王太子と悪役令嬢の最後のお茶会
シリーズ通して読んで下さっている皆様に感謝します。
おかしい。絶対おかしい。
私は目の前で至極美しい所作で紅茶を飲む殿下を直視することが出来ずに居た。
何故、このお方が此処にお越しになったのか。此処はラランド侯爵家の領土で、王都からそう離れてはいないものの、わざわざ王太子殿下が個人的に訪れる場所だとは思えない。
おかしいな?殿下は今頃ヒロインといちゃいちゃしつつ、エンディングに向けて『聖なる乙女』の祝福を強化しているところだと思っていたのに。
私と言う悪役令嬢をざまぁする手間も省けている。もうラスボスであるドラゴンと戦ってもいい頃だと………。
「メルトリーナ嬢、突然の訪問に驚いた事だろう。申し訳ない」
そのお声に思わず顔を上げた事を私は後悔した。
殿下の微笑みに、気付かないでいたかった感情を見つけてしまったから。
「そう怯えないで。でもようやくだね。ようやく私を見てくれたね」
私は子供の頃からカイルしか見えていなかった。
それはどこか、雛鳥の刷り込みのように、毎日毎日飽きる事も無く自分の特別をカイルにだけ渡していた。
それは殿下と出会う前から。つまり私はそんな幼い頃から無自覚にゲームのシナリオを上書きしていたのだと今更気が付いた。
殿下がヒロイン以外に恋をする可能性だってあるのだという、そんな当たり前の事に、ようやく、気付いた。
「……殿下、私は」
「そんなに簡単に私を袖にしないで?君達の事は聞いた。でもそれだけだ。聞いただけ。だけどね、私にとってもこの恋は一生のものだと思っていたんだ」
そう簡単に消せるものではないんだよ、と殿下は珍しく端正なお顔を少し歪めて言った。
それは画面越しに見た『ウィンベルルート』のどの甘いスチルより、恋をしているのだと、伝わってきた。
私は今、此処で生きているのだと、この世界で私として生きて来たんだと痛感した。
カイルと出逢った時。
可愛い弟の産声を聞いた日。
お母さまが事故で亡くなったと聞いた、あの絶望。
全部、私が経験した事で。それを全部集めてこの『メルトリーナ・ラランド』になったのに。
「君の中に少しでも『私』が居てくれて良かった。本音を言うなら君の幸せに繋がる存在になりたかったけれどね」
きっと殿下がその気になれば、私を妃候補どころか、唯一に望む事も出来た筈で。それはおそらく、私が考えるより、ずっと簡単な事だと思う。
今こうして向かい合い、ただお茶をするだけの事が、私達にはとても難しかった。
私の心を尊重して下さっていた。それに胸がじんわりと熱くなって、溢れそうになる涙を堪える。
カイルに逢いたい。そんな酷い事を心が叫ぶ。
もう知っている。
カイルと私は婚姻を結ぶのすら難しい事を。
お父さまが反省と言って私を此処に留まらせるのは、その事をどうにか出来ないかと、内密に努めて下さっているんだと。
いつまでも子供のように『好き』だけでは、一生を共にする事は難しい。
でも、それでも、やっぱり…私にはカイルしか居ない。
あの夢の中。前世の私に怯えていた、子供のメルトリーナを助けてくれたあの夜から。
例えカイルの眼に見えている私がまだ『破滅』に向かっているのだとしても。それでも最後まで諦める事なんて出来ない。
私はこんなに醜いほど、カイルが好きなんだ。
「…っ、ありがとうございました、ずっと、忘れません」
なんとか笑顔を作ってそう告げると、ウィンベル殿下が一瞬眼を見張って、それを隠す様に、微笑んだ。
「そうして。私は忘れるよ、時間はかかってしまうだろうけれどね」
その時、殿下の傍に酷く慌てた様子の騎士がやってきた。
専門職ではないからか、動揺からかは分からないけど、私の耳にも、内容が届いてしまった。
『ドラゴンが、復活しました。急ぎ王宮へお戻り下さい』
この様子だと、聖なる乙女の祝福を持つヒロインは居ないのだと思う。ヒロインの『祝福』と『光魔法』によってドラゴンは討伐される。つまり、今この世界の状況は絶望的。
それを知る人間はどれほど居るのだろう。そしてそれを知っている私は、どうしたいのだろう。
「殿下」
「君は此処で待機を」
「いいえ。どうか私を連れて帰って下さい」
「私は『巫女』の祝福持ちです」
(一生一緒に居られなくてもね、貴方が生きてくれている世界の方が幸せだもの)
もしかしたら次回最終話かもしれないです。