第二十二巻 終わりは始まり
「こりゃ、無理だろ」
「ぐぉおお!」
諦めの呟きは雄叫びを上げるような熊の叫び声によってかき消された。
大きな巨体を揺らしながら、大和を目掛けて一直線。その目は完全に獲物を狩る野生の目そのもの。
「冗談じゃねぇー!」
とっさの判断で、先程までにいた小屋に急いで戻る。数秒で小屋に入ったが息遣いは荒く、額や脇には汗が溢れんばかりに出現していた。
唾を飲み込むのがやっとなほどに極限の状態に陥っていた。
「あの巨体じゃ、むしろ入ってこれねぇーだろ」
テーブルに手を付きながら息を整える。
熊の総面積は大和の倍以上。小屋の入り口は大人一人が入るのにギリギリなサイズ。そのため熊が通常な方法で入るのは不可能。
だが、熊がとった行動は扉を開けて入るなどしない。
「嘘だろ!」
扉など最初から存在しなかったかのように突き破ってきた。バキバキと音をたてながら扉という概念を無かったことにした。
目の前の光景に顔が青ざめる。入ることが出来ないと思い安心していた矢先に、その存在が小屋の中に確認された。
「まずいっ!」
すぐさま奥の部屋へと逃げるように駆け込んだ。勢いよく扉を閉めたことなのか、はたまた熊が進行を開始したのか、詳細はわからないが小屋全体が揺れていた。
毛穴すら呼吸しているかのように、肺に空気が回らなくなっていた。心臓の音は既に外に漏れ出ていると思え、抑えることは不可能に近い。
「ははは、マジかよこの状況」
危機的な状況は感情をおかしくした。絶望や諦めの感情を通り越して、笑えてくるという始末。逆に、この開き直りが功をそうしたのか、頭に落ち着きが生まれてくる。
(ここも入られる可能性も全然あり得る。だったら――)
唯一の家具である椅子を、唯一のある窓に向けて投げつける。
パリンと音を立てて派手に割れ、辺りにガラスが飛び散った。そんなことを気にする余裕もなく、開かれた窓へと身を投げ出した。
窓を通り抜ける際や、着地の時にガラスの破片が大和の体に接触し痛みが生まれるも、痛みを感じる余裕が無い程の危機感が覆っていた。
傷に気を留めることなく急いで森の中へと入り熊との距離を取る。その最中、小屋から激しい音が聞こえてくるも構うことなく足を動かした。
目視で小屋の様子を確認できる距離まで足を運ばせる。一人分が隠れるほどの大きさの木を発見し裏に身を隠した瞬間、体の力が一気に抜けた。
胸に手をあて、激しい音をたてる心臓を落ち着かせる。
深い深呼吸を一定の心臓のリズムを取り戻そうとしていた時、小屋の方角から不吉な音が聞こえてきた。何かが破壊されるような音は、乾きそうだった体の汗を再び蘇った。
チラリと木の陰から覗いてみると、既に小屋は半壊状態であり、その姿が小屋の外に出ていた。
(容赦ねぇー!)
思わず口から飛び出てしまいそうになるほどの光景に、反射的に口を紡いだ。
窓を割って人間が飛び出したが、壁を直接破壊して熊は小屋から脱出に成功していた。辺りには壁や棚の残骸が飛び散っていた。
(何でこんな目にあうんだよ! だいたい――)
再び木の陰からソロリと視線を向けると、変わらずその凶暴な姿が視界に入った。
(なんで本物の熊なんだよ! よりにもよって熊なんだよ! おかしいだろ、普通はスライムとか、ゴブリンとか、オークとかのモンスターが当たり前だろ! ファンタジー感ゼロじゃん! もっと他に良いチョイスがあるだろ!)
動物園やニュースなどでよく見る熊と一寸たりとも違いが無い。本物よりも本物であり、オマージュでもゆるキャラでもなく、黄色くて蜂蜜が大好きな設定もない、野生の凶暴な熊である。
鼻を地面につけ臭いをかいでいる。大和の臭いを嗅いでいるのか不明だが、安心はできない。もし、臭いで位置がばれたとするならば隠れる事が出来る場所はもうない。早急に次なる手を打って逃げなければならない。
「いや待てよ、俺にも何か特別な力があっても良くないか? 他のキャラに認識されているんだから、もしかしたら何かしらの影響があってもおかしくはない」
逆転の発想が頭に舞い降りた。
人々に認識されている世界ならば、その人の能力も使えるのではないかと思ったのだ。
(やるか、やられるかの世界だ。なら、やるしかねぇ!)
様々な不安要素はある。
そもそもやり方が不明。現実世界でできない人間が出来るのか。そもそもの主人公が出来ているのかもわからない。
(俺の記憶じゃ、魔法らの類は存在するはず。なら試す価値はある)
現状打破と期待と希望と願望が入り混じる。
木の陰から姿を現し、掛け声と同時に手を伸ばした。右手の平を熊に向け、左手は右手首を固定するように握りしめた。
「うぉおおおお! 何か出ろぉおおおおーー!」
威勢の良い掛け声と勢い任せの行動。吉と出るか凶と出るか、大和の手の平から飛び出したのは――
サラサラとした粒が流れてきた。
「…………」
地面に少しの塊が出来始める。
自身の手の平から少し手に取り、躊躇なく舐めてみる。
舌先のザラザラした感触はすぐになくなり、しょっぱさが身に染みる。
塩だった。
「クソがぁああああ!」
叫び声が森の中で木霊した。怒りと虚しさを乗せて。
ふと思い出す、自分が動いた時を。
ふと思い出す、自分の存在意義を。
ふと思い出す、自分の生について。
「…………」
なびく風に髪がはためく。
動作が決められた機械のように足が動く。
これまで大和に見せていたような笑みは消え、瞳の奥の光が消えかけている。
定められた運命は歩くしかない。それでも抗い、抵抗し、そして楽しむ事が出来た。
一歩、また一歩、歩を進めるたびに終わりが近づいてくる。
(ここにも……改変の影響が出ているようだね)
彼女が歩くたびに木々が揺れ動く様子は、まるで歓迎しているかのよう。
だが、それは改変によって変えられた事象の一つでしかない。本来であれば行く手を妨げるように風が吹く予定だったのだから。
複雑に入り組んでおり、歩いても代り映えしない森の中を迷うことなく進んでいた。
「少しの時間だというのに、懐かしく感じるのは何故だろう」
ポツリと呟いた言葉は、無意識に口から漏れ出たものだった。
この場所を歩いた記憶は一つもなく、当然のことながら深い思い出も持ち合わせていない。かといって他の人や、出来事が関与していたことも無い。完全に、見るも聞くも歩くも初見なのだから。
そもそもの話、最近までは別の世界にいたのだから、そちらの方が思い出が強いと言っても過言ではない。
過去の出来事を無理矢理思い出しながら不自由な足場を進んで行く。脳内には、ここ数週間の記憶や思い出が浮かび上がっていた。
(懐かしいという感情が生まれるのには少し期間が短い気がするね)
少量かもしれないが、それでも彼女にとっては十分であった。
それだけで彼女は歩いて行けるからだ。
そんな彼女も周囲を警戒した。
「……おや」
森の様子が変わったのだ。
木に爪痕が残っていた。それも一つだけでなく多くの場所に残されていた。
被害者らしき人物もいなければ、加害者も近くには存在していない。
さらに進めば、なぎ倒された木々、潰れた木の実、散乱する木の葉に粉々になり、緑や茶色、白色などが視界に映った。
(確か……戦闘は行うことは前提だが、こんなに派手になるものかね? ここにも改変の影響が出ているという事か?)
手元には何もないため確認を取ることが出来ないが、思慮深い考察で答えを導き出す。
現場の状況を見て、激しい攻防が行われたのは違いがなさそうだ。
周囲の様子を見まわし現場を確認しながらも、向かう行き先に変更は無い。ただただ前に進んでいく。
そして目的地の有り様に酷く驚嘆する。
「……派手にやったみたいだね。こんな形にするとは」
目を丸くした後に、思わず笑みがこぼれた。酷すぎる惨状は、予想外の出来事であり想像を豊かさにさせる。
散乱する木の破片や一部倒壊した屋根、壁は存在せず筒抜け状態。既に原型は留めておらず、
災害が起こったことが一目見てわかる状態になっていた。
「さすがの僕でも驚いたよ、事の顛末が知れないのは残念だが」
心の底からの言葉に反応する者はいない。
足元の悪さなど臆することもなく、蹂躙するように小屋へと向かう。割れる音も気にすることもしなかった。
入り口とされる場所は特に被害が尋常で、壁ごと破壊され足を踏み入れる場所がなくなっているほど半壊状態になっていたが、扉があったとされる場所に僅かに足を踏み入れた。
すると、壊れかけで誰も手につかない物件が、彼女が一歩、その足を小屋に入れたことによって瞬時に修復された。音もエフェクトも付属していないが、何事もなかったかのように元通りになる。
なんということでしょう、居住どころか一休みも出来ない状態の建物が、一瞬のうちに元通りになったのだ。何もかもが破壊される前の状態で、扉も棚もテーブルも全てが新品同様になっている。
「ここは……向こうと違って寂しいものだね」
木の独特的な匂いが鼻孔をくすぐる。この小屋において全てが木製であることの証明であった。
それと同時に、この小屋には他に打ち消す、又は混ざり合う匂いが無いことでもあった。棚の中は空っぽで、誰でも倒すことが出来るほど軽く感じられる。
向こうの世界には、棚の中にラノベが所狭しと詰まっていたため、色彩の部分では背表紙が活躍し、総数によって小屋の存在感を醸し出していた。
「…………」
自身の息を吸う音が耳に届くくらい、辺りは無音に包まれていた。
何もしなければ音は生まれない。一人しかいない空間において、立ち尽くす彼女からは何も生まれてこなかった。
生み出すことができなくなった場面において、何かが生まれる時は決まって一つの理由。それは異物が混在することである。
バタンと入り口から音がした。開かれた扉から人影が現れた。
「――やっぱり、ここに辿り着くんだな」
「……っ!? どうしてここが――」
聞こえるはずのない声が耳に届く。
振り向いた彼女の瞳には、驚きの光景が映っていた。
「って……その姿は」
「見るな、触れるな、気にするな」
ボロ雑巾のように破れ汚れた服装に、髪には落ち葉が引っ付いている。
まるで事故にでもあったかのような格好に思わず笑みが漏れていた。
「この緊張感の無さ、それに場違いな格好。実に君らしく僕好みだ」
「俺らしいって何なんだよ。こんな汚れた格好を見せるのは初だろ」
パンパンと服を叩き、汚れを落とす。
所々に切れ目や破けている箇所が見受けられる服装に変わり、大和の顔にも汚れが付いていることが目視できる。まるで何かと格闘してきたかのような姿であった。
「何故、君がここいるのかがわからない。僕がここに戻ることは確定事項だが、そのことを知っていたとしても、後から物語の世界に入った君が僕に追いつけるはずがない。順序的には起こりえないことだ」
「らしいな、資料にも確か書いてあった気がするし、覚えている記憶もそんな感じだった気がする」
手に持っている資料も持ち主と同じくボロボロになっていた。そんな資料から迷うことなく、現在の状況と合致するページを開いた。
「終わりの場所。確か『終焉の理』とか名付けた気がするな、この小屋は」
「……ということは思い出したようだね。その名は資料にも一度しか書かれていないから、ピンポイントで見つけるのは困難だからね」
「全て思い出したよ。あんたの事も、この物語の事も」
真っすぐな瞳で彼女を見つめた、今までにないほどの真剣な目つきで。
その大和の言葉を聞いて、彼女は一度深く息を吸った。
「最初は僕も驚いたよ。気が付いたら、現実の小屋に倒れていた。何処かもわからずに、小屋の中にはラノベだけ。何かわかるかもしれない読みふける日々。でも君が訪ねてきて、名前を聞いた時に全てを思い出したよ。僕の役目が何なのか、どうしてここにいるのかを」
何かを諭すような優しい口調になっていた。
「この物語は、君が過去に執筆した物語だ。主人公のセンリ・ヤマトもとい大和千里、つまり君自身が主人公ってわけだ」
「今考えると恥ずかしいな。自分を物語の主人公にするのって」
思わず目を逸らした。過去の産物が今になって、羞恥として返ってきていた。
当時、どのような気持ちで書いていたのかを問いただしたいと強く思った。
「そして迷える主人公を導く存在が僕。つまり、僕は君の物語に登場する一人の人物で、君の手によって編み出された」
「編み出したっていうか、執筆しただけだけどな」
小さなツッコミを入れるも気にすることはない。
「魔法が使えるこの物語の世界で強くなりたいが、なれなくてどうすれば良いのか迷っていたセンリ・ヤマトは、迷いから答えを導き出してくれるという伝説の精霊を探していた。その伝説の精霊の正体が僕になるわけだ。つまり君は僕の力を頼りにしていたというわけだ」
「伝説の精霊とは思えんけどな」
ぼそりと呟いた、あえて耳に届くような声量で。
「それは君が決めたことじゃないか。正確には過去の君だけどね」
「ぐぅの根も出ないほどの正論だ。その容姿も、性格も当時の俺が考えたってことだしな」
ゆっくりと首を縦に動かし、話を続けた。
「君が物語の世界に入ったことで、センリ・ヤマトではなく大和千里が主人公に成り代わってしまったわけだ」
「どっちも俺じゃん。まぁ一つは俺が創作したわけだから、俺ではないのか? でもそれでヘイトが俺に向いたってわけか?」
「ヘイトとはまた別だが、主軸が全て君に向けられたことは確かだ。センリ・ヤマトが受けるイベントは全て君が受けてきたはずだ」
センリ・ヤマトは大和千里のモデルであり本人の手によって作られた、所謂第二の大和千里である。機械によって物語の世界に入った大和千里はセンリ・ヤマトとして認識された。姿も格好もだが、何よりセンリ・ヤマトの年齢は大学生くらいに設定されていたため、瓜二つの同一人物が完成されたことが要因らしい。
そのため大和千里が主人公との認識されたため、登場人物であった女教師もクラスメイトも大和千里をセンリ・ヤマトとして接していた。
「色んなことが起こったのは、それが原因ってことか」
「多くの事を体験したようで何よりだ。それも僕の役目だけどね」
「役目? 伝説の精霊は迷える人を導く事になっているが、それの事か?」
「あぁ、その通りだ」
「俺は何に迷っていたっていうのか?」
センリ・ヤマトは魔法について悩んでいた。だが、主人公が変わってしまたことは悩みも、導く側もどこに導くのかが変わってしまっている。
「現実世界で君は迷っていたはずだ、将来について。それでも小説を書くことに意識が向いたいたはずだ」
「ってことは俺の迷いは執筆についてか? いや、でもあの時は確かスランプに陥って――」
「スランプから脱却させることが僕の導きだ」
大和の言葉を遮り強い口調で言い放った。
「……それで俺を色んな場所に連れて行ったりしていたわけか。そして見たり体験したりして新たなアイデアを出させようとしていたってことか」
これまでの行いの全てが線で繋がった。
彼女の行いは全て、大和の小説執筆に充てられていたものであった。真新しいことや、出来なくなってしまったことを経験させようとしていた。
「そんな君をスランプから脱却すれば僕の務めは終わるみたいだ。そして君がスランプから脱したのと判断されているらしい」
「スランプから脱したのか?」
「ここ数日、君は僕の所に訪れていなかった。それは執筆活動に精が出ていたのではないのかな? そういう風に判断されたと僕は思うけどね」
確かに二回目から三回目に訪れる間の期間は大和の執筆活動が進んでいた。初めて訪れた時は、落選のショックも相まって何も出来なかったことを考えるのであれば妥当な判断ともいえるだろう。
「物語でも様々な場所に赴いてセンリ・ヤマトは魔法について学ぶことになっていた。それが大和千里の場合は様々なラノベを知って学ぶことになった、ということになる」
「そういう風に改変されたってことか」
大和の頭の中でバラバラだったパズルのピースが次々とはまっていく。事の詳細が段々と判明されていく。
「だが、なんで俺の書いた物語が、こんな事になっているのかがわからん。何をきっかけに俺のノートの話が現実化するようになったんだよ」
それでも事の発端が何なのかが未だにわからない。そもそもの話、何故彼女が出てきたのか。
「さぁ、それはさすがの僕でもわからないよ。可能性があるとすれば、神様の気まぐれかもしれないね。物語が書かれたノートを鳥居の近くに隠したのが元手になっているかもしれないね。今でも残っているんじゃないかな?」
その言葉に、思わずハッとした。
ノートに書いたが保管場所に苦悩していた当時、家での保管では家族に見つかると思い、人気が全くない、あの鳥居に隠していたことを思い出した。そしてそれを初めて訪れた時に似たようなノートを目撃したことも。
「いや、でも……そんなことが起こるのか? そもそも中学生の時にしたことが、何で今になって起こっているんだよ」
「神様の気まぐれじゃないのかな? その答えは僕だって知りたいよ」
彼女は真面目な瞳でそう言った。
そんな中で組んでいる腕がゆっくりと?がされるように動いていた。止まっていた足も僅かに震えだしていた。
「君が進めば進むほど僕の役目は終わりになる。君の歩みを止めるわけにはいかない。これまでは僕の自我によって進むことが出来たが、どうやら時間が来たようだね。既に自由が利かない状態になっていてね。今こうして君と話せる状態を保っているのもやっとだよ」
言葉を交わしている最中にも関わらず、彼女は歩を動かし始めていた。
「お、おい……」
「僕自身も物語の登場人物の一人なのは理解しているだろう。つまり僕も動かされるわけだ、原作通りにね。役目を終えた精霊は、その命を絶やさなければならないそうだ」
「そ、そんな記述はした覚えはない。第一に誰かが消える物語は好きじゃないし、それこそ誰かが――」
好みの問題でもあるが、誰かが亡くなったり消えたりするストーリーは大和の好みではなかった。そのため記述することはあり得ない。だからこそ気が付いた、記憶と記述に齟齬があることの理由を。
「自分の手で改変したのか? 最後に自身が消失するように」
大和の前を歩いていたため後頭部しか見ることができないが、縦に一度動いていた。
「何故、という疑問に答えるのであれば、それが僕の定められし運命だからだよ。僕自身は一人の登場人物だからだね」
後姿から放たれた言葉には重みがあった。そして決意と覚悟が重なり合っていた。
「それと、君は直ぐに元の世界に戻った方がいい。少なくともここにいれば巻き込まれることになるからね」
「な、何を言ってるんだ。巻き込まれるって爆発でもする気か?」
思わぬ発言に目を丸くした。
「そんな所だね。魔法陣によって消滅するようになっている。ただ少し範囲が大きいから近くにいれば君にも被害が及んでしまうから、早く離れた方が良いと思うね」
危険が及ぶから早く非難しろという指示。優しさの思いが詰まっているかもしれない言葉だが、もう一つの側面も持ち合わせている。
「それは……ここで切り捨てろって言っているのか、」
見捨てるという選択肢が大和に授けられた。
「あぁ、そうだ。最後に爆発するから、近くにいたら巻き込まれる可能性が高い。だから――」
ゆっくりと小屋の外へと歩き出している彼女から、光の塊が体の中から頭上へと作り出されると、そのまま大和の体に入るように吸収された。
「君に僕の権利の全てを差し上げたよ。これで指を鳴らせば元の世界に戻れるはずだ」
元の世界に戻るための手段。一度指を鳴らせば、この世界から脱出する。遠くへ離れるのには最善の策ともいえる。
「過去の遺物はすぐに消えるとしよう」
「お、おい、待て!」
小屋の外へと出ていく彼女を大和は追いかける。
全てが定められた運命だと信じ、抵抗することなく身を委ねていた。
機械のように歩き、機械のように定められた場所で歩みを止める。小屋から少し離れた位置が最後の場所らしい。
「離れていないと危ないよ」
優しく危険を知らせる。今までに見た事が無い程の優しい瞳と柔らかい表情だった。
その表情を見て全てを終わらせる覚悟があることを悟った。
「さよならだ」
言葉を言い終わると同時に指を鳴らした、その音に共鳴するかのように彼女の足元には青い光の魔法陣のようなものが広がっている。
彼女を中心として円形に広がり、成人男性一人分の半径で青く幻想的な光。普通ならば思わずその場で見とれてしまいそうになるほどだが、今は大和にとって緊急事態であり、そんな物は眼中になかった。
「おいっ!」
直ぐに足が動き始めた。ここで躊躇すれば全てが終わる、間に合わなくても終わる。彼も彼女も物語も。
だが彼女どころか、魔法陣の中にすら入ることが出来ない。見えない壁でもあるみたいに魔法陣に足を踏み入れることが出来ない。
「ちっ……こうなったら――」
最後の手段とばかりに大和は行動に移した。素早く手を動かし事を起こさせる。
躊躇いは無かった。
目の前の事に集中するように。
それは過去の産物に別れを告げるのと同じ。
彼女の姿は既に色が失いかけており、半透明状態。
終わりが見え始め、彼女も悟った瞬間、全ては無になった。
青い光は消滅し、魔法陣そのものも消えていた。
消えたことで大和はすぐさま駆け寄った。
彼女は倒れた、彼の腕の中で。
力を吸われていたのか、膝から崩れ落ちた。姿は通常の状態に戻っていた。
「悪いな、テンプレは嫌いじゃないんでね」
ヒロインのピンチに駆けつけるヒーローが救う。ヒーローと呼ぶには相応しくない人材かもしれないが、お約束事はきっちりと決めていた。
「……な、なぜ……どうして?」
光による影響なのか、その呼吸は荒々しく、瞳は弱弱しく揺れ動いていた。
それでも彼女は自由に動くことが出来ている。
「ど、どうして助けたんだい? 別に僕が消えても君に損害は無いはずだ」
「まだ消えてもらっても困るからな。どうせスランプに陥るのも時間の問題だと思うし、何せ今までの事も考えて、仕返ししないと俺の気が済まない」
「ははっ……それは、恐ろしいね」
薄ら笑いを浮かべていた。
「それに、何故僕を開放することが出来たのか……ネタバレを聞いてもいいかな?」
弱弱しい声と共に、その瞳には大和を映し出していた。
それに答えるかのように、一度深い深呼吸をする。
「この世界は俺が中学時代に描いた物語だ。当時、中二病全開だった俺がラノベに感化され思い立ったように書いた作品だ」
「知っている」
「主人公は俺だ。名前も変えずに、少し美化させて書いた記憶もあるが確かに俺だ」
「知っている」
「だから俺が最初に来た時には、既に俺はモブ扱いではなく主人公扱いをされた。俺自身がモチーフになっているから、その影響だと言ったな」
「その……通りだ」
「だが、既に最初に訪れている人物が、物語を改変させているために俺の記憶と齟齬が生まれていた。それが鍵になっている。そして、さっきの質問もだが、何で追いつくことが出来たっていたな。それと答えは同じだからまとめるぞ」
「あぁ、僕を助けた時は、君に権利があったから理解できる。だが、その前には何もできないはずだ。資料に改変は出来ないはずで、物語を思い出して先回りしようとしてもイベントは必ず起こるし、話数の切り替えも行われるはずだ」
通常では考えられないとの主観を彼女は持っていた。
先に物語を進んでいたのは彼女であり、物語を進むペースも変わることもない。改変する力も無いため追いつくのは不可能。
「それは、その話数やイベントが行われる前提だからだろ。なければ起こりえない、ただそれだけだ」
「無くした……とでも言うのかい?」
「その通りだ。なければその話数は飛ばされる。元々無いことにしてしまえば問題は無い」
大和はズボンのポケットから取り出した、ほとんど原型をとどめていない資料を。
特に最初と最後の方にかけてのページは残されているが、それ以外のページは無くなっていた。
「……つまり、破壊したというわけだね」
「あぁ熊に襲われたときに、防御の一部に使用しようと破ったところで判明した。破って物語を消してしまうことが出来ると。だから熊の部分も破って消したから何とかなった。小屋の中に資料があったことは謎だが、改変の影響かもしれないな」
「……なるほど、合致したよ。だからあの森に白い紙の屑が落ちていたというわけか」
満足げに納得したのか、普段通りに落ち着いていた。
全てを察し、現状の結末を受けいれる。彼女の望んだ結末ではなかったが、彼にとっては望んだ結末になったことを。
「まさかシステムを理解し全て解決させるとは恐れ入ったよ、大和千里」
「この世界の創造主を舐めるんじゃねぇーぞ、ミスリーザ」
驚きの言葉に思わず目を丸くした。
次の瞬間には瞳を潤ませる、まるで、その時を待っていたように。
「初めて……名前で呼んでくれたね、大和……」
「全てを思い出したって言ったろ。この物語の外伝も書いたが、名前を一度も呼ばれたことは無い。呼ばれるその日を待っているっていう設定を作ったことも思い出した」
彼女が涙を流した理由も知っている。その名は物語上では登場せず、登場人物をたくさん書いたノートに書いてあるだけの文字。それでも物語のノートの中にはちゃんと書かれてあった。ほんの僅かに小さな文字で。
その意味は大きい、彼女にとって名前という存在は。
彼女が強く大和の服を掴んでいた。それを確認してから高々と掲げる。
パチンと指を鳴らすと、世界が消滅した。
やはりと言ってもいいくらいに人はいなかった。
(新人賞を受賞しますように)
二礼二拍手一礼と一連の流れの中で、大和は心を込めて祈っていた。
彼にとっての夢はまだ叶ってはいない。それどころか向き合わなければならない問題が山積みなのも違いがない。
ただ、それでも彼はお参りを終えた後、帰宅するという選択肢はなかった。迷うことなく狭き道へと足を運んでいた。
奥地へと足を運べば、そこにあるのが当たり前のように小屋は存在している。
そして何の躊躇いもなく、その小屋の扉を少し乱暴に開けていた。
「やぁ、待っていたよ」
本の匂いは、前と変わらず彼の鼻孔をくすぐり、興奮を高めさせてくれる。
視線をラノベから大和へと移される。椅子に座りながら寛ぐ彼女は相変わらずである。
「当たり前のように存在するんだな」
「君がした行いの結果だと言えると思うけどね。まぁ僕の住処はこの場所以外にないからね」
元々、別世界の住民である彼女。しかし消滅しなかったために、現実世界に取り残されたような形になっていた。
物語の中へとは自由に行き来ができ、さらに都合よく小屋も残っていたため、彼女の居住場所になっていた。
「にしても、まさか泣き顔が見れるとは思わなかったわ」
ここぞとばかりに、反撃の狼煙を上げてきた。
彼にとって、彼女を残した意味に復讐の割合は多い。今度は揶揄う番だと主張するように。
「メインヒロインはあれくらいやると思うけどね。涙を流した方が魅力的だと思わないかい?」
と言葉で申したように、直ぐに涙が頬から流れ落ちた。目元に手を添えて、まるで一流の女優のような演技である。その表情に悲しみはなく、むしろ流したことへのドヤ顔であった。
「あんた……まさか、わざと――」
「さてどうだかね」
含みを持たせた笑みに、一種の恐ろしさを感じていた。
「……いい性格してるな」
「その性格にしたのは君だけどね」
奥歯を噛み締めた。反論の余地もない。
「さてと、今日は僕が事前に見つけた面白い物語があってね。資料も既に用意しといたから、軽く見たら直ぐに始めようか」
渡された資料をパラパラと目を通す。キャラの設定、書き出し、そしてタイトルが気づくのに決定打となった。
「――って、これは俺が高校生の時に書いたやつじゃねぇーか!」
「では、始めるとしよう」
大和の言葉に聞く耳を持たず、ミスリーザは微笑みを零しながら部屋の奥へと足を運んだ。
これにて完結です。
前から随分と時間が経ってしまいましたが、何とか終わらせることが出来ました。
何卒宜しくお願い致します。




