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それから数週間が経つと貴族録の暗記もそこそこに、社交界デビューに向けて姿勢や食事マナー、口調、ダンスのレッスンと本格的なものが始まった。
ていうかさ。ヒール履きながらダンス踊るとかもはや拷問でしょ。こういう拷問もあってもおかしくないと思うんだよね。地獄よ?地獄。
しかも社交界って基本立食。足が棒になるよ。ぼうぼう鳥だよ。座らせてゆっくり飯食わせろ貴族ども、って感じだよ全く。
これは社交界デビューして早々壁の花になる日も近いね、きっと。基本的に男性は同じ爵位か、もしくは自分より下の爵位の女性しか誘えないらしい。ともなれば我が家は公爵家。しかも第4王子の婚約者ときたもんだ。
絶対誰からも誘われないでしょうにこれ。壁の花になれって言ってるようなもんよ。そのうえ、女性は壁で男性からの誘いを待つのみの完全受け身!!!
誰か透明化する術を教えてください。
「メリー様、目が死んでいます。輝かせてください」
「あなた自分がどのくらいの無茶を言っているか分かっている?」
来る日も来る日も公爵令嬢としてのマナーレッスンの日々。そりゃ目も死んじゃうよ、むしろ目だけで済んでいることに感謝してほしいくらいなんですが。
今はお辞儀のレッスンの最中だ。頭を少し下げる度に横髪が数本まつげに乗っかってしまう。ああ、長い髪の毛がうざうざしい。ばっさり切ってしまいたい。
「はい、そこまでで結構です。目が死んでいる以外は素晴らしい出来栄えです」
「一言余計ではないかしら」
「メリー様は飲み込みが早くて大変優秀ですね。この分では1年間といわずに半年ほどで事足りそうです」
まあ24歳成人女性(享年)ですから。
「しばしご休憩にいたしますか、私が紅茶を入れましょう」
「ええ、ありがとう」
ふぉぉ…やっと終わったか。ヒールで歩き回るのすら苦痛だというのに、踊ったあとにずっと立たせやがってからに。
勢いよく思い切りどっこいせと座りたい気持ちを必死に我慢して椅子に座る。一人でならやるんだけどさすがにね、家庭教師の前では出来ないわ。怒られるし。
つーか貴族って面倒臭いなあ。肩がこる。これは比喩表現無しでまじで。髪の毛もモリモリにアップしなきゃいけないから腰まで長いうえに装飾なんかも着けるしドレスも重いのなんのって。
よくまあこんなん着て涼し気な顔でいられるってもんだよ。考えられない。本当に。ワイシャツとかでよくないかな。せめて少しでも早く終わるようにと覚えるのに必死なんだよこっちは。
「本日はダージリンティーです」
「ジルって紅茶入れるのも上手いのね。アリーサも上手だけど負けず劣らずだわ」
「執事としての業務も一通り叩き込まれましたからね」
「でも、17歳でうちに来たってことは学園を卒業してすぐよね?学園では執事業務も教えてくれるの?」
「まさか。私は王都の学園には通っていないのですよ」
「えっそうなの」
「はい。王都の学園は公爵家以外は入学と同時に一定の寄付金がないと入れないのです。私の家は肩書きこそ爵位は持っているものの、財はあまりないので…。けれど私の勉学への入れ込み方を見た父が、旦那様に掛け合って家庭教師をつけてくれたのです」
「そういえば教師をつけてくれた、って言ってたものね。そういう意味なのね」
「ええ。その家庭教師も元々はセントポーリア家に仕えていた執事でして。老齢ではありましたが、旦那様直々に頼まれたことだからと、物凄い張り切りようで叩き込まれましたよ」
「さぞかし大変だったのでしょうね?」
「それはもう。最初の頃なんて毎日泣きながら教わっていたものです」
「ジルが?それは見てみたかったわ」
「お見せできるものではないですよ」
見たかったなー、幼少期のジル。そしてあわよくば泣かせたい。さぞかし可愛かろう。
「ジルの家ってうちから遠いの?」
「そうですねえ…馬車で5日ほどでしょうか」
「結構かかるのね」
「セントポーリア領は領土が広いですし、これでも近い方ではあるのですよ」
そういえば地図とか見てないなあ。今度見せてもらおう。
「家族と離れて寂しくはないのかしら」
「どうでしょう…家庭教師をつけていただいた日からずっと父は私にセントポーリア家に奉公させるつもりでいましたからね。私もそのつもりで知識を得ましたし、むしろ17でこちらに来れた時にやっと来ることができた、と思ったものですよ」
「そう…私も10歳になったら学園へ行ってしまうからどうなのかしら、と思ったのだけど。意外と平気かもしれないわ」
「メリー様の場合は旦那様を始めとして使用人たちの方が寂しがるかもしれません」
「確かにそれはあるわね」
「料理長のガレッダさんなんてあのいかつい顔と厳しい指導で恐れられているのにメリー様の前ではデレデレですし。威厳も何もないですよ」
「焼き菓子が絶品で、感動してお礼を言いに行ったんだけど。わざわざ使用人の部屋にまで来て言われるのは初めてだ、ってすごく喜んでいたわ。それからたまに行っているのだけど、たまにお菓子がもらえるのよ。これがまた美味しいのなんのって!」
「…お嬢様。立っているのが辛いのは間食による体重増加では…」
「あ、やっぱりなんでもないわ。お菓子なんてもらってないわよ本当よ」
「忘れるわけがないでしょう。今後はむやみな間食は禁止です。ガレッダさんにも伝えておきますからね」
「鬼。悪魔。人でなし」
「なんとでも言ってください」
…ふん、別にいいもん。ガレッダならこっそりバレないように渡してくれるから!
「さて、そろそろ再開しましょうか」
「あと5分!」
「きりがないのでダメです。さ、お立ちくださいメリー様」
かしずいて手を差し伸べられれば、断れるはずもなく。仕方なしにジルの手に自分の手を合わせて立ち上がった。
ああ、今日もどうか耐えてくれ。私の可愛い美脚たちよ。
やっと本日の勉強も終わった午後3時過ぎ。棒になった足に血液を回すべく、ぶらぶらと1人で庭を歩いていたのだが。
屋敷の裏の方でなにやらうっすらと声がする…?なに、こんな真昼間から幽霊とかやめてよ本当に。
おそるおそるゆっくりと顔をのぞかせると、なんてことはない。メイドが1人そこにいた。
いや!なんてことなくはないでしょ。なんで1人で裏にいるの?つか本当に生きてる?なんでうっすら喋ってるの怖いんだけど、生きてる人?
…とにかく話しかけてみよう。幽霊なら返事もしないでしょ。
「ねえ、何してるの?」
「え!?あっ………お嬢、様……」
振り向いたメイドは間違いなく生きたうちのメイドだった。ただ変わっていたのは顔が涙でぐちゃぐちゃになっていることか。
たしかお父様のお世話をしているミラ…だったかな?よくお父様のこぼしたコーヒーを愛想よく拭いてくれている。
「え、大丈夫?」
「お、おじょ…さ…ああああああああああ」
「ええええええええええええ」
ダバダバダバと目から鼻から体液が放出しとる。一体どうしたの…何があったというの…ていうか話しかけただけで号泣された…ちょっとショック…。
「ずっずびません!」
「だ、大丈夫よ。どうしたの?1人で泣いてたんでしょ?他の人には言えないこと?」
手持ちのハンカチを渡してとりあえず背中をさすっておく。どうすればいいのか分からないんだもの。
「ぐず……も、申し訳」
「謝るのはもういいから。泣きたい時は思い切り泣いた方が後腐れないと思うわ。今ここには私しかいないから、心配することないよ」
「…ありがとうございます」
数分経つとまだ多少の嗚咽はしているが最初よりだいぶ落ち着いたようだ。
「ずびっ……はあ、も、もう大丈夫です。お見苦しいところをすみません」
「いいのよ。私もジルに言われすぎるとたまに泣きたくなるもの、誰だってそういう時くらいあるわ」
「ジ、ジル…トレ様………あああああああああああ!!」
「えーーーーーーーーーー!!!」
なんでよーーーーー!泣き止んだじゃーーーーーーん!
せっっっかく泣き止んだのにーーーーーーーー!!!
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