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未知との遭遇

『いいか多中オオナカ。人はみな下半身に支配されてるんだ。頭で考えているのではない。下半身で考えているのだ』と先輩は言った。

『えっ、それじゃあ脳はどうなるんですか?』と俺が聞くと、

『あれは医者と広告代理店とNHKが作り上げた架空の器官だ。お前自分のノーミソみたことあるか?ないだろ』

『な、なるほどぉ』

『まぁそれはさておき、我々は下半身に支配されている。しかしどうにかこうにか下半身支配から抵抗し、脳みそで物を考えている奴らもいる。それが学者であり、我々学生だ。これが理性というものだぞ多中』

『先輩、さっき脳みそは架空の器官だって言いませんでしたっけ』

『それが陰謀なんだ。多中、陰謀に負けるな。清く正しく美しく、下半身に抵抗しろ!』

『はい。先輩!』

以上が、俺が大学一年の時にした文芸部の先輩との会話である。

それからちょっと後、先輩はゼミの後輩と付き合いだし、『いやーやはり来るな。モテ期は』と恵比須顔で言い放ち、俺は殺意を抱いた。


 あれから二年がたった。なんとか三年には進級し、無駄な知識と無駄な交友関係を得た。今日も無駄な宅飲みで、無駄に芋けんぴをかじっている。

「多中、どうすれば痴女に会えると思う?」と聞いてきたのは同期の安田ヤスダ。この家の主人である。

「…………とりあえず家にこもっていては会えないんじゃないか?」

「外出たくないっす」

「俺も」と言ったのは後輩二人。大して差異はないので呼称をA、Bとしておく。

なんとなくわかったと思うが、この場にいる男四人には現在、彼女はいない。これまでずっといなかったかどうかは知らない。知りたくもない。

ちなみに俺が体験した人生で一番エロかった出来事は、中一の夏休み、四つ上の巨乳の従姉と一緒の布団で寝たことである。すごいもういろんなところが固くなった。従姉は柔らかかった。そんな想い出の彼女も今では立派な二児の母である。ああ死にたい。

酒をあおった。

「でも痴女って怖くないですか? いきなりいやらしいことしてくるんですよ。ほとんど露出狂で変態じゃないですか」と後輩A

「というか露出狂で変態だろ」と安田。

「やっぱり優しくてかわいい痴女に会いたいなあ」と後輩B。

「高望みしすぎだろお前」と俺が突っ込むと、

「人は幻想を持たざるを得ない種なのですよ」と返された。

Hなことがしたいのだ。ただそのための努力はしたくない。金を払っていくほどの情熱も無いし、金もない。この酒席は誰も傷つけない願望を垂れ流しているだけの場だ。何の意味もない。

そもそも人が生きることに意味はあるのだろうか? いやこれを考えるのは止めよう。哲学に興味はない。

「優しくてかわいい痴女を安定配給するところとかないかなあ。絶対行くよ」とB。

「もう、そういうお店いけよ。お前」とA。

「いや、俺はそういう子と出会って恋愛したいんだ」Bが熱弁した。

「虚構だよ。それは、空から女の子は落ちてこない」俺は断言した。

「先輩。夢はあきらめなければ必ず叶うんですよ。痴女の星は必ず宇宙のどこかにあるんです!」

Bが宗教家のような夢見た目で言った。

「……そういえば安田先輩が、なんか後輩にコタツでセクハラしたみたいな話聞きましたけど」

Aがそう言うと、

「ち、ちげぇよ、馬鹿!」

安田が慌てふためき出した。それで話の流れが変わった。まぁ時間つぶしの与太話だったのだ。


 深夜二時に飲み会は解散となった。

外に出ると息が白かった。まだ雪は降ってないが、そろそろ降りかねない。この盆地にある街は夏は暑く、冬は寒い。自然豊かで、景観は美しいが、人のための街としては整備されていない。

「寒いっすねぇ」

「うん」

「じゃあ俺たちはこれで」と後輩二人が言った。こいつらとは帰る方向が真逆なのでここで別れることになる。

「ああ、じゃあな」

 別れて自転車に乗った。

 人影は見えない。寒くて、静かな夜。俺が自転車をこぐ音だけが響いた。

 こうしていると世界が俺のものに感じる。または俺一人しか世界にいないように感じる。

 もちろん錯覚である。手が寒くて痛い。手袋をしてくるべきだった。

 もうすぐ家に着く。ほら公園が見えてきた。公園には少女がいる。

 ん!?

 見たものを確かめるためにブレーキを踏んだ。タイヤがアスファルトを擦り、ききーっと音を立てた。

 俺はまじまじと公園に立っている少女を見てしまった。

 年は十四から十六ぐらいだろう。肌は浅黒い。薄いチョコレート色とでも言えばいいのか。

 茶色い髪でボブカット。黄色い目。顔はなんだか困ったような顔をしているが、とても整っている。背は平均より少し小さい。

 今日がハロウィンかなんかだと勘違いしたのだろうか。服装は奇天烈で、まるで季節感がなかった。上は黄色いビキニしかつけていない。黒い尻尾がついてるショートパンツから足がすらりと伸びている。腰にはバッグがついている。

 アニメや漫画でしか見たことがない服装の少女が、十一月の夜空の下、公園に立っていた。

 俺の現実感が音を立てて崩れた。これは本当に現実なのだろうか?

 困ったような顔をした少女の顔が明るくなった。何を見つけたんだろう。彼女の視線の先にあるもの。

 あ、俺か。

 実際に痴女に遭遇してわかったことは、とにかくパニくるということだ。

 俺は逃げていいのかどうかさえ何にも判断できなかった。

 考えることもできなかった。

 少女が近づいてきた。小動物みたいな歩き方だった。

「ア、アノここ、チキュウですか?」

 俺はこの時、全力で自転車をこいで少女から逃げても良かったのだ。だってどうみてもやばくて、関わってもロクな事がなさそうだと予期できたのだから。

 ただ俺は駄目な大学生活を送っていた。そこそこ楽しいけれど、どこにでもあるような。平均的で平凡な特徴のないモラトリアムを送っていたのだ。

 だからなにかとてつもないことが起こらないかなと心のどこかで期待していた。ロクでもないことを歓迎していた。

 だから少女の問いかけに答えてしまった。

「はい。ここが地球です」


「ソ、ソウですか」

 少女は嬉しそうな顔をしてから、

「オシエテいただきありがとうございます」

と言って頭を下げた。

 思っていたより礼儀が正しい。言葉はイントネーションが若干独特だけど、日本語だ。

「あ、いえ」

 俺はどこを見ればいいか分からなかった。少女がほぼ半裸だったので、目のやり場に困ったからだ。

「あの、寒くないですか?」

 聞かなくても良いことを、俺はつい聞いてしまった。

「へ?」と少女は言ったあと、自分を抱きしめた。

顔を青くして、うううと呻いたあと、なんだか外国語の単語らしきものを連発した。

「大丈夫?」と尋ねると

「あ、あなたのセイです!」

 いやどう考えてもこの寒いのにそんな恰好をしているあなたのせいです。

 俺を指差して、

「そ、ソレください。ソノ服です!」

 どうやら俺のジャケットを要求しているらしい。

 しょうがないから脱いで、渡した。肌寒い。

 ジャケットを少女は羽織った。まだ寒そうだが、さっきよりは楽そうだ。頬が寒さで紅潮していた。ジャケットの袖がだいぶあまっていた。

「ふうう。アノもう寒いっていわないでください。オネガイです」

「はあ」

 気から寒くなるってことだろうか。

「アノ、ココからいちばん近い、グンとかホーテキキカンとかケ―サツわかります?」

 軍という言葉が出てきてしまった。あまり聞きたくは無かった。俺は彼女の質問に答えた。

「交番ならちょっと時間かかるけど、ありますよ。でもその恰好で行くんですか?」

 間違いなく揉めるだろう。

「アー、アタシの服、ココではヘンですか?」

「ええ、まあ、だいぶ変わってますね」

「んー」唇に指を当てて、少女は考えている。

 というかここに警察が来たらやばいな。なんもしてないけど。「お話」は間違いなく聞かれるだろう。

 なんで俺こんなことしてるんだろう。

「んー、アナタのお家、ここから近いですか?」

「……近いかな」

 ひどく嫌な予感がした。

 彼女は、腰につけたバッグから黒い筒状のものを取り出した。それを見て、血の気が引いた。アクション映画やミステリー映画で見覚えがあるものだった。

 端的に言うと、少女が取り出したものはピストルに似ていた。

 が、ピストルは彼女のお目当てのものではなかったらしい。しばらくバッグをがさごそ探ってから、少女は顔を輝かせた。

「これで、どうですか?」

 と言って、彼女が渡してきたのは、金色に輝く、丸い何か。いやはっきり言ってしまおう。金貨だった。

 金貨を流れで受け取ってしまった。思考するのがひどく難しい。

 何がどうなんだろう?

「これでアナタのお家にとまらせてください?」

「……え、あ、はい」

 承諾してしまった。理性が馬鹿だなお前となじってきた。理性が正しかった。


「アナタの名前を教えてください」

 俺のアパートに行く道中、少女がこう尋ねてきた。

多中良時オオナカリョウジです」

「アタシはエミリア・ゴドーです!」

 少女、エミリアはニコニコして自己紹介した。

「アナタのこと、ナンテ呼べばいいですか? リョージさま? 旦那様? パパ?」

 ヤバイ。どう考えてもやばい。ちょっとHなラノベやギャルゲーみたいな展開になってきた。

「リョ、リョージでいいです」

「リョージさま?」

「様はつけなくていい」

「イヤ、イッショクイッパンノオンギですから。それとレーギです」

 変な言葉を知っているけど、多分使い方間違えてる。

「だったらせめてリョージさんにしてほしい」

「ハイ。わかりました。リョージさん!」

 なんだかちょっとアンモラルになった気がする。これで本当に良かったのか?

 そうこうしている内にアパートに着いた。

 アパートメント柏木。家賃はそれなりに安く、部屋はそれなりに広い。なかなかいいところだと俺は思っている。大家の柏木さんは無口だけど親切な人で、ときどき季節の果物をくれる。

「ここ、全部リョージさんの家ですか?」

 二階建てのアパートを見て、エミリアは言った。

「いや、一部屋借りてるだけ」

「へー、あ、ジテンシャがたくさんある!」

 自転車置き場を見て、エミリアは目を輝かせた。そういえば来る途中も俺の自転車をちらちら見てた気がする。

「自転車、好きなんですか?」

「アコガレなんです。のれませんけど」

 すごいなーチキューと、エミリアは周りを見て感心しきりだ。

 俺は自分の部屋が人を招き入れることが出来る状態かどうかが心配だった。安田の家に行く前に掃除したから大丈夫なはずだ。きっと、たぶん。

 部屋のドアを開けて、電気をつけた。

「オオー」とエミリアが感嘆の声を上げた。

 部屋は何とか人を招き入れられる状態だった。掃除しておいてよかった。しかしもう一回掃除機はかけた方が良いだろう。

 エミリアは部屋のものを、きょろきょろと興味深そうに眺めている。

「リョ、リョージさん、これなんですか?」と言って指し示したのは、冷蔵庫だった。

「これは冷蔵庫です。食材の保存が出来ます」

 冷蔵庫のドアを開けてみた。

「オオー、冷たい。これはなんですか?」と言って次に興味を示したものを説明する。

「炊飯器です。米が炊けます」

「オオー、サンシュのジンギ。じゃあこれは?」

「ガスコンロです。こういう風に使います」

「オオー、青い火がついた。じゃあこれは?」

「TVです」

 こうして俺はエミリアに家じゅうのモノを説明した。

 エミリアは目を輝かせて、さっきの外国語の単語を連呼している。なんとなく感嘆していることが分かった。

「あの、リョージさん、オフロってありますか?」

 ユニットバスならあるので、連れて行って説明した。

「こうしてこうするとお湯が出ます。で、こうするとシャワーが出る」

「おぉ。やっぱりチキュウはスゴイです」とエミリア。

「タオル、ここにおいときますんで」

「ありがとうございます」

 少女は微笑んでいた。

 水を一杯飲んだ。説明し通しでつかれた。いやでもエミリアのことについて考えなければいけない。

 しばらく考えて思いついたのが、外国から連れてこられたエミリアがヤクザとかのそっち系に水商売をさせられていて、金を奪って逃げてきたという話だ。銃持ってるし、警察のことを知りたがっていたし。外国の人であることも間違いないだろう。しかしだとしたらここがチキュウだと確認する必要は全くない。それにヤクザが金貨を使うだろうか? 疑問はかなりある。だがまあこれが一番納得できる話だ。

 だとしたらこの場合、俺はどうしたらいい? 警察に電話すればいいのか? しかしどう説明すればいいんだ? そもそもする必要があるのか? 俺とエミリアは偶然出会った他人だ。関係ない。いやでも。

 悩んでいたら、少女が風呂から出てきた。

「リョージさん、でました。気持ちよかったです」

 俺はそれに返事が出来なかった。

 エミリアが裸だったからだ。

 濡れて色が濃くなった髪。体についた水滴。成長途中の丸みのある肢体。小さい乳房。そして黒い尻尾。

 均整が取れているなと一瞬思った。そして慌てて目を逸らした。

「ふ、服着て早く!」

「え、あ、はい」

 さきほどの光景が凄い速さでリフレインした。体に着いた水滴。小さい乳房。肢体。

 ああ、これはたぶん一生忘れられないなと思ってしまった。

 俺の人生で一番エロい経験は、今日記録更新した。


 エミリアは着ていた服でいいですと言ったが、Tシャツを着せた。使っていない新品の奴で、コロンビアコーヒーとプリントされた緑色のTシャツだ。何を思って買ったのか思い出せない。

 サイズが合っていないのか、ぶかぶかしている。もしかしたらさっきよりもひどくなったかもしれない。

 黒い尻尾が左右に動いていた。エミリアはこっちを楽しそうに眺めている。

「あの、その尻尾」

「ああ、ドウですか?自慢のシッポなんですけど」

「……そうなんだ。よく似合っているよ。本当に、うん」

 少女は嬉しそうな顔をした。

 ……うん、本当によく似合っている。

 ヤクザがよその星から連れてきたエミリアに水商売をさせていた。そして彼女が金を奪って逃げた。

 ヤクザがバイオ技術によって尻尾を生えさせたエミリアに水商売をさせていた。そして彼女が(以下略)。

 ううん。ヤクザ説は無理があるな。というか目の前の少女がこの星の人間なのかどうかも怪しくなってきた。

 もう直接聞いた方が良いのではないだろうか?

 少しためらってから俺は訊いた。

「エミリアさん、君は一体どこから来たんだ?」

「……アタシは、ここではない世界からやってきました。クワシイ理由は話せません。リョージさんが知ったらキケンかもしれないからです。あのメーワクだったら、とまらずにでていきます。キンカもさしあげます」

「いや、いいよ。別に泊まるぐらいだったら」

つい口からそんな言葉が出てしまった。

「ホントですか! ありがとございます。リョージさん!」

 エミリアが抱きついてきた。たぶん俺、今めちゃくちゃ鼻の下伸びてるな。

 それはそうと異世界人かぁ。本当かどうかはさておき、高校の頃、そういうラノベを読んだり書いたりしたなぁ。高校の頃の俺よ。妄想は現実だったぞ。

 エミリアとの距離を元に戻した。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「はい」

「どうして君は日本語を喋っているんだ?」

「おそわって、いたんです」

「どこで?」

「もといたセカイで。あっちにもにほんじんがいたんです」

 な、なるほどぉ。

 それはそうか。当然だ。来るんだから、こちらから行ってもおかしくない。何の不思議もない。

「あの、それでですね。リョージさん。アタシちょっとおなかがすいてるんですけど、イーですか?」

 ちょっと恥ずかしそうにエミリアは言った。

「ん。ああ。いいよ」

 すぐ作れるもの。カップラーメンか何かが良いな。確かちょっとはあったはず。

 探しに行こうとしたら、エミリアがまた抱き着いてきた。

「え」

 なんで?と言おうとしたら口をふさがれた。

 彼女の頭が見えた。髪の匂いがした。良い匂いだった。

 兎にも角にも柔らかく、一瞬のようにも、永遠のようにも感じた。

 エミリアが、離れた。

 つーっと糸がひいていた。エミリアが唇を舐めた。舌がやけに赤かった。

「ごちそうさまでした」と少女が笑って言った。

「お、お粗末様でした」と俺はなんとか言葉を口に出した。


 エミリアの種族はてっとりばやく食事を済ませたいときは、俺と今したみたいにするらしい。地球ではその方法は、あまり一般的ではないと説明した。

「アー、ソウなんですか。スミマセン」

「い、いや、別にいいよ。気にしないで。これからはお腹がすいていたらご飯を食べた方が良いと思う」

「ハイ、ソウシマス」

 エミリアに対して俺は罪悪感だか幸福感だかわからない奇妙な感情を抱いた。騙してはいない。そう文化の違いだ。文化の違い。でもそれでいいのか? 彼女がするのにふさわしい相手は他にいるんじゃないのか? でも彼女が自分からしてきたんだ。俺はたまたまここにいただけだ。

 いや正直に言おう。俺は嬉しかったのだ。とてつもなくラッキーだと思った。彼女が俺のことをなんとも思っていないとしても、素晴らしい経験をした。

 やはりかつて先輩が言ったように人は下半身に支配されているのだろうか?

「じゃあコンゴのケ―カクはアシタのアサきめましょー」エミリアは言った。

「うん。じゃあ。エミリア、さんはこっちで寝て、俺はここで寝るから」

 エミリアがベット。俺は適当に毛布をかぶって寝ようと思っていた。

「あー、はい。ワカリマシタ」

「じゃあおやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」

 電気を消してからエミリアの声が聞えた。

「リョージさん、起きてますカ?」

「……起きてるよ」

「たいへん子供っぽいたのみがあるんですが、オネガイできますか?」

「何?」

「手を、つないでくれませんか?」

「いいよ」

 毛布ごとベットのそばに移動した。

 エミリアと手を繋いだ。やけに冷たかった。

「ありがとう、ございます」

 しばらくしてからすーすーという寝息が聞こえた。

 俺は今日のことを思い返そうとしたが、頭が重かった。ひどく疲れていることが分かった。

 もうすぐ空が白くなるころだ。


 目の前に軍服を着たエミリアが立っていた。後ろには似たような恰好をした数名の女性。

「お前は、動物園の動物として連れてこられた」エミリアが言った。独特なイントネーションはなくなっていた。彼女の目的が分かって、俺はなんとなく納得した。

「俺は動物園の猿ってこと」

「そういうことだ」

「全部嘘だったんだね」

「そうだな」

「君はオレのことなんかまったく好きじゃないんだろ」

「お前のことなど全く好きじゃない」

 当然だ。彼女が俺を好きになる理由など何もない。

「これから一生お前は檻から出ることは出来ない」

 やばいものに手を出したんだ。こういう結末になるのはしょうがない。俺が、俺自身が望んだろくでもない結末だ。

「しょうがないね」と俺。

「しょうがない」とエミリア。

「なぁ」

「ん?」

「ときどきは俺のこと見に来てくれるかい?」

 エミリアは微笑んだ。

 俺は彼女が微笑んでくれたことが嬉しかった。

 それからの一生を俺は異世界の動物園の獣として過ごした。エミリアはときどき見に来てくれた。男を連れてたり、子供を連れてたり、一人だったりした。年をとっても、髪形が変わっていても、俺には彼女だとわかった。

 ときどき檻から手を伸ばして、彼女と手を繋いだ。はじめてつないだ時と同じように、彼女の手は冷たかった。

 彼女はいつも笑っていた。

 俺は幸福だった。糞みたいな人生だったが、まちがいなく幸福だった。

 彼女が見に来なくなってからしばらくして、俺は死んだ。


 目が開いた。自分の部屋の天井が見えた。

 窓から陽の光が指していた。

 脳が急速に覚醒した。動物園の夢を見ていた気がする。すこし物悲しい夢だった気がするが、あまり良く覚えていない。少しだけ覚えていた記憶もすぐにどこかへ行ってしまった。

 そうだ。確かエミリアが出てきた。

 ベッドを見る。エミリアはいなかった。

 もしかして彼女も夢だったのだろうか? だとしたら納得はできる。

 でも俺は納得したくなかった。

「エミリア!」と俺は大声で言った。

「ハイ」と返ってきた。

 エミリアは台所にいた。髪を小さく後ろでまとめていた。

「ゴハン作ってたんですけど、メイワクでしたか?」

「いや迷惑じゃない。全然ない」

 エミリアが作った朝ごはんは、ウインナーに目玉焼き。白米にインスタントのみそ汁。

 みそ汁を一口すすった。普段飲んでいる奴なのに、とてつもなく美味かった。

 ご飯も美味かった。

「ちゃんと炊けてますか? おしえられたとおりにデキたとは思うんですけど」

「いや、全部美味い」

「ホントですか? うれしいです」

 彼女は微笑んだ。

 俺はその笑顔をみることができて、よかったと感じた。

 



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