2
それからの僕は有賀さんの誘い通りによくあの店に行った。僕が行くと蒼石圭吾はなぜかいつもあの席にいた。そして有賀さんは僕のことをいつも彼と同じテーブルに座らせてくれて……
彼は何も言わないでほとんど無口のままだし、僕はと言えば気の利いたことも話せないのでいつも沈黙。言葉を交わすのはほとんど有賀さんが相手で、僕が顔を見せるとすごく喜んでくれる。
最近は夕食までごちそうになることが多く、あそこのメニューが高いのを知っている僕は恐縮する。でも有賀さんが次の約束を必ず取り付けるので、行かないのも悪い気がして……僕がお金を払おうとすると、
「いいのいいの。どうせこいつが払うんだからさ」と彼、蒼石圭吾を指さす。
「で、でも」
なんで彼が僕の食事を支払うのかわからない。その彼の方を見てもこちらを見向きもしない。いったい彼はどういうつもりなのか?困ったように彼を見てその視線を有賀さんに向けると、
「気にしないで」と微笑まれてしまう。
気にするなという方が無理だ。僕は気づかれぬように密かに溜息をつく。自分でもこの曖昧な空間と時間になぜ居るのかわからない。それなのに誘われると断れなくて、また店に向かい、訳のわからない蒼石圭吾の顔ととびきり人の良い綺麗な顔で微笑む有賀さんに会いに行ってしまう。
その日もそんな時間を過ごした帰りだった。まだそんな遅い時間ではないので人通りもあったのだが、ひとつ路地を入るとぐっと人通りが無くなり、気づけば自分一人だった。それは後になってわかったことで、相変わらず暢気な僕には危機感がまったく無かった。
とにかく男の僕が襲われるなんて、この間の件があったにせよ思ってもいなかったのだ。だがそんな暢気な僕にそれは突然襲いかかった。電信柱の影からいきなり手が伸びて、口を塞がれた。
「……ぅうっ……」
なんの予告もない事には人間はなすすべがないと言うことを僕は身をもって知った。いやよく考えればこの間突き飛ばされたときに理解すべきだったのだが。
「おとなしくしろっ」
言われるまでなく僕は声が出なかった。
「うぅっ……」
口と同時に首に腕を回されて後ろから押さえられていた。それは僕を押さえつけるだけにしては力が入りすぎていて、声を出すどころか呼吸が出来ない。このままでは首を絞められたのと同じだ。呼吸が出来なくて頭の中が真っ白になる。まずい、と焦ったがどうにもならない。
手脚をばたつかせて暴れても、後ろの人間はびくともしない。僕は見かけだけでなく力の方も女の子並みだったらしい。このまま殺されるかも……と今更な考えが初めてよぎった。僕は本当に暢気で危機感がない人間だったらしいと気づく。
そのとき、がつんっと言う鈍い音と共にいきなり解放された。僕は前のめりに道路に放り出され喘いだ。
「……げっ、ごほっ……っ」
何がなんだかわからないが、変な悲鳴が聞こえて反射的に振り向いた。男が殴られている。馬乗りになった大きな男にめちゃくちゃ殴られて、変な悲鳴が上がっているのだ。
「ちょ、ちょっと……」
僕はまだ息が整わなくて、それでもふらつく足取りで大きな男が振り上げている腕にぶる下がるようにしがみついた。殴られた方の男の声はもう聞こえていない。つまりもう声も出せない状態なのだ。なのに殴られ続けてる。
「や、止めてよ。死んじゃうよ」
必死になってしがみつくと、やっと男の動作が止まった。
「死んじゃうよ、止めてよっ!」
僕は必死だった。多分殴られて気絶した男が僕を襲った男なのだろう。それは察せられる。確かに殺されそうになったけど、僕は男に同情した。いくら何でも撲殺は酷すぎる。過剰防衛だ。
「なんでだ?」
そのとき再び僕を助けた蒼石圭吾が僕を見て言った。この男と視線が合うのは何度目だろう。もう何度も店で会っているのに、まっすぐこちらを見られるのは数えるほどだった。薄暗い街灯しかないところでもわかる深くて昏い瞳は相変わらずだった。
「なんでって……」
「襲われたのはおまえだ、首、閉められただろう。こいつは二度もおまえを殺そうとしたのに」
前と同じ犯人かよ、と理解したのは後になってからだった。
「だからって……何であんたが殺すんだよ」
「おまえに危害を加える奴は許さない」
「は?」
僕の頭がいろんな事でぐちゃぐちゃになったとき、
「おーい」
有賀さんがやってきた。僕はやっと安心する。話が通じる人がやって来たと。
「大丈夫か」
これも後になって思えば、その言葉は蒼石圭吾に向かって呟かれた。なぜ襲われた僕ではなく、殴られた犯人でもなく、殴った彼に向かって有賀さんが言ったのか、その理由を僕は後になって知った。とにかく有賀さんの出現で安心した僕は
「わぁっ、もうどうすんだよ、大変だ!!有賀さん救急車!!」
いきなりそう叫んでいた。僕の目に、そのとき映ったのは……殴られた犯人ではなく、殴った蒼石圭吾の血だらけの手。撲殺死体になる寸前の犯人よりも、危うく過剰防衛にもなりかねない手を血だらけにした男。
そして叫びながらどういう訳か彼の血だらけの拳を無意識に自分の胸に抱いていた。もちろん、救急車がきても運ばれるべきは碧石圭吾ではなく、僕を襲った犯人の方だった。
後日。
色々わかったことがあった。あの犯人は僕の大学の同級生だった。学部も違う僕は彼の名前も顔も知らなかった。でも向こうはそうじゃなかったらしい。しかも僕が気づかないうちにずっと後はつけ回される、写真は撮られるのストーカー行為で、しかも前から精神がおかしかったのか、僕のことでおかしくなったのか、一人で勝手に妄想したあげくに僕に恋人が出来たと思ったらしい。
もちろん僕にそんな相手は居ない。僕は彼の存在すら知らなかったのに、さんざんストーカーされて最後は殺したいほど勝手に憎まれていたらしい。最初はあの舗道で。次はあの夜。
そして有賀さんと彼はそのことに気づいて二度とも助けてくれた。なぜ助けることが出来たかというと……彼、蒼石圭吾も僕のことを付けていたからだ。僕よりずっと前に犯人のことに気づいていたらしい。それ以降は僕をガードしてくれていたのだ。何でそんなことになったのかというと。
「げぇっ!! ストーカー!?」
「いやぁ、平たく言うとつまりそうなるかな……脅かしちゃいけないと思って黙ってたんだけどね」
有賀さんが言うには、つまり蒼石圭吾も僕のストーカーで有賀さんは彼が暴走しないように常に彼を見張っていたという。つまり僕は二重のストーカー被害に遭っていたわけだ。しかもそのストーカーの誘いに乗って、のこのこ食事を一緒にしているし。自分の間抜けさ加減に自分でも呆れた。
「ごめん! ごめんよ智希くん」
有賀さんにいくら謝られてもショックはしばらく続いた。
その三ヶ月後。
なんと僕は『カメリア』の住人になっていた。
カメリアというのは有賀さんが働いている「Dining of The CAMELLIA」と言うレストランの上階にある高級アパートメントで本当の名前は「Residence CAMELLIA」
通称「カメリア」と呼ばれているこの建物はちょっとレトロな感じで目を引く高級マンションとして有名だった。多分セレブな人間が住んでいるんだろうと思っていたけれど、まさか圭吾がここの住人だったとは。
これは話すとちょっと長くなるんだけど。
実は僕はその後、なんとまた別のストーカーに被害にあってしまった。懲りもしない僕を心配した蒼石圭吾は、自分の住まいに強引に僕を攫うように連れてきて、現在同居している。
つまりね。
あの事件の後、怪我をした圭吾を見舞っているうちに彼のことを好きな自分に気づいた僕は彼と付き合い始めたんだ。そこには有賀さんの取りなしがあったことはもちろんだけど。
圭吾はちょっと普通とは違う。なんというか、感情が欠落してるようなとこがあるみたいで、ほとんどの物や人には興味を示さない。圭吾にとって義理の従兄弟で親友の有賀さんだけは特別で、今まではその他の人に興味を持ったことはほとんど無いらしい。
それなのにあの店から僕を見かけるようになって僕に興味を示した。有賀さんはそんな圭吾の珍しい様子からどうにかしてやりたかったらしいけど、なにせあの無口な圭吾だから話は進まない。
そうこうしているうちに圭吾は黙って僕に付いてまわる、というスト-カー行為を始めた。もちろん有賀さんは止めたけど、圭吾はそれで止めるような人間じゃない。しかも執着したのは初めてだから有賀さんも諦めて、圭吾が犯罪者にならない事だけを祈っていたというのが真相。
僕は「すでに犯罪者じゃん」と言ったのだが、有賀さん曰く「そこに智希くんの愛があれば犯罪じゃなく愛情でしょ」とあの綺麗な笑顔ですっとぼけたことを言われた。
そう言われて圭吾と接すれば、彼には僕しか目に入っていないらしいし、最初の頃視線も合わせてくれないと思ったけれど、あれは彼なりの負い目なのだそうだ(有賀さん曰く)
でも超が付くほど無口で無表情なのは素のままで、だけど僕にはだんだんと圭吾の感情の機微がわかるようになっていった。そしてそう気づく頃にはすでに恋に落ちていたらしい。
とにかく見方を変えれば、身をもって僕をいつも守ってくれる騎士って訳で、圭吾はすごくかっこいいしね。有賀さんには、
「智希くん、君は本当に素直というか、前向きというか。圭吾も珍しい奴だが、智希くんも割れ鍋に綴じ蓋、圭吾にぴったりの恋人で嬉しいよ」
「なんですか、それ」
とても褒められたとは思えない有賀さんの言葉に睨み返すも、有賀さんが居なかったら僕と圭吾はとても結ばれなかっただろうし、仕方ない。
この辺も僕はお人好しだ。
有賀さんと話していると横から大きな腕がひょいと僕を抱える。気づくと僕は圭吾の膝の上だった。圭吾は無言だが自分を無視されて有賀さんと話しているのが気に入らないらしい。
「おまえねー誰のお陰で智希くんと付き合えたと思ってるの?」
有賀さんがムッとしたように言うと、
「俺が智希を守ったからだ」
珍しく言葉にしたかと思ったら平然とそんな台詞を言う。
「おいおい、守ったって……攫ったの間違いだろうよ」
溜息をつく有賀さんはばからしいと思ったのか向こうへ行ってしまった。
今日も夕暮れ前の『Dining of The Camellia』は僕たちの貸し切りだった。
「智希は俺が守る」
無口な恋人のそのセリフは最高の愛の言葉だった。そして誰にも心を許さない圭吾には僕が必要だった。
「僕も圭吾を守ってあげるよ」
それが無口で感情を上手に表すことが出来ない恋人への僕の愛の返事だった。
fin




