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生きてるあいつと死んでる俺  作者: ミルクルミ
二人で過ごす最初の一日
9/9

第8話 予兆

「理玖くんは何が食べたい?」


「俺は霊体だから、食べられないよ」


「あ、そっか。じゃあ、私だけ食べることになるんだね。……なんだか、恥ずかしいや」


 実里の家は共働きで、夜遅くにならないと帰ってこない。


 朝食は両親共に寝ているので一人も同然、夕飯も一人、休日になると、昼食も一人きり……。


 兄弟のいない実里は、だからこそ、引っ込み思案な性格になったのかもしれない。


「そういや、両親。ちゃんと来てたな」


 レンジで母親が置いていった昼食を温めている実里の背中に声をかける。


 行くとは言っていたが、中学の入学式に急遽仕事が入ったとかで来なかった前例がある。


 だから俺も、きっと実里も、あまり期待はしていなかった入学式。


 最近は前にも増してせかせかしている感じがした両親を、パッと輝く実里の顔が見つけ出したのを、もちろん俺は見逃さなかった。


「え、なんで知っ……あ、いや、守護霊……なんだよね? 知ってて当然か」


 どうやら、実里は『守護霊』という単語をすぐに信じたらしい。


 恐怖で満ちた目、もしくは危ないことを口走っている人に向けられる目で、俺を見るかもしれないという考えが俺の頭の片隅にもたげていたので、実里の目をあまり直視出来なかったのだ。


 ……改めて、実里を見る。昼食を両手に掲げ、自分の席の前に静かに下ろし、席に着く。


 俺もその向かいに座り、実里の一つ一つを観察してみる。


 目の前に置かれたオムライスを、『入学おめでとう!』と書かれたのを恥ずかしそうに顔を赤らめ、スプーンで丁寧に、綺麗に消してゆく実里。


 俺を気遣ってか、いつもより早めにスプーンを動かし、口をリスのようにし、おつゆで流し込んでいるのが伝わってくる。


「そんなに急がなくても……俺は、ここにいるよ」


 驚いたようにスプーンを止め、こっちを見てくる姿に、寂しそうに膝を抱えていた昨日の実里を重ねる。


 友達といると常に笑っているのが、家にいると嘘のように無表情になり、寂しいという感情も表に出さず、ただこの時間が早く過ぎますように、と願っている姿を、正直俺は見ていられなかった。


 俺はここにいるのに、声をかけられない。安心させてあげられない。


 だから、見えるようになって一番伝えたかったことを、叶えたかったことの一つを――俺は、叶えるのだ。


「えと……へ?」


「家に帰っても、もう一人じゃないってこと。これからは、俺が側にいる」


 そう俺が言い終わって、実里は数秒固まった。


何を言われたのか一瞬では理解できなかったのだろう。表情を固まらせたまま、何かを言いかけて口をつぐむ。


そして俯いた実里が再び俺に顔を向けたとき……今日一番の笑顔が、花を咲かせていた。


 友達といる時とも違う。お笑いを見ている時とも違う。


 その中にあったのは、『嬉しい』という一つの感情だった。


 心の底から思ったことが伝わり、それを見ることで、俺にも嬉しさが飛び火する。


 やっぱり、実里は不思議な女の子だ。


 存在だけで感情が伝染し、周りを巻き込み、一時の安らぎを与える。


 そしてその笑顔を守れるのが、守護霊という仕事なのだ。


――何て、素晴らしいのだろうか。


 改めて、『守護霊』という仕事がどんなに良いものなのか実感する。


 死んでから、唯一この世と繋がれる手段として人気の仕事だが、何もやることはなく、仕事といっても悪霊が襲って来るのを阻止するくらいで、後は見守り続けるだけの過酷な職業。


 ノイローゼになったり、勤める前とキャラが悪い方向に変わったなどの話はよく耳にするところである。


 だが、見守る人が見ていて飽きない人だったなら、その時間は正しく至極となるのだ。


(実里が対象者で、本当に良かった)


 守護霊は素晴らしい、という考えを持っているのは、俺を含め極わずかであろう。


 軼だって、早くこんな仕事辞めたいとぼやいていたことがある。


「ありがとな、実里」


だから心を込めて、感謝の意を実里に伝える。


「お礼を言うのはこっちだよ。ありがとう、今まで見守ってくれて。一人じゃないって、分からせてくれて」


 この笑顔を守るため、俺は先の見えない、長い時間を過ごしていく。


 それは実里が寿命を全うする時まで続き、もしかしたら百年に及ぶかも知れない、長い、長い時間。


 実里が誰かと恋をし、障害を乗り越えて結婚し、子供を産み、育て、子離れさせ、老いていくまでの、ひたすらに長い時の集合。


 それを俺は、実里とともに歩んでいく。


 胸に満ちるのは、長い時に対する虚無感ではなく、温かい何かだった。


 嬉しさ、喜び、希望、期待。


 それらの感情が混ざり合い一つになり、実里に向けて、未来に向けて、渦を巻く。




――今度こそは、逃げたりしない。今度こそは、完全に捨ててみせる。




 その時、一瞬胸を何かが燻らせた。


 理性で奥に意識的に引っ込ませていたそれは、今日、自分自身で決した覚悟の言葉。


 約一秒間、それは隙間のないくらい俺の思考を支配し、唇を歪ませた。


……また、だ。


 俺は、また、逃げ出した。


 苦しいことから逃げるのは人間としての摂理かもしれないが、逃げても苦しさが増すだけならば、それはただ滑稽なだけだ。


 いきなりだったからとか、嬉しさに今のことしか頭になかったからとか、そういうのは言い訳に過ぎない。


 全ては、自分の愚かな思考のせい。


 見えるようになったからって、何になるって言うんだ。


 実里が生きている人間、世界の違う人だというのは変わらないじゃないか。


 後悔が胸を突く中、俺は実里を見た。


 儚く溶けてしまいそうな、か弱い少女を見つめた。


 それで今度こそ、俺は覚悟を決めたんだ。




「そんなことが……。それは、まあ……びっくりしただろうな」


「びっくりってもんじゃないよ。目から鱗が落ちる思いだった」


 前日。


 あのまま覚悟を固めた俺は、いつも通りの行動を取った。実里の側に張り付いて、片時も離れず見守り続けたのだ。


 もちろん、実里も最初は気恥ずかしそうに落ち着かなげなだった。でも次第に慣れてきたのか、スマホを片手に、奈津とラインをし始めクスクスと楽しそうに笑い声を上げていた。


 いつもと違っていたことといえば、眠る前に「おやすみなさい」と言われたことか。


 言われた直後は放心状態になり、心を落ち着けるのに一時間くらいかかって大変だったものだ。


 あんなことにならないように、今後は毎日心の準備をしとかなければ。


「それで、再度覚悟を固めたわけか。……ていうか、いくら急だったとはいえおまえの覚悟脆すぎだろ」


 あの後静けさに満ちた朝を迎えた俺たちは、今の状況について、奈津と待ち合わせをして学校へ行く実里の背中に視線を送りながら、軼に説明していたわけである。


「し、仕方ないだろ。頭が真っ白になって、何をすればいいかとかわからなくなって、実里に僕のこと見えてるってことが、どうしても信じられなくて……」


「待て、一人称『僕』になってるぞ。どんだけ真っ白になったんだよ」


 しまった。実里の前で一度『僕』って言ってしまったから気をつけていたのに、軼の前で気が抜けてしまっていた。


「ていうか、懐かしいな、おまえが『僕』って使うの。何年ぶりくらいだ?」


 懐かしそうに軼は目を細めるが、俺にとってそれは全然懐かしくなく、消してしまいたいと思っている過去の一つである。


 なのでそっぽを向き、家々の前にある塀を眺めながら、口調は荒く俺は軼に言い返した。


「実里が小学校低学年くらいには直してたよ。おまえには一年くらいしか使ってないのに、なんで覚えてんだよ」


「いや、一年も使ってたらそりゃ覚えるだろ。馬鹿にすんなよな」


「馬鹿にしてるんじゃねえ。貶してんだ」


「尚更悪いだろ」


不貞腐れる軼に、笑いを抑える俺。


いつも変わらぬ些細な言い合い。


その事に、緊張しっぱなしだった俺の心が徐々に力が抜けていくのが、自分でもわかった。


友人というのは、心を支えてくれる存在であり、気軽なことを言い合える存在でもある。


人と触れ合うのは心地よい、とそう思わせてくれる存在でもある。


そしてそう思わせてくれるのは、いつも良い友達だ。


だから思わせてくれるこいつに、今更だけど礼を言おう。


癪だから、聞こえないように地面に向かって。けれど気持ちは込めて。


こいつに、礼を言おう。


「……いつも、ありがとな」


けれど、こいつは意外にも耳が良かったらしい。少し後ろに下がって言ったのに、首をグルリと回しながら俺を顧みた。


「ん、今なんか言ったか? あり何とかって」


「……何でもねえよ」


心の中だけで言えば良かったかもしれない。


と少々後悔しつつも、俺たちは学校へと向かった。


他愛もない話をしながら、軼の足を時々蹴りながら。


ちょっとした変化の先を今は見ないふりをし、元気よく足を、踏み出すのだ――。




「え、えと、こ、これは……」


「落ち着け、実里。見えてないフリをしておけ」


 学校に着いた実里の瞳に映ったのは、人の数だけ存在している、大量の守護霊だった。


 人と守護霊の見え方の区別はぱっと見判断できないので、実里にとっては、まるで東京の横断歩道にでも放り出されたかのような錯覚を覚えたのだろう。


 キョロキョロと忙しなく瞳を動かす姿は明らかに不気味で、人間どころか守護霊の視線をも集め始めていた。


「実里! 早く入んないと、友達作れないよ?」


 そんな実里に声をかけたのは、二組の教室へと一歩を踏み出そうとしていた、奈津だった。口に手を当て、実里を訝しげに見ている。


「う、うん、そうだね! 早く、入らなきゃね」


「頑張って、また新歓で! それまでに友達、作っておきなさいね」


 無理に作られた笑顔に気づかず、奈津は堂々と教室の中へと姿を消していく。


 隣で頭の後ろに腕を回しつまんなそうにしていた軼も、俺に小さく手を振り奈津を追いかけていった。


 あとに残ったのは、周りの喧騒とした空間とは対局的な、二人の間の静まった雰囲気だけである。


「なあ、実里」


 そんな中声を発したのは、もちろん俺だ。正面へと目を向けたまま、口をあまり動かさずに俺は実里へと呟く。


「……なあに?」


 実里も雰囲気を察したのか、俺の方を見ずに返事を返した。戸惑いをできるだけ隠そうとしているのか、体に力を入れ、顔を床に向ける。


「俺たちのことは、絶対に見えていることがバレちゃいけない。大変だと思うが、いつでも注意を払って、人間でも最初は疑え。そうしないと、お前は……危険な目に、合う……かも、しれない」


「……わかった」


 実里にとって、これは相当辛いことだろう。


 人生において分岐点というのはいくつか存在している、とうい発想は、知る人ぞ知る事実であろう。


 それは小さなものから大きなものまであって、もし道を外したりすれば、苦しくて心に穴が開いてしまうかもしれないほど大変な目に遭うかもしれない、大事な大事な分かれ道。


そこに今、実里は立っている。


 高校というのは、大人への道の一歩なのだと俺は思う。


 小、中学という子供から大人へと気持ちを落ち着かせ、色々と思い悩み葛藤の時期を経ての、やっと大人へと階段を歩み始める、高校という一つの区切り。


 そんな大切な時期に訪れた、実里の開花。


 いつも以上に気を配らなければいけない苦痛と、皆とは違うことを口走ってしまうかもという恐怖。


……実里の今立っている状況を想像しただけでも、一気に気温が低くなり、鳥肌が立つような錯覚に襲われそうになる。


「じゃあ、行ってくるね」


 上げようとしていた手を下ろし、唇をギュッと引き締め顔を上げ、不安なんて今は考えず、前だけを見ていよう、という覚悟が伝わってくるような表情で、実里が足を動かし出した。


「……頑張ってな……!」


 そんな健気な姿に、少しでも安心感を与えたくて、喋ってはいけないけれど、俺は側にいるということを伝えたくて、できる限り声に力を入れ聞こえるか聞こえないかのギリギリのラインの声量で、俺は地面に言葉を吐いた。



――うん。




 耳に届いた声は、果たして幻か、現か。


 上がりそうになる口角を、決めた覚悟を思い浮かべできるだけ下に下ろしながら、俺は実里の背中を見送った。


 昨日は頼りなげだった背中が、幾分か引き締まり、背筋を伸ばし、前を向いている。


 子供の成長を感じる親というものは、こういう感情なのだろうか。


 少し寂しくて、喜ばしくて、小さかった頃とは違うのだなと実感させられる。


 そんな感傷に浸り数秒が経った頃、俺も足を前に踏み出した。


 実里のように真っ直ぐと前を向けるよう、背筋を張れるよう、恐れないように。


 息を深く吐いて、教室の線を通り越す。




「きゃっ!」


 その時、誰かも知らない女子生徒の短い悲鳴が、遠慮がちながらも教室中に響き渡った。


視線の先にいるのは、地面に伏せる形で倒れている、一人のか弱い女子生徒、実里の姿。


「え?」


 また、だ。


 また、昨日と同じ状況が、目の前で繰り広げられていた。


 そして俺は、味合うんだ。何もできないことへの背徳感と、悔しさ、苦しさ、それに辛さを。


「……み、実里!!」


 我に返り俺が近寄ろうとする前に、リーダーシップの高い一人の男子生徒によって実里はおんぶされ、保健室の場所が分かるらしい別の男子生徒ともに、運ばれていく。


 数秒ボーっとしていた頭に、痛みという名の警告が走ったとき、再度我を失っていた俺は実里を追いかけた。




「行きましょ」


「ああ」




 そんなやり取りが行われていることも、知らずに。




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