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祈り手編

 荒廃した教会はステンドガラスの窓が無残に割れ、天井は崩れ落ちて天球の中心が見える。空の中心では水色に輝く大きな星が見えていた。

 月と比べようがないまでに大きく見える星は私を見つめ、一粒の涙を流した。その小さな涙は受け止めようと揃えた私の両手に墜ち、落下点から辺りに向かって濃厚な水色のマナを迸らせる。

 祈りを捧げるための椅子は全て破壊されているため、私はごわごわとしてぼろぼろな赤い絨毯に座り、マナの残滓を握り締めて目を瞑って祈った。

 神に祈りを捧げるという心は私には存在しないし、誰かの幸福を祈るほど優しくもない。ただ、祈るという行為が私に刻まれた本能なのだろう。

 私は神に作られた、神の人形。どういう意図で創られた人形なのかは全く知らないが、ただ一つ分かることがある。


『嫌だ!なにも守れずに死ぬなど嫌だ!』

「……聞こえたよ。なら、戦って」


 瞑目の暗闇に人の声が響く。

 男は家族や友人を守るために襲い来る異形の群れに立ち向かい、奮戦虚しく剣を折られてしまった。だから、私は風前の灯火である彼に、魔力で剣を編み出す力を与えるのだ。

 男は自分に与えられた力に困惑しつつ、勝利をその手に収めた。


『嫌だ……。あと少しだったのに、また私は……』

「大丈夫、やり直せる」


 少女は世界を救うために魔王に挑戦し、紙一重で敗北したのだ。だから、私は彼女の砂時計をひっくり返して、彼女の記憶以外の全てを「また」なかったことにした。

 そして、彼女の旅が再び始まる。


『世界は私の物だ!誰も私に逆らえない!』

『……罪深き男に、……罰を!』

「貴方は世界に拒絶されたから、奈落に追放される」


 世界を私利私欲のためだけに支配した欲深き男に、世界は私を経由して罰を下した。贅沢を極めた醜悪な豚は革命の末に処刑台に吊し上げられ、民衆が手に持った槍で突き刺されて長く苦しんでから死んだ。

 恐らく、地獄では民衆に代わって悪鬼が刑を続行するだろう。


 ただ一つ、分かること。それは、私が誰かの祈りに応えることができるというだけの、なんの役にも立たないことだけだ。もしかしたら、この声も想像の産物なのかもしれないのだから、信じられる物はなに一つも存在しないのだろう。


 ――世界は、残酷だ。


 人の祈りに混じって、死を運ぶ爆撃機の駆動音が聞こえる。

 声なき祈りを、亡霊の冷たい声が侵食する。

 機械仕掛けの全自動処刑装置が、祈り手を徐々に破壊する。

 私の力でも手遅れな祈りに対する答えは、祈り手を優しく終わらせることだけだ。

 爆発で飛び散った瓦礫で頭を吹き飛ばして死なせる、亡霊が苛む前に魂自体を抜き取る、または機械仕掛けの処刑装置を改変して処刑前に麻酔を打ち込む機巧を付けさせて、それらの因果を歪ませながらも正しい結果に執行させるのだ。

 私は冷酷で自分勝手な人形。勝手に人の道を歪ませて、勝手に導く悪魔。


「ツキガミの箱船。それがこんなにみすぼらしい物なんて、俺はがっかりだよ」


 祈りとは違う男の声。私は目を閉じたまま彼に返答する。


「壊れていても、終わる日まで祈ることはできる」

「それじゃあ駄目だって、俺は言ってるんだよ」


 流れ込む祈りが途絶えたのを確認して、私は目を開けて教壇の上であぐらをかく男を見る。男は黒いチュニックを着ており、チュニックで隠されていない場所から見て取れる鍛え上げられた筋肉は、誰かに彼は兵士だと言われても違和感はないだろう。

 彼は右手に持った書物を気怠げにぺらぺらとめくっており、私の視線に気付くとめくる左手を止め、左手を上げて挨拶をした。


「ツキガミは酷く弱っている。これがなにを示すか分からないまでに愚かではないだろう?」


 私は頭上の月を眺める。そして、心なく微笑んでみせるのだ。


「彼女や私が、もうすぐ終わるということ」

「ああ、そうだ。そして……」


 彼は書物を地面に落とす。書物は地面に溶けるように染みこんでいき、赤い絨毯に魔法陣が描かれる。

 その模様は破壊を司る魔術文字の塊、その中でも神だけが到達できる万物を消滅させることが可能な最強の魔法を表す物だった。

 その魔術文字を見せ付けられたとき、私はこんな感想を抱いた。

 ――「ああ、こんなものか」。と、感想を口から漏らしたのだ。

 右手の親指に魔力を込めてから、指を一回鳴らす。たったそれだけで、魔術文字の羅列は破壊されて消滅した。


「どうして、抗える力を持つのにお前は抗わない!神に使い潰されて消えることを良しとする!」

「分からないからだよ。なにも、分からないから」


 私には世界の道理など理解できない。消えるのに理由は必要ないし、ツキガミもただマナを墜としてくれる便利な道具にすぎないのだ。

 私はツキガミに創られた人形。私が死んでもツキガミは死なないが、ツキガミが死ねば私は消える。それ以外のことわりは要らない。

 私の在り方が彼を苛つかせるのだろう。


「お前は誰かに戦えと言う」

「神様から与えられた役目だから」

「好きに人を殺す」

「役目だもの」

「お前は神が青い物を赤いと言えば赤いのか?」

「それは極論。青い物は青い物、赤い物は赤い物」


 私にも意志は存在する。神様が間違っていることを口にすれば信じないし、正しいことを言えば信じるだけの話なのだ。

 私は従順なる隷属者、神の傀儡。理論も道徳も、法則すらも私の恭順を止められない。

 ……ただ、従順ではあるが忠誠はないのだ。忠誠心を持っているならば、祈りから生じた信仰をツキガミに届けるのだろうから。

 私は獲得した信仰を捨てている。私の創造者のツキガミが憎いわけでもなく、ツキガミをよく思わない神々の肩を持つわけでもない。ただ、終わりを知りたいのだ。


「はあ、ノズドルオンの旦那はこいつにこれを渡せば恐らく変わるというが、なにが変わるんだか……」


 彼は溜め息を付きながら空間を歪ませて、十二個の植木鉢と腐葉土の詰まった麻袋を二つ、そして桜の蕾が付いた苗木を一本、全てを虚空から取り出した。

 植木鉢の側面には生命の魔術文字が刻印されていて、恐らくこの植木鉢に植物を植えればすくすくと育つだろう。

 桜の苗木も神々が団結して祝福を与えて作り上げたと思われる最高級の品物であり、世界によっては神器と人々に崇められるだろう。


「これは……?」


 私の質問は無視されて、彼は私に命令する。


「これは神々からの託宣である。汝は祈りをやめ、命の製作を行うべし」


 私には拒む理由も疑問もなく、ただ頷いて答えた。

 当然だろう。神様がするべしと言っているのなら、それが理不尽でないのなら従うべきなのだ。

 彼は私が簡単に従うとは思っていなかったらしく、次の言葉を探すようにあごに手を置いて考え込んでいた。


「質問はないのか?あっさり進んで怖いんだが……」

「質問……」


 次は私が考える番となった。質問を求める彼には申し訳ないが、これといって質問を思い付かないのだ。

 することは桜の苗木を育てろということである。期限は明確にはされていないが、神様が続けろといったら続ければいいだろうし、そこまでと言ったらそこで止まればいいだけだ。

 目的は分からない。だが、神様の行為に目的を求めるのは背信の意思を示す行動であり、必要のないことなのだ。

 だから、私に知りたい事柄は存在しないということになる。

 いや、一つだけあった。


「月はいつ墜ちてくるの?」


 私が死ぬのは運命として決まっている。飢えた月はいずれ墜ちてきて、僅かな信仰と私という存在を全て喰らうのだから。

 遅かれ早かれ、ツキガミに私は殺される。


「俺は知らんさ。だが、遠くない未来だろうな」

「そっか」


 彼は教壇から降り、私に背を向けてこの世界から消えてどこかに行こうとする。

 ――「そういえば」。彼は三歩程度歩みを進めたとき、その言葉を口から吐きながら、振り返ることなく私の目の前に小さな革袋を投げて寄こした。


「桜だけじゃつまらんだろう?そいつには色々な植物の種が入ってる。俺の価値観を押し付けようと怒鳴ってしまった、その詫びだ」


 私は彼に感謝を込めて祈ろうとして、目を瞑りかけた。だが、神様の命令を思い出して、祈りではなくはっきりとした言葉で彼に応えた。


「ありがとう。でも、私はきっと変わらないよ」


 彼は微かに笑った。


「だろうな。だが、俺も変わらん」


 お互いの価値観を抉るための凶器と化した言葉が交差する。


「自ら終わりを願うなど、愚かすぎる」

「終わりこそ、平等で公平な安息なの」


 私たちは言葉で斬りつけ合いつつすれ違った。

拙者、軽いの書きたいでござる

重たいのは嫌でござる

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