決断力こそが神話を産む説
知能が高い生命体に求められるものとは何か?
それは決断力であると私は考える。
如何に優れた生命であろうとも生き残る為の決断力が無ければ、次への進化も叶わず、いずれは歴史の中に消えて行く。
それは神話でも同じである。
決断力がある者が英雄と謳われ、神の地位にまでものしあがる話は現在でも語られている。
反逆するのも忠義を尽くすのも決断力が必要となる。
楽を味わった怠惰な生活や苦労ばかりを背負う生活に見切りをつけるのも決断力は欠かせない。
悩み、決断し、実行して来たからこそ、改革が起き、生命は新たなステップを踏む。
人間もまた、そのように現在の過程へと至ったのだから、今後、産まれる神話も決断力ある者が讃えられるかも知れない。
それは一方から見れば、悪魔も恐れるような残忍な事にも思えるだろう。
決断力がある者はその覚悟もある。
実行して来たからこそ、歴史や神話となって名前が残るのだと私は考えてみる。
暴君と呼ばれる者だろうと聖人と呼ばれる者だろうと決断力があるからこそ、実行し、歴史に名を残し、神話となった。
良くも悪くも生命には決断力が求められる。
故に神は生命に興味を持ち、きっかけを与えるのだろう。
知能が発達し、環境が最適となろうとも豊かになり、平穏な暮らしをしようともそれは変わらない。
現在の人間の世の中は科学の発展した社会である。
インターネットの普及などは一個人にも情報を迅速に伝えるだけの素晴らしい改革となった。
だが、情報過多になり、一人一人が発言出来るようになった事で嘘と真実の境界まで曖昧になってしまったのも事実である。
そうした中で私はこの状況にもいずれは変革が起きるであろうと思う。
人間が現在の社会に不平や不満を語る内はまだ良いが、助け合いや礼儀すら忘れ、ネットに流れる偽りの情報に踊らされ続ければ、いずれは亀裂が産まれる。
実際に私達はそんな社会で流行り病を相手に様々な憶測などが飛び交っている。
国が乱れれば、内部分裂が起こる。
その先にあるのは進化か衰退か。
故に私は新たなステップを人間が踏んだと考える。
現在は人間が病を治療する為に他国に来るような時代だ。
だが、これは現在に始まった事ではない。
太古の英雄であるギルガメッシュをはじめに死から逃れようと不老不死の薬を求め、奔走した。
誰だって苦しみ、もがく死に方はしたくはない。
出来る事なら安らかに逝きたいと思うだろう。
それが死を身近に感じ、恐怖する知能を持った生命の自然の在り方だ。
戦いの中で苦しみながら戦果を上げ、殉死する時代の先にある平穏の中の未来ーーそれが私達のいまなのだ。
恐怖し、目を閉じて耳を塞ぐ事は容易い。
だが、その中で苦しみから解放する為に決断し、行動する者もいる。
いま、私達は試されているのだろう。
情報が飛び交っている電子の世界を取るか、苦難に満ちた現実を取るかを。
楽をするのは容易い。
だが、その先に待っているのは果たして、進化と云えるだろうか?
電子の世界はある意味、楽園だが、終わりはいつか来るだろう。
真実と偽りの中で都合の良い解釈をすれば、楽になれるが、ただ、それだけである。
全ての人間がこの中に飛び込めば、衰弱し、その先はない。
現実に直面し、決断するからこそ、先がある。
その為に多くの代償を支払うかも知れないが、生き残った生命は先に繋げる役目があるのだ。
新たなステップをどう踏むのか。
それが私達のこれからの課題であり、歴史が動くか否かを目の当たりにして語り継ぐ目撃者となる人間のテーマであると思う。
ピラミッドもそうだが、創った者の名が後世に伝えられるとは限らない。
だが、決断した者は確かに存在し、歴史を動かす。
それが神話となるかどうかは後世の判断に任せ、私はとにかく、いまの考えを刻む事に専念する。