第171話 仄暗い思い
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
書棚に目を向け、何気なく見ていると、乱雑に置かれた幾つかのトロフィーが目に入った。栄はそれを手に取り、黙って見ていた。気がつくと、隣りに百合が立って、栄の手元を覗き込んでいた。
「すごい。コウ君、いつの間に大会に出てたんだ。一位だって!」
百合は嬉しそうな顔で栄の顔を覗き込んだ。
栄はトロフィーをじっと見つめ、「そうだね」と小さく微笑むと、静かに棚へ戻した。
離れて暮らし始める前から、栄は光について、何一つ知らなかった。知っていると思っていた光は、自分が勝手に作り上げた弟像だった。だが、この数年で、やっと本当の光を知る事が出来た、と思っていた。しかし、そうではなかったのだと、改めて感じさせられた気がしたのだ。
光は栄に「自分の存在を気づいて欲しい」と必死に頑張っているのだと、百合が以前、話した言葉を思い出す。光の存在に気づいたものの、依然として距離を感じるのは、何故だろうと。栄は書棚に置いたトロフィーを黙って見つめ続けた。
リビングに荷物を置き、二人は部屋を出て、町中を散歩することにした。
百合の先導で思い出の地巡りをし、途中で軽食を取り、再び思い出巡りをし、気がつけば約束の時間が近づいていた。
栄は腕時計に目を落とし「そろそろ行こうか」と百合を見る。百合は思い出巡りに満足したようで、嬉しそうに微笑み、頷いた。
栄と百合が店の前で待っていると、三十分ほどして、光が現れた。
白の長袖シャツに、カーキ色のパンツスタイルで現れた光は、コック服を着ていた時よりも細く見える。袖をまくり、シャツのボタンを二つ外しているため、喉仏がはっきりと出た長い首が、余計に身体の線を細く見せるのだろうか。栄は二年前同様、ふと、光の食生活が気になった。
「ごめん、遅くなって。行こうか」
そう言うと、光は先を歩き出した。馴れたように歩くその後ろ姿は、全く知らない人物のようで、アパルトマンで感じた距離感が、更に遠く感じる。
そんな栄の気持ちをよそに、百合は光の隣を歩き「どこに連れてってくれるの?」と訊ねていた。
「ちょっと歩くんだけど。この先に、美味しい飯屋があるんだ。そこのシェフと友達になって……」と、光は百合に説明をしている。
栄は二人から一歩離れ、後ろからゆっくり着いて歩いた。天気は相変わらず曇り空だったが、不快ではなかった。心地よい風が、栄の心を慰めるように優しく吹く。
「ハル兄?」
不意に、前を歩く光が振り向いた。
栄は眉を上げ「ん?」と聞き返す。
「なんか、元気ないね。大丈夫?疲れてるんじゃない?」
光は立ち止まり、栄の顔をじっと見つめた。栄は光を遠い目で見返す。店で会った時は、緊張していたせいか、ちゃんと光を見ていなかった事に気がついた。
葬式の時には、前髪が長くて光の瞳がよく見えなかったが、今、目の前に居る光は、髪を切り立てなのか、襟足がすっきりとしており、前髪も短くカットされていた。整った顔をよく見る事が出来る。
くっきりとした二重瞼の奥にある茶色い瞳が、真っ直ぐこちらを見ていた。
「家に帰ろうか」
光はぽつりと言い、来た道を戻り始めた。百合は栄の顔を不安そうに見上げ、栄の腕を取る。光の後に続き、歩き出そうとした。が、しかし、栄は一歩も動かず、百合は振り向いて栄を見上げた。
「コウ!」
栄は大声を出し、光を呼び止めた。光が歩くのを止め、振り向くと、栄は自然な笑みを浮かべ立っていた。
「すまん。ちょっと、新作の事を考えててな。ぼんやりしてた。大丈夫だから、その友達の店、連れてってくれないか?朝からまともな食事してないし、腹も減ってるんだ」
栄は「もう、腹鳴りっぱなしだ」と、足下をふらつかせ、倒れそうな真似をした。光は心配そうな顔を崩さず栄を見ていたが、栄が大丈夫だと言って、微笑んで見せると、安心したように笑みを浮かべ、道を引き返した。
「どんな店なんだ?」と、光に話しかける栄を、百合は黙って見つめた。栄の表情は、先ほどの暗さを微塵も感じさせず、本当に新作の事で頭がいっぱいだったのか、と思った。
百合は「何がお勧めなの?」と、二人の会話に混ざる。三人は賑やかに夜の道を歩き出した。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
「続きが気になる」という方はブックマークや☆など今後の励みになりますので、応援よろしくお願いします。




