7章 もうひとりの私(13)
第64話 私と私
★★★(セイリア)
……負けていた?
身を起こしながら、私はその言葉を聞き咎めた。
目の前の、私を見据えている眼鏡の娘のその言葉を。
ふざけるな。私はまだ、負けていない!
頭のキレは、あなたに及ばなかったのは認めるけどさ、まだ私は負けてない!
騙し討ちが失敗しただけだ!
私にはまだ、実力行使という手段がある!
……実力行使の準備をせずに、ここに来ては居ないんだ!
私は装備を頭の中で確認した。
私の左腕には、特殊な仕込み腕輪が嵌めてある。
……ギミックで、小型の弓が展開する構造の腕輪だ。
大体、全長50センチくらいの弓になる。
射程距離は短いが、この状況なら十分だ。
ちなみに、矢は右のブーツに仕込んである。
本数は少ないけど。
撃ち損じは出来ないが、私は撃ち損じはしないから何も問題ない。
私は弓が得意。
その辺で売ってる弓でも、その辺の弓術大会で余裕で優勝してみせられる自信がある。
だから、こんな暗器みたいな変則弓でも、私にとっては素晴らしい武器だ。
この弓の存在と、私の精霊魔法の組み合わせで私は無敵になる。
周囲を闇に閉ざし、暗視能力を持つ私が一方的に相手を射る。
避けられる相手はまず居ない。
矢には当然、毒を塗ってある。例の麻痺毒だ。
今回は最初から人間相手に打ち込むわけだから、だいぶ薄めて塗ってるけど。
でないと、撃ち込んだら死んでしまうからね。
死んでしまえば人質の効果が無くなるし、意味もなく殺してしまうのは出来れば避けたい。
別に私は殺人鬼では無いんだから。
「……まだ勝負は終わって無いわよ」
彼女の動きを見据えながら、じりじりと身を起こす。
彼女は動かなかった。
彼女も、私の動きを注視している……。
そこで、フッ、と息を吐くように。
呪文を唱えた。
「闇の精霊よ。帳を下ろせ」
呪文が終わると同時に、私を中心に、爆発的に闇のエリアが展開する。
あたりの唯一の光源だったランタンの灯りも飲み込まれて消滅する。
光というものを、効果範囲から一切合切消去する闇の精霊魔法「召闇の術」
ここでは、夜行性の野生動物ですら視力を失う。
それほどの闇なのだ。
ましてや人間では、ここでは目が無用の長物になってしまう。
だが私は、念のために事前に唱えていた「暗視の術」の効果で。
この闇が、全く問題なく見通せる。
……暗視状態の視界だと、色が白黒になってしまうのがネックではあるんだけどね。
まあ、戦う場合には全く問題ない欠点なんだけど。
闇の中では、あの娘が、クミが立ち尽くしていた。
呆然としているのだろうか?
突如視界を奪われて、対処に困ってるのかな?
……フフ。あなたの雇い主のオータムもそうだったよ。
あれだけ、あのときは私を追い詰めていたのに。
この術1つで、あっさり脱出できたもの。
あなたもそうなってしまうのね。
……雇い主で、ある意味師匠でもあるんだっけ? オータムは? あなたにとって?
事前に、私はこの娘について調べていたから、色々思うところがあった。
元々オータムの屋敷の居候で、あるとき彼女に稽古をつけてもらい、助手として雇われたとか。
何が原因なのかがよく分からなかったが。
オータムは、助手を雇ったことは今まで無かったようだったし。
ま、そんな経緯はどうでもいいか。
師匠と同じ手で逆転され、今度は倒されてしまう。
なんとも皮肉で笑えるじゃ無いの。
私は勝利を確信しながら、距離を取って右のブーツに仕込んだ矢を引き抜き、左手の弓を展開してその弦に矢を番え、引き絞り……
トンッ
そのときだ。
クミが小さくバックステップした。
私は驚愕する。
そんな馬鹿な!? 見えないのに!?
この娘、真っ暗で何も見えないのに、全く躊躇わずバックステップをした。
しかも、1度じゃない。
トントンッ
連続だ。見えないはずなのに、全く躊躇わずに後ろに跳ぶ。
転ぶことが怖くないの!? 転んだら起き上がる前に殺されるかもしれないのに!?
……しかし、こうなると私の行動は限られる。
このまま、バックステップを術の効果範囲まで続けられると、逃げられる。
あのときは私が逃げる側だったけど、今は私が捕らえる側だ。
まずい! それはまずい!
だから、私はそのまま矢を射た。
横に回り込むようなことはしなかった。
後ろに下がられている以上、そんな真似をしている間に逃げられる恐れが高い。
ならば、正面から今すぐ射る以外に選択肢は無い!
だが。
キンッ
矢が、矢が……!
何故か、彼女に届く前に、空中で弾かれた。
何で!?
私は目を凝らした。
……いつの間に?
そこには、透明の結晶体みたいな壁が出現していたのだ。
……異能?
異能なの!? また!?
この街、異能使いはオータムとアイアとかいう女戦士だけじゃ無かったの!?
どうなってんのこの街!?
「……やっぱりそこから撃ってきたか」
クミが立ち止まった。
見えないはずなのに、こっちを見ている気がした。
じゃらららら!
大きな金属音がした。
ハッとする。
それが何なのかを理解しようとしたのが大きな間違いだった。
気が付いたとき、クミの前に突き出した両手に、金属の輪が2つ握られていて……
おそらく、背負い袋の中身がそれだったのだ。
後から思うと。
金属の輪には、鎖が繋がっていた。
何のためにそんなものを握ったのか。
どうやって握ったのか。
それを私はそこから数瞬後に知ることになる。
「喰らええええええええっ!!」
ブオンッ!
鎖が左右から、上段下段で私を挟み込むように振るわれる。
下は私の膝、上は私の胴体を狙う高さだ。
しかも、それがほぼ同時に迫ってくる……!!
まずい!
このままだと、どちらか片方を必ず喰らう!
喰らったらまずい! それが直感で分かった。
ならば……!
私は下段の鎖が振るわれる方向に走り、跳んだ。
こうするしかない! 待ち構えて回避は出来ない!
自分から行って、ほんの少しでも時間差を作り、回避のタイミングを……
だが。
空しく、上段の鎖が跳躍した私の背中を打ち、そのダメージ自体は小さかったけど……
私を打った鎖が、ぎゅるっ、と私の身体に巻き付いてきて……
「雷の精霊よ! その雷の迸りを!」
……雷の精霊魔法!
そこで、すべて理解した。
理解したが、遅かった……
次の瞬間、鎖から凄まじい衝撃が私を襲う。
感電だ。
「ぎゃあああああああっ!」
私の悲鳴を、クミは不敵な笑みを浮かべて聞いていた。
本当の、勝利を確信した笑みで。
★★★(クミ)
「闇の精霊よ。帳を下ろせ」
それぐらい、予想して無いと思ってましたか?
そのネタは割れてるんですよ。
対策くらい練ってますって。
セイリアさんの闇の精霊魔法の発動と同時に、私は何も見えなくなった。
セイリアさんの召喚した闇に飲み込まれてしまったから。
でも、問題ない。
事前に「操鉄の術」と「飛翔の術」を発動させておいたからだ。
操鉄の術は、背負い袋に入れておいた対策アイテムを操るため。
飛翔の術は……
トンッ
私は見えないまま、そのまま後ろに跳んだ。
転ぶことは恐れてない。
そのための「飛翔の術」
飛翔の術が発動しているから、転びそうになったら、術の効果で体勢を維持できる。
だから絶対に転ばない。
このバックスステップには、2つの意味がある。
ひとつは、この術の効果範囲から逃れるため。
もうひとつは……
キンッ
……予想して張っておいた「氷結防壁」に、矢が撃ち込まれたのが感じ取れた。
「……やっぱりそこから撃ってきたか」
この通り、矢を正面からの攻撃に限定させるため。
私が後ろに下がる以上、側面からは狙いづらくなる。
私は結構な速度で跳んでるからね。
後ろに回り込んで来る可能性もあったけど、その場合はバックステップを止めて、即座に上に飛翔するつもりだった。
さすがに、このバックステップする私を追い抜いて、後ろに回るなら、足音で気づくから。
セイリアさんは弓が得意と聞いていたから。
この状況で、何らかの方法で弓を使ってくる可能性が高いと踏んでいた。
予想通りで嬉しいよ。
接近戦を挑んでくる可能性も考えてたけど、見えないアドバンテージを一番活かせるのはやっぱ遠距離攻撃だろうし。
こっちの方が可能性高いよね。
まぁ、とにかく。
攻撃の方向から大まかな位置が割れちゃったね。
召闇の術の効果範囲は10メートル。そして、操鉄の術の効果範囲も同じく10メートル。
……つまり、闇の結界の中にいる限り、セイリアさんは操鉄の術の効果範囲に居るってことなんだよね!
だからッ!
私は操鉄の術を使用し、背負い袋に入れておいた対策アイテムを取り出した。
大きな金属の輪に、細い鎖が繋がったモノ。
鎖の長さはおよそ10メートル。それが2セット。
重さ対策で細目の鎖を使ったけど、合計20メートルもあるとかなり重かった。
でも、その甲斐はあったかな!?
私の手の中に金属の輪が飛び込んできた。
それを左右の手で構える。
……これが、私の闇の精霊魔法への対策。
多分セイリアさん、襲撃のなかった数日間に私たちを騙す作戦を練って来たんだと思うけど。
私たちは私たちで、襲撃された場合の対策をしっかり練ってるんですよ!
自分だけが対策打って、努力してると思わないで欲しいかな!?
「喰らええええええええっ!!」
左右から上下段で挟み込むように、鎖による底引き網のような挟撃!
これを躱せるなら躱してみてよ!
じゃららと金属音が鳴り、クワガタの大あごのように、2本の鎖がセイリアさんを左右から襲う!
鎖に、ヒットした感覚が伝わって来た!
今だっ!
すかさず私は呪文を唱えた。
「雷の精霊よ! その雷の迸りを!」
私は砲台としての魔法の使い方はあまり賢い使い方じゃないと思ってて。
実はこの術を実戦で使うのはこれが初めて。
放電の術。
手から電撃を放つ魔法だ。
この術の射程は本来10メートルは無いけど、鎖を使えばその距離を延ばすことが出来る!
魔法のスタンガンとして!
私の呪文が終わると同時に、私の手から電気が迸り、鎖を伝って、今鎖に捕らえられた標的に向かって流れていき……
「ぎゃあああああああっ!」
悲鳴が響き渡り、同時に闇が晴れた。
術者が意識を失ったから、術が解けたんだろう。
……そこには。
大の字で倒れ伏して、目をぐるぐる回して意識を混濁させてるセイリアさんが居た。
金属の鎖が絡まった姿で。
「これで、良いかな」
で。
行動不能に陥ってるうちに、ということで。
私はセイリアさんを縛り上げ、猿轡も噛ませた。
手錠も用意したんだよね。
縄で縛ると切られる可能性あるなと思ったから。
後ろ手で手錠を嵌めて、拘束完了。
「ふぅ」
ひとごこちついた。
私はその場に座り込んで、休憩。
移動は、セイリアさんが目覚めてからかな。
さすがに意識が無いセイリアさんを連行するだけの筋力は、私には無いし。
そのときだった。
「……勝ったんだ。さすが私、って言った方がいいのかな?」
……気づかなかったよ。
私の視界に、セイリアさん以外の誰かが現れていることに。
その誰かは、まだその段階でははっきり見えなかった。
ランタンの灯りが届かない位置に居たから。
その、誰かが問題だった。
何故って……
「……え?」
闇の中から、その誰かはゆっくりと歩み出てきて。
やがて、ランタンの灯りで見える位置に入って来た。
そこで、分かったんだ。
その誰かが、私と同じ顔、同じ身長、同じ体型。
同じ服に同じ髪型。
ただ、眼鏡の形だけが違う。
そんな女の子だ、ってことに。
……この日、私はとうとう、もうひとりの私に出会ったのだった。




