4章④
夜道を壱岐君と二人で歩く。
私たちを見送る鳰鳥さんたちの姿は既に遥か後方にある。あれほど頑張って壱岐君をプールから連れ戻せたというのに、彼らは今からそのプールに戻らないといけない。
それでも、別れるときに見たみんなの顔は晴れやかだった。来る前に誓った、彼らの笑顔。漠然とだけど……守れたような、そんな気がした。
ちらっと視線を横に移した。
送るよ、と言った壱岐君が私の隣を歩いている。
それが私の家のある場所を聞きもしない内に口に出されたことを思い出して、軽い自嘲の笑いが漏れた。——その優しさが今の私には重い。
もう日付も変わって久しい中、私たちの他に道を歩く人などいるはずがない。時折後方から通りを走る車のライトが当たり、私たちの影が怪しく踊る。
人影などそれだけだ。
「完全に二人きりになっちゃった。はぁ……」
本来うれしいはずのこの状況が手放しに喜べない。
「成瀬さん? なんだか顔が青白いけど、大丈夫?」
壱岐君の手が、私に伸びる。
「ひっ……」
パシッと乾いた音が辺りに鳴る。私が、彼の手を——はたいた音だ。
「あ、ご、ごめんなさい……!」
「う、うん。……今の視えた感情は恐怖? でも、なんで……?」
独り言のようだったが、その声は一語一句違うことなく私の耳へと届いた。やっぱり壱岐君は私がどんな感情を彼に向けているのか分かっちゃうんだ……。
「あの、成瀬さん。それ以上離れると危ないよ」
気がつくと私は壱岐君とかなり距離をとったまま歩いていた。
おそらく心の内を簡単に読み取られてしまった、という動揺が物理的な距離となって表れたのだろう。いったんそのことに気づいてしまうと、私はますます彼と距離を広げようとしていた。
雰囲気を変えようとして壱岐君が懸命に話を振ってくれるが、私の返答はどうしてもぎこちないものなってしまう。彼の一挙一動が、怖い。
「あ」
「ひっ!」
会話の中突然発せられた壱岐君の声に、私はさらに大きく距離をとった。
「成瀬さん、もしかして僕のソートのことを標ちゃんに教えてもらった?」
「っ!」
知られた。知られて、しまった。
「私、私、壱岐君のソート勝手に知っちゃって! あの、そんな悩みを持っているなんて全然気づけなかった!」
三度。過去を含んで三度も、彼の心の軋みに気づけなかった。
それだけじゃない、彼がもっとも大事にしている沙耶ちゃんにも亡くなったご両親のことを訊いて、傷つけた。
気づく機会はきっとあった。けど、私はどれも気づけなかった。
けれど壱岐君は、
「ははっ、そんなことを気にしてくれてたの? 僕は別に成瀬さんなら知られてもかまわないよ」
私を全く嫌ってはいなかった。……鳰鳥さんの言ったとおりだ。いいんだ、私は彼の近くにいても。
突然、視界が揺らいだ。あれ、悲しくなんて、ないのに。
「だからそんなこと気にしないで。気にしなきゃいけないのはむしろ僕のほうだ。成瀬さんの感情を勝手に知っちゃっ……て」
「? 壱岐君?」
壱岐君の言葉が詰まったことを不思議に思って顔を上げると、目に入った彼の顔は熱でもあるんじゃないか、ってぐらい赤らんでいた。……んん? 彼の言った言葉の何処に顔を紅潮する要素があるのだろう。相手の気持ちが視えるんだから、私の気持ちを知ってしまうのは当然、あ。あああああ!?
壱岐君とは違い、自分の顔がどんどん青くなっていくのが分かる。つまり壱岐君は私が彼をす、好きだという気持ちを知って、いる?
うわああああ! なんで私はそんなことに気づかなかったのだろう!
「あああアレだよね! たたた高倉君やみみみ鳰鳥さんの感情は見えないんだよね、壱岐君は!?」
「う、うん。で、でもその、成瀬さんの感情は……」
「わわわ、分かるな私は! 他人の心を視るソートなんか無くっても!」
言葉を続けようとする壱岐君から強引に会話の主導権を奪った。けれど頭の中はひっちゃかめっちゃかで、この後どんな言葉を続けるべきなのか、そもそも自分が何をいっているのかすら分からない。
それでも言葉を止めて一度沈黙に陥ると、話はいきつくところにいってしまうのだけは理解ができた。告白すらできてないのに振られたくない、そんな打算に満ちたがゆえの行動だった。
裏返った声で頭に浮かんだ言葉をそのまま口にする。
「み、みんな、壱岐君のことが大好きなんだね!」
「みんな、か。はは……。沙耶には嫌われてるけどね」
薄い自嘲の言葉を壱岐君は寂しそうに呟いた。
「沙耶の気持ちも視えちゃうんだ。つい昨日……もう一昨日だけど、その時も視えちゃった。いや、視てしまった」
僕には悪意も視えてしまうから、そう続けて壱岐君は目を伏せた。
「一応確認するけど、それって壱岐君が告白された日のことだよね?」
「え、告白? そういえば牧さんに告白されたのも一昨日だったな……って成瀬さん、何でそんなこと知ってるの?」
「えっ! と、とにかく! 壱岐君は誤解してるの! 沙耶ちゃんのこと!」
——うっ、うっ……お兄ちゃん、電話、つながらな……ひっく……。
泣きじゃくりながら、壱岐君のことを心配していた沙耶ちゃん。
——どうか……兄をよろしくお願いします。
そう言って深々と頭を下げて、私とくーを送り出してくれた沙耶ちゃん。
沙耶ちゃんが壱岐君のことを嫌っているはずがない。私は壱岐君に近づいて、驚いた顔をしている彼の瞳を真剣に見つめた。
「あの、成瀬さん……?」
「信じて、壱岐君。これが私に言えるギリギリ……ううん、これでも言い過ぎなぐらいなの」
想いに気づくこと、それは壱岐君が自分自身で気づかなければいけない問題なのだ。
「は、はぁ。でもそうはいってもソートは視えるんだ。成瀬さんも沙耶を知ってるんならあいつがどんな性格をしているか知ってるでしょ?」
「それは、うん。知ってるよ」
すぐに沙耶ちゃんの綺麗な髪と柔和な頬笑みが脳裏に浮かんだ。
「その沙耶が声を荒げて怒鳴り声をあげるんだよ? 嫌われているとしか思えないよ」
「それなんだけどさ、壱岐君。ソートの第一発見例、覚えてる?」
「え? ソートの第一発見例? えっと、なんだっけ?」
「『恐怖』による思念の具現化。思うんだけど壱岐君の視えているものって、相手の意志だけじゃなくて自分自身の不安も反映されているんじゃないかな」
壱岐君が視る一つ一つ、彼に向けられた気持ちの一つ一つは確かに真実なのだろう。しかし感情なんてものが強制的に視えるとき、はたしてその意図まで考えたりするだろうか。普通は視えたものに従って「この人には自分はこのように思われている」と素直に納得すると私は思う。
けど誰かが他の誰かに向ける感情なんて、自分の捉え方しだいで随分と見方が変わるものだ。現に私自身、壱岐君に避けられているとわかっていながら、相談があるなんて言われた時は告白されるのかも、なんて思ったのだから。
「……そうかなぁ。僕、沙耶に先入観なんてもってないと思うんだけど」
「じゃあ聞くけど、壱岐君は今まで一度も沙耶ちゃんに対して負目みたいのを感じたこととかないの? 少しも? 全く?」
「そ、それは……」
壱岐君が言葉に詰まる。
——絶対に文句いってやります!
壱岐君が牧さんから告白をうけたことをくー聞いたあの日、教室に一人残された私はすぐに沙耶ちゃんにメールを送った。
ふらふらとした動作でカバンをまさぐり、虚ろな瞳で携帯を操作する私の姿をもし誰かが見ていたのなら、きっと警察か救急車を呼ばれていただろう。
返事はすぐに返ってきた。もっとも、彼女からきたのはメールではなく電話だったのだけれど。
「ど、ど、ど、どういうことなんです! お、お兄ちゃんに告白って先輩っ! 打ち間違いですよね!? 酷薄ですよね? お兄ちゃんに酷薄な話をした人がいる、って打とうとしたんですよね! そ、そうです! そうに決まってます! 私に黙ってか、彼女なんて絶対、絶対許さないんだから!」
沙耶ちゃんの取り乱しようは口を全く挟めないほどすさまじかった。思うに壱岐君は彼女の感情の高ぶりを、自分に向ける嫌悪がゆえに起きたものだと思ってしまったのではないだろうか。
「だいたい、壱岐君。怒鳴られたから嫌われてる、って考えるのは早計過ぎるよ。気分とかその時の状況によっても感情は変わるんだから。感情は固定的なものじゃなくて流転するものなんだよ?」
「そう言われると、そんなふうにも思えるけど。じゃあ、信也や標ちゃんの感情が視えないことは? これはどう説明するの?」
「それは壱岐君が二人なら何があっても自分を見捨てない、っていう安心からきているんじゃない?」
それこそ壱岐君の心に定着し固定となった絶対の信頼——なのではないだろうか。
「……受け止め方次第、か。そんな考え方は思いつきもしなかったよ」
しばらく思い巡らした後に顔をあげた壱岐君の顔は、何かをふっ切ったような、そんな晴れやかな顔になっていた。私がそのことを指摘すると、壱岐君は沙耶ちゃんによく似た柔和な笑みをもって私を見た。
「はは、確かに心が軽くなった気がする。……あれ? なら成瀬さんから視える感情は牧さんと違って恋愛感情じゃ、ない? ならどうして僕は成瀬さんが僕のことを好きだなんて思ったんだ……?」
「? 牧さんって牧詩織さん? 彼女がどうかしたの?」
「い、いや! なんでもないよ!」
そういうと壱岐君は大げさに手を振りながら私の言葉を否定した。んん? 間違いなく「牧さん」って聞こえたんだけどなぁ。
「あ、そうだ! くーに言われたんだけど、私って牧さんに似てるの? ……って壱岐君、その『疑問は氷解しました!』って顔はなに?」
うーん。そんなに似ているかなぁ、私と牧さん。……牧さん、か。
「成瀬さん? どうしたの、急に真面目な顔して」
「ううん。……この雰囲気なら流すこともできるけど、やっぱりそんなの駄目だよね」
ここで牧さんの名前が出てきたのも運命だろう。
すっかり朗らかな顔で私の顔を見る壱岐君に対して、私は知られてしまった壱岐君に抱く私の気持ち……意を決して、その答えを求める一言を口にした。
「そ、その! い、いいい壱岐君は私に何か、言うことがあるんじゃないかなっ!?」
「僕が成瀬さんに言うこと? ……、…………。……………あ」
私の言葉を聞いた壱岐君は笑顔のまま固まると、いきなり頭を抱えて座りこんだ。
「い、壱岐君? どうしたの、突然頭かかえて。あっ、足の怪我、傷むの!?」
「……痛い! 彼女の善意がかなり痛い!」
ぜん、い……? 頭の全域が痛いってことなんだろうか。
「あの。壱岐君、少し休む?」
とりあえず蹲る壱岐君に手を差し伸べてみた。すると彼は、複雑そうに私の手を取って立ちあがった。
「そうだね。僕は、成瀬さんに言わなくてはいけないことがある」
「あ……、うん」
私を見る壱岐君の顔は真剣そのものだ。答えが分かっていても、思わず喉が鳴った。
「ごめん、成瀬さん! 僕、君のこと誤解してた!」
「うん、駄目なのは分かって……へ? 誤解?」
ごめん、はわかる。でもその後の誤解ってなに?
「君がその、僕に好意を、もっているんじゃないかって。それで、うわあぁ……」
壱岐君が言葉を濁しながら、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
思わず頭を捻った。どこをどう聞いても事実でしかない。いったいその何処に壱岐君のいう誤解があるのだろう。
「成瀬さんは友達として接してくれていたのに僕ってやつは! ああっ、なんて勘違い野郎なんだ、僕は!」
「……はい?」
冷静になろう。まずは深呼吸だ。
うん。走っている自動車も少なく、空気がおいしい……じゃない! ちょっと待ってよ、何この状況! 意味が全然、わからない!
「ごめん、本当に! 相手の心が視えるとか言っておきながら、僕は成瀬さんの気持ちをまるで理解してなかった……」
いやいやいや! 壱岐君は理解してたよ、今の今まで!
「い、いやっ、そのね? 壱岐君の思い込みが左右するとはいっても、まずは感情ありきなんだよっ? 壱岐君のソート!」
「え?」
「だ、だって、ほらっ! 牧さんは実際に壱岐君のこと好きだったでしょ!?」
「それはそうだけど。あれ? じゃあ——」
「あ……っ!」
し、しまった。ここでそんなこと言ったら、せっかく誤解だと勘違いしてくれたのに私が壱岐君のこと好きだって分かってしまうじゃない!
向いた矛先をどうかわすか冷や汗になりながら悩んでいると、ちょうど壱岐君と私の家との分岐点の場所まで来た。……た、助かった。
「……こほん。えっと、壱岐君。私こっちだから、私ともここでお別れだね」
「え、成瀬さんの家はもっと向こうなんでしょ? 送るよ」
「駄目だよ。それだと壱岐君は道を引き返さないといけなくなっちゃう」
「いいよ、そんなの。家まで送る。僕、親御さんに土下座でもしないと気が済まない」
「ちょ、ちょっと! 私の親に会うつもりなの?」
「当たり前じゃないか」
なにを当然のことを、と壱岐君は首を斜めに傾けた。
「何か問題でもあるの?」
大ありだと思う。
「あの、この時間だよ?」
「うん。もう朝が来るね」
「だ、だから! い、壱岐君はおおお男の人で、わ、私、おおお女の子だよ?」
「あ……」
私の言葉の意味を理解したのか、壱岐君の顔が赤くなる。私もきっとものすごく真っ赤な顔をしているだろう。
「で、でも! は、話せば分かってくれるよ! 多分!」
「……どうあっても、送るっていうの?」
「うん。それに成瀬さんの、……家族もきっとすごく心配してると思うから」
「そう」
大きくため息をつく。本当にこの人は、
——大バカ者だ。
だから、頭ごなしに思いっきり怒鳴った。
「この、馬鹿っ!」
「な、成瀬、さん?」
烈火のごとく怒る私に壱岐君がたじろぐ。
「沙耶ちゃん、こんな時間まで一人で家にいるんだよ!? あなた、沙耶ちゃんに『無事だよ』っていう連絡の一つでも送った!?」
「そ、それは……沙耶には標ちゃんがメールを送ってるから」
「そんなの関係ない! あなたが沙耶ちゃんのことをどう思うかを聞いているの!」
「……!」
私と話をしながらも必死で早足になるのを抑えようとしてくれていた壱岐君。隣にいる私を気遣いながらも、始終自分の家のある方角に視線を送っていた壱岐君。彼が今居るべき場所は私の隣じゃない。
「で、でも……」
「ごちゃごちゃうるさい! さっさと行くの!」
「……ごめんっ!」
憮然と腕を組む私の傍を壱岐君は駆け抜けて行き、私の視界から消えるか消えないかというところで私の方を振り返った。
「壱岐君?」
「絶対、今度埋め合わせするから! ——だから、また明日!」
大きく手を振って走り去る壱岐君の姿を、私は苦笑いをしながら見送った。本当に、抑えるところは外さない。
他人の異変にはすぐに気がついて、かけてほしい言葉を的確に相手に送るという鋭さをもっているのに、どうして自分のことになるとこうも鈍感になるのかなぁ。
後ろでジャリ、と砂の音がした。
「や。くー」
振りかえらずに音をたてた主に声をかける。
「ええ。こんばんは、空」
「おはよう、じゃないかな。もう」
「細かいわねぇ、あなた」
くーは笑いながら私の隣に立った。
「遅いから朝帰りなのかと思っちゃったわ」
「……くー、下品」
「言ったのはあなたじゃない」
「も、もう! どこから聞いていたのよ!」
「さーねー」
くーは、本当に楽しそうに笑っている。
「あ、空。おばさんには今日空は私の家に泊まる、って言っておいたから道はこっち」
自宅へと歩き出そうとした私を呼び止めて、くーは自分の家のある方向を指して歩き始めた。慌ててその後を追う。
くーがしつこくせがむので、道すがらくーと別れて以降にあった出来事を詳らかに話すことになった。
「あ、そうそう。一言もお礼いえなかったー、って始終嘆いてたよ、壱岐君」
からかいを含む私の声に、くーが大きく息をつく。
「……やっぱりそうなのね。あー、明日……ってもう今日か。休もうかな、学園……」
「そしたら壱岐君、山盛りのフルーツを持ってくーの家に見舞いに来ると思うよ」
「う……」
本当に照れ屋なんだから。くーに見つからないように私は口をほころばせた。
「で、空? 鳰鳥さんに連れられて行った時のことが抜けてるけど?」
「……ああ、あれね」
——あなたに謝らないといけない。
彼女はそうきりだした。
「成瀬」
「は、はい」
「これから話すことは圭介には教えないでほしい。了承を」
鳰鳥さんが私に話せて、壱岐君に話せないこと。そのことに多少の疑問を抱ききつつも私は首を縦に振った。
「そもそもあの時信也が成瀬をなじったのは、圭介との接しかたに不安を抱いていた沙耶に余計な心配を与えたくなかったからだった」
「え? 沙耶ちゃん、そんなこと悩んでたの? 壱岐君はそのことについて何て言っているの?」
「……」
鳰鳥さんは話の核心、それを話すことを少し逡巡しているようだった。
「あ、べ、別に話せない事情があるのならいいけど……」
「いや、いい。圭介はソートで、他人が自分に向ける感情が色として自動に〈視え〉てしまう」
「え? じゃあ、壱岐君がみんなと積極的に関わろうとしないのは……」
「他人の感情を視ないようにするため。これは私も昨日信也に聞かされて初めて知ったが、圭介には他人に対する自身の行動が偽善に思えてならないらしい」
結局、私は好きだといいながら壱岐君のことをなに一つ理解していなかったのだ。
「えーと、壱岐君は、その、高倉君や鳰鳥さんの感情も視えているの?」
かすかに首を左右に動かしながら鳰鳥さんは答えた。
「私と信也のみ例外の模様。理由は分からない」
「そうなんだ。……あれ、二人だけが例外ってことは沙耶ちゃんの感情も視えているんだよね? どこに問題があるの?」
鳰鳥さんは目を伏せて形のいい顔を少し俯かせた。
「圭介は沙耶が心の中で、自分に嫌悪を抱いていると感じている」
「そんな! そんなはずないよ! どうしてそんなことないって教えてあげないの!」
詰め寄る私に対して鳰鳥さんは諭すように言葉を紡いだ。
「成瀬。私たちには圭介が視ているものが視えている訳ではない。私たちの見えているものが事実と断ずることはできないし、その逆もまた然り。認識のずれは自身で気づかなければ意味がない」
「それは、そうだけど……。でも」
「心配ない。圭介なら必ず気づく」
表情には表れていないけど、彼女の顔には迷いは全く感じられなかった。何故なら彼女は壱岐君のことも沙耶ちゃんのことも——信じているから。
「そう。あなたとは付き合いの長さが違う」
勝てない、と思った。ここに私の入り込む余地はないのだ、と。
「そんなことはない」
けれど、その時彼女から出たのは意外な言葉だった。
「成瀬は自分の身を顧みず圭介を助けにきた。信也を助けてくれた。部外者ではない」
鳰鳥さんはもう話すことはない、とでもいわんばかりに踵をかえした。
「時間はこれから作ればいい」
「ま、待って! 鳰鳥さん!」
そのまま暗闇に消えようとする鳰鳥さんに、私は追いすがった。
「あの……一つ、いいかな。さしでましいことなのかもしれないけど」
「言って」
「鳰鳥さんにとって高倉君や壱岐君、それに沙耶ちゃんがとても大事なの人だってことは理解できた。けどあなたは、何かに負い目を感じているような気がする」
今思っても鳰鳥さんが述べたことは、初めから終わりまで全てが壱岐君や高倉君、それに沙耶ちゃんのことだった。そこに彼女は含まれていない。
「——私は信也の監視役。それだけ」
「それ以上に親友でしょ?」
「そのような資格、私にはない」
「誰かと仲良くするのに資格なんていらないよ。多分みんなも鳰鳥さんがそんな気遣いをすることを期待してないと思う。——だって高倉君が沙耶ちゃんのためを思って私に辛い言葉をはいたっていったけど、それは鳰鳥さんも同じでしょう? みんなが大事だからこそ、決意のない私が踏み込んでくるのが許せなかったんだよね?」
振り返った鳰鳥さんの顔はいつものように無表情なものだったけど、私には彼女が驚いているように見えた。
「成瀬は」
「? うん、なに?」
「……いや、いい」
聞き返す私に小さく「なんでもない」とだけ言うと、すぐに鳰鳥さんの姿は闇へと消えた。
——これがあの時あったことの全てだ。
「鳰鳥さん、か」
あの後、彼女は何を言おうとしたのだろう。
何を考えているのか分からない、と言われることの多い彼女だけど、ただ彼女は自分の近しい人を大切にする人なだけで。隣で怪訝な顔をしているくーを見る。
「……何よ、空?」
「ん。何でもない」
いつか、くーみたいに気軽に話せる仲になれたらいいな。そう思った。




