59.無法者
第五階層のマッピングの準備中、シガンはアドリアンロット伯爵に呼び出しを受けた。
なんとなく用件は分かっていた。
ベルのことだ。
大方、ザールムント子爵は伯爵に泣きついたのだろう。
「来たか、スカジャンのシガン」
「お呼びにより参上しました、シガンです」
「うむ。話の内容は見当がついているか? ……そなたのパーティメンバーにして恋人のひとりがザールムント子爵の娘ベルベットだそうだな」
「ええ、そうですね。それが何か?」
「娘を返して欲しい、とザールムント子爵が言ってきている」
「断ります」
「何をもって断る?」
「何を? 本人と恋人が揃って首を横に振っている状態ですよ。むしろ何をもってベルをザールムントにやるんです? 伯爵も、貴族の言うことならなんでも聞くとでも思ってはいらっしゃらないでしょう」
「そうなのか?」
「そうですよ。まさか伯爵はこの頼みごとを俺が断れないとでも思っていたのですか?」
「いや……何がしかの策を用いて断ると思っていたが、まさか無策で断るとは思ってもみなかった」
「ああ、なるほど。そういう意味では確かに。……ですが無策なのはザールムント子爵の側ですよね? 伯爵にただ頼むだけ、だなんて」
「そう言われればその通りではある。ならば貴族として問おう。ベルベット嬢の返還をアドリアンロット伯爵として命じた場合、そなたはどうする?」
「断ります」
「無策でか!? この私の命令を!? 正気か!?」
「いやむしろ伯爵こそ正気ですか? どうやって命令を履行させるつもりです? 俺は伯爵と良い関係を結んでいるしがない冒険者のひとりに過ぎません。伯爵の家臣ではないのです」
「しかしアドリアンロットの住人であろう」
「ああ、確かにそうですが……それが何か?」
「アドリアンロットは国王陛下に私が賜った伯爵領である。そこに住む住人はすべて私の命令に従う義務がある。これは国法によって定められている」
「ほほう。では法律を無視して屋敷に住まい続けたら、いかがしますか?」
「当然、騎士団を派遣してその身柄を拘束する……ん?」
「お気づきになられましたか。本当に騎士団を派遣して、俺たちを拘束できますか?」
「そ、それはできるに違いないだろう。むしろそなたはアドリアンロット騎士団に歯向かって無事でいられると本気で思っているのか」
「はい」
「なん、だと……」
「騎士の腕前がどうこうではないのですよ伯爵。俺、スカジャンのシガンはその程度の脅しに屈することはないし、なんなら法律も平気で破ります。無法者なんですよ、冒険者ってえのは。それを承知で国法なんて持ち出したんですか? 意味ないでしょうよ」
「いや、冒険者だってそれを縛る規則というものがある……」
「なら冒険者を辞めましょう。さあ、まだおれを縛る法律はありますか? 俺を縛る暴力装置はありますか? ……ないんですよ、そんなものは」
「う、ぬぬぬ……」
「俺はその気になればこの国をまるごと敵にまわしてもなんとかなると思って生きています。俺の自由は誰にも侵させはしない。……伯爵、だからベルは渡しませんよ」
「…………分かった。そなたの言う通りだ。確かにそこまでの覚悟を持った無法者をどうにかするのは難しい」
「分かればよろしいのです」
「それで。ザールムント子爵には断りの連絡を入れるのは私だが、諦める子爵ではないぞ。ザールムント子爵一家はベルベット嬢を決して諦めはすまいよ。どうするのだ?」
「どうかする必要があるのですか?」
「例えば今、この時にベルベット嬢がザールムント子爵の手のものにさらわれたら、そなた何ができる」
「助けに行きますよ」
「助けた後に、再びさらわれたら何とする」
「助けに行きますよ。何度でもね」
「…………そうか。それを面倒だとは思わないのか」
「思いますが……ではザールムント子爵が諦める方法があるとでも?」
「あるぞ」
「え?!」
シガンはこの日、初めて伯爵のことを認めた。




