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学びたいと思う学問について
一つの在り方として記す事は必要だろう。
持論にしろ疑問にしろ発する事で異を唱えられ、話が得られる訳なのだから。
最近、そういう在り方そのものが否定されるのは常識がそれだけ確立されたからか。それとも人にとって然したる事に過ぎないからか。
インターネットを開けば、情報は得られる。
しかし、その情報にもない事を考え、確立するからこそ古代の学問は白熱し、若い人間達が自分もお金を支払ってでも学びたいと思った訳である。
哲学における考えをはじめ、知識のある人間が自身の考えを自己完結で終わらせてしまう事は残念な事だと思う。
それ以上の結果を模索出来ないのだから。
お金を支払わねば学べぬ学問ではなく、お金を支払ってでも学びたい学問になってくれればと心から思いつつ、今回の話を打ち切る。