2章④
私は夜が嫌いだ。
普段なら気にもかけない吹きそよぐ風すら、厭わしいものだと感じてしまう。心が掻き立てられるのを——止められない。
「よお、鬼灯」
しらじらしい、と心の中で毒ずく。
「遅刻ね。呼び出しておいて随分な身分だこと」
そんな非難の声を浴びせられた声の主は、
「わり。ま、俺も中々ハードなスケジュールをこなしてるもんでね」
おどけるように首を竦めた。
「言い訳としては最低ね」
「そだな」
彼——高倉君は薄く笑った。
「早速用件だ。なあ鬼灯、俺は何で要留意生徒なんてもんにされてんだ? 真面目な俺には皆目見当もつかないぜ」
「……それは当事者としてだけでなく第三者としての観点でも、ということかしら?」
「言葉がうまいな。さすが成績で選ばれた優良生」
ひゅー、と高倉君が口笛を吹いた。
「でも、安心しろよ。この場で話したことでお前に被害が及ぶことはねえから」
学外だからといって学園……その手足の優良生の監視の目が消える訳ではない。
あくまで「自分の身におきたこと」を尋ねる彼に対して、裏の意味を込めてはいた私の言葉を、彼は正確に理解していた。
「そう。でも残念ね。私はその質問の答えを知らないわ」
そんな私の言葉を聞いても、高倉君からは一向に残念そうな様子を受け取れない。そればかりか人を食ったような笑みを浮かべている。なんて、やな奴。
「で? 本題にはいつ入ってくれるのかしら」
「んん? お前は何も知らないんだろ? なら話はこれで終わりじゃないのか?」
「ええ。『答えは知らない』わね」
「おいおい、いいのかよ。元優良生。今の発言、ぎりぎりアウトだぜ?」
「あなたは数秒前に言った自分の発言すら覚えておけないの? まるで鳥ね」
こりゃ手厳しい、と高倉君がおかしそうに笑う。
「だがお前は、俺の発言なら何でも信用すんのか? 今ここで俺が結婚してくれ、とか言ったら本気にすんのか?」
安い挑発。そんなものに、わざわざ乗ってなんかやるもんか。
「『被害が及ばない』っていうのには、信じるに足る理由があった。それだけよ」
「じゃあその理由、聞こうじゃねぇか」
高倉君は間髪いれずにそう返してきた。……こいつ、性格悪すぎだ。
「……あなたは私と建前以上の話をすることを見越していた。違うかしら?」
「憶測の域を出ないな」
無感動にそう言って一息つくと、高倉君はすぐに口を開いた。
「そんな話は信頼した奴にしかできねぇだろ。俺とお前は知り合いではあるが、それ以上でもそれ以下でもねぇぞ?」
「誰だって始めは他人同士よ」
「なら結局、相互に信頼関係ができるまで建前の話しかできないんじゃねえ?」
どこまでも軽い調子の声だが、その言葉の内には毒をこれでもかというぐらいに塗りたくった鋭い刃が時折顔を覗かせ、こちらの隙を窺っている。……上等じゃない。嘘で塗り固められた糊塗の刃には、こちらも言の葉で応じるのみだ。
「そう。だから咄嗟の場面でそんな相手を信用する必要に迫られた時、まず相手から誠意を見せてもらうしかない」
「だとしても話をした相手が応じるとも限らねえぜ?」
「だからこその建前の言葉。そこで相手が応じなければ、話はそこでお終い」
「なるほど。鬼灯は俺の言葉を信じることで誠意をみせた、ってわけだ」
質問の答えを知らない——彼の問いに対する答えとして、それは本来十分な意味をもった返答であるはずだ。
なのに私はまずその事実を「偽りなく」述べた後で、彼の言葉が嘘なら自身の身が危うくなるような言葉をつけ加えた。それは高倉君のことを信じていないと出来ないことだ。
相手を信じること。それが信頼関係を作る第一歩でもある。
「じゃあそうまでしたお前に対する、俺からお前への誠意はなんだ?」
「高倉君の誠意は……この私を信用しようとしたこと」
私の言葉に、高倉君がわざとらしく眼を見開く。
「随分自分を評価してんだな。その根拠は?」
「あなたは決して、自分から鳰鳥さんと壱岐君以外の人間に話をしようとしない」
「マイナス一、もう一人特例がいる。その俺がそこまであんたを信頼したわけは?」
私は今日何度目になるか分からないため息をついて、「答え」を口にした。
「信じているから。それは私をではなく、私を信じる壱岐君を」
「くはははははは!」
私の言葉を聞いた高倉君はいきなり、おなかを抱えて笑いだした。……屈辱だわ! 何でこの私がこんな青臭い言葉を言わなければならないのかしら!
「わ、わりぃ。しかし鬼灯って、意外と……ふふ。意外と純粋なのな。いやー、これは全く想像してなかった。いいもん見たぜ、ごちそーさん」
両手を合わせて高倉君が恭しく私に頭を下げる。こ、この男……!
私は震えるこぶし押さえつけ、目をつぶることで何とか気持ちを落ちつかせた。
「で? 何か私に言うことがあるんじゃない?」
先ほどの私の言葉が笑いのツボに入ったのか、高倉君の目には涙さえ薄らと浮かんでいる。それを手で拭い去りながら、高倉君は笑いを含んだ声で答えた。
「ああ、俺がお前の携帯番号を知っていたことか。それなら以前プールからちょっとICを拝借してたんで、それを使ってお前と成瀬の通話から逆探した」
「プールに、あ、ICですって!?」
「インベストメント・コンデンシア。通称、IC。物体にソートを付加させたもんだ。つか最近の学内通信の内容そればっかのはず……ってそうか。お前、意図的にレイエスの情報絶ってるんだっけな」
「……『物体にソートを持たせる』ソートがあるのだから『物体に思念を付与させることができれば凡庸性があるのではないか』という考えから生まれたものでしょう?」
「何だよ、知ってんじゃねぇか」
今がいくらソートによる社会だといっても、二十歳以下の人間なんて総人口からみればごく少数だ。更にその上、ソートというものは今のところ一人に一つしか発現しないばかりか、既にあるソートの上書きはできない、という報告までもがされている。
つまりソートというものは周りに大きな影響を及ぼすのに、当人ぐらいしか恩恵がないのだ。
だから誰もが使えるソート——ICの作製には当然、かなりの期待が寄せられた。
「……でも思念形態が分からないからこそ他物質の思念は活用できないわけで、そこに他思念を付与できるのか、という本末転倒な問題がICにはあったはずよ」
全ての物質に思念があるとされても、一つ一つの物体がどんな思念をもっているのかが分かるわけではない。
まして物体の思念が分からなければ、その物体がレイエスを保有するだけのコンデンサーなのか、それともソートの発現したコンデンシアなのか判断ができない。もし判別ができたとしてもその活用法が分からない。何故なら、そもそもブレエスとグレイスが同種のものかどうかということすら分かっていないのだから。
だからICなんて結局は夢物語的な話だったはずだ。
「お前の言うとおり、現状では完全なICを作ることはできない。だからこれは未完成品さ。しかしソートとしての機能はちゃんとあるぜ、ほれ」
そういうと高倉君は手に持った物体をこちらに放り投げてきた。
「ちょ、ちょっと!」
「あ、壊すなよ。それ一つで小さな国の国家予算ぐらいすんだから」
「そ、そんなもの簡単に投げないでよ!」
手の中へ収まったそれへと視線を移す。
彼がICと呼んで投げて寄こした物体には、中心に綺麗な青紫色をした石が備えつけられていて、それを取り囲むようにその周りに幾つかの装飾品がついている。
それらは華美というほどのものではないが、中央に位置する石が鮮やかに輝いている分、かえってその装飾は無用なもののように感じられた。
「……鬼灯。いかにも乙女な反応をしているとこ悪いが、それ宝石じゃなくてICだからな? 装飾も見栄えを良くするものじゃねぇぞ」
「わ、分かってるわよ! ……でも宝石じゃないって言うけど中心にあるこの石、サファイアのように私には見えるんだけど」
「見えるつーか、まんまサファイアだ。今の研究結果では石が最もレイエスを有している、ってことになってんだから当然だろ」
「そっちじゃないわよ。なんでICの鉱石にサファイアが使われているのかってこと」
高倉君の言った研究結果は、不純物が少ないものほど有するレイエスが多いといったことも同時に証明していたはずだ。
そしてここに使われているサファイア、それからルビーなんかは鉄やチタン、クロムなどの金属イオンが不純物として混じったコランダムの変種である。
「もし本当にICを造ることが可能になったというのなら、ソートを付与させる鉱石にはレイエスの保有量の多い純粋なコランダム……無色透明な鉱石を使うはずでしょう」
「疑り深い奴だな。元々鉱石の中でコランダムが注目されたのは、人工で安価に造れるからだ。だが人工の鉱物を使ってICを生成する方法は、まだ確立されてねぇんだよ」
「なるほど……ってそれ、今あなたが言ったことに矛盾するじゃない」
レイエスは物体が生成される段階で帯びるレイエスが決まるはず。だからこそ高倉君はブレエスが異常に多いというだけで、好奇の目になりえたのだ。
彼は今、コランダムがICに使われる理由を「安価に造れるため」だと言った。
それは裏を返せば、天然石にはコランダムよりレイエスの保有量の多い鉱石があるということだ。
「……ほんと、鋭い奴だな。ご明察」
ニヤリ、と口の端を歪めて高倉君は笑った。
「ソートは生まれたばかりの分野だからな。安価で大量生産をすることによって生まれる旨みに、お偉いさんたちはそうそう抗えねぇんだろうよ」
「それで自然にできた宝石を、か。でもサファイアの生成方法はエンハンスメントっていう人工技術でしょう? 違うわけ?」
「知るかそんなこと。人工が駄目っつーんだから山から拾って来たんだろ」
高倉君はどうでもよさげに、自身の足元に転がっている唯の石をこつん、と蹴った。じゃあこの大粒な石は、天然石? この色つやで、天然石?
「だからそのICにコランダム系の鉱石が使われているのも最終目的が人工の……って、おーい。聞いてるか? 鬼灯ー」
ど、どうしよう。貰っては駄目かしら。……はっ。
半目で私を見る高倉君の視線に気づいて、慌てて言葉を返す。
「こ、これがICっていうのは納得したわ。それで、これはどんなソートがつけられたICなの?」
「……探知。だがまぁ、ソートを定着させんのだいぶ苦労したみたいだぜ。そうまでしてもやっぱ未完成品だしな」
「当たり前じゃない。他の物質に一瞬でもソートを持たせたりすることが、どれだけ大変だと思ってるのよ」
「おや。てことは鬼灯のソートはそういう系統か?」
「ノーコメント。……というか、私さっきからあなたの返答に全然『誠意』ってものを感じられないんだけど」
「俺は真面目に答える以上の『誠意』ってもんの取り方があるなら、そっちの方を知りたいね」
う。確かに。
「……やり方が最悪よ。それに……そう! 犯罪よ!」
そうだ。そもそもこのIC、盗聴目的で使われているんだった。
「大丈夫だ。市販には出回ってないから法律で規制を受けない。よって犯罪じゃない」
「……」
無言で睨みつけると、高倉君は焦ったように弁解をし始めた。
「だってお前、連絡取ろうにも固定電話を家に置いてないじゃないか。それにこうでもしないと俺の呼び出しなんか応じなかっただろ?」
確かに空以外には教えてない携帯の番号を知られていたから、来る気になったのは事実だ。けれど固定電話だって連絡網に書かれるのが嫌だから置いてないのに、これじゃ意味がないじゃない……ん?
「ちょっと待って。なんであなた、ウチに固定電話が無いこと知ってんのよ!」
「物色したから」
「……いつ頃?」
「去年の新入生歓迎パーティがあった二日後」
高倉君はひょうひょうとした声で、何事もなかったかのようにそんなことを言った。
「何でそんなに前のことを正確に……ん? 新歓パーティの……二日後?」
それはたしか役員の打ち上げがあった日だ。そして牧さんが大惨事を起こして、クラス委員長って理由で私が事態の収拾をさせられた日で。そして。
「そうだ。お前と圭介に親交が生まれることになった日だ」
「……驚いた。随分前からマークされてたってわけね、私」
「このご時世、近づいてきた人間に注意するに越したことはねぇだろ」
「それが自分のためでもあると?」
「のーこめんと」
苦笑した。確かに、その通りだ。何でもかんでも人の言うことを信じる空や壱岐君のような人間の方が本来おかしいのだ。
「ふう……そっちはもういいわ。でも、携帯の方は? いくら探知のソートでも電波から特定の番号なんて割り出せないでしょう?」
「探知をかけたのは電話会社に、だ」
「タイミングは? それも探知だっていうの?」
「まぁ、できなくはないんだろうが……」
高倉君は私の手の中にあるICを見て、一度言葉を切った。
「俺、ブレエスは膨大らしいんだがソートだけは発現しなくてな」
「それは聞いているけど。だから何なのよ」
「探知つっても思念を追うわけだから、印象の弱い思念や古いものは追えない」
「だから、どういうことよ」
もどかしそうに高倉君が頭をかく。だから何が言いたいのよ、あなたは。
「わかんねぇか? ソートに頼れないんだったら、文明の利器の頼るしかねぇだろ」
「は?」
文明の利器? なに、それ?
「お前んち物色した際に盗聴器を仕掛けた」
「もしもし。警察ですか。……ええ、たちの悪いストーカーがですね」
すぐさま高倉君に携帯を取られて電源を切られた。
「落ち着け。もう外してある」
「当り前よ!」
奪われた携帯を取り返しながら叫んだ。……なんでこう、私の周りには常識がない人間ばかりが集まるのかしら。
「で、そろそろ本題に入りたいんだが、お前何処まで圭介から事情を聞いてるんだ?」
「あなたのもう一人の特例が壱岐君の妹さんだ、ってことまで」
「ありゃ。名前は聞いてねぇの?」
再びニヤニヤとした笑いを浮かべる高倉君。……本当いい性格してるわね、あなた。
「沙耶ちゃんでしょ」
「おう。ありゃあ、絶対圭介とは血が繋がってないな。……ま、悪かった。試すようなことして」
「ような、じゃなくてほんとに試していたでしょうが」
そう、答えは始めから用意されていた。昼に私が壱岐君にやったように、今度は私の彼に対する信頼が試されたようなものだ。……まぁ、別に怒ってないけど。怒ってないけど壱岐君には今度たっぷりとお仕置きが必要ね。
暗い笑みを浮かべる私に高倉君は若干引き気味に口を開いた。
「あー、あいつの名誉のために言っておくがこれは俺の独断だぞ。実際圭介から鬼灯たちに話をしたとは聞いてたが、俺らはどこまで話したかまでは聞いてないからな。俺自体も鬼灯を信用できる証がほしかったんだよ」
「本当に全く聞いてないの? 彼が何を私たちに聞いたのかも?」
「ああ。あいつは一つしか言わなかったな」
高倉君は笑いを噛みしめるようにして私を見つめた。……何か、ものすごく嫌な予感しかしないんだけど。
「『僕があの二人を信じる判断を信じてくれ』だと。信頼されてるな、お前ら」
思わず頭を抱えたくなった。だから何でそんなに真っ直ぐなのよ、壱岐君!
私の気持ちをくみ取った高倉君は、溜息とも愚痴ともいえぬ言葉をはいた。
「ったく、あいつは昔からそうだ。頑固で人を疑うなんてことをしない。俺やお前みたいなタイプも世の中にはいるっつーのに。……本当、全然懲りてねぇ」
「なぜ当然のようにあなたは私を同列に置くのかしら。それに鳰鳥さんも、でしょう」
教室でいつも物静かに外ばかり眺めている黒髪の美少女。
高倉君の他人に対する態度を斜に構えたものと称すなら、鳰鳥さんのそれは徹底的に無関心といえる。
「見えてねぇな。あいつは優しすぎる。圭介とどっこいどっこいだ」
とてもそうは見えないんだけれど……ふむ。優しい、ねぇ。
私が考え込むそぶりを見せると、高倉君が不思議そうな眼で私を見てきた。
「……何よ」
「いや。お前って実は甘い人間なのかもしれないな」
「はぁ? 甘い? 私が?」
何を言っているのだ、この男は。自分でいうのも何だが、私は空や壱岐君のような甘さなどかけらも持ち合わせているつもりはない。というかあの子たちと同列に扱われるのは、それはそれでなんか嫌だ。
「案外自分自身のことは分からねぇもんだぜ。んで? 質問は以上でいいのか?」
「一番大きな謎があるわよ。——あなた、プールとどんなパイプを持っているの?」
学園のバックアップ、プール。
勿論、本来もっと大きな意味を持つ組織だが私たちにはそれで十分のはずだ。
壱岐君の相談を受けた段階で漠然とした違和感は感じとってはいたけれど、本人と話してみてそれは強くなる一方だった。この場での会話が私に被害を及ばない、という先ほどの言葉もそう。ICを持っていたこともそうだ。ソートについて、レイエスについて詳しすぎる。
どういう答えが返ってくるか、次の言葉に備える私に対し高倉君は、言葉を濁すわけでもなく。厭うこともなく。
ただ、答えた。
「実験体」
「……本当に、あなたは読めないわ」
脱力する私に対して高倉君が素っ気なく肩を竦める。
「お前が自分の納得のいく回答が得られるまで質問をやめない性格だ、つーのは調査してよく知ってるしな。実際、たちの悪いことにすげぇ鋭いし」
「お褒めに与り光栄の至り。ならなんで、実験体のあなたがこんなに自由なのかしら。私のことを理解しているというのならまさか監視の目を盗んできた、なんて世迷い事を言ったりはしないわよね?」
「いやいや、実験体だからこそ強い権限を持ててもいるんだぜ? 初めに言った『ここでの会話がお前の被害に及ばない』つーのも、俺とプールとの間に『他の人間を巻き込まない』という取り決めがなされているからだしな」
「……それが事実だという証拠は?」
「壱岐兄妹。特に沙耶ちゃんはプールにとってこれ以上ないぐらい、ってそうか。お前は直接彼女のことを知っている訳じゃないもんな。……あー、それなら」
さらに他の例を出そうとした高倉君を私はそれで十分、と言って止めた。……そんなの、お昼の壱岐君の豹変ぶりを見てれば分かる。
「ふん。でも、あなたは私の『監視の目を盗んできた』という私の言葉を否定しなかった。——おっと、答える暇が無かったって言うのは無しよ。どう?」
「いやあ。耳が遠くてよく……おーけー、おーけー。認めよう。けど俺に監視の目があることと、それの緩急に因果関係はないぜ?」
依然として笑ったままの高倉君に、私は憮然として答えた。
「……優良生同士の罪を犯した生徒の取りあいもあったし、私は学内に膨大な数の隠しカメラや盗聴器が仕掛けられていることを知っている。学園でさえそうなのに、そのバックにあるプールの管理体制が軽々しく『目を盗んできた』といえるようなものであるはずがないわ」
「なるほど? 根拠は自分自身、ってことか」
去年優良生となった私に課された主な任務は二つ。生徒の監視行為とルールに反した者への罰だ。
けれど同じ同級生や入ったばかりの後輩に指図をされ、しかもその相手の顔色を窺わなければならない状況でいったい誰が私を心憎く思わないというのだろう。当然ながら日に日に私に負の感情を持つ者は増えていった。
けれど優良生には「生徒への対処は各々の裁量に一任する」という、実質無制限に与えられた権限がある。私は報復の恐怖から、少しでも反感の目を向けたきた相手にその権限を使って押さえつけた。
しかしそんな横暴が許されるのは任期である一年だけ。確実に身を守るにはまた優良生になるしかないが、二年時以降は成績ではなく学園への貢献度の高い人間が優良生となるため、嫌でも学園の益となる行動をとるしかない。存在自体が学園の犬であるという看板を引っさげているようなものなのに、学園に媚びるような態度をとった私が、生徒たちの目にどう映ったかは言うまでもないだろう。
悪循環。どうしようもない悪循環だった。
そんな酷い状態に陥った私だが、早い段階で私自身が学園の方針に参ってしまっていたことと、空が四方に尽力してくれたお陰でこの件は何とか事なきを得た。
とはいえ私を恨む者の数は少なくなく、親のいない私は人通りの少ない夜に家を襲撃される恐怖に怯えなければならなかった。——つまらないことをして人に恨まれることは割に合わない。本当、そう思う。
「……私はね、高倉君。夜も、優良生なんてシステムを作り上げた学園も、ソートも大嫌いなの。いいからさっさと白状なさい」
問い詰める私に高倉君は、先ほどとはうって変わって本気で嫌そうな顔をした。
「本当に訊かないと分からないか。聡いお前なら気づきそうなもんだがな」
彼の非難を含んだ視線が突き刺さる。私は愚かな質問をしてしまったことを後悔しながら、何とか喉から声を絞り出した。
「……そうね。確かに意味のない問いだったわ」
高倉君と片時も離れることのない無口な女の子。高倉君が実験体というのなら、彼女が彼の傍から離れることがない理由は一つしかない。
「あーあ。誰かさんが延々と話を長引かせてくれたんで、すっかり遅くなっちまった。標がどやされたらおまえのせいだぞ」
——それでも彼らは、互いのことを信頼し合っているのね。
少しだけ、彼らが壱岐君と友好な関係を築けているのが分かった気がした。
「ふん。あなたが私を試したりなんかするからでしょ」
私の口から出た言葉は消えることはないけれど、誠意に応えることはできる。自分のことをここまで晒してくれた彼に応えよう、そう思った。けれど。
その機会は、私には与えられなかった。
「信也」
闇夜に、凛とした声が響く。
「鳰鳥さん?」
「……標? どうした?」
言葉を言わせることも、疑問をもつ時間すらも彼女は遮る。
「圭介の行方が分からない」
「……何?」
「え? どういうこと?」
「詳しい話は圭介の家でする。来て」
一度も私の方を見ず鳰鳥さんは走り出し、その後を高倉君が続く。あっという間に、私は一人闇夜に取り残されることとなった。
「……何よ。呼び出しておいて」
これ以上踏み込む必要なんかがあるわけない。あるはずはないのだが、私の指は止まらない。止める気も、ない。
「……もしもし、空? ええ、ちょっと壱岐君の家に来てくれるかしら。当然知っているでしょ? 疑問は後で聞くから、いいから来なさい」
携帯を閉まってため息をつく。ほんとに、もう。
「あなたたち、ちょっと待ちなさいよ!」
やはり、夜は嫌いだ。
前を走る二人の背中を追いかけながら、そう思った。