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私の愛するフランシーヌ

「冗談が過ぎるよ、翔さん」

「――ふふっ、ごめんごめん」


 それは紛れも無く翔さんの声だった。私は久しぶりに聞いたその声のせいで、頭がふわふわした気分になった。


「あのね、翔さん。一つだけ言っておきたいことがあって」

「何?」

「ずっと好きでしたよ、貴方のことが」


 再び沈黙が訪れて、翔さんが電話の向こうで悶えているのが目に浮かぶようだった。


「はっきりと言われると照れてしまうね。僕は――」

「うん?」

「いや、自分で言うのも照れてしまうね」


 当たり前のことを当たり前のように話した。体調のことや四年間の大学生活のことなどを。翔さんは倉田市のとある企業への就職が内定し、三日後には私の住むマンションに引っ越してくることになっている。環境が一変しようとしている。不安ももちろんあったけれど、私は希望を持ってその新生活を迎える準備を整えていた。

 それから、章さんの話になった。章さんは私と同じ大学に入っていたので、毎日のように顔を合わせていた。最近は就職活動に忙しいようなので会っていなかったけれど、その合間を縫って私たちの部屋を訪ねてきてくれることになっていた。章さんは学生結婚をしていて、良い就職先を見つけようと必死になっていた。あの全てを飲み込むような笑顔を武器にして戦っているのだろう。

 そして、茉莉花さんのことは行方しれずだった。あれ以降私にも翔さんにも連絡がなく、どこへ消えてしまったのか、まるで分からなくなっている。どこかで無事に暮らしていれば良いけど、と翔さんは言った。もちろん私も無事を祈ったけれど、最悪の事態を想像しないではなかった。


「じゃあ、三日後に」

「うん。そのときはきっと、僕の気持ちを君に伝えるよ」


 電話を切った。再び、墓地に静寂が戻った。ふと、こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。振り向けば、そこに茉莉花さんが立っていた。


「――茉莉花さん」


 何故だろう、私はちっとも驚かなかった。そこで再会することが、当たり前のことのように思えたから。


「この場所は変わらないわね。貴女はすっかり変わってしまって、私もこんなに歳を重ねてしまった。昔よりもずっと綺麗だわ、咲良さん」

「どこでどうしていたんですか。急にいなくなって、心配したんですよ」

「ふふ、そんなことを貴女に言われるなんてね。……でも、悪いことをしたのは私の方だった。今になって分かったわ、あの頃の私はまだ若かった。気付いた頃にはもう遅いっていうのに」


 私は何を言えば良いのか分からなかった。茉莉花さんは昔の同居人のお墓に花を手向けると、しばらくそこで手を合わせていた。振り向いた茉莉花さんはこう言った。


「ここに眠っているのは最初の失敗作なの。私が束縛しすぎたのね、耐えられなくなって自殺した可哀想な子」


 言葉の軽さとは裏腹にその瞳は潤んでいた。目元には皺が目立ち、声は掠れていた。


「全てが上手くいくと思っていた。貴女も私の虜になると思っていた。でも、そうはならなかった。馬鹿な女ね、私って」


 時が全てを押し流すように、私の茉莉花さんに対する悪感情は消えてしまっていた。私は、茉莉花さんに同情のようなものを感じた。


「今はこの街に戻ってきているんですか?」

「さあ、どうでしょうね。明日はこの街にいないかもしれないし、ずっとこの街に居続けるかもしれない。全ては気分次第よ」

「茉莉花さん、三日後に翔さんが帰ってきます。翔さんは茉莉花さんのことを恨んでいたかもしれないけれど、本当は茉莉花さんのことを愛してもいるんです。だから、そのときには――」

「……さようなら」


 私の言葉を振りきって去って行く茉莉花さんの背中は、まるで死神が取り憑いているかのように寂しかった。私はその背中に、精一杯の言葉を浴びせかけた。


「私も、茉莉花さんのことは好きです! だから、きっと、またみんなでご飯を食べましょう!」


 最後まで茉莉花さんは振り向かなかった。私もその後を追おうとはしなかった。茉莉花さん、と呼びかける声が風に(ほど)けていった。私は茉莉花さんの本当の名前を知らない。

 月は空の彼方に追いやられ、太陽の時代がやって来る。私は祈ることしかできなかった、きっと彼女にも太陽が微笑むことを。

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