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 ここへ来てからというもの、泣き暮らしてばかりだった。

 あの方の元へ側室として迎えられてから、ずっと。



 私は庶民の生まれだった。

 だから生まれてこの方、一国の王の側室になるなどまるで考えたこともない。

 通常、側室として迎えられるのは貴族以上の身分の女性である。庶民が選ばれるなんてほとんどあり得なかった。

 ではなぜ私が王の側室となったか。

 理由は、この右の手の甲から二の腕に向かって伸びる特異な痣だった。


 この国、カロリアには、ある言い伝えが存在する。

 『代々王位を継承する者には“ツガイ”が居り、それと婚姻を結べば、その王の代の治世は磐石となる』というものだ。

 実際の真偽のほどはわからないが、代々の王はこの言い伝えを守り、百年以上この国の平和を保っていた。

 そして、その重要な“ツガイ”の目印となるのが、右腕に顕れる紋様だったのである。


 小さい頃から、私はこの腕の痣が嫌いだった。

 年頃になると人並みにお洒落をしたいと思うこともあったが、同年代の女の子たちのまっさらな柔肌を目にする度、自らの腕を省みて恥ずかしく思った。人に見せられたものではないと思った。だから人目を避けるように、季節を問わずずっと長袖の地味な服を着て過ごしていた。

 けれどどこで知られたのか、私が十六の頃、村で私の腕の痣が噂されるようになった。中には、私のことを言い伝えにある“ツガイ”なのではと言うひともいた。

 私自身は自らの身分を考えればそんなことがある訳がないと思っていたし、だからこそ腕の痣を隠していたのだが、いつしかその噂は村から隣の村へ、街へ、さらには王都へと伝わっていった。


 そして、運命のあの日が訪れた。


 私が家の中で裁縫の仕事をしていると、急に外が騒がしくなった。

 家の戸を叩かれ、母が応対に出た。なんだろうと思っていたら、止める母を押し退けて厳めしい甲冑に身を包んだ人たちが次々と押し入ってきた。

 その人は唖然とする私の腕を掴むと、長袖に被われた部分を乱暴に引き裂いた。忌々しい腕の痣が、姿を表す。それを確認して、その人は後ろに控えた部下らしき甲冑の人物に言った。


「“ツガイ”と思しき女を発見した。連行する」


 その後のことはもう、よく覚えていない。

 泣いて引き留める母を振り払って甲冑の男たちが私を馬車へと押し込んだあたりまでは記憶があるが、次に気付いたときには、すでに王城の一室にいた。

 広くて豪華な造りの部屋で、目の前には神経質そうに眉を吊り上げる男の人。


「貴女には今夜、王の閨に侍って頂きます。貴女が本物の“ツガイ”かどうかは王御本人にしか判別できないので、急なことですが御用意を。くれぐれも、ご無礼のないように」


 訳が分からなかった。

 なぜ、私が王の閨に。混乱して詰問すると、男は煩わしそうな顔で答える。


「ですから、貴女は王の“ツガイ”候補なのです。その腕をみなさい。庶民にシルシが発現するなど前代未聞ではありますが、まあ長い歴史上、そんな事もあるのでしょう」


 私が、“ツガイ”?

 信じられなかった。

 私のような田舎出の庶民が、まさか。それに自慢ではないが、私の顔は人並みだ。いや、いっそ人よりも地味とすら言えるかもしれない。恋だってまともにしたことがないような女だ。

 そんな私が、王様の“ツガイ”かもしれない。

 物語かなにかを読んでいるようだった。現実味が全くなく、ふわふわと宙に浮いている気分。


「ともかく、早く支度を。侍女を呼んでいますから、せいぜい身綺麗にしておきなさい」


 未だ混乱する私を残して、男は去った。

 それと入れ替わるようにして、何人かの女たちが入ってくる。彼女たちによって私は体を清められ、髪を梳かされ、薄く化粧を施された。申し訳程度の面積しかない下着と、着るのも脱ぐのも簡単そうな、それでいて繊細で凝った刺繍が目を引く美しい服(貴族にとってはこれが寝間着らしいと後になって知った)をいつのまにか着させられた。


 そうして気付けば、王の寝所に立っていた。

 傍らの侍女が、もうすぐ陛下が参りますので暫しお待ちください、と行って部屋を出ていく。


 いよいよ一人になって、ようやく頭が回りだした。

 これは、どういうことだろう。一度も恋をしたことがないような地味な女が、王様と一晩を共にしようとしている。

 改めて冷静に考えるとすごいことだ。物語で読んだ主人公の少女は、こういうとき決まって抗おうとしていたなと思い返す。自分の相手は自分で決めると、息巻いていたなと。

 けれど、そんな必要がどこにあるのだろう。

 確かに主人公の少女は大抵が美人だと相場が決まっているから、自分の思うまま望んだ相手と好き合うことが出来るのかもしれない。

 でも私は違う。私のような女は、きっとどんな男性からも求められない。年齢ばかり重ねていって、いつか売れ残りだと後ろ指を指されることになるのが関の山だ。


 そんなことに、なるくらいなら。


 その時、不意に背後の扉が開いた。

 振り返ると、長い濡れ羽色の髪を揺らした男性が立っている。その顔が不審げに歪められた。


「……何者だ?」


 空気を振動させたその声は、低いバリトン。恐怖とは違う何かで、体が縛り付けられた。


「あ、あの、わた、私……」

「……ああ、そうか。お前が例の」


 ちらりと私の腕に目をやったそのひとは、得心したように言った。

 見られた。恥ずかしくなって咄嗟に腕を隠す。長年の癖のようなものだった。そして、相手がこのひとなら尚更だった。


 まるで物語に出てくるような美男子だったのだ。


 年齢は私より十は上だろうか。

 腰まで垂らした艶めく黒髪もさることながら、すっと通った鼻梁や切れ長で知性を感じさせる目、薄く形のよい唇など、すべての造形が整っていた。

 庶民ゆえに王の姿を見たのはこれが初めてだったが、こんな美しいひとがこの世にいるのだと思うと驚愕を禁じ得なかった。


 心奪われた。

 一瞬で。

 このひとに愛されたなら、きっと私はこの世で最も幸福な女になれるのだろうと思った。


 王が、口を開く。


「悪いが、出ていってくれ」


 え。

 思わず声が出た。


「どうせオルネルあたりが早とちりをして連れてきたのだろうが……」

「え、え、は、早とちり……?」

「お前は私の“ツガイ”ではない」


 ツガイデハナイ?


「私は己の“ツガイ”を判別できるが、お前は違う。はっきりと言える」

「ど、え、でも……」

「私の“ツガイ”は六年前にこの世に生を受けた。私たちは繋がっているから分かるのだ。見たところお前の年齢は六より上のようだし、何よりお前を見ても私のシルシが疼かない。決定的だ」


 視線を動かすと、衣服に被われてよく見えないものの、王様の左手にも痣のようなものがあった。いや、あれは痣というより紋様だろうか。


「オルネルにも年齢の事は言ってあったのだがな。該当する歳の貴族の娘には“ツガイ”がいないと分かって以来、さては庶民に紛れているのだろうと躍起になって探しているらしいとは聞いていたが………まさか見当違いの娘を連れてくるとは」

「……見当、ちがい」

「確かにその痣では間違えもしようものだが」


 王様はひとつ溜め息を吐くと、扉の向こうにむかって声をかけた。

 するとすぐに、さっき私女についていた侍女が扉を開けて入ってくる。


「彼女を部屋に」

「かしこまりました」


 こちらへ、と女に促されたけれど、でも、あの、と意味のない言葉を繰り返してその場に留まってしまう。

 ちらりと王様を見れば、冷悧な顔つきはそのままに、けれど私を安心させるような声色でそのひとは言った。


「心配する事はない。オルネルには私から言っておく」


 それきり、私は最初にいた部屋へ連れ戻された。



***



 次の日、満足に眠れもしなかった私の元に昨日の神経質そうな男の人が訪れた。


「昨晩は陛下が大変失礼を致しました。あの御方には常々、例え“ツガイ”でなくともお相手して差し上げるようにと申し上げているのですが」


 謝っている内容がよく分からないが、私はとりあえず頷いて見せた。

 すると、男性は早々に話を切り上げて別の話題に移る。謝意は見せかけだけだったらしい。


「では、早速ですがリーザ様。貴女にはこれから先、死ぬまでこの城で過ごして頂きます」


 息が止まった。


「……ど、どういうことですか? 村に……家に、帰っちゃいけないんですか?」

「そうです。貴女はこれより王の側室として、後宮で生活するのです」

「……そくしつ……?」

「貴女は王の“ツガイ”ではなかったが、閨に侍った以上は帰す訳にいきません」

「そんなっ、だって私、結局王様とは」

「何もなくともそうした目的で寝所に入ったという事実が重要なのです」

「でもそう指示したのはあなたじゃないですか!」

「静かになさい、煩わしい。何を怒る事がありますか。貴女のような庶民が王の側室となれるのですよ? 喜びこそすれ、口答えする事ではない」


 何を言っているのだ、この人は。

 勝手に連れてきて、勝手に違うと言われて、その上勝手に閉じ込めようとしていると言うのに、なぜこんなにもてらいなく物が言えるのだ。

 手がぶるぶると震えた。あまり怒ったことがないのが災いして、どう外に吐き出せばよいのか分からなかった。

 涙が出そうだ。怒りで涙が出るなんて初めて知った。


「まあそもそも、帰ろうなどと考えたところで貴女にはもう居場所はありませんが」

「……え?」

「貴女のご家族には昨晩の内に手切れ金を渡しました。一生食うには困らない金額です。それに仮にも王の側室の血縁ですからね、身分も引き上げてやると約束しました。あの村から一番近い街に屋敷を与えたので、これからはそちらに住むことになるでしょう」

「で、でも」

「ご家族は大層喜んでいらしたそうですよ。王の側室となる貴女をきっと誇らしくお思いのことでしょう。親孝行なことです。良かったですね」

「……あ……」

「だから、気に病まれないで下さい。貴女は決して、ご家族に金で売られた訳ではないのですよ?」


 笑うその顔が語っていた。お前は金で売られたのだと。


 涙がついにこぼれ落ちる。

 それは私がここへ来てはじめて流した、涙だった。







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