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 私が話し終えると、そのひとは静かに言った。


「リーザ、お前は国王が好きなのか?」


 思わず顔を上げる。

 視線がかち合って、彼が冗談で言っている訳ではないことを理解した。


「……あ、当たり前じゃ、ないですか。そうでなければ、どうしてこんなところで、十年間も、ひとりぼっちに耐えていられるって言うの!」


 声を張り上げれば、涙声で掠れて妙に情けない。

 目から溢れだす熱いものを両手で受け止めるように、顔を覆った。


「陛下はっ、陛下は私なんか、なんとも思ってらっしゃないかもしれない……覚えてすらいないかもしれない。でも、でも私はずっと、あの方がまたここへ来てくださるって、信じて、ずっと」

「だが奴は十年間お前を放っていた」

「そんなこと分かってる……! でも、あなたも言ったでしょう? 女は愛されるのが本分だ、って。いくら無謀で、馬鹿みたいな絵空事でも、あの方に愛されたいって、そう望んで、なにが悪いの?!」


 ああ。

 こういう、ところだ。

 卑屈なくせに望みばかり大きくて、いつだって自分ばかりが可哀想だと思っている。本心は嫉妬で荒れ狂っているのに、なんでもない顔をして善人の皮を被って、上っ面ばかりの笑顔と言葉を重ねている。

 そんな人間だから、駄目なのだ。この十年間で思い知った。何度も何度も思い知って、結局正せないまま、月日ばかりが経った。


「……消えて、しまいたい」


 もうこんな風に、苦しむのは嫌だ。

 帰る場所もなく、愛するひとの寵愛も得られず、唯一の友人とすら心から笑い合えない。こんな人生に意味などあろうか。

 あとどれだけ涙を流したら、泡となって儚く消え去れるだろう。あとどれだけ嫉妬に苛まれれば、永遠の眠りを得られるだろう。

 物語の主人公にだけ許される、そんな悲劇的で美しい結末。夢想する度に自分を嘲笑った。そんなの私には無理だ。だって、私は所詮、ただそこにいるだけの中身のない脇役なのだから。


「リーザ」


 呼ばれたが、顔は上げなかった。すると、乱暴に顔を覆っていた手を剥がされて、顎を上向かされる。


 目を見開いた。

 すぐそこで、獣が獰猛な笑みを浮かべていたからだ。


「いいか、よく聞け。リーザ」

「ひっ……」

「俺と共に来い」


 恐怖に体がすくむ。

 なのに、視線を逸らせない。


「ここを出て、俺と共に俺の国へ行き、そこでお前は幸せになるのだ」


 言っている意味がわからなかった。


「俺の正式な名を教えてやろう。俺は、グレゴリオ・ラウ・ランバルディア三世。北にあるランバルド帝国の皇帝だ」

「……は……」

「ルカは幼少時の名だ。ごく僅かな近しい者にしか呼ばせていない」


 ランバルドと言えば、北の強国だ。この国よりもずっと広大な国土を持ち、豊かな資源を湛え、天下無双とも謳われる軍事力を備えているという、かの同盟国。

 そうだ。同盟国だ。ランバルドと同盟を組んでいるからこそ、他国に比べ国土も小さく軍事力も頑強とは言えないこの国が攻め入られることもないのだと、確か幼い頃に教わった。


 そんな国の、皇帝。

 このゴリラが。


「俺ならお前をここから連れ出してやれる。お前を幸せにしてやれる。俺の手を取れ、リーザ」

「どうして……」

「どうして? 理由か?」

「私なんか、連れて行ってもなんの価値もない。庶民出だし美人でもないし、特別な力がある訳でもないし、右腕のこれだってただの痣で、単に勘違いでここに連れて来られただけの“ツガイ”もどきよ……」

「ああ、確かにお前が“ツガイ”であれば都合は良かったな。でもそんなのは些事だ」


 今度は優しく、壊れものを扱うように両肩を手のひらで覆われる。

 正面から相対したそのひとは、相変わらず笑っているのに、さっきの獰猛さは成りを潜めていた。


「リーザ、俺はさっき確信した。お前は俺の運命の女だ。間違いない」

「う、運命って、そんな……」

「何故疑う。俺はお前に惚れたのだぞ」

「惚れ………えっ!?」

「本音を言えばもう少し尻が大きい方が好みだが、まあそれはこれから育てれば良いしな!」


 尻はどうでもいい。


「ほほほほほ惚れたって……な、なにが……どういう……」

「どうしたリーザ。顔が老婆のようだぞ」

「はっ……! そ、そういえば大体あなた、私のこと顔が薄いとかなんだとか言っていたじゃないですか!」

「うん?言ったな」

「顔が薄い女に惚れるひとがどこにいるんですか!」

「ここに」


 目眩がした。


「確かにお前の顔は地味を通り越して薄い。ついでに言えば存在感も幸も薄い。俺は目が肥えているからな、自信を持って言えるぞ。お前は総じて薄い」

「うっ……!! そ、そこまで断言しなくても……」

「だがな、俺にはその薄さが好ましい」


 そのひとがにっかと笑うと、白い歯がずらりと姿を現す。私の片腕くらいなら容易に食いちぎれそうだ。


「今まで相手にしてきたのは派手な美女ばかりだった。美女というのはたまに遊ぶと楽しいが、やはり常に側に置こうという気にはなれん。気が休まらない。その点お前はどうだ。確かに凡庸で地味な容姿ではあるが、それが功を奏したのか全く邪魔にならん。俺を本気で動物だと勘違いする可笑しな女だし、きょどきょど動くのも面白い。べそべそ泣く幸薄そうな佇まいも気に入った。お前ともっと話してみたくなった。だから今日もここへ来た。お前といると時間がゆるやかだ。不思議と腰を落ち着けたくなる。女と居てこんな気持ちになるのは初めてだ」

「で、でも、私……さっきの、聞いていたでしょう。嫌な女なの。好かれるような人間じゃない」

「好くか好かぬかは俺が決める」

「……あなた、変だわ」

「お前こそ変だ、リーザ。お前は先程自分が醜いと言ったな。だがそれは間違いだ。お前の中にある感情は誰しもが持ち得るものだ。それはこの国の王も、あの“ツガイ”も例外ではない。目立って感じられるのは、お前が今不幸だからだ。不幸だから幸福な人間を見るとその感情が増大するのだ。ではどうすればそれが解決すると思う。簡単だ。幸せになれば良い」

「……あ……」

「俺が、お前を幸せにしてやる」


 手のひらが震えた。

 頬を伝っていく熱さが、温度を上げる。



「俺の手を取れ、リーザ。俺のもとで、お前は世界一幸せな女になるのだ」



 十年前、陛下と初めてお会いしたとき、予感した。

 この方に愛されたら、きっと私はこの世で最も幸福な女になるのだろうと。


 それは結局成し遂げられなかったけれど、私にもまだ、私なんかにも、まだ、残されているのだろうか。

 誰かに愛されて、そのひとの腕の中でこの世のどんな女性よりも幸せになる、そんな権利が。


 思わず立ち上がっていた。

 逃げるように半歩距離を取ると、俯いて視線を地面に巡らせる。

 傍らで巨躯がのっそりと立ち上がる気配がした。


「……でも……でも私、もう側室になんてなりたくない……!」

「側室ではない。正妃として迎える」

「……え?」

「ちなみに俺はまだ未婚だし、側室を持ったこともないぞ」

「だ、だけど、さっき美女ばかり相手にしてきたって」

「あれは商売女の話だ。皇帝が娼館通いなど聞こえが悪いと散々言われてはいるんだが、俺は至って健康体だからな。たまに性欲を発散させねば具合が悪いだろう」

「な、な、なん」

「だが安心しろ。お前を正妃に迎えた暁にはお前しか抱かん。俺は絶倫だからな、覚悟しておけ!」

「おおおお大声でなに言ってるんですか!!」

「聞こえなかったか? 俺は絶……」

「言わなくていいです!!」


 顔が茹でダコのようになっている自覚はあったが、指で差されながらあっはっはと可笑しげに笑われるとさらに恥ずかしさが増す。誰のせいでこんな風になっていると思っているのか。


 羞恥と怒りでぶるぶる震える両手を握りしめて、下唇を噛んだ。馬鹿にされているようにも思えた。けれど、このひとは本気だ。本気で、出会った二日のこんな薄い女を、正妃に迎えようとしている。

 それが分かっていたから、気持ちはするすると、自然に落ちついていった。


「……皇帝、陛下」

「ルカでいい」

「る、ルカ様」

「“様”もいらん」

「そ、それは、流石に……」

「む、そうか。なら無事婚姻を交わした暁にはルカと呼べ」


 まだ結婚するとは言っていないのだが。


「……本当に、私をここから、連れ出してくださるんですか?」

「勿論だ」

「でも私は……出来そこないでも、この国の国王陛下の側室ですよ」

「知っている」

「叶わなくても、あの方を愛しています」

「そうか」

「それでも私なんかに惚れてるって言うんですか?」


 びくびくと怯えながら、そのひとを見上げた。

 一体なにに怯えているのか、自分でもうすうす分かっている。否定されるのが怖いのだ。ようやく見つけられたかもしれない希望の光に、やはりお前になど興味はないと捨て置かれるのを恐れていた。

 そんな私の内心を知ってか知らずか、ルカ様は眦をゆるりと下げて、私が距離を取った半歩分体を寄せてくる。

 私の頭二つ分ほど大きいその巨体が間近に立つと、圧迫感が尋常ではなかった。


「問題など何もない」

「……え」

「お前は俺の運命の女だ。だからお前も、そのうち俺を愛するようになる」

「な、なにを根拠に」

「根拠が必要か? それならば、そうだな……」


 長く太い、逞しそうな両腕が私の背中に回った。

 世界が、大きなそれに覆われる。



「俺が、お前を好きだからだ」



 なんだ、それは。

 頭では冷静にそう考えているはずなのに、私は、そのひとに反論することも、その言葉を笑い飛ばすこともできなかった。


 ただ、言葉の代わりに両の目から溢れだした雫だけがあつい。

 もしかしたら、このあつさを、ひとは幸福と呼ぶのかもしれないと思った。







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