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例のフラグイベント

作者: 入梅木馬

「このアイドル、昨日も出ていなかったけ?」

「じゃあ、あんた、昨日出ていたアイドルの名前覚えてる?」

「いや……」

「顔は?」

「こんな感じだった、ような」

「朝の番組なんていつもこんなもんよ」

 姉の指摘はもっともなことだ。情報番組といっても、その内容はいつも何も変わらない。何を見ても変わらない。つまり情報量がほぼ無いのだ。

「午前8時です!午前8時です!」

その情報番組が告げる時報を見て、腕時計の時間を合わせる。一つ長めの息を吐く。

「じゃ、行ってくる」

「がぁんばってねぇー」


 姉の妙なテンションの送り出しを背に玄関を出た。始業は午前9時00分。生活指導の青木が校門を閉めるのが、午前8時55分。そして目標のポイントには午前8時43分に走り込まないといけない。少し早く出過ぎたか。途中で時間を調節したほうがいいだろうが、しかし、目標のポイントに到着するまでの間に、どんなトラブルがあるかわからない。ポイント近くまでは普通に歩き、その少し手前で、時間を調節したほうがいいだろう。

 午前8時43分に一体何があるか?今日、その時間、そのポイントに、下級生の梶優美がトーストくわえてを走ってくる。彼女は普段から遅刻ギリギリに登校し、そして高い頻度でトーストをくわえている。

 俺はこの梶が好きだ。だから偶然を装い、トーストくわえたこのヒロインと道でぶつかって急接近するというフラグイベントを成立させるのだ。実行日時とポイントは、最近1ヶ月間の梶の登校行動を観察した結果導き出した。最近流行しているストーキングとビッグデータというやつの成果だ。(たぶん)

 梶と初めて出会ったのは、部活中の姉に呼び出されたときだ。陸上部の使いパシリをさせられたのだが、そのとき一緒に荷物を持ってくれたのが梶だった。それ以来、俺は彼女に夢中だ。だから、今日のフラグイベントは何としても成功させねばならない。

 


 現在の時刻は午前8時30分。目標のポイントまで5分の距離にいる。少々早く着いてしまった。時間を調節するために、青い色のコンビニ入る。雑誌コーナーの前に立って、表紙のグラビアや見出しをざっと眺める。読み入って時間を過ぎないように手にとって読まない。この店からは午前8時38分に出なければいけない。

 雑誌の表紙を眺めていると、10誌ほどの表紙が同じようなアイドルの笑顔で飾られていた。月に1,2週の頻度で起こることだが、どうもみんな同じに見えてしまう。そういえば今朝の情報番組のアイドルも、昨日出演していたグループと区別がつかなかった。俺はもう女に対する欲望が失われているのか?枯れてきているのか?いや、違う。これは愛だ。梶への愛なのだ。愛がために、他の女に目が向かないだけなのだ。

 その梶とのフラグイベントの時間が迫ってきている。時間を確認しようと、なんとなく店内にかかっているほうの時計を見た。ドリンクコーナーの上にかけられた時計は午前8時46分を示している。

 あれ?ドクンと胸に不安が込み上げてくる。しかし、こういうところの時計は前後しやすいものだ。そうだそうだと思い直し、今度は自分の腕時計をみた。自分の左腕にある時計は午前8時36分を示している。この時計はついさっき、家を出るときに情報番組の時報に合わせて来た。こんなすぐに10分もずれるわけがない。しかし、どちらの時間が正しいにしても、そろそろこのコンビニを出なければいけない。俺は積まれてるお菓子から適当に一つを手に取って、レジに向かった。

「いらっしゃいませー。134円になりまーす」

「あの、」

「はい?」

「いま、何時ですか?」

 俺が時間を尋ねると、店員さんは何を言っているんだという顔になった。でも、ちらりとレジの画面に視線をやり、俺におつりを渡しながら、完璧なスマイルで教えてくれた。

「8時46分ですよ」



 ヤバい、ヤバい、ヤバい!!遅刻だ、遅刻だ、遅刻だ!!走れ、走れ、とにかく走れ!!なぜだ?腕時計はちゃんと合わせてきた。なのに、なぜだ!?これではフラグイベントどころではない。イベントポイントは学校への最短のルートから離れている。タイミングもポイントもこうなってはどうもしようがない。梶はもう学校に着いているのか?……って、いまはそれどころではない。最短で、最速で、全力で学校に走らないと、とてもじゃないが間に合わない。遅刻してしまう。腕時計を見る間すら惜しい。いまは校門がしまる午前8時55分にまでに学校に間に合うことだけに集中しなければいけない。

 視界にも思考にも事故を起こさない程度の情報だけを入れて、他の神経はすべて体を前へ飛ばすことに集中させる。視界がだんだん狭くなってくる。町の雑踏が遠くなっていく。自分の呼吸する音が近づいてくる。自分の体の動きがこれまでにない現実感をもってくる。これが、ゾーンか!これなら、いける!!

 最後のコーナーを綺麗なアウト-イン-アウトでクリアしようとしたとき、目の前に同じ高校の女子生徒が視界に飛び込んできた。

「あっ」

身をかがめる女子生徒。しかし、こちらは最高速。回避できない。

ドンっ

 俺は女子生徒と思いきりぶつかってしまい、彼女を吹き飛ばしてしまった。女子生徒は派手に地面を転がり、3mほどの所でうつぶせで動かなくなった。こんな激しく人を吹き飛ばしたことなんて、今までに無い。少しの間、俺は青ざめて立ち尽くしていた。しかし、ここままではいけない。

「大丈夫か!?」

 俺は青ざめながらも、とにかく駆け寄って声をかけた。そして体を仰向けに起こそうと、彼女の両肩に手をかけようとしたときだ、

「とうっ!」

いきなり彼女が桜木花道のように飛び起き上がった。

「先輩!早くしないと、遅刻しますよ!」

 彼女はそう言って逆光の向こうから、俺の手を引っ張って走り出した。光のせいで顔と顔色はよくわからなかったが、なんだか、試合が始まったばかりのようにピンピンしてやがる。

 大丈夫なのか?俺の心配をよそに、彼女はぐんぐん走るスピードを上げていく。ぼうっとしていると、彼女は一気に遠くに消えて行ってしまいそうだった。見失わないように、俺も全速で彼女の背中について走った。



「セーフ!!」

 半分閉められた校門に滑り込み、彼女は大きく両手を広げるポーズをして言った。結局、彼女に並ぶことはできなかった。俺も全力で走ったのに。こいつ、速い。

「何がセーフだ。そのいつもギリギリなのをな……」

校門を閉めながらあきれた口調なのは生活指導の青木だ。どうやら彼女に言っているらしい。

「わかってるって、青木先生。それじゃ!」

「明日はもっと早く来いよ、梶!」

へ?いま、なんて言った?

「ほら、先輩も、行きましょう」

梶優美は俺に振り返って、笑って言った。



 校門から教室まで梶優美と並んで歩きながら、俺はなぜ、今日、彼女とぶつかったのか、そのことを考えていた。確かに俺は今日、梶優美を相手にトーストくわえたヒロインと道でぶつかるというフラグイベントを狙った。

しかし、俺の時計が10分も遅れていたために、イベントのタイミングもポイントもすっ飛ばして学校に走った。なのに、彼女はあの場所に立っていた。あの時間、あの場所に彼女がいることは、少なくともこの1ヶ月の登校行動からは考えられない。また、ぶつかりかたも想定していたフラグイベントのような軽い感じでなく、思いきり吹き飛ばしてしまった。あっ、そうだ。俺は彼女を吹き飛ばしたのだ。

「梶」

「はい、先輩」

「保健室に行こう」

 あれだけ派手にぶつかったのだ。ケガをしていてもおかしくない。そんなことに気が回っていなかった自分にがく然としたが、気がついた以上放っておけない。

「大丈夫ですよー」

「ダメだ」

 今度は俺が梶の手を引っ張る番だった。彼女は始めほんの少し抵抗するそぶりを見せたが、素直に俺の手に引かれついてきた。

「えへへ」

「ん?」

「先輩、やさしいですね」

「思いきり吹っ飛ばしたからな。悪かった」

「本当、先輩が思っていたよりも速かったから、びっくりしました」

「ん?思っていたより?」

 そういえば、なぜ梶は吹き飛ばされた後、何も言わず、何事もなく俺の手を引いて走ったんだろう?

「あ、そうだ。お姉さんからメール来てましたよ」

「姉さんから?」

「はい。『今朝8時前にあんたの好きなバンドが番組に出てたのは録画しておいた』だそうです」

 なんだそりゃ?なぜこの状況で、梶を経由して姉から伝言が?しかも内容がテレビの録画?いや、好きなバンドを録ってくれたのは嬉しいのだけど。頭が混乱し始めるときの、もやっとした感じで、だんだん眉根の間に力が入ってきた。

「でも朝8時前って、なんかアイドルが出てたはずだけど……」

「それ、昨日のですよ」

「は?」

「アイドルって、なんかいつもテレビに出てますからね」

「今朝のあれは、録画だった……のか?でもなぜ?」

「だって、遅刻しそうな人が選ぶルートとタイミングって予想しやすいじゃないですか」

頭のもやもやがだんだん晴れてきた。

「姉さんと組んでたのか。俺を遅刻ギリギリの状況にするために、俺の時計を遅らせるために、昨日の録画を使って……」

 俺が考えをまとめていると、梶が大まじめな顔をして俺の正面に立った。「先輩。トーストくわえたヒロインとのフラグイベントに、一番大切なのはなんだと思いますか?」

俺はもうなにがなんだかで、とてもじゃないが言葉を出すことができない。「一番大切なのは、必死に走ることなんです。トーストなんて飾りなんです!」

「……」

「だから先輩を待っている間に、トーストは食べちゃいました」


(終わり)

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