2章②
成瀬さんに連れてこられた部屋は明らかに他の場所と異なっていた。
学内であるはずなのだがペンギンやウサギといった動物から鵺や河童といった妖怪、更にはよくわからないファンシーなぬいぐるみがいたるところに置かれている。
機能を重視して画一に配置されているものはこの部屋には一つもなく、代わりにあるのは個人の嗜好にのっとった多様な私物だった。
「なるほど。これは盲点だったわね」
「でしょー?」
しかしどうやら空蝉さんにとっては納得のいく場所のようだ。……謎だ。
頭に疑問符を浮かべるそんな僕を見て、成瀬さんは空蝉さんと顔を見合せて笑った。
「適当に腰掛けて、壱岐君。私、飲み物でも持ってくるね!」
そう言うと成瀬さんは僕の返事を待たずに部屋の奥へと駆けて行った。いや飲み物よりもまずこの場所の説明をしてほしい。
「まあまあ壱岐君。空もああ言っていることだし、とりあえず座ったら?」
入室早々にソファーに座った空蝉さんが、口元を手に取った抱き枕で隠しながら声をかけてきた。……空蝉さん。その小さな抱き枕ではひくひくと動くあなたの素敵な眉までは隠せていませんよ。
からかう気満々の空蝉さんと同じソファーに座る気にはなれなかったので、僕は机に備え付けてあったイスを引き寄せて腰を落とした。
「ふふ。もうちょっと壱岐君で遊びたいところだけど、休み時間は限られているし解答といきますか。——ようこそ、壱岐君。学園の犬、優良生の住処『治外法権』へ」
空蝉さんはとりすました笑みを浮かべて、僕に恭しくお辞儀をした。
治外法権……なんでこの部屋はそんなけったいな呼び名がついているんだ。
「任期中の優良生は学園内に自分専用の部屋が与えられるんだよね? なんで治外法権なんて呼ばれているのかはわからないけど……ここ、成瀬さんの部屋なの?」
そんな場所にいるという珍しさを覚えて周囲を見渡していると、成瀬さんが素っ頓狂な声をあげながら慌てて部屋の奥から戻って来た。
「あわわわわ……いいい、壱岐君! そんなに色々見ないで〜!」
「へ?」
彼女からは顔同様に真っ赤な色のソートが視える。……え、なんで?
「壱岐君、壱岐君。あまり女の子の部屋をじろじろ見るのは感心しないわね」
「っ! ご、ごめん!」
確かに自分の無防備な生活の場を異性、それもその、す、好きな相手に見られるというのは彼女にしてみたらとんでもなく恥ずかしいことに違いない。茹蛸の様に僕と成瀬さんは顔を真っ赤に染めあった。
「とにかく優良生の部屋であるここなら、わざわざ学園も監視していないはずよ」
このままでは埒があかないと思ったのか、空蝉さんは成瀬さんがもってきたジュースで喉を潤しながら話を始めるよう求めてきた。
うん、と一つ頷き、二人の目を見ながら舌に言葉を乗せる。
「なぜ信也が要留意生徒扱いを受けているのか、優良生として何か情報を得ているのなら教えてほしい」
成瀬さんの表情が硬化する。空蝉さんの方は……俯いていて表情が見えない。
「そう」
しばしの沈黙の後、空蝉さんが手に持ったコップを机に置いて顔を上げる。
「壱岐君。私は去年の、空は今期の優良生よ。言っている意味分かるかしら」
成瀬さんが空蝉さんの服の裾を引っ張ったが、空蝉さんはわきめもふらず冷厳と僕の顔を見続けた。
「……勿論」
「私たちがあなたを学園に売るとは思わなかったのかしら?」
——学園に仇なす者には粛清を。
思念に力を持たせることのできるコンデンシアが取り仕切る者やルールへの反感を持つことは重大な危険を孕む可能性が高い。だからこそ学園は生徒間に眼の行き届く優良生という制度を設けているのだ。
勿論、分かっている。学園の内部事情を流してくれ、と言うことが粛清の対象に含まれるというのは。
『……』
誰もが口を噤んだまま、机に置かれたアナログ時計の秒針の音だけが部屋に響く。しかし二人がどんなに黙っていても、どう感じているのか僕には——視えてしまう。
全く。
ソートなんてなくても、話を聞いた二人がどう思うかなど明らかだというのに。
「あ、あの壱岐君……その」
一人は真っ正直に、不安げに僕を見つめてきて。そしてもう一人は。
「……なに笑っているのよ、壱岐君。私、真剣なんだけど?」
双眸から気づかわしげな温かかさを完全に拭い去ることができていない。
「二人はそんなことしないよ」
『は……?』
はっきりとそう断言する僕に、二人はポカンと口を開いたまま言葉を失った。
「いや、だから壱岐君、そう思う理由をね——」
「必要ないよ。僕は二人を信用しているから話をしたし、きっと力になってくれるって確信しているから」
僕としてはひどく真面目に答えたつもりだったのだが、そんな答えを聞いた空蝉さんは何故か深いため息をついた。
「あの、空蝉さん?」
「あーもう、調子狂うなぁ。ねぇ、空。ほんとに学園に報告しちゃ駄目?」
「くー、怒るよ?」
「つれない親友ね。……ま、でも壱岐君に人を助ける理由を聞いても無意味か」
成瀬さんに一睨みされた空蝉さんは両手を広げて肩を竦めた。んん? よく分からないけど、空蝉さんは困っている人を助けるのに理由がいるのだろうか。
「あら。じゃあこの件で私たちの立場が危うくなったら、壱岐君は私たちのことを助けてくれるのかしら?」
「? そんなの当り前じゃないか」
ニヤニヤとした笑いをもって問いかけてきた空蝉さんだったが、僕の返答を聞いて眼をしばたたせて僕を見た。
「僕には空蝉さんが何を言わんとしているのかよく分からないけど、もし空蝉さんが誰かに酷い目にあわされそうっていうんなら僕は必ず助けに行くよ?」
「そ、そうなんだ。それはその、ありがとう」
空蝉さんは照れ臭そうに一つ咳払いをすると、居住まいを正して口を開いた。
「高倉君がなんで要留意生徒になったか、だったわよね? その、えーと。ここまで引っ張っておいて言いにくいけれど私、何も……うわあ、何よこの罪悪感!」
頭を抱えて抱き枕に顔を埋める空蝉さんに笑って答えた。
「いや、いいよ。立場上空蝉さんが最初にそういう態度を取るしかないのは仕方のないことだし、僕としてはそういうふうに正直に言ってくれる方が助かる。成瀬さんもやっぱり何も知らない?」
声をかけられた成瀬さんは小さな体を更に縮こまらせて、申し訳なさそうに口を開いた。
「うん……。ごめんね、力になれなくて」
「ううん。十分だよ」
別に強がりを言っているわけではない。
信也の負った「要留意生徒」というものがあいつの素行が悪くて命ぜられたわけではない、と分かっただけで十分だ。
「……うん。そうだよな。そんな難癖をプール側につけさせないために標ちゃんは信也のスケジュールを分単位で組んでいるんだから。それでもプールが信也の動向を知りたがったということは、また新たな実験かな」
考え込む僕を二人は何も言わずに見ていたが、耳をそばだてるのも悪いとでも思ってくれたのだろう。すぐに僕を置いて談笑をし始めた。
「それにしてもびっくりだよね、くー。昨日この話をしたばかりだったのに」
「うん? そんなのしたかしら」
「したよ。ほら、高倉君ってブレエスの量が規格外に多いっていうから、その件と関係あるのかなー、って」
「——え?」
今、彼女は何て言ったのだ?
「ああ、言われてみればそんなこともあったわね」
「ちょっと待って! 空蝉さんも成瀬さんも、やっぱりその話を知っているんだね!?」
突然ぶしつけに話に割って入ってきた僕を見ながら、空蝉さんが不思議そうに首を傾げる。
「知ってるも何も壱岐君がこの話を知らないはずないでしょう?」
「いやその話、それはプールの……い、いや、学園の秘匿情報なんだけど」
「え? そうなの?」
「ほ、本当? で、でもこの話、知らない人の方が少ないと思うよ?」
空蝉さんだけでなく成瀬さんもが驚きの声を上げる。
「……ねぇ、壱岐君」
しかし二人以上に驚く僕を見て、空蝉さんが言いだしづらそうに口を開いた。
「壱岐君はこの話が秘匿なものであることを知っていた上で、私たちが知っていたことを『やっぱり』っと評したわよね? それは何故なのかしら?」
「え? ああそれは……その、妹も知っていたから他の人が知っている可能性もあるんじゃないかとは漠然と考えていたからね」
しかしまさか知らない人間の方が少ない、とまでは思わなかった。もしかして僕たちは何か、とんでもない思い違いをしているんじゃないのか?
「じゃあ壱岐君はこの話、沙耶ちゃんに聞くまで本当に知らなかったの?」
「うん、沙耶から聞くまで……って、成瀬さん、沙耶のこと知ってるの?」
僕は今、妹と言っただけで沙耶の名前を口に出した訳ではない。
頭の中に欠けていた歯車があるべき場所に収まる。それは組み込まれるやいなや、独自の運動を続けていた他の歯車とかみ合って一連の大きなうねりを作りだした。
「うん。中学の時知りあって、今でもよくメールのやり取りとかするけど……きゃ!」
気がつくと成瀬さんの体を壁に叩きつけていた。
「ちょっと、壱岐君!」
近くで聞こえているはずの空蝉さんの声が、遠い。
「君が沙耶にソートのことを話したの?」
あの時、沙耶の情報源の特定はできなかった。
でもこの人の、この反応は。
この人が教えた。沙耶に、レイエスのことを……教えた。
「いい加減になさい!」
空蝉さんの高い声とともに体に鋭い衝撃が走った。
そのとたん、僕と成瀬さんの密着していた体が離れる。皮肉にも僕という支えを失った成瀬さんは壁を背にずるずると床へと崩れ落ちた。
顔が熱い。
まだ力の入らない手を頬にやると右の頬が随分と熱をもっていた。呆けたように正面を見ると、息を荒げて右手を抑えている空蝉さんの姿がそこにはあった。
「……落ちついた?」
「ご、めん」
「謝るのは私にじゃなくて空にでしょう?」
「そう、だね。……ごめん、成瀬さん」
成瀬さんは戸惑いながらも、気にしていないと首を横に振ってくれた。
「それで、どうしたの突然。その、さやさんだっけ? 彼女と今のあなたの行動には何の関係があるの?」
「えっと。妹には理由があってソートのことは一切教えてなかったんだけど、その」
「高倉君のブレエスは規格外の量、ということは知っていた」
察しのいい空蝉さんに無言で頷いた。
「で、どうなの空。……聞くまでもないわね、その顔は」
カチカチといった耳障りな音が、顔面を蒼白にした成瀬さんの歯から響き始める。
「あ、あの私……私! まさかソートのこと、壱岐君が沙耶ちゃんに秘密にしてるなんて知らなくて……」
——ゴメンナサイ。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。
僕のソートが彼女からの謝罪の色を映しだす。……また、やってしまった。
「別にいいんだ。それにさ、ソートのことを知りたいって沙耶が言ってきたら教えるつもりだったことなんだ。びっくりしただけだから気にしないでよ」
視えてくる彼女の気持ちを少しでも意識しないですむように、無理やり笑みをつくって精一杯虚勢を張った。そうだ。成瀬さんには非はない。これは彼女が知りようもないものであり……僕のエゴが招いたものだ。
——キーン、コーン。カン、コーン。
なんともいえない微妙な空気の中、授業開始五分前を告げるチャイムが鳴った。
「行こう? 教室に戻らないと」
「……そうね」
「うん……」
そうはいっても誰も動こうとはしない。仕方なく僕が先頭に立って部屋から足を踏み出すと、僅かに遅れて後ろから二人の足音が聞こえ始めた。
『……』
足が重い。
背にかかる重圧から僕の歩く速度は次第に落ちていく。すると当然、後ろからつき従っている二人の歩みも遅くなる。だからといって歩くペースを上げることは僕にはできなかった。
「ん? ちょっと壱岐君、前! 避けないとぶつかるわよ!」
空蝉さんの声に我に返る。
「え……うわっ!」
僕は自分の目の前にいる人すら認識できていなかった。
自分の不甲斐なさに嫌気がさしながらも、せめてぶつかりかけたことを謝ろうとして前に立つ人の顔を見上げた。
「あ……、えっと。その」
その男の人はすごく整った顔をしていた。信也の顔も整っているけれどそれとは違った方向、例えるなら美術品じみた顔立ちとでもいうのだろうか。けれど、そんな見た目以上に彼の温かみのない眼が気になった。
「邪魔だ」
それ以上かわす言葉などない、とでも言いたそうに彼はそのまま僕たちの傍を過ぎ去っていこうとする。
「あ、曳野君! もう授業が始まるよ? 教室に戻らなくてもいいの?」
ひきの、と成瀬さんに呼ばれたその男の人はそれでもやはり何も答えず、そのまま僕たちの来た方へ行ってしまった。ひょっとして怒らせてしまった……か?
「……はぁ。前途多難だなぁ、うちのクラス」
彼を追いかけて謝るべきなのかと迷っていると、成瀬さんが肩を落としてため息をついた。……うちのクラス?
「あの、成瀬さん。あの人も同じクラスなの?」
「うん? うん、同じクラスだよ。彼は曳野陽君。その、まあ、見た感じ通りの人」
「じゃあ彼、別に怒っていたわけじゃないんだ。ほっとしたというか、それはそれで問題というか……」
「私はみんなで仲良くやりたいんだけどな……あ、別に委員長としてだけじゃなくね」
最後に慌てて言葉を続ける成瀬さんを見て、胸がすくような気がした。
「……ねぇ、空。彼にも注意するの? まだなんでしょ、アレ」
曳野君が去っていった先をしばらく見つめていた空蝉さんが、思い出したように成瀬さんにそう問いかける。
「アレ? ……ああ! 当たり前だよ! 悪いことは悪いって誰かが言ってあげなくちゃ。そうしないといつか絶対後悔することになるよ。見逃した方も見逃された方も!」
「その考えは分からなくはないけど。でも彼だけは、何というか……」
「特別扱いはなーし! 優良生たるもの常に品行方正であれ、だよ!」
片手を振り上げながら背を伸ばし、成瀬さんは高らかにそんなことを言った。
「ねぇ、注意って何のこと? 彼、何かしたの?」
さっきとは違い、いい感じに空気が軽い。今はもういない曳野君に感謝をしながら僕は二人の会話に加わろうとした。
「そうなの、聞いてよ! 実は彼、昨日の……ってあー! 壱岐君もじゃない!」
「……へ?」
「ホームルームよ、昨日のホームルーム! サボったでしょ! そんなこと……り、理由はどうあれ駄目なんだからっ!」
やぶへびだった。
助けを求めて見た空蝉さんはゆるーく横に首を降っている。……その仕草は諦めろ、ということなんでしょうか。
「だいたい壱岐君は女の子の気持ちに鈍感過ぎるよ! 牧さんがどれだけ必至の思いで告白してきたか分かってるのっ!? ああ……きっと彼女、ホームルームを放棄してまで思いつめていたんだわ! あなたが想いに気づいてあげないばっかりに!」
ハイスピードで単語を羅列しながらどんどんヒートアップしていく成瀬さん。この光景どこかで、どこかで見たことがあるような。それもごく最近。
「ああ、せめて誰かに悩みを相談できていれば!」
「あのー、成瀬さん?」
「分かる、私には分かるわ! それがどれだけ悔しいことなのか!」
駄目だ。成瀬さんはもう完全に自分の世界に入っている。なんとかしてほしくて彼女のパートナーにもう一度、目を向けてみた。——いない。
そうだよな。僕ら内だって誰かが暴走し出した時、被害を残り二人が片方に押し付けあうもんな。
「ちゃんと聞いてるっ!? 壱岐君!」
「あ、はい。僕が悪かったです。どうぞ、続きを」
五限目開始のチャイムを聞きながら、僕は成瀬さんの説教を聞き続けた。