第二十巻 どうでも良い物程、記憶って案外残っていたり
「いたぞ、センリ・ヤマト!」
「えっ――」
突如呼ばれた名前に無意識に反応してしまった。体がビクリと飛び上がる様子は、何とも情けなく、物語の先にいるであろう彼女の揶揄いのネタにされてしまいそうなほど。
視線と意識が建物に集中していたのと、不意をつかれたのも相まって頭の思考が回るまでに時間を要す。
「今、俺の名前を――」
「全く、貴様は何度も外へと逃げ出すのだから。だが今日という今日は許さんぞ」
呼ばれた方向に振り向いた瞬間に、思わず声をあげてしまいそうなるほどの力で腕を掴まれた。
そこには眼鏡を掛けた教師のような人物が怒りのオーラを纏い、その矛先を大和に向けていた。
「いや……ちょっと待って! 誰かと間違えてないか? 俺は――」
「言い訳など無用! 貴様には後でキツイお仕置きが必要なようだな」
弁解の余地をくれることもなく、一方通行の会話が終了する。
力づくで引っ張られる様は、まるで犬と飼い主の関係だ。ただし犬に道を選ぶ権利は無い。
(な、何が一体どうなって――)
意味がわからない状況に、頭の処理が追いつかず悲鳴をあげている。
未知なる世界にて、現状連れ去られようとしている。抵抗するために体の至る所を動かしてみるも効果はなし。地面を引きずられていた。
(と、とりあえずは現状を打破しないと意味がねぇ! このまま拉致されたら最悪な事が起こってもおかしくはない!)
相手の様子から察するに、穏やかに終わることは考えられない。そして何処かに連れ去られた場合、命に係わるかもしれない。肉体や心が現実でも影響され引き継がれることは聞いているし身をもって味わっている。即ち肉体の損傷も引き継がれるということだ。
このまま相手の思う通りになってしまうわけにはいかない。暴力的な手段を取らざるを得なくなってしまっても。
覚悟を決め、力を入れる為に目を閉じ、開いた瞬間だった。
「……はっ?」
目の前の光景に絶句した。
視界に映るのは、街中でもなく眼鏡を掛けた女性でもなかった。
大きな緑色の板。それを黒板と脳が認識する数十秒の時間を要した。
そして先程まで引っ張られていたが、そのような行為はされておらず、臀部と大腿部分には木の感触があった。
「なんで……いきなり俺は座っているんだ」
先程まで街中で女性に引っ張られるという訳のわからない状況に陥っていたが、今度は椅子に座っているという謎の現象に移り変わっていた。
目の前には木製の机のようなもの、さらに高校生ぐらいの人が行き交い、皆服が統一されていた。
(まるで……学校のようだ)
読み取った情報から、現実の世界の学校と近しいことを理解した。
一般的な教室内のように、座席の数は二十を超え、席の合間は人が通れるくらいの幅。休み時間の最中なのか皆がリラックスしたり談笑したりしている。
(登場人物が瞬間移動することは別の話数に行く時の切り替え、との話は聞いたが……何で俺が飛ばされてんだ? なんか魔法やトラップでも発動したのか?)
話数が終わりを迎えた時に、主要な人物は瞬間移動されるように表される。
だが今回は、大和自身がその対象になっていることは明白。町中から教室内へと移動している現状は、普通に考えれば何かが起こっていると考えるのが妥当だ。
そうなれば、あの時に大和の腕を掴んでいた眼鏡を掛けた女が怪しい。
(だが一番気になるのは、なんで俺の名前を知っていて、そして俺を連れてきたのか)
同姓同名の主人公がいてもおかしくはない。その物語の中に入ってしまう可能性は限りなく低いかもしれないが、なくは無い話である。
問題は、何故その人物が特定されていたのか。
初対面にも関わらず、大和をヤマトとして認識していたのか。
(迷うことなく、俺の姿を見て認識してたもんな)
確認することも、躊躇することもなかった。一目散に目掛けていたことを考えれば人違いではないのだろうか。そしてそれを咎める人もいない。全ては当たり前のように。
「もしかして、第二話が始まったのか?」
一つの結論を出した。謎はまだ残されているが、そう考えるならば瞬間移動し物事が移り変わっていることは説明がつく。
(だとするならば、あの女が主人公ってことか? 触れていたから一緒について来たってことになるのか?)
異物が混ざりこんでいたために、物語に変化が生まれている可能性もある。
もしかすると改変によって、そのような仕打ちにされている可能性も否定できない。
様々な憶測が頭をよぎり困惑させる。
答えを見いだせずに渋い表情を浮かべていると、
「おいおい、何難しい顔してんだよ」
「どうせ、また変な事でも考えているんでしょう?」
椅子に座る大和の前方からの声。二人の人物が近づいて来た。
赤髪色の短髪少年と金髪のツインテール。
「えっと……君達は?」
いきなりの出来事で
「はぁ? 何言ってんだ、お前? 森の中で記憶でも落としてきたのか?」
「確かにファンの顔は薄味だもんね」
「んだど、てめぇの厚かまし化粧した顔よりマシだわ!」
人目を気にすることなく、目の前で言い争いが始まった。
互いが互いの悪口を言うという、見た目からして相応の事をしていた。
(やっぱり、俺の事を認識しているのか?)
一人が間違えるのならまだしも、二人同時に正面に立ちながら間違えることは、現実的ではない。初めて訪れた場所で自身の存在が認知され、しかも親しい間柄になっているのは普通ではない。
周囲の人々も不思議な視線で大和を見ていない。寧ろ、目の前で口論する二人に注目が集まっている。
「おいおい、またファンとハールが喧嘩してるよ」
「痴話げんかっていうより、夫婦喧嘩じゃん」
外野からのひそひそ話が耳に入る。大和の目の前にいる二人の名前が判明した。
「どこかで聞いたような組み合わせ……」
名を聞いて懐かしみも感じた、昔遊んだ玩具を発見したかのような感覚である。
現実世界で外国人の友達はいないので、アニメや漫画で使用された固有名詞だろう。
「で、結局の所どうなんだよ? 見つかったのか?」
「えっと……何を?」
ファンと呼ばれている赤髪の少年が問うてきたが、何のことか皆目見当つかず、思わず気の抜けたような声が出てしまった。
「伝説の精霊様だよ。見つけるために授業抜け出して森の中に探索しに行ったんだろ?」
「伝説の……精霊?」
「なんでも見つけた人を導いてくれるとか何とかって、あんたが言っていたじゃない」
今度は金髪少女のハールが口を挟んだ。
拍子抜けた大和の声に、少し呆れと心配が混じった
「……なぁ、その、伝説の精霊の名前は覚えているか?」
「名前? いつも聞かされてるから当たり前だろ? 嫌でも覚えているわ。伝説の精霊の――」
「おい、センリ・ヤマトはいるか! 呼び出しがあるぞ!」
大声をあげながら教室に入ってきたのは、忘れもしない顔の人物。
混乱を生んだ元凶、眼鏡を掛けた女子教師。
張り上げる声の内容より、登場したことの驚きに意識が向いていた。そんな視線を感じたのか、一瞬のうちに大和と目が合い、足音を立てながら姿勢は崩さずに距離を詰めた。
そして座っている大和を上から見下すように目の前に立った。
滲み出るオーラは怒りを纏い、先程まで口論していた二人も口を閉じ、巻き込まれないように離れている。
「今からスクールスペシャルオフィスに来るようにとの命令だ!」
(すく……なんだ、そのダサい名前は。……でも何だかどこかで……)
どこかで聞いたことのあるような単語に首を傾げた。ただ、この反応を自身の言葉の意図がわからないと捉えたのか、教師の怒りは増していく。
「今朝、許可証も出さず、その上授業をサボり、カメシモに向かうとは……これで三十三回目だぞ! 今すぐに迎えとの事だ、キングから話があると伺っている」
(なんか身に覚えのある急展開だし……それにあの数字……)
怒涛の展開にネタにされている数字。それに、はっきりと聞き取った単語は大和の脳内に吸収される。
「カメ……シモって」
独特的な名前、だがその固有名詞には覚えがあった。
「ひょっとすると――」
「つべこべ言わず、さっさと迎え!」
思考を邪魔する大声が教室内に響き渡った。




