好きなんて言葉はまだ言わない
初めて書く小説ですが、優しく流れる空気を意識して書きました、お楽しみください。
都会というものは騒がしい。都会がどんなところであるかだなんて、本当に知っている人はそう多くないという偏見が生まれるほどだ。パッと思いつくのは人込み人込み、人込み。視線の先に何があるかだなんて、人の頭以外に建物の入り口がそう簡単には思い浮かべられないだろう。
まぁ、そんなことはさておき。見るに見れない景色なんて考える必要もなく、寧ろ空間の狭さに不快感を覚えることも知っているから、視覚より聴覚を働かせるべく、青年は耳からイヤフォンを通して聞こえてくる数々の曲の音量を上げた。
さてさて、この青年、大谷衛18歳、テスト期間中ということで午後は学校も休校である今日は少し特別だ。学校から少しばかり離れるが、なんとなく気が向いてとあるカフェテリアへ向かっている。目的は勿論、勉強だ。
目的のカフェテリアは少々目立たないところにあった。今日初めて来る場所だったのでスマホで確認しながら歩いてきたのだが………合ってるのか、ここ?
マモルはイヤフォンを耳から外すと、ドアの前で「ふぅ」と息を吐いた。緊張して、これを開くことを躊躇してしまい、自分の手を軽く見る。
………いやいやいや、この俺が緊張しているなんてあるわけない。そう、合っているか不安なだけで、別に間違えたら店員に場所を聞いて──
(いやいやいや、待って待って待って。なんでわざわざ更に時間をかけても行こうとしてるの)
とにかく開けたらわかる。一か八か、その後のことは後で考えよう。
チャリンとなる鈴の音が頭に響いた。
中は聞いたとおりの場所だった。天井が高く、2階は建物の半分だけ。一階の窓には太陽の光が入らない分2階の大きな窓から日光が充分に入ってくる。壁は黄色に塗装されていて、おしゃれなランプや小さな鉢に植えられた植物たちがそこにかかっていた。
一階の窓も大きいが、そこから見えるのは小さな庭を覆った植物たち。今はちょうど昼だから日光も当たっていて輝いている。
そんな落ち着いた雰囲気のカフェテリアには人がそんなにいない、こともなかった。小さい店なりに人がいて、座るべき席がすぐに見つからない。
「おひとり?」
入口に突っ立って視線だけきょろきょろと動かしていると、そばの席に座っている中年の女性に声をかけられた。知らない人だ。なんとなく恥ずかしくなって、しかし首を小さく横に振ると、女性は、あぁ、と何か納得したかのように頷いてカウンターに顔を向けた。
「あの女ならカウンター席よ。さっきから鬱陶しいほどそわそわしてるんだから、さっさと行ってやりなさい」
「………………別に、そんなんじゃない」
何とか声だけでも平然に出してみたが、内心マモルの心臓はバックバクだった。ちょっと待って、なんで知らない人に俺のことが知られてんの?
(あの女、一体何話してんの!?)
何とか赤味かかる顔を伏せて、女性が示した方へ特に深く考えぬまま、いや、寧ろ考えていることを振り払うように速度を上げて向かった。そんな青年に、呆気にとられた女性が「はっ」とおかしそうに笑ったことに、衛は気づかなかった。
カウンターへ行くと、見知った横顔が視界に入った。一瞬、これ以上近づくことに戸惑ってしまったが、そろそろ彼女の食しているらしいパスタの残りがほとんどないことに気づくと、足より先に言葉が出た。
「ねぇ、俺を待ってるんじゃなかったの?」
「衛くん!」
カウンターに座る彼女は衛の声に気づいて、パッと振り返った。それはもう嬉しそうで、一瞬衛の言葉が詰まった。
「やったね!正直今日は来ないかと思ってたよ」
「人の話聞いてる?」
「おいでおいで。隣の席、取っておいてたんだ──あ、お兄さん、先ほどは譲っていただいてありがとうございました。えぇ、この子が例の子です」
彼女、雨野奈緒美は衛のために隣の席を後ろに引き、またその隣の席の20代であろうサラリーマンに頭を下げた。気づかなかった、カウンター席に座っていたのは彼女だけではなかったんだ。
「ねぇ、俺が来るか定かじゃないのにわざわざ他の人に迷惑かけることないんじゃない?」
衛がぶっきらぼうに言い放ったが、皮肉に気づかないのか、奈緒美はにこにこと笑いながら、衛が座るのを見る。
「大丈夫だよ、君」
その声は反対側の男性から放たれた。
「君の話は彼女からよく聞いてるんだ。全然知らない人ならまだしも、奈緒美さんのお墨付きならここにいる人はみんな大歓迎だ」
爽やかに笑う彼にイラっと来たが、衛は無表情のまま頭を下げた。
「席を譲っていただいてありがとうございます。大谷衛です」
「へぇ、話の通り、礼儀正しいね。俺は阿部健人。これからもこのカフェに通うならよく会うかもしれないな。よろしくな」
そう言って頭をわしゃわしゃと撫でてきた。確かに学ラン着て余計に子どもっぽいけど、だからといって彼女の前で子ども扱いするのは気に食わない。
(ていうか礼儀正しいって何。俺がいつ礼儀正しいことしたの)
そんなでたらめな印象の出所を衛は横目で睨みつけた。しかし奈緒美は相変わらずにこにこ笑いながら、乱れた衛の髪を整えた。なんとなく心を読まれた気がして、気まずくなってその手を払う。
「でも本当に来てくれて嬉しいよ、衛くん」
「………別に」
「あっはっは、面倒だったかな!やっぱりいい子だなぁ、坊や」
「坊やって言わないで」
「あっはっは!ごめん」
全く、この女まで俺を子ども扱いして、
(それも誰よりもわかりやすく、だ)
思えば出会った頃からそうだった。あれからそんなに経っていないこともあり、未だ鮮明に覚えている。
1か月前のことだった。衛はいつも通りに朝決まった時間に通学電車に乗り、いつも通りにイヤフォンを取り出して電車の音をかき消すように大音量で音楽を聴いていた。
しばらくして電車が満員になった。幸い衛は都内でも田舎の方から電車に乗るので、乗車するときは人が少なく椅子に座ることが出来るわけなのだが、この時間になるとギュウギュウ詰めになっていないとはいえとも息苦しい。もう少し後の電車に乗ったりしたらそれこそ窒息死は確定だ。
そんな時に彼女、奈緒美に出会った。基本的には電車に乗る人は見慣れているはずなのだが、彼女は初めて見た。とは言っても、彼女が電車に乗っていることにそのときまでは気づいていなかったのだが。
そう、彼女のほうから接触してきたのだ。
「ねぇ」
トントンと肩を叩かれて見上げると、彼女が手すりを掴んだままこちらをのぞき込んでいた。その顔の近さに驚いて飛びのこうとして壁に頭をぶつけてしまい、恥ずかしい思いをしたものだ。よく考えれば騒音の中小声で話しかけるのだから、距離の近さに何ら不思議はないのだが。
とてもすまなそうにごめんと謝られたが、衛は不機嫌な顔を隠そうともしなかった。恥ずかしい思いをしたものだから当然だ。とはいえ用があるならとイヤフォンを耳から外そうとすると、奈緒美はトントンと耳を叩き、こう言った。
「音漏れ」
正直その声が聞こえたわけではなかったが、耳を叩いたこと、それからその口のはっきりとした形から何が言いたいかを理解し、慌ててイヤフォンを耳から外して流れる曲の音量を確認した。
「………………」
確かに、かなり大きな音漏れだった。
周りからの視線が痛い。衛は2度目ましての羞恥心に舌打ちをしたかったが、助かったことには変わりなかったので目の前の女性にお礼を言った。すると、その女の人はにこにこしながら、手にしていたものを渡してきた。それは目にしただけで何か分かった。イヤフォンカバーだ。
恐らく中にイヤフォンが入っているのは確かだろう。くれるというのだろうか。流石に受け取れないと思い首を慌てて横に振ったが、奈緒美は笑顔を絶やさない。それどころかこう言い放ったのだ。
「その曲、私も好きなんだ。ザ・キュアでしょ」
「え?」
世界的には有名なのに、同世代にはマイナー扱いされている歌手の名前をズバリと当ててみせた。その事実に呆然として、いつの間にか彼女に、手にイヤフォンを乗せられていたことも、いい子だねとでも言うように頭を撫でられたことも、「じゃあ次だから」と言って降りていく行動にも、その手際の良さもあって、理解が追い付くまで時間がかかった。
その直後に気づいたことだったが、そのイヤフォンは当時最新のもので、衛としてもなかなか欲しいものだった。それに気づいたとき、一瞬返すべきであるという考えが頭をよぎったが、もうすでにそこに彼女がいなかったのと、もう高校生である自分に対して頭を撫でたことにカチンときて遠慮なく自分の耳にはめたのだ。
それからというもの、同じ電車に彼女は乗っており、なんとなく、電車通勤でも始めたのか、なんて普段考えないことを考えていたら目が合って、ニコッと笑みを見せられ手を振られて。また次の日には、ペコっと頭を下げる程度に、またその次か次の日だったかは、声に出してなんとなく「どうも」くらいには挨拶をして。そうしているうちにいつの間にか会話をするようになり、趣味の音楽について語り合う仲になってしまったのだ。
カフェテリアにいる周りの人たちの反応からして、衛は奈緒美にかなり気に入られているらしい。実際、このカフェに来ることも彼女に勧められた…………いや、別にだから来たというわけではない。たまたま家の外で勉強ができる空間を求めていたところに偶然誘われただけで。そう、なんとなく来る気が起きただけのこと。
言い訳のようなことをしている自分の頭が恨めしくなって、衛は小さくため息をついた。とりあえず、何かを頼もう。お腹がすいているから、変なことを考えるのだ。そうに決まってる。
そうして、衛はすぐにメニュー表を手に取り、店員にコーヒーとパスタを頼んだ。
「へぇ!衛くんもカルボナーラが好きなんだね!」
「え?」
驚いて思わず隣を見ると、肘をついた手の平に顎を乗せた奈緒美が相変わらずニコニコと笑っていた。
「迷わず頼んでたでしょ」
「…………よく見てるね」
その言葉にハッととして、何を思ったか奈緒美は珍しく真剣な顔つきになりながら、慌てて「ごめんね」と謝りだした。
「いや、確かに不躾に見られたら嫌だね。大丈夫、もう絶対気を付けるから!」
…………本当に横を向いてしまった。まぁ、別にいいけど。なんでこっちを見てたかなんて気にしてない──
ちらっと奈緒美の皿を見遣る。いつの間にか綺麗に食べあげられている。彼女がここを出れば、店員に片づけられるだろう。
突然、衛は息苦しくなって顔が熱くなったことに気づいた。なんとなく。本当に突拍子もなく、そうしたい気分になっただけ。
「…………奈緒美」
「なあに、衛くん」
…………葛藤して、意を決してまでやった大イベントなのに、あっさりしていて拍子抜けだ。
初めて名前を呼んだのに、動じないその様子に、イラっと来た。普通、7つも離れた年下に呼び捨てにされたら怒るんじゃないの?もし……もし、少しでも気にしてくれてたら。びっくりしたり、するんじゃないの?
だから、気になって彼女の横顔を視界に入れたのは、本当に無意識だった。まさか、今まで見た中で、一番うれしそうな横顔を。この目で。
「…………ありがと」
「ん~?どういたしまして」
もう、仕事に行かないといけないんじゃないの?そう聞こうとしたのに、口から出た言葉は、全く異なるものだった。青年は更に熱くなった自分の顔を呪い、すぐに食事も来るだろうに、鞄から参考書を取り出した。もう少しそばにいて、なんて、口が裂けても言えなかった。