ一人では手が足りぬであろうからシュバリエの選んだ者と分担しても良い。その者はガルニエ公爵家、ゴーギャン伯爵家とその縁戚を除いた中から選ぶように」
「承りました」
宰相閣下が承諾なされて話は決まった。
それからの展開は早かった。
夜会は延期。
明日からの公務に備えてソフィー様は急遽王宮内の一室に案内され、そのまま留まることになった。
わたくしは両親であるガルニエ公爵夫妻とともに国王陛下と王妃殿下の元へ赴き、その御前でアンセルム第一王子殿下との婚約解消が確定した。
アンセルム第一王子殿下はわたくしが長い間ソフィー様を虐げていたという直接的な証拠を何ひとつ提示できなかったため、わたくしの有責とはならず不満気だった。
王妃殿下もしかり。
ガルニエ公爵夫妻もしかり。
両親はあくまでもわたくしにすべての責任があると考え、家へ連れ帰り折檻でもするつもりでいたようだ。
だが陛下が三日間の猶予期間中はアンセルム第一王子殿下と王妃殿下、ガルニエ公爵夫妻に対してわたくしへの接触禁止を言い渡したため、わたくしはそのまま王宮内の自室に留まることとなった。
さらにわたくしはアンセルム第一王子殿下の婚約者でなくなったことを理由に、側付きであった優秀な護衛騎士から侍女に至るまで全員をわたくしから解放して差し上げたい、代わりにごく少人数の若い侍女を三日間だけ付けて欲しいと願い出、それを許された。
その夜。
わたくしは殿下の婚約者となって以来初めて、心安らかに眠ることができた。
◇ ◇ ◇
猶予期間初日。
ソフィー様は執務向きとは言えぬ派手なドレスを身に纏い、わたくしに割り当てられていた執務室へと現れた。
朝が弱いようで、ずいぶんとご機嫌斜めのご様子。
「ソフィー様。こちらが本日の公務の予定表ですわ」
わたくしが予定表をソフィー様に差し出すと眠そうだった目が一気に見開いた。
「何ですの?!これは!」
「アンセルム第一王子殿下の婚約者が暫定王子妃として行う公務ですわ」
「こんな量の……無理ですわっ!!!」
「わたくしでさえできていたのですから、ソフィー様には簡単にできるはずですわ。本日最初の公務はここにある書類の処理です。右端の山が暫定王子妃として処理すべき分、中央の書類の山は本来アンセルム第一王子殿下が行う分、左端の書類の山は王妃殿下より公務の一部を負担せよと命じられた分ですわ」
「そんな……」
「お急ぎ下さいませ。二時間後には次の公務へ向かいますからそれまでに片付ける必要があります。初日ですからソフィー様が今後も処理しなくてはならない王子妃の分から始めることをお勧め致します。そちらなら書類を読めば何をどうすれば良いかすぐにわかるはずですわ」
「無理よ無理……」
「ソフィー様。アンセルム第一王子殿下の婚約者となるにふさわしいと示すためにも今すぐ取り掛かっていただきます。嘆いている暇などありませんぞ」
「でも!……少しくらい貴方が手伝ってくれたっていいんじゃない?」
「婚約解消が成りましたからわたくしはもう手を触れることができませんの。それは王国の法を破る行いになりますので。今のわたくしはただの見届け人に過ぎませんわ。なにより国王陛下が必ず己の手で行うようソフィー様に命じられた事です」
「っ……!」
シュバリエ宰相閣下に厳しく言われ、わたくしの手伝いも得られないとわかったソフィー様は涙目になりながら書類に目を通し始めた。
二時間後、ソフィー様の手によって確認され完成した書類はたった五通。
他は手付かずのままだった。
「次の公務は孤児院への訪問ですわ。これは王妃殿下に代理で行うよう命じられた公務です。では外出の用意をお願い致します」
「それなら王妃殿下に訪問していただけばいいじゃない!」
「でしたらソフィー様から王妃殿下にお願いなさって下さいませ。わたくしにそのような権限はございませんので」
「そんなの無理に決まってるでしょッ」
「ではソフィー様に行っていただくほかございません。すでに孤児院へは本日訪問する旨知らされており、それを反故にするという事は王妃殿下の面目を潰し王家の信用の失墜に繋がるという事になりますが」
「っ……!」
ここで見届け人は宰相閣下から閣下の御息女であり今はマルタン侯爵夫人であるデボラ様に交代した。
マルタン侯爵夫人はご自身も普段から孤児院への寄付や子供たちの教育に目も気も配っていらっしゃる方。
言葉は少なくとも孤児院訪問中のソフィー様の言動を厳しい目でご覧になっていた。
肝心のソフィー様はいやいや訪問しているという様子を隠し切れず全てがおざなりであった。
孤児院への訪問を終え王宮に戻り短時間で昼食を済ませると、息つく間もなく次の仕事が待ち構えている。
「次は十日後に迫ったメーラ王国の大使様御一行をお迎えするための最終確認に参りましょう」
「何よそれ!聞いてないわよ!」
「これはアンセルム第一王子殿下が主導して行うよう陛下がお命じになったものです。すべての準備は暫定王子妃に任せると殿下が申されましたので、これから先はソフィー様がなさるほかございません」
「何で私が一人でやらなくてはいけないのよッ!」
「文句がおありでしたら殿下へどうぞ。ソフィー様のお願いなら聞いて下さるのではありませんか?ただ下準備は整っていますので本日は最終確認をするだけですし、あとはメーラ語でのやり取りを語学教師と確認して終わりですから、殿下のお手を煩わす必要は無いと思われますわ」
「メーラ語ですって?そんなの喋れないわよ!」
「大使様御一行には殿下とソフィー様が揃ってお迎えし挨拶をしなくてはなりません。その時にメーラ語でご挨拶をなさらなければあちらに侮られます。アンセルム第一王子殿下の沽券にも関わる事ですわ。本日中に挨拶だけでも交わせるようになっておきませんと間に合いません。それに本日の予定はまだまだ詰まっていますから、ここで余計な時間を費やすのはお勧め致しませんわ」
「っ……!」
マルタン侯爵夫人が厳しい目でソフィー様を見て圧力をかける。
ソフィー様は観念して最終確認の場へ向かった。
だが語学の詰め込み学習が終わるとソフィー様は切れた。
「もう嫌ですわ!アンセルム殿下とお茶を頂きながら休憩致します!」
「予定は詰まっていますし、休憩など入れていたら本日分の公務は終わりません。ソフィー様も夕食や睡眠のための時間を削るよりは今のうちに次の仕事を片付ける方が良いのではありませんか?」
その時にはシュバリエ宰相閣下が見届け人として再び戻っていて、ソフィー様に厳しい目を向けていた。
ソフィー様はそれ以上何も言わずに次の仕事へ向かった。
ソフィー様が曲がりなりにも予定されていた公務を全て終えたのは夕食時間直前だった。
そして予想していた以上にソフィー様がこなせた仕事量は少なく、粗だらけだった。
もっともこの猶予期間におけるわたくしの本当の目的は別にあり、ソフィー様の出来不出来に興味は無いのだけれど。
宰相閣下に挨拶をして自室に戻ろうとすると、閣下はわたくしの話を聞きたいと仰った。
「アデル様はあれだけの量の仕事を毎日されていたのですか?」
「はい。加えて王太子妃教育も受けておりました」
「王子妃教育ではなく?」
「はい。アンセルム第一王子殿下の仕事に加えて王妃殿下の仕事もわたくしに押し付けるために必要となったのでしょう。何も聞かされぬままいつの間にかそうなっていました」
「あの量では身体だけでなく心まで参ってしまうのでは……」
「そこはわたくしも考えまして、食事の質と量だけは死守致しました。栄養が足りていれば頭も身体も働きます。ですから侍女たちから故意に食事の質や量を落とされた時は、わたくしもわざと王妃殿下や第一王子殿下から押し付けられた仕事をしないようにしたのです。それについて叱られても、食事が足りず身体も頭も働きませんと言い返しましたの。何度も繰り返すたびに王妃殿下も懲りたようで、食事に関してだけはわたくしの思い通りになったのですわ。それが無ければとうに心を壊し命を落としていたでしょう」
「せめて私にご相談いただけていたら……」
何やら苦しげな表情で仰るが、良心の呵責がそう言わせただけだろう。
こちらとしては何を今更、だ。
アンセルム第一王子殿下の婚約者に対してこれまで無関心を貫いてきた閣下が何を言おうがわたくしの心には響かない。
「相談できそうな方の周りには王妃殿下の息がかかった方やガルニエ公爵家に通じる者が多く、どこからどう話が漏れ伝わるか、その結果さらに酷いことになるであろうことは容易に想像できましたので断念致しました」
「ご実家は味方にならぬと?」
「はい。ガルニエ公爵夫妻の関心は嫡男ラファエルのみにあります。わたくしは折に触れ何度も現状を訴えましたが聞く耳は持っていただけませんでした。それにアンセルム第一王子殿下に対して下手に実家から何か言おうものならますます状況は悪化したことでしょう」
「側付きの者たちも同様に?」
「はい。護衛騎士から身の回りの世話をしてくれる侍女に至るまで全てが王妃殿下のご指示によるものでしたので、私のする事なす事全てが筒抜けでしたでしょう。どなたかに相談したくても面会申し込みが必要となりますからすぐさま潰されるであろうことはわかり切っておりました。偶然、一対一で直にお話しできる機会でも訪れぬ限り不可能な事でしたわ」
そしてその機会は今この時に初めてやってきたのだ。
宰相閣下は絶句なさった。
すでに手遅れであり、例え後悔なさったとしてもわたくしの命はあと二日と少し。
わたくしにとってみれば解放される日が確定しているのだから、そのような事はもはやどうでもいい話である。
ただ願わくば。
「宰相様方にはわたくしのような状態に追い込まれる方がこれ以上出ないよう、手立てを考え実行していただきたく存じます。どれほど訴えてみても聞いてもらえず、訴えたくても手段が無いとなれば小娘一人ではどうにもならないのです。ゆくゆくは国の宝となるであろう方々をこのような事で潰さぬような仕組みは必要だと思いますわ」
宰相閣下が多少なりともまともな方であれば、わたくしの話の裏取りをなさるはず。
そして王妃殿下やアンセルム第一王子殿下に、お前は気に入らない、というだけの理由で潰され排除された優秀な者がこれまでに何人もいた事も調べがつくはず。
その前例があるため力を持たぬ者たちは理不尽な事に目を瞑り口を噤むしかなかったのだ、とおわかり下されば良いが、期待はしていない。
そして閣下がまともでなければ何も変わらず、この国の終わりは早まるだけ。
◇ ◇ ◇
猶予期間二日目。
見届け人は宰相閣下の代わりにアダム・デュボワ公爵令息様が務められることになった。
デュボワ公爵閣下は王弟であらせられる。
宰相閣下がアダム様を選んだ、ということはまだ見込みがあると考えて良いのかもしれない。
アダム様と顔を合わせたのは幼き頃に数回あり、その時はずいぶんと仲良くして頂いた。
その後はお見かけすることも滅多に無く、お会いするのは久しぶりのこと。
アダム様は堂々とした美丈夫へと成長なさっていた。
何やら物言いたげな表情でわたくしの顔を見るが、わたくしには何の感慨も無いので普通に挨拶をする。
「アダム・デュボワ公爵令息様。本日はどうぞよろしくお願い致します。お手数をお掛けしますこと、どうかお許し下さいませ」
「いや、こちらこそよろしく頼む。……宰相閣下より話は聞いている」
「さようでございますか」
アダム様がさらに何か言おうと口を開きかけた時、執務室のドアがノックされた。
入ってきたのは顔見知りの文官。
「アデル様。朝早くから申し訳ございません。昨日までにアンセルム第一王子殿下が署名なさるはずの書類がこちらに届きませんでしたので何か問題でも起きたのかアデル様に確認するよう室長より申し付けられまして……」
「まあ。そうでしたの。実はわたくし、一昨日をもちましてアンセルム第一王子殿下の婚約者ではなくなりましたの。ですから昨日より書類に触れる権利もなくなりました。もうわたくしがお役に立てる事はないでしょう。書類は執務机の上にあるはずですわ。どうなさるかはそちらでお決めになって下さいと室長様にお伝え願えますかしら」
「それは……え?……つまり……え?」
急な話に文官はしばし呆然としていたが話が飲み込めたとたん、顔を青褪めさせながらも、室長に伝え再度伺います、と言い、せかせかと執務室を出て行った。
「なぜ殿下の書類の確認を貴方に?」
「最後に殿下が署名なされば済む状態にまで仕上げるのがわたくしの役目でしたの。その内容を把握しているのも殿下ではなくわたくしでしたから、自然とこのような事になってしまっていたのですわ」
アダム様が驚き呆れていると別の文官が飛び込んできて本来なら王妃殿下が処理すべき書類を引き取っていった。
続けて先ほどの文官が戻ってきてアンセルム第一王子殿下の書類を引き取っていく。
さらに昨日ソフィー様が仕上げた書類に不備があったと別の文官がやってきて、その書類を執務机の上に置いていった。
なんとも慌ただしいことであった。
ただこれで少なくとも文官たちにはわたくしがもう仕事をしないこと、今後は自分たちの仕事に相当な皺寄せが来るであろうことが速やかに周知、共有されただろう。
彼らも婚約破棄騒動の噂くらいは聞いているだろうが、これほど早くわたくしが排除されるとは思っていなかったようだ。
トップは婚約が無くなった事を知っているはずだが下への周知は無し。
やはり上下の連携は取れていないままだ。
わたくしの排除がどれほど仕事に影響するか、上の者ほど知らないことが手に取るようにわかる。
そしてソフィー様がようやく執務室に現れたのは、それからさらに一時間も過ぎてからのこと。
ソフィー様は昨日とは別の派手なドレスを纏われ眠そうなお顔。
さらに本日の公務予定を一瞥するとうんざりしたような表情になった。
それでも執務机の前に座る。
だが、書類がふた山消えている事には触れず、戻ってきた書類は無視して別の書類を引っ張り出したが、やがてペンを片手に舟を漕ぎだした。
淑女らしからぬ失態だが、わたくしもアダム様も何も言わずソフィー様を見つめるのみ。
見かねたソフィー様付きの侍女がそっと起こそうとしたが、不機嫌になって八つ当たりする始末。
結局、その日のソフィー様はほとんどの公務を放り出し、途中でアンセルム第一王子殿下からお茶に呼ばれて退出すると、それ以降戻っては来なかった。
ソフィー様がいない間、わたくしはアダム様から様々な質問を受け、それにお答えした。
その中で、ソフィー様のドレスに比べるとあまりにもわたくしの身なりが質素で草臥れていることに気づかれたアダム様からの問いは、わたくしにとって渡りに船だった。
「第一王子殿下の婚約者のための予算があるはずなのに、なぜ貴方はそのような身なりなのだ?貴方にとって殿下の婚約者としてふさわしいドレスを誂えるのは当然の権利だと思うが。殿下からの気遣いすら無かったという事だろうか」
「わたくしのための予算などとうに有名無実となっておりましたわ。公務のため外へ出る際のドレスもこの三年まったく新調しておりませんし、アンセルム第一王子殿下からもここ五年ドレス一着贈られておりません。ソフィー様にはまめに贈られているようですからそちらに回されたのでしょう。本来なら財務管理部門で予算流用が判明すれば対処されるはずですが、ここ五年何の改善もされませんでしたから、見て見ぬふりをする者がいたか気づくこともできない無能が処理していたのでしょう」
「実家からの援助は無かったのか?」
「はい。ガルニエ公爵家にとって子は嫡男ラファエルのみですの。わたくしは単なる政略の駒。そして王子妃になれなかったわたくしはもはや不要物ですわ。毒杯を賜った後のわたくしの引き取りを拒む可能性は高いと思われます」
アダム様は絶句なさった。
でもこれでこの国の財務部門が腐敗している事の裏取りもなされるはず。
調べれば第一王子殿下だけでなく王妃殿下の散財と他者の予算の使い込み、もしくは横領にあたる行為があった事もはっきりするだろう。
わたくしは二人の様子からそれを見抜いていたが、それを指摘できる立場ではなかった。
実際、わたくしは第一王子殿下の婚約者に過ぎなかったのだから。
そのわたくしが見抜ける程度の事も周りは気づかず対処もしなかったと知って、さてどうなさるか。
対処できればこの王国は延命できるかもしれないが、安泰と言うにはまだまだ道のりは遠いだろう。
◇ ◇ ◇
猶予期間三日目。
驚く事に見届け人としてデュボワ公爵閣下がおいでになった。
しかしソフィー様はいつまで経っても姿を見せない。
「どうやらソフィーは王命を無視することにしたようだな。王の権威も地に落ちたか」
閣下は冷たく言い放った。
そして侍従に何やら申し付けて送り出すと、わたくしを見て仰った。
「アデル。其方の口から直接聞きたい事がある」
正直に言ってわたくしはすでに王弟であるデュボワ公爵閣下にも何も期待していない。
それでもここで閣下のご質問にお答えしておけば、後々何かの役に立つ事があるかもしれない。
その時、わたくしはこの世にいないとしても。
わたくしは閣下にお辞儀をして言った。
「何なりとお聞き下さいませ」
◇ ◇ ◇
猶予期間が明け、わたくしが毒杯を賜る日となった。
この三日間わたくしの侍女を務めてくれた者たちに礼を言い、わたくしは自室を出た。
わたくしが呼ばれた場所はこじんまりとした方の謁見の間。
国王陛下、王妃殿下、アンセルム第一王子殿下がわたくしを見下ろす。
側に宰相閣下とデュボワ公爵閣下がいらっしゃるが、思った通りガルニエ公爵夫妻はいない。
そして左右に側付きの者たちが控えている。
「アデル。考え直すわけにはいかぬか?」
陛下が仰るのへわたくしは答える。
「考え直すことはありませぬ」
陛下はちらりと宰相閣下の顔を見たが閣下は無反応。
次にデュボワ公爵閣下の顔に視線を送るもやはり無反応。
「何か言い残す事はないか?」
「ございませぬ」
陛下はしばしの沈黙の後、アンセルム第一王子殿下に命じた。
「アデルへ毒杯を与えよ」
殿下の肩がぴくりと跳ねるように動いた。
顔色は良くない。
側付きの者から毒杯を渡された殿下はそれを持ちわたくしに近づいてきた。
「……」
何か言いたいようだがわたくしの顔を見て殿下は言葉を失い押し黙った。
わたくしは毒杯を賜った。
殿下は逃げるように王妃殿下の側へ戻る。
わたくしの実態は第一王子殿下の婚約者という名の奴隷だった。
奴隷には働いてお金を貯めて自分で自分を買い取り自由になる権利があるが、わたくしにそのような権利は無く、自由になるための対価にできるのは己の命のみ。
だから毒杯を望んだ。
これでわたくしは自由になる。
それに猶予期間を三日いただき、この国の危うさを伝え残す事はできた。
国益を損なう者たちが処罰され、心ある者たちがこの国を治めるようになれば良いが、それは知る由もない事。
ただ少なくともそのための道標を残すことはできた。
わたくしの懸念に過ぎない事ではあるが、この国の行く末を左右する重要な事案も最後にデュボワ公爵閣下にお伝えできた。
わたくしにできる事はすべてやり終えた。
わたくしはもうすぐ十八歳になるはずだったが、その年齢の三倍も五倍も濃い人生を送ったと断言できる。
だから心残りは無い。
きっと今のわたくしの顔は晴れやかであろう。
わたくしは毒杯を仰いだ。
やがて身体中に熱と痛みが広がる。
同時に感じる枷が外れることへの喜び。
そして視界は闇に包まれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇以下、アダム視点
アデルの死後、王国の政務は混乱を来し、流れは滞った。
虐げられ、いいように使われているだけと思われていたアデルは、政務に欠かせない力を身に付け自分の力の及ぶ範囲の流れを制御していたのだ。
それは国政全体を見通したうえで動いていたのでは?と思わせる緻密さだった。
実際のアデルは非常に賢く強かな女性だったのだ。
王妃と第一王子は自分の果たすべき公務のほとんどをアデルに押し付けていたため、今更自分の分は自分でしろと言われても元通りとはいかず、返って単なるお飾りに成り果てていた事が露呈しただけだった。
そして国王はその実態を知らなかった。
何も見ていなかったのだろう。
婚約破棄騒動も第一王子の言い分のみを信じ、確かめもせず婚約解消を急がせ毒杯を許し、アデルの公務などたいした事はしておらず当然ソフィーにもできる、と軽い考えでいたらしい。
アデル亡き後の混乱が自分の身に降りかかって初めて判断を誤ったと気づいたようだがもはや手遅れ。
自分の目で物事を見ることを放棄していたのだから当然の帰結だ。
一方、私は父であるデュボワ公爵と共に王国内の腐敗を調べ始めた。
父は国王から全面的な強制捜査権をもぎ取り、強権的な調査を行って腐敗を暴いていった。
王妃と第一王子の予算流用にアデル用予算の使い込みはすぐに証拠が挙がった。
アデル用予算はほとんどがソフィーへの贈り物に化けていた。
さらに王妃と第一王子はここ五年、毎年予算以上に私的な浪費をし、その穴埋めを手駒としていた財務局の者に命じていたことも判明した。
その者は各部門の予算を削って捻出し穴埋めしていたが、直近二年は油断もあったのか、帳簿の改竄もいい加減になっていて誰の目にも不正は明らか、証拠も山のように残していた。
財務局はトップと中間管理職がほぼ全滅。
人事局も同様に酷かった。
王妃と第一王子のお気に入りがトップを占め、気に入らぬ者は冤罪を仕掛けてでも排除していたことが判明。
優秀な人材が相当数失われていたことがわかった。
耳の痛い事を言ってくれる者を疎んじ、自分に唯々諾々と従う者ばかりで周りを固め、公務をアデルに押し付けて立場に伴う責任を放棄し浪費ばかりしていた王妃と第一王子アンセルムは失脚。
国王の手で離宮に幽閉された。
さらに調査過程でこの国が隣国に乗っ取られる寸前であったことまで判明。
国王はほとんど裸の王様状態となっていたのだ。
その黒幕が影の薄い側妃であると判明した時、王国は揺れた。
側妃は企てが露見するや、隠し持っていた毒を仰ぎ、我が子である第二王子を刺して道連れにした。
側妃は国王に対する呪詛を吐きながら死んでいったという。
第二王子を産んだ後はほとんど放置され、王妃からは明白な害意をもって虐げられ続け、恨みを募らせていった挙げ句の謀であった。
側妃とその背後にいた隣国に尻尾を振っていた貴族どもは国賊として裁かれ、悉く爵位及び領地召し上げ全財産没収。
騒ぎを受け、国王は王位を王弟である私の父に譲位した。
表向きは健康上の理由による退位。
そして半年後に病死。
その前に元王妃と元第一王子アンセルムは幽閉先の離宮で毒を仰ぎ死去している。
ソフィーはアンセルムと添い遂げる事を拒否したが予算使い込みと横領の共犯として裁かれ有罪、実家のゴーギャン伯爵家は賠償金の支払いを背負わされ、原因となったソフィーを平民に落とした上でどこぞに売り飛ばしたらしい。
当然のことながらアデルの側付きだった者は全員が元王妃の手駒であったため解雇。
侍女頭も王妃の手駒であり、主体となってアデルを嬉々として虐げていた事が周りの証言から明らかとなり解雇された。
彼らは王宮で働いていたという証明を失い、次の職場として望ましい所には悉く国が手を回したためどれ程泣きつこうが雇用されることは無く、文字通り奈落の底に落ちた。
王国乗っ取りの危機に気づけなかったシュバリエ宰相は役を退き、当主の座を嫡男に譲り隠居。
新たに宰相となったのは御息女デボラ様の夫であるマルタン侯爵閣下だ。
ガルニエ公爵家は国を滅ぼしかけた元王妃とアンセルムの後ろ盾であったためその地位は揺らぎ、無能有害の烙印を押された夫妻は嫡男ラファエルによって領地に押し込められた。
だがラファエルの地位も安泰ではない。
有能で得難い人物だったアデルに能力面で追いつけず、逆恨みでアデルを疎んじたばかりか夫妻にアデルを見捨てさせた張本人だからだ。
それに元王妃とアンセルム側に立っていた貴族は悉く信用を落としている。
新国王の元で信用を取り戻すのは容易ではなかろう。
アデルが亡くなってからこの一連の処理が終わるまで、ほぼ一年かかった。
◇ ◇ ◇
私はデュボワ公爵家の領地に戻る前のひとときを、新国王である父と久しぶりにゆっくり語り合いながら過ごした。
「それにしても父上。よく側妃の謀に気づかれましたね」
「気づいたのではない。気づかされたのだ。アデルによってな」
「アデルに?」
「そうだ。アデルが毒杯を賜る前日、私は見届け人を務めた。だがソフィーは王命を拒み公務を放棄したため見届けるものが無かった私は直接アデルに話を聞いたのだ。シュバリエとお前から聞いてはいたが、私も直接尋ねてみたくなったのだよ。最後には腹を割って色々と話してくれた。自分自身の事は何も訴えなかったが、この国の行く末を案じ様々な事を話してくれた。その際アデルがこう言ったのだ」
『もしわたくしが婚約破棄も無く王子妃となり、やがて王妃となったなら、夫である国王陛下を傀儡とし、この国の実権を握るつもりでおりました。わたくしの働きは上はともかく現場で手を動かす者たちの信頼を得ておりますし、王妃となれば上も押さえられましょう。陛下の耳目となる影すらもわたくしの手中に収めてしまえば造作もないこと。ただ、その信頼なく王妃になったとすれば実家の後ろ盾やその先の縁戚を力として国の中枢を掌握するしかなかったでしょうけれど、わたくしには、そのような理想的な後ろ盾はありませんから難しゅうございますわね』
「アデルのその言葉が引き金となり、そのような事ができそうな者がいることを思い出したのだ」
「側妃の実家は隣国の侯爵家で、兄は宰相補佐を務めていましたね……」
「隣国の王は強欲だからな。正妃と第一王子が自滅し、賢いアデルが排除された後は第二王子の母である側妃が表舞台に立つ。内部工作により国の中枢を掌握しておけば国王を廃し、第二王子を傀儡として立て、場合によっては無血で王国そのものを飲み込み属国とする事もできよう。アデルの言った事がすでに実行されているとしたらと考え調べてみたが、それが功を奏した。兄の影はすでにあちらの手の内であったからな」
「それであの方はアデルの置かれている状況を知らなかったのですね?」
「その通りだ。賢く芯の強いアデルを敵に回すのは怖いが、かと言って味方に取り込めるとも思えず、孤立させることにしたのだろう。だが返ってアデルに王の影はすでに地に落ちたと悟らせてしまったのだから皮肉なものだ。それに兄はもはや自分の目で物事を見ることができなくなっていた。妻である王妃の行動、息子アンセルムの行動、側妃の思い、せめてアデルの身なりに違和感のひとつも感じていれば違ったであろうが。王妃とアンセルムに至っては目先の事しか考えず、アデルを虐げては悦に入っていたようだが、それこそが敵の狙い。まんまとそれに乗って踊らされ、自分の首を自分で締めていたのだ」
「愚かなことです」
「だが王室から距離を置いて知らぬふりをしていた私も愚かだった。すでに国王までもが腐っていた事に気づかず、アデルという宝を潰してしまったのだからな」
「……それは私も同じです」
「三日の猶予期間はアデル自身のためのものではなく、愚かな我らのためのものだった。アデルは知る限りの事を伝え残す機会を作ってくれたのだ。お陰で我らは目を覚まし、ぎりぎりのところでこの国を守る事ができた」
「そしてこれからは王国の立て直しに邁進せねばなりません」
「ああ。私は道筋をつけたらお前に王の座を譲る。精進せよ」
「はい。陛下」
「それで?これから見舞いに行くのか?」
「ええ。ようやく落ち着きましたから、これまでの経緯を報告してきます」
「ゆっくり話をしてくるといい」
「そう致します」
私は領地へ向かった。
久しぶりに義妹に会うためだ。
逸る気を抑え、各地を視察しながら領地に入る。
本邸に到着すると私は真っ先に義妹の居場所を聞き、そこへ足を運んだ。
義妹は中庭にいた。
咲き誇る花々の中に、凛とした佇まいで立っている。
私はその美しい立ち姿に見惚れた。
以前参加した夜会で見かけた義妹は、煌びやかに着飾った王妃より人目を引いていて、口さがない者たちがひそひそ囁いていたように王妃より美しく気品があり、そして威厳があった。
年齢は倍も違うのに。
そして今もそれは変わらない。
ふと、義妹がこちらを向いた。
艶やかな銀髪に彩られた美しい顔がほんの少しほころぶ。
「お帰りなさいませ。お義兄様」
「ただいま。アデル」
◇ ◇ ◇
私は見届け人を務めたあの日、アデルを死なせたくないと強く思い、動いた。
必死に動いた。
打算ではなく、只々個人的な思いからだった。
あらゆる所に手を回し、準備を整え、アデルが毒杯を賜る日を迎えた。
心ある者は皆、民のことを思い、賢く、将来性のある女性を見殺しにして潰しているという自覚があった。
だが王妃や第一王子に楯突くことなどできなかった。
そして毒杯を選んだアデル。
自分たちも彼女を見殺しにした共犯者だ。
その深い後悔が彼らを動かした。
王宮の薬師長は手違いにより死を賜る毒薬と間違えて仮死状態になる薬を殿下の元へ差し出した。
仮死状態となったアデルは納められた棺から私の協力者たちによって助け出され、彼らは代わりに同程度の重さの人形を棺に入れ蓋を釘打ちした。
助け出されたアデルは仮死状態のまま馬車に乗せられデュボワ公爵家の王都邸へ秘密裏に運ばれた。
父が手配した医師が付きっきりでアデルの介抱にあたり、母を筆頭に屋敷内の者たちもそれを助けた。
アデルが毒杯を賜わる前日、ガルニエ公爵家はアデルの籍を抜くと届け出たが、それは担当文官により速やかに受理され手続きは当日中に完了した。
翌日、アデルという名の平民の少女をデュボワ公爵家へ養女として迎える旨届出がなされ、異例の速さで受理され手続きが完了した。
アデルが毒杯を賜ったのは手続き完了後のこと。
そしてガルニエ公爵家は毒杯を賜ったアデルの遺体を引き取り拒否。
その棺は王宮で働く身分の低い者たちの場合と同じ手続きにて外に出される事となり、それ故すり替えは難なく行われた。
これは賭けだった。
アデルの身体が弱ければ仮死状態から生き返るのは難しく、仮に生き返っても後遺症が残る恐れがあったのだ。
だが私はどんな状態であってもアデルに生きていて欲しかった。
アデルがどのような状況に置かれているのか知ろうともしなかった事への深い後悔もあった。
それ以上に初恋の女性にはどうしても自分の側で生きていて欲しいと強く思ったのだ。
私の強い思いは父と母に届き、惜しみない協力を得られた。
そしてアデルは生き返った。
食事の質と量は死守していた、と言っていたアデルの身体は強く、後遺症が残る事もなく無事だった。
だが死を選んだアデルが私のこの勝手な行いをどう思うか。
到底受け入れてもらえないかもしれない。
だがアデルの今後は私が全て責任を負う。
その覚悟は決まっていた。
そして私は生き返ったアデルに自分の口から一部始終を説明した。
アデルは、しばらく一人で考えたい、とだけ言った。
その間、私はアデルとの接触を控えた。
そして王国の腐敗の炙り出しに一心不乱に取り組んだ。
ひと月もするとアデルの体調はすっかり戻ったが、生存を隠すため、密かに王都から出してデュボワ公爵家の領地で過ごさせることにした。
アデル自身それを望み、領地から国の大掃除を見守りたい、と私に言ってくれた。
そして今。
私はアデルの前に立つ。
「国の大掃除は終わった」
「おめでとうございます。長きに亘るご苦労お察し致します」
「アデルのお陰だ」
「わたくしは何もしておりませんわ」
「アデルの示唆が無ければ大掃除はできなかったのだ。一番の功労者はアデルだ」
アデルはその深く濃い青の瞳で私を見つめ、ふと、口元をほころばせて言った。
「お褒めいただきありがとうございます。嬉しゅうございます」
「アデルには大掃除の詳細を知って欲しい」
「お義兄様は到着なされたばかりのご様子。まずは着替えをなさり旅の疲れを癒やされるのが先ではありませんか?その後でお話を承りますわ」
「わかった。後ほど場を設けて話を聞いてもらうとしよう」
頷くアデルの瞳に私への拒否の色も拒絶の色も無い。
私は安堵した。
◇ ◇ ◇
しばらく後、居間に茶の用意をさせて私はアデルを呼んだ。
「こちらではつつがなく過ごしていただろうか?」
「はい。皆様には良くしていただいております。義弟のマクシム様とも仲良くさせていただき、家族で過ごす楽しみを味わっておりました。このような楽しみを味わうのは初めてのことですから、今は生き返った甲斐があったと思っています」
私の勝手な行いをどう詫びたら良いのか考えあぐねていたが、思いがけずアデルの方から歩み寄ってくれた。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。アデル。君には一生涯恨まれ、決して許してもらえないかもしれないと覚悟していたが」
「正直に申し上げて最初はお恨み申しました。できる事はすべてやり終え心残りは無いと思い定めたうえでの死でしたから。ですが思いがけず生き返り、皆様に心を掛けていただくうちに少しずつ気持ちが変わってきました。こういった人との触れ合いや、その時々に浮かぶ様々な感情というものをわたくしはまったく知らずにいたのだと思い至ったのです。ですから今は新しく生き直す事を楽しもうと決めております」
「そうか……良かった」
それから私は居住まいを正し、国の大掃除の詳細をアデルに話した。
かなり長い話になってしまったが、アデルは真剣に聞いてくれた。
ほぼ一年でそのような大掃除を終えるとは、と流石にアデルも驚いていた。
それほどに酷い状態だったのだ。
だが未だ傷痕は深い。
王国の立て直しは何もかもがこれからだ。
ひと通り話し終えて、私はアデルを散歩に誘った。
「気分転換に庭に出て少し歩かないか?」
「お供致します」
中庭に出て花々を愛でながら二人でゆっくりと歩く。
しばらく歩いてから私は心を決め、アデルに話しかけた。
「もうすぐ前国王の喪が明け、新国王の戴冠式が行われる。その時、私は王太子となる」
「おめでとうございます」
「ありがとう。だが大変なのはこれからだとわかっている。人手もまだまだ足りないし、立て直さなくてはならない事も山積みで、この国のためにやりたい事もたくさんある」
「国王陛下とアダム様の手腕を信じておりますわ。お義母様も王妃として陛下を盛り立てお支えすると仰っておいででした。お二人は深い信頼関係で結ばれているとわかり、わたくしはとても心強い気持ちになりましたの」
「そう。父には心から愛し信頼している母がいる。王国の頂に立ち治める者にとって、手を取り合い共に歩んでいく相手が互いに愛し合い信頼し合う伴侶である事は重畳だ。私もそういう人を娶らなくてはならない」
「アダム様にふさわしい方は必ず見つかりますわ」
「いや。もう心に決めた人はいるんだ」
「まあ。そうでしたの。その方を心から愛し信頼している、ということですのね?」
「その通りだ」
私はアデルの目をまっすぐ見つめた。
そしてアデルの手を取って言う。
「だからアデル。私の未来の妻として共に王都へ戻って欲しい」
アデルは目を見開いた。
「わたくしは死んだ身ですわ」
「君は身を隠し生き延びていたことになる。表向きは元王妃とアンセルムの責任放棄と度を越した浪費を諌め続けた君を二人が疎ましく思い葬り去ろうとした、という事になっている。君はいつまでも第一王子の婚約者という不安定な立場に置かれて奴隷の如く扱われ実家にも見捨てられたが、実は有能で得難い人物だったと国民に知れ渡り惜しまれている。一連の騒動は、王妃に長年虐げられていた側妃が無能な王妃とアンセルムの隙につけ入り正妃の座を奪おうとしたもので、それにいち早く気づいたのも君だった、ということになっている。その君が生き延びていたとなれば、皆に歓迎されることだろう」
「今のわたくしはアダム様の義妹です」
「マルタン侯爵夫人が侯爵と共に協力を約束して下さっている。君をマルタン侯爵家の養女としてから私の妻として迎えるつもりだ。何も問題は無い」
「打算でわたくしをお選びになるというように聞こえますけれど」
「それは違う。まったく違うんだ。アデル。私にとって君は唯一無二の存在だ。私の初恋相手は君で、君が第一王子の婚約者にされてしまっても君を諦めることができずその思いを拗らせたまま今日まで来てしまった。見届け人を務めたあの日、立派に成長した君を見た瞬間、私は再び恋に落ちた。そして君を絶対に死なせたくないと強く思った。只々個人的な思いから君を死なせたくないと思った。どうしても自分の側で生きていて欲しいと強く思ったんだ」
アデルは驚きの表情で私を見つめている。
「君は王宮に良い思い出が無いだろうし、戻りたいとも思わないかもしれない。だがこの王国はこれから新しく生まれ変わる。王宮の嫌な思い出はこれからいくらでも二人で塗り替えていけると信じている。アデル。どうか私の伴侶となって欲しい。私は君と共に並び立ち、互いに助け合いながらこの王国のために働いていきたいと願っている」
アデルはしばらく黙って考え込んだ。
そしてようやく口を開いた。
「わたくしはずっと仕事だけして生きてきたようなものです。家族愛も知らず、どなたかを慕う気持ちも抱いた事はありません。どなたかを信用した事はあっても信頼にまで至る事はありませんでした。そのようなわたくしにアダム様の伴侶が務まりましょうか」
「それでもいい。無理に私を愛して欲しいと言うつもりは無い。だが君の気持ちが私に向かなくても、それでも私は君の隣にいたい。それに君はここで家族と過ごす楽しみを味わっていたのだろう?そういう気持ちが芽生えているのなら、何も心配せず、そのまま君なりのテンポで歩んでいけばいいと思う。そして私は君のその歩みを隣で見守っていきたい。どうか、その栄誉を私に与えて貰えないだろうか」
アデルは目を見開き、私を見つめる。
「わたくしは婚約者である第一王子殿下にすら愛されることが無かった女です。そのような者がアダム様の隣にいることを周りが許すでしょうか」
「そのことで君に文句を言う者など今の王宮にはいない」
「それは?」
「元王妃もアンセルムも君に勝るものが己には何も無いとわかっていた。権威も金も持っているのに、他者から評価されるのは君、耳目を集めるのも君、頭脳に勝るのも君だった。二人はそんな君に嫉妬し、虐げては溜飲を下げていた。王族としてあるまじき態度だが、君を貶めることでしか己の矜持を保てなかったのだろう。君に仕事を押し付け手柄は自分のものにして上に立った気になっていたが、それは幻想に過ぎず、実を取っていた君と差が広がるのは当然だ。ある意味地獄だが自業自得とも言えよう。そして心ある者にはそれが見えていた」
「本当に……そうだったのでしょうか?」
「大掃除中、そういった話は大勢から聞かされたよ。元王妃がどれほど煌びやかに着飾っても気づけば皆の耳目は君に集まる。アンセルムと並べば君との格の違いが滲み出てしまう。君は二人が厭う地味な公務も遅滞無くこなし、しかもその先の者が仕事をやり易い流れまで作っていた。実際、君を慕う者は大勢いたんだよ」
「そう……でしたの」
アデルは呟くように言った。
私は畳みかける。
「今の君には私たち家族がいる。もう一人で戦う必要は無いし、これからは私がそんなことはさせない。もし君が何もせずのんびり人生を楽しみたいと言うのなら私はそれを全力で叶える。何かやりたい事ができたなら私はそれを全力で応援し後押しする。ただ……」
「ただ?」
「君はそういう生き方には遅かれ早かれ飽きてしまうと思う。だがこの王国の立て直しに力を尽くす事ならば、君は目一杯楽しめると思うんだ。君は賢く強かな女性だ。いいように使われていると見せてその実、政務の流れを掌握していた。そしてそれを楽しんでいたのだろうと思う。違うかい?」
アデルは目を見開いて私を見つめた。
そしてふと口元に笑みを浮かべて言った。
「アダム様はわたくしの本性をよくご存知のようですわね。それでもわたくしを伴侶に望んで下さいますの?」
「もちろん私には君しかいない。君は私にとって初恋の人であり、再び恋をした相手であり、未来の王の伴侶としても理想の女性だ」
「わたくしの気持ちはまだアダム様に追いついておりませんけど」
「君を急がせることはしない。だがもう逃さない。今、私はそう決めた」
私は再びアデルの手を取り、手の甲にキスをした。
顔を赤くしたアデルの目を見つめ囁く。
「共に王都へ戻ってくれるね?私の未来の妻として」
「……はい」
アデルの声は消え入りそうなほどに小さかったが、私が聞き逃すはずもない。
私はアデルを引き寄せしっかりと抱きしめた。
◇ ◇ ◇
半年後、新国王の戴冠式が行われた。
そして私は王太子となった。
御披露目の場で王太子の婚約者として私の隣に立つのは愛しいアデル。
その美しい凛とした姿は以前と変わらない。
だがその表情は晴れやかだ。
アンセルムの隣に立つ時には見せたことが無かったその表情は、今、私の隣に立つアデルの顔に自然と浮かんでいる。
この半年、私たちはどんなに忙しくても毎日必ず二人で過ごす時間を取っていた。
顔と顔を合わせ、お互いに思いを、考えを伝え合ってきた。
直に話すことでお互いに思いを深め合ってきた。
そしてこれからも。
私たちはお互いに目を合わせ微笑み合う。
そのアデルの瞳には確かに私と同じ思いが宿っている。
そして、アデルと私は手を取り合い、来賓の前へと歩き出した。




