宇宙均等説
ふと、私は考える。
宇宙の外は銀河が広がり、更なる外はガスと塵の世界であると云う説がある。
だが、そのガスと塵が何処から来たのかを答えられる者はいるだろうか?
2020年になって私達の住まう太陽系第三惑星も過去の宇宙に存在した惑星が発見された。
つまり、この世界は私達に限らず、常に何らかの変化をしているのだろう。
ガスと塵は過去に存在した宇宙からの贈り物なのかも知れない。
それは神と云う概念も同じかも知れないだろう。
知恵ある生き物は自然を畏怖し、見えざる存在を崇拝した。
科学が発展しようと論理的に事柄を解明したつもりでいようと生物である以上は何らかの力は常に身近に感じ、見えざる存在を信じてしまう。
例として上げるのなら、神や先祖に守られていると感じるのがそうと言えるかも知れない。
ならば、新しい視点から新たな神を発見するのも良いだろうと私は思う。
20世紀初頭に頭角を顕にしたクトゥルー神話も一人の小説作家から始まり、様々な人々に受け入れられて現在に至る神話となった。
これは同じ小説作家として大変な興味がある。
無論、彼のような神話になるまでの物があくまでも趣味の範疇である私に書けるとは思えない。
しかし、創作として世界を想像し、また創造する事は可能と言えるだろう。
私は私で新たな神と呼べる存在の在り方を思考して見ようと思う。
それでは改めて、始めるとしよう。
私と云う小説作家が新たに紡ぐ神話を。
まず初めに宇宙となる天と惑星となる地が存在する空間が創られた。
大陸が初めは繋がっていたように地は長い年月を掛けて徐々に削れ、惑星や隕石となって散らばって行く。
地は元は一つの天体であったと云うのが、何気なく、思い付いた私の宇宙均等説である。
ただ、思い付いたこの説だが、神が天と地を創造するのであれば、複数の惑星を同時に手掛けるのではなく、一つの天体として生み出した方が観測し易いと云うのもある。
宇宙は大元は一つであり、惑星と云う個性を持つ為に母である地から自立し、各々の軌道を持ち始める。
現代の人間がいまの段階で惑星の質を調べられるのは元は同じ天体から産み出されたものであるからと考えても良いだろう。
異なる点は自立した惑星特有の個性によるものだと考えられる。
そんな中でリーダーシップを取るようになったのが、太陽である。
正確に云えば、地の性質である自身を中心にする軌道を有した惑星である。
太陽は地に落ちた雷の影響か、或いは地のコアとなる部分に繋がる根ーー竜脈から生まれた。
それが地から離れて燻る事なく、彼方に散らばり、いまの様々な銀河を創った。
さて、では、最初に述べた大元となる天と地を創ったのは何者であろうか?
それは更なる大元となる天と地であると面白いだろう。
天と地が更なる天と地を産み、それが連鎖して現在に至るのだ。
ならば、もっとも根源にあるのは何か?
それこそが神と呼ばれるに相応しい存在であろう。
人は母なる大地を飛び出し、宇宙を見た。
だが、その先にあるモノまでは知りはしない。
どんなに優れた知能があろうと銀河を抜け、別の宇宙を発見しようとも最果ての存在までには到達出来ない。
また、宇宙に別の生命が存在すると知っても同じタイミングで生命を感知する事は出来ないだろう。
もしも、同じタイミングで生命同士が干渉したとしたら?
その時はより強いモノが支配するだろう。
惑星内で生命が争うのだから、惑星同士の生命体が真に共存する確率などはかなりの低さであろう。
地球もそうである。
他の惑星に生命の痕跡などは見付ける事は出来ても、存在を確認出来ないのは年代や環境による自然界の不干渉によるモノだ。
私が神と呼ぶ存在はそう云った争いを幾度となく、見て来て、いまの環境を作ったのかも知れない。
或いは自然界がもたらした新たなルールとも考えられる。