005 救いなんてない
時刻は4時を回り、空が紅みがかってきた頃。
「ふぁぁあ...」
高校の終わりのチャイムが、目覚ましのように鳴り響いて目を覚ます。
寝ぼけた目で、教室を見るとそこにはあまり人間がいない、問題のレナの姿もない。
「あれ?...寝てる間にどっか行っちゃった?」
なんて独り言ちってみながら高校を飛び回りながらレナの姿を探す。
どうせ見える人間はいないだろうからと大胆に教室や廊下を飛びあわっていた時、ふと一人の少女と視線が合ったような気がした。
(あれ...この娘僕の事見えてる?)
可愛いというよりは美人なタイプの女の子、ひときわ目に着くのはその日本人にはあまりいない銀髪だろう。
それとなくその娘の目の前で手を振ったりくるくる旋回してみたりするが、何も反応を示さない。
(勘違いかな...まあいいや、それよりレナを見つけないと)
見えていないと判断した死神はすうっと別の場所に消えていく。
それを冷めた瞳で見つめる少女は...
「.....害虫が...」
忌々しそうに小さく呟いた。
♯
結局見つけられなかったので、最終手段として校門前で待つことにした。
もしかしたら家に帰ってしまっているかもしれないが、最悪明日も学校はあるからそれまで待てばいいし、まだ帰っていなかったのなら丁度いい感じに出会えるだろう。
なんて考えて、呆然と校門を見ていると...
少しすると、レナが昇降口から出てきた。
声をかけようと思ったが、周りに友人らしき人間も一緒に出てきたのでとりあえずやめておく。
その集団は喋りながら、ふざけあいながら仲がよさそうに校門を出ていく。
確か、カラオケ屋に行くとか言っていたような気がするから、多分そこに向かっているんだと思う。
(カラオケかぁ...僕にはよく分からない場所だね)
はたして人間達は自分達の歌声を互いに聞かせあって何が楽しいのか?天使には讃美歌やら歌に精通しているから分かるのだろうけど、死の神である僕にはあまりよく分からない。
まあ、大きい声を出すとストレス解消になるのは分かるけれど。
上手い歌が聞きたいのなら、ネットでプロの人の歌を検索して聞いていればいいのに...
なんて思いながら空に浮かびながらついていく、そこでレナと視線が合った。
レナは驚く様子もなく、どうせつけてきていると思った、といった感じの表情を浮かべている。
「どう?私の自慢の友達」
歩くペースを落とし自分だけ後ろに抜けてきた彼女は自慢げに「ふふんッ」と少しだけ発達した胸を張って口にする。
「うん、すごいすごーい...で?結局自殺する理由は?」
正直どうでもいい死神は適当に相手しながら、確信的な質問をする。
その態度に少しむっとしたような可愛らしい表情を浮かべたレナ...その表情に死神は少し疑問を浮かべる。
(怖い...僕にそんな顔する子じゃなくないか?)
今の表情は、まるで昨日までのレナではないみたいな...それとも逆だろうか、昨日までのレナが僕に対して社会的仮面のようなものを被っていた?
いや、あれは明らかに彼女の本心だったように思える...といっても昨日会ったばかりの僕が何を知った気になっているのかというのもあるが...
改めて表情を伺おうと彼女に視線を向ければ、僕の質問にどう答えるか考えているらしく、またもや可愛らしく首をかしげ。
「...気分?」
「は?」
「こう、友達がやってたからやってみたくなっただけ...みたいな?」
それは女子高生らしい答えだとでも思っているのだろうか...
希薄なはずだった感情が揺さぶられる、頭がカッと熱くなる...それは確かに怒りだった。
まるで、僕が今まで出会ってきた、真剣に悩み苦しんでいた自殺者を馬鹿にされているように感じたから。
けど、彼女もその一人、ここで怒ったらいけない...感情を押し殺して、何も気にしていないように言葉を続ける。
「へぇ~、君らみたいな今を楽しんでる人間は気分で自殺したくなるんだ~...」
呆れたように、棒読みで呟いた死神は...感情は押し殺せても、言葉は抑えきれなかった。
つい、口から言葉が漏れてしまう。
「なら君たちは...とんだ悪人だね」
「...なんでそうなるのよ、私なんか悪いことした?」
「与えられた天命を全うせずに外的要因がなく自ら死ぬことは神への背きであり悪い事だからだよ」
「.....」
「僕たち死神は現世で悪事を働いた人間を食料として食べている、それには自殺者も当てはまる」
「は?な、なにいってんのよッ...」
戸惑いながらもあからさまに怒りをあらわにする。
前の人間達が結構な距離離れているからだろうか?昨日の本心に見えたレナが顔を出している。
レナの怒りは最もな事だろう、現世でも苦しめられて、死後も苦しめられる...自殺者からすれば、なんて救いのない現実だろう。
.....そんな君たちを、僕は救いたかったのに...
今までそれでも自殺する事を望んだ人間達はいた。
もしかしたら目の前の彼女もそうなのかもしれない、僕には救えない、だから今までのそんな自殺者たちに向けたように、同じ言葉を口にした。
「僕がこれだけ言っても...真面目に答えてもくれない、これだけ僕が言ってそれでも死ぬのならもう好きにしてくれていい...ただ、どうせ死ぬのなら君の全てを、魂を、僕に頂戴?」
「は?なんで...あんたなんかに...」
「いい事教えてあげるよ。人間はね、痛めつければ痛めつけるほど味が深く、美味になるんだ...それは嫌でしょ?」
死神が行う人間の調理法。
それはストレスと苦痛を絶え間なく与え続けること...
その過程こそが人間にとって悪事を働いたことに対する罰であり、贖罪だ。
確かこの調理場の事を人間は地獄と呼んでいた。
その中でも自殺者は最も過酷な調理法をされるのだ。
僕がかかわった人間がそんなことをされるだなんて....耐えられない。
偽善者と罵られようとも、せめてカイシャクは僕がする。
「じゃあ、またね」
「ちょっと、待ってよ...」
レナは弱々しく、苦しそうに、不安そうに死神の服を掴む。
その手を優しくつかんで振りほどいた死神は悲しそうに微笑んでいた。
「...レナ、どんなに遠くに逃げたって、例えあの世まで逃げ込んでも...救いなんて、ないんだよ?」
この世が自殺者にとって地獄なら、死んだとしても結局同じ世界が続いているだけだと。
とても悲しそうに死神は、自殺した後の恐怖を、苦しみを植え付けて...姿を消した。
その死神の顔が、目に焼き付いてしまった。
脳裏から離れない。
「なんで...あんたがそんな顔してんのよ...」
呆然としたレナのつぶやきを聞く者はいない。
「レナ~ッ!何してんの~!お店はいるよ!」
「...う、うん、今行くー!」
皆で楽しく、カラオケ。
いつも、皆と一緒に喋って笑って遊んで...その時だけは、私も誰かに必要とされてるんだなって...嬉しくて楽しかったのに...死神のあの言葉が、頭から離れない。
胸に、杭のようなものが突き刺さっている。
(何よ...あいつ...)
確かに、ずっとはぐらかしてた私も悪いけど...だからってどうしてあんな事言うのよ...
(違う、ようやく死神が消えたんだから...死ねる..はずなのに...何なのよ、これ...)
その日、彼女の胸にもやもやとするナニかを残して、死神は彼女の前から姿を消した。
♯
「いいのか?あんなこと言って」
高い高い鉄塔の上、空を見上げながら隣の人魂に笑いかける死神の姿。
「助けないとは言ってない、出来る限りのことはするさ」
「だと思ったぜ、正義の味方さん?」
「僕は...正義を名乗るには汚れ過ぎてる...偽善者がいい所だよ」
僕は正義と言えるほど万人全てを救えはしない、それ程までに僕の器は大きくない。
救えるのは手の届く範囲の人間だけ、それは誰が何と言おうと変わらないただの偽善であり自己満足なのだ。
自分でもずっと分かっていて、理解していた。
ただ僕は思う、絶対なる救い、絶対なる正義と絶対なる悪。
全員を救う事など、まして神にさえもできはしないだろう、だから全員を平等に見捨てる?
救えるのに見捨てる、そうでなくては助けられなかった人たちに申し訳ない?...そんなん馬鹿みたいだ。
僕は中途半端でいい、救える範囲は救う、けどそれ以上のことは出来ない。
ゼロよりイチの方がいいに決まってる、ゼロかジュウか?不完全か完璧か?比べる対象を間違えているのだ。
救うのなら全員を救え?救えないなら誰も助けるな?...馬鹿だろ。
人間はあまりに傲慢に過ぎる。
「それよりあいつ、レナだったか?...ありゃぁ絶対に喰われる」
「だろうね、若くて容姿も奇麗だし自殺こそすればあっちで高値のオークションに出される逸材...」
人間達が使うお金の価値を付けるのならば、数千万は余裕で行くだろう。
人間のコレクター、もしくは美食家に売ればさらに高く売れるだろう。
「だけどそうはならない」
「...なんでだ?」
「ここはあいつのテリトリーだからな、こんな美味しい人間をドーラ―が見逃がすとは思えない」
「ドーラ―...か...前から思うけどこれ名付けてるのって誰なんだろうな?」
「さあ?...マスターじゃない?」
「あのイカチイおっさんがかよ...」
あのスキンヘッドが光り輝いている、何故か妙に人間の女性に人気のあるバーのマスター。
いつもクールっぽくふるまうあのマスター。
必死に名前を書いては捨ててを繰り返いしている様子が頭に浮かび...
「案外、似合ってない?」
「...まあ、本来の性格があれだしな」
実は甘党で裁縫やぬいぐるみ作りが趣味、ギャップ属性のあるマスターだ。
「んで?結局お前はどうあの女を救うので?」
「彼女が話してくれないのなら...周りの人間達に聞けばいいかなって」
別に彼女本人に悩みを聞く必要なんてない。
周りの、今彼女が生きている環境を見て、聞いて感じて。
解決してあげればいい...ドーラ―に見つかるよりも、早く。
彼女が、あの世でも苦しむ事を、自殺を決断してしまうよりも早く。
僕が...助けるんだ。
*♯*
死神がいなくなってから約一週間がたっていた。
「じゃあね~」
「うん、また...」
暗い夜空の下、消えかけの薄い外套の光が照らす道。
学校が終わり、友達と遊び、友達と別れて自分の家に向けて歩くその道に光は無く暗がりばかりだ。
(私は...弱いなぁ...)
結局私は、死神の言葉の恐怖から自殺を決断できないでいた。
人は脆い生き物だと、思ってしまう。
そのいい例が私だ。
逃げて逃げて現実から逃げ続けて、楽な方へと現実から目をそらし続けている。
家に帰りたくない、そもそも誰も私の帰りを期待していない。
多分あの二人は私が死んだら喜ぶのだろう。
そんな現実から逃げるように私は...毎日のように友達と遊んで、出来るだけ家にいないようにしていた。
けど、それも限界、あの二人だって私が存在する事を望んでいなくて、私だって迷惑をかけたくない。
こんな現実が嫌だ、だから逃げようと思った...誰もが幸せになれるあの世に...
それなのにあの世に行けば...私は.....そう思うと、踏ん切りがつかない。
またいつものようにのそのそと、情けなく家路についてしまった。
「ただいま...」
誰もいないこの家。
どうせ二人ともいつも通り愛人とよろしくやっているに決まっている、返事が返ってくるなどみじんも思っていなかったし、期待なんて持ってのほかだ...
だが、今日は違った。
「お帰り、麗奈」
リビングから聞こえてくるその声、驚いて靴を脱ぎそっと扉を開けると...
中にはいるはずがない父親がソファに腰かけていた。