3章②
「どう?」
懐中電灯で前の建物を照らして、くーが自慢げに笑いかけてきた。もう片方の手には先ほど私に見せた宝石のようなものが握られている。
「ほんとに本物のICなんだ、それ。でも、高倉君たちいないね……」
草陰から顔を伸ばして建物の周囲を窺う。けれど先を行った二人の姿はない。
「壱岐君のブレエスを追ってここに着いたのだから、場所は間違いないわよ。二人とももう内部にいるんじゃない?」
「そうだね。じゃ、早速……」
「ストップ、空!」
「な、何?」
石で造られた頑丈そうな階段を上り、建物の扉に手をかけたところでくーに呼びとめられた。
「入るのはちょっと待って。この建物内で動きのあるブレエスを調べるから」
動きのあるブレエス? どういう意味なんだろ?
「鈍いわね。つまりそれはブレエスを持った者、人間ってことよ」
「なるほど……ん? グレイスは? 虫とかは入らないの?」
くーは一瞬嫌そうに顔を歪めたが、わざとらしく咳払いをして言葉を続けた。
「大丈夫。どうやらこのIC、人の思念にしか働かないみたいね」
「? じゃあ、動きのあるブレエスに限定する必要あるの? ずーと動かない人なんていないよ?」
「現に目の前に『人の思念であって動かない物体』があるでしょうが」
「あ、ICか。そっか、ここはプールだし他にICがあっても不思議じゃないのか」
「こんなのがいくつもあるっていうのは、考えるだけでも恐ろしいけどね……。費用的にも。ほら分かったら下がった、下がった」
くーが調査し終えるのを待ち、その了承の声に従い私はくーの傍へと戻った。
「ねぇ、くー。何か随分あっさりOKしたけど、本当に大丈夫なの?」
「ええ。元々感じられるブレエスは少なかったんだけど、今更に減ったから」
「えー? どれがプールの人で、どれが高倉君たちか分からないんじゃ危険だよ?」
私がそう言うと、くーはにんまりとした笑みを浮かべた。
「いいからいいから。さ、入りましょう」
どうにも教えてくれそうにないので、私は諦めて彼女につき従うことにした。
「それにしても暗いね……」
夜道だから、と沙耶ちゃんが渡してくれた懐中電灯は建物の内部に侵入しても絶大な効力を発揮しているが、いかせん照らす範囲が狭すぎる。……何かでそうで怖い。
「何言ってるの。月明かりが窓から差し込むだけまだマシじゃない。えーと、動きの少ないブレエスは監禁されてる壱岐君だろうから……あ」
突然立ち止ったくーに危うくぶつかりそうになり、私は慌てて足をとめた。
「なに、くー。危ないじゃない」
「……反応がとぎれた」
「えー!」
頭を掻き毟ってきー、というヒステリックな声を上げた後、くーはいきなりICの装飾部分を手で叩き始めた。……くー、予測不能の事態に無茶苦茶弱いもんなぁ。
「あの、くー、私も……」
「黙って!」
うっわー。以前知恵の輪を貸したときと同じ反応だよ、これ……。
けどくーにしては珍しく、数分ほどでさじを投げた。おお、最短記録更新だ。
「こ、こんなもの。こんなもの、こんなもの! ……い、いいわ。もう内部なんだし。最悪、部屋をしらみつぶしで探せばいいのよ」
くーはそう言って使い物にならなくなったICをスカートのポケットに仕舞った。
「じゃ、行こっか。くー」
「ええ。先に進みましょう」
私たちはどちらともなく内部に向かう歩みを再開した。
「……ねぇ、くー」
私たちの足音以外の音が響かない静寂の中、自然とくーに話しかける私の声も小さなものとなる。
「何?」
「あの、さ。くーは、なんでついてきてくれたの? ……あー! ま、まま、まさか! やっぱり壱岐君のこと!」
「いや、だからありえないから」
「何よ! 壱岐君に魅力がないとでもいうの!」
「何このデジャヴ的疲労感。これ本当にデジャヴなのかしら……」
「ちょっと! どうなの! 質問に答えて、くー!」
場合によっては全面戦争も辞さない。そんな気概を持って私はくーに詰め寄った。
「……そう言う空はどうしてそこまで壱岐君のこと好きになったのよ?」
はて。そういえば何でだったかな? 振り上げたこぶしを下げて考えてみる。
「うーん、初めて意識したのは……中学の三年の時かなぁ」
記憶のページを捲りながら言葉をはいたところ、「まさかここまで」とか「期待を裏切らない」ということをくーはぶつぶつと呟いていた。
「くー、何が期待を裏切らないの?」
「あなたに関係のないことだから気にしないでいいわ。それで? きっかけって?」
「あーもう恥ずかしいなぁ……。私、色々と結構きっちりやろうとするでしょ?」
「まあ、それは……」
微かな声の震えから、くーが苦笑いをしたのが分かった。……しかし、話をしている隣の人の顔さえまともに見えないというのに、懐中電灯も持たずにここに来た高倉君たちは大丈夫なんだろうか。
私が考えこんでいるとすぐにくーから話の続きを話すよう、催促があった。
「えーとね。中学最後の文化祭の話になるんだけど、当時私は文化祭の実行委員だったの。楽そうな喫茶店をやりたがるグループと、クラス全員が出演の劇を推すグループがどちらも譲らなくて……かなり苦労してね」
「それを纏めたのが壱岐君?」
「半分正解」
「半分って何よ。そんなの、纏めるか纏めないかのどちらかでしょう」
「まあまあ。とにかく続けるよ? えーと、壱岐君、始めは高倉君たちと一緒に我関せず、って態度だったかな」
彼らは他人と関わろうとしないからね、と他人事のように言うくーに、あなたもでしょうと突っ込みを入れる。
くーにそう告げた後で、当時のことを思い出して笑いが込み上げてきた。
「ちょっと、何がおかしいのよ」
「あははっ、ごめっ……いや……ふふ……」
ジト目になったくーの視線をうけながらも、ひとしきり笑ってしまうと後は驚くほど気持ちが落ちついた。
「ふう、ごめんごめん。やっぱりさ、何をするかに決まっても今までいがみ合っていたクラスがすぐに一致団結、とはならないでしょ?」
「それはそうでしょうね」
頷いたくーを見て、私は言葉を続ける。
「でもね、三日後にはもう纏まったの。その流れを作ったのが壱岐君たちなんだよ」
「へぇ、壱岐君やるじゃない。……いや。空は今、『たち』って言ってたわね」
そう、この問題を解決したのは壱岐君たち、なのだ。
「初め壱岐君は、一人で反対する生徒たちを纏めようとしたらしいの。『自分の意見が通らないからって協力しないのは間違ってる』って言って」
聞いたときはびっくりしたものだ。あんなに無関心だったのに、と。
「壱岐君の言うことは確かに正論だけど、でもそれなら壱岐君も始めから議論に加わるべきだったんじゃないのかしら」
「まぁ、誰かに肩入れして自分たちの境界を侵されるのが嫌だったんじゃないかな」
「それは分かるけど。でもそれで、クラスを纏めようとするのは自分本位よ」
「うん。実際『壱岐は話に参加してなかったじゃないか』とか言われたみたい」
当然ね、と澄ました顔でくーが言った。
「で、壱岐君撃沈」
「……はい?」
当時のクラスメイトに後で聞いた話だが、その時の壱岐君はまさにぐうの音も出ないといった感じだったらしい。
「壱岐君は猛烈に落ち込んで自分にそう言った人たちに、次の日『この文化祭、できることは何でもする! だから協力してくれ!』って言ったらしいよ」
「お、おそろしく真っ直ぐね。というか彼、昔からそんな感じなのね……」
壱岐君は昔からそうだった。
どこまでも真っ直ぐで……きちんと筋を通そうとする人だった。
「それで私の手落ちなんだけど、『面倒事は全部壱岐に任せよう』みたいなことになったらしいの。しかも壱岐君は何の文句も言わないから、話はどんどんエスカレートして最後は苛め同然だった、って私は聞いた」
「胸糞の悪くなる話。……なるほど、高倉君はこのことを言っていた訳か」
くーが顔をしかめる。私には言葉の後半がよく聞こえなかったけど、くーはどうやら思い当たる節があるようだった。
「続けて、空」
「二日目になって壱岐君の様子がおかしい、と思った高倉君と鳰鳥さんが彼を問い詰めたみたい。でも壱岐君は何もないとの一点張りで、高倉君と喧嘩しちゃったの」
「話が見えないわね。そのことと、空が事情を知ったことがどう繋がるのよ?」
こういう要所要所で合の手を入れてくれる辺り、くーが聞き手上手だと思わなくもない。話すほうにも熱が入るというものだ。
「鳰鳥さんが始めにルールを提示したの。喧嘩して壱岐君が勝ったらこの件に二人は干渉しない、高倉君が勝ったら壱岐君は包み隠さず本当のことを言う、って」
「じゃあ高倉君が勝ったんだ。まぁ、高倉君に壱岐君が勝てるとも思えないけど。でもまだあなたが事情を知っていることに繋がらないわよ?」
……訂正。ただせっかちなだけかもしれない。
「勝負は高倉君が勝った訳じゃないよ。私みたいに生徒が集まってきちゃって、先生の仲裁が入ったから」
「何それ。じゃあ、先生経由で知れたってこと?」
呆れたようにいうくーの言葉を否定する。
「それもはずれ。鳰鳥さんが『この被害に対する圭介の罪悪感の有無を知りたい。ここにいる迷惑をかけられた皆が知る権利がある』って言ってね。それでようやく壱岐君がしゃべった」
「……策士ね、鳰鳥さん」
「へ? 策士? 何で?」
「だって、二人の喧嘩を止めるどころかルールまで決めてその言葉よ? 仲裁が入ることを見越していたとしか思えないじゃない」
「うーん。言われてみれば確かに……。とにかくその後、壱岐君の話を聞いて怒り狂った高倉君と鳰鳥さんがクラスを血の雨に……」
「言わなくていいから。普段のあの三人の関係見てれば、それぐらい想像つくわよ」
やっぱり。いくら鋭いくーでもそう思うか。
「——とはいかなかった」
私がしたり顔でそう告げると、くーは驚いたように私の方を見た。
「高倉君はくーの想像通りクラスに殴りこみをしようとしたらしいけど、鳰鳥さんが壱岐君のした行為が全て無駄になるから、って言って止めたらしいよ。彼女、壱岐君には無理なことは断ることと、自分たちの手伝いを強要したみたい」
「……へぇ」
「ともかく相当な大喧嘩だったから、クラスの子たちも結構見ててね。事情も全員が知ることになって、それで壱岐君に対する嫌がらせも終わったみたい」
「鳰鳥さんが壱岐君に近い、か。……もしそこまで考えての行動だったのなら、いやそうなんでしょうね、多分」
そりゃ信頼関係が生まれるわけだ、とくーは大きな伸びをした。
「私は後日、壱岐君に謝りに行ったの。気づけなくて、うまくクラスを纏められなくてごめんなさいって」
「そんなの、あなたが悪いんじゃないでしょう? 特に実行委員だったのなら、あなたに行為が分からないような陰湿なやり方だったんじゃないの?」
「……それでも知らなかったから、で済む話じゃないから」
真面目ねぇ、とくーが笑った。
そんなことはないと思う。クラスのために一番一生懸命になった壱岐君のことを、私は最後まで気づけなかったのだから。——その本質を理解してなかったから壱岐君に対して、沙耶ちゃんに対して同じ間違いを犯した。
「空。またブルーになってる」
「ご、ごめん。それでね、謝る私に壱岐君は『いい文化祭にしようね』……って。それだけしか言わなかった」
あの時の笑顔は今でも覚えている。包帯で輪郭なんか、まるで見えなかったはずなのに私はただその笑顔に魅了された。
それから壱岐君はほんのちょっとだけだけど、自分から周りに話しかけるようになった。そんな彼を見て私はああ、この人は迷ったり悩んだりはしても絶対道を失わない人なんだな、って思ったんだっけ。
「なるほどなるほど。それで今の空は壱岐君にメロメロと」
物思いにふけっていたところに聞こえたくーの声で我に返る。
「あー! もう! 壱岐君を早く見つけるよ!」
この真っ赤な顔は当分戻りそうもない。
真夜中でよかった、そう思った。




