第177話 雪解け
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光はソファに座ったまま、横に立つ栄に、全身の神経を注いだ。
栄の怒り、悲しみ、喜びを、全て逃すまいとするかのように、全神経を栄に向ける。そして、震える声を抑え話し出した。
「……連絡を、しなかったのは、ただ単に、俺が子供なだけだったんだ。驚かせたいって……思ったんだよ。……いつか、世界中から沢山のパティシエが集まるような大会に、出てみたいんだ。そこで優勝して、まるで初めて大会に出たかのように『どうだ、凄いだろう』って言って、ハル兄を驚かせたいって。そういう、子供じみた理由だよ」
光は自嘲するかのように言うと、小さく笑った。
「それに……。そこで優勝すれば、きっとあの馬鹿親父も、俺を認めてくれる。そうしたら俺は、ハル兄とずっと一緒に、本物の【ハイエスト・レリッシュ】の菓子を作っていける。そう思ったんだ……日本で名前すら知られていない、小さなコンテストじゃ、何の意味もないんだ……」
光は、一つ一つの言葉を大事に、栄と自分自身に語りかけるように語った。
栄はトロフィーを棚に戻すと、弟の頭にそっと手を置いた。柔らかい猫っ毛の髪が、栄の湿った手に絡みつく。
「ごめんな」そう言って、軽く頭を撫でた。
光は顔を上げて、栄を見上げた。不安そうな表情は消えてはおらず、今にも泣き出しそうな瞳で栄を見ている。
栄は苦笑しながらソファの膝掛け部分に座ると、光の頭を引き寄せ抱きしめた。
「コウは、優しい奴だな……。俺はいつも、自分のことばっか考えて。今だって、お前の気持ち、ちっとも理解していないで、自分の事ばっかり言って。お前は、いつも俺や店の事だけ考えてる……。ごめんな、馬鹿な兄ちゃんで」
光は栄に抱かれながら、小さく声を立てて笑った。
「ほんと言うとさ、初めてコンテスト出たとき、ボロボロだったんだ。二度目のコンテストで賞を取った時、何度もハル兄に連絡しようと思った。でも、あの時は、まだ仲直りしてなかったし。コンテストが終わって、母さんに手紙を書こうとしてたんだ。そうしたら……」
栄から、母の死の連絡を受けた。栄は抱きしめていた腕に力を入れた。
「ごめんな」
光の頭に頬を当て、目を閉じた。そして、栄は精一杯の感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と言った。光は「うん」と返事をすると、「ハル兄、熱い」と言って腕の中でもがいた。
栄が離れると、光は真っ赤な目をして、栄が好きな笑顔を見せた。その笑顔に釣られ、微笑み返すと「ビールでも飲む?ワインもあるけど」と、鼻声で誘う。栄は満面な笑みを浮かべ「飲もうか」と頷いた。
二人はビールをグラスに注ぎ、軽く乾杯をし、一口飲んだ。
「昼間、うちのケーキの感想聞くの、止めたろ?あれ、百合さんからじゃなくて、ハル兄の感想が聞きたかったんだ」
そう言うと、光は真剣な顔つきで「どうだった?」と訊ねる。
栄は自分が思った、素直な感想を光に述べた。
「焼き菓子は、どうだった?」と探るように訊く光の顔は、どこか不安気でもあった。先ほど話しをしていた時の不安顔と同じ顔で、栄はすぐに、焼き菓子が光の担当なのだと気がついた。
「旨かったよ。じいちゃんの味を思い出した。特に、ガレットが気に入った。あと、マカロンの触感が良かった。味も甘さ控えめなのに、存在感があって。四個買ったのに、百合が気に入って三つも食って、俺の分が無くなった」
そう聞くと、光は安堵の混ざった笑みを見せ「焼き菓子全般、俺の担当なんだ」と言った。栄は「だと思った」と笑って見せた。
二人はビール三本を飲み終えると、冷えていないワインを二本空けた。三本目のワインを飲んでいると、酔っぱらった栄が「俺はね、コウが本当に大好きなんだよ」と、何度も言い始めた。それに対し、光は笑いながら「ありがとう」と何度も返す。
三本目が空になる頃、栄は床の上に寝っ転がり、鼾をかき始めた。光はブランケットを栄に掛け、残りのワインを飲み干した。
窓の外は白々と夜が明け始め、長い夜の終わりを迎えようとしている。
光はキッチンへ向かい、コップ一杯の水を一気飲みすると、リビングに戻りソファの上に寝ころんだ。
朝、リビングに降りてきた百合が、目を大きく見開き、口をあんぐり開け、「これは、ずるい!」と大声で言ったことを、二人は知らない。
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