3章③
「うおぉおおお!」
もう何度目か分からない体当たりを鉄格子にしかける。見た感じかなり古いものなのだが、何度やっても鉄格子はびくともしない。
「貴様に何ができる、か」
数時間ぶりに自由になった四肢を見る。僕を縛っていた縄は他でもない曳野君の命によって既に解かれている。
しかしそれは牢に放り込む以上問題ない、ということではなく僕の体に拘束がある状態がICの製作に良い面で働かないとの考えからだろう。
「だとしても、君は僕の気持ちがまるでわかってないよ」
自由になった僕の体は、鉄格子にぶつかり過ぎてボロボロだった。
「……こんなに何かに対して一所懸命になったのは、あの時の文化祭以来だな」
中学で最後を飾る文化祭のことだ。
誰もが銘々に自分本位の意見を出す中、一人クラスを纏めようとしている女の子がいた。当時の僕は出来る限り他人の気持ちを見ないように、と今より更にクラスから一歩離れていたから、その女の子——成瀬さんが使命感から来る虚勢しか張れていないことにすぐに気づくことができた。
なんとかしたい。そう思った時にはもう体が動いていた。
この行動が信也との大喧嘩に発展し、標ちゃんからは昼夜を問わずネチネチと言葉攻めを受けることになったけど後悔はしていない。文化祭が無事終わった時、成瀬さんはは笑顔になってくれたのだから。
「っと、こうしている間も信也と標ちゃんが危ないんだから、何とかここを抜け出さないと……」
再び鉄格子に体当たりをしかけようとした時、頭に直接何かが聞こえてきた。
「…………え……る……」
「ん?」
「…………える? きこ……る?」
「な、なんだ? これ?」
聞こえてくる声に、意識を集中させてみた。
「……こえる? 聞……える? ……岐君?」
「! 空蝉さん? この声、空蝉さんなのっ!?」
言葉は断片的だが、これは空蝉さんの声だ。ど、どうなっているんだ?
「空! 成功……たみた……よ!」
「これはソート? それに空って、成瀬さんもいるの?」
「ええ。…………のね。だ……ら空もここに……るわよ」
「でも、どうしてここに?」
「あ……ね。あな……を助けに来たに決まってい……じゃない」
「ええっ! 何で、二人は僕が捕まってること知ってるの?」
「成り……き上、よ。いいから、早くその……所を教えな……い」
空蝉さんに言われるまま周囲を見渡してみた。けれど自分が牢屋の中にいるという以外は、手がかりになりそうなものは見当たらない。
「ごめん。牢屋ってことぐらいしか分からないよ」
「牢? ああ、牢屋ね。えっと、ここ……ら思念を拡散させ……いるってことは上下ではない……ね。伝動しにくいはず……もの。ならこの……ロア? あ、だからこうやって……話が成立している……かしら」
「ちょっと待って、空蝉さん!」
「な……よ。神経使うんだか……ちょ……と静かにし……よね。えーと、後この部屋とこの部屋と」
「空蝉さん!」
雰囲気の変わった僕の声に、空蝉さんが言葉を切る。
「何? 壱岐君、どうしたの?」
「さっき空蝉さんがいった言葉、もう一回教えてくれない?」
「さっき? えーと、上下に壱岐君はいない、かな」
「違う違う。もっと前!」
「何なのよ、本当に。えーと、思念を拡散してる、かしら? ……あら、もう普通に聞き取れるわ。そっちは?」
「あ、うん。問題ないよ」
ノイズは全く無くなっている。これでかなり空蝉さんの声が聞き取りやすくなった。
「で、拡散? 拡散って何?」
「何、って言われても。ブレエス同士を繋げるパイプをそこらじゅうに撒いて、言葉を持たせているとしか言いようがないわ」
「じゃあそのソート、聞こえているの僕だけじゃないかもしれないじゃないか!」
「え、ええ。高倉君と鳰鳥さんが反応するかも、と思ってやってもいるから」
ばらばらにきたから合流しようと思って、と空蝉さんが続けた。
「聞こえるのはプールの構成員も同じでしょ! 危険過ぎるよ!」
「ああ。それなら大丈夫だと思うわ」
注意を喚起させようとする僕に、空蝉さんはあっさりとそう言い放った。
「ど、どうしてそんな自信満々に言えるの?」
「手元に探知のICがあるの」
「あ、IC!? 信也じゃあるまいし、何でそんなものを空蝉さんが持ってるの!?」
「だから成り行き上よ。で、このICを使ってこの建物内のブレエスの反応を調べたら五つしか感じなかったの」
「五つ……? それ、いつのこと?」
「ほんのついさっきよ。つまり今この建物内には、私たち五人しかいないってこと。んー、やっぱりこのフロア内の、しかもだいぶ近くの部屋に牢屋があるようね」
私たち五人? 待て、よく考えろ。彼女の言う建物内にいる五人は僕、信也、標ちゃん、成瀬さん、空蝉さんのはず。……違う、足りない!
「おかしいよ、それ! 今、この建物内には六つの反応がないとおかしいんだ!」
「ど、どういうこと?」
脳裏に浮かぶのは僕に信也たちの来訪を告げた、あの冷徹な目をした少年。
「いるんだ、まだこの内部にもう一人! もう一度確かめてみて!」
「い、今は動かないの……っ!? うっ!」
空蝉さんのうめき声を最後に、突然彼女の声が途切れる。
「空蝉さん! 成瀬さん! ねぇ! 返事をっ、返事をして!」
ブレエスの反応は五つ。確かに空蝉さんはそう言った。
多いのはいい。その数だけ、人がいるということだ。僕は曳野君の後ろに控えていた黒服の男を二人、目にしている。
時間的に見ても空蝉さんのいうICに引っ掛かってもおかしくはない。だが反応が足りない、つまりどんな物体にも流れるレイエスがなくなる時。それはつまり。
「……物体が、『死ぬ』とき」
そして今の空蝉さんの突然の音信不通。成瀬さんと空蝉さんは優良生と元優良生でありながら、僕を助けようとした。
——私たちのこと、助けてくれるのかしら?
いたずらっぽい笑みを浮かべた空蝉さんの顔が脳裏に浮かんで、消えた。
「くそ! また、同じなのか! 僕はあの時沙耶にしたことをまた繰り返すのか!」
鉄格子を叩いても無機質な鉄の音しか響くものはない。あの時と同じで他に聞こえてくる音はない。
「ソートを得てすら、僕は周りが傷つくのを見ていることしかできないのか!」
いつもは厭っても勝手に頭に流れるソートが、今は何の情報も流さない。
誰も、僕に感情を向ける人がいない。こんなものまで同じ。
「くそっ、感情を視るソートだろ! 教えてくれ! 頼む、お願いだから!」
鉄格子にもたれながらあの時と同じように今を変える力を願った。
〈それ〉は突然起きた。
変化はない。変化など起こりうるはずがないのに——世界が置き換わった。
「く……なんだ、この感、じ……」
意識が遠のく。頭が熱をもった鉄のように熱い。
「……っ」
視界が揺らいで倒れそうになるが、何とか踏み止まった。
「はぁ……はぁ……」
壁にもたれて乱れた呼吸をなおす。一度目を閉じて、心を落ち着かせてから目を開けた。そこはもう元の、いままで見えていた世界だった。
「今の感じ、ソートで人の感情色が視える時みたいだった……。まさか部屋全体の思念を感じた?」
思念。一つ足りない、ブレエス。
——では鳰鳥標についてはどう考える?
「……っ」
軋む心を服の上から強引に抑え込む。考えるな。今は何も考えるな!
「部屋の思念、か。……プールの牢屋ならありえるのかも」
今では禁止区域もしくは聖地となっている合戦場跡や墓場などは、ソートが発見される以前では負の陰気が溜まりやすい場所だと言われていた。
別に霊魂的存在を信じているわけではい。ただ今は、一つでも何か状況を変える可能性があるものなら何でもいい。
この空間全体に意識を集中させてみた。……けれど、何も起きない。
「くそ……!」
焦れば焦るほど集中などできない。湧き上がる悔しさで手を床に叩きつけた時、その衝撃で何かがズボンのポケットから落ちた。
「……?」
暗闇の中、僕は物体が落ちた辺りを見定め、腰を落として手探りで確かめる。すぐに指が確かな感触を捉え、僕はそれをおそるおそる拾い上げた。
それは先ほど曳野君に持たされた中身のないICだった。
こんなものに、との脱力感が芽生えたが、焦燥感にとらわれて碌に考えが纏まらなかった頭にはいい意味で活が入った。
「ふう、まずは牢屋から出る方法だよな。さっきの通信で空蝉さんたちのいる場所はすぐ近くだと分かったし。……それにしても、何が救いになるか分かんないもんだ」
拾った黒い物体をしげしげと眺める。
IC——ソートが込められていないこれは、本来のように光を当てられることもなく、ただ黒い物体として僕の手の中にあり続ける。こうなるとただの宝石だ。
「IC、ね。僕の視るだけのソートのどこにそんな価値があるんだか。あー、牢屋が鉄格子なんかじゃなけれ、ば?」
さっきまで体当たりをくらわしていた牢屋の鉄格子を見る。
「……さっき僕は鉄格子にもたれてた」
そして、手元に収まっている物体を見る。
ICとはどんな物体もレイエスがあるから成り立つもの。そして……ソートとは思念をレイエスによって顕現させたもの!
「視えた思念は空間じゃなくて鉄格子のものか!」
もう一度、今度は鉄格子に意識を集中させる。
「……ぐっ」
意識を集中させたとたん、再び酷い頭痛が頭に走る。
「……あきらめ、ない! このまま、全て失くしてたまるか!」
無限ともいえる数秒が過ぎる。
「み、えた」
ゆらゆらと。蠢くように鉄格子の内部にあるレイエス——グレイスが視えた。
「あれ? ここ、他よりも視えるイメージが強い?」
さっきまで打撃を加えていた場所のある一部分が、淡くほのかに光っている。
「強く視えるってことは力の集、点だよな?」
地球上に存在する限り、どんなものにも圧力はかかっている。そして強い圧力がかかる方へと物体は変質したがり、その状態を保とうとする。
これを人間は色々な方法で固定したり変形させたりして物をつくる。しかしそこには少なからず無理が生じている。
「……ここは他よりも弱い場所、ってことなのか?」
標ちゃんの言葉と、今日受け取った学内通信の内容を呼び起こす。
——全てのものには「死」がある。
そうだ。標ちゃんも学内通信も「物体は死ぬ」ではなく「物体には死がある」というような表現をしていた。
ならこの集点は、物体としての「死」ということになるんじゃないのか。
「……やるか、一か八か」
僕は大きく息を吸って足を振り上げた。




