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僕は普通の大学生。
その日まで特に変わったこともなく、平凡な日々を送っていた。
けれど……
「なんだか薄気味悪い……」
最近無言電話が多くなった。友人はいなくはないが、そう多くはない僕なので、電話してくる人間など限られている。普段は携帯電話を持ち歩くことも忘れてしまうほど、ほとんど活用していないのに。
最近やたら着信は多くなり、出ても無言。しばらくそんなことが続いたと思ったら、ある日アパートの鍵が壊されていた。貧乏学生と言うほどではないが、裕福でもない僕が住んでいるのは、古びた昔からある木造のアパート。
一階の端にある部屋で鍵だって『付いている』と言う程度のもだった。でも財産があるわけでもなく、大学の本や安い服が少々ある程度で価値のあるものなど無いのに―――
鍵が壊されていたけれど、物を取られた形跡もなく、警察には届けたけどどうって事はなかった。
その次に僕が気づいた変化は尾行だった。誰かが僕の後を付いてくる。それは学校の帰りだったり、バイト帰りの深夜だったり。女の子じゃないから気にしなかったけど、やはり気持ちが悪いことに変わりはない。
「ストーカーじゃね?」
そう言ったのは大学の数少ない友達だ。
「俺、男だけど?」
「女だって最近はストーカーするぜ?つーか最近の女は怖いし……てか、女じゃないかも知れないし」
「女じゃないかもって?」
「男が男をってことも……」
「まさか!!」
顔が引き痙って友達を見返したんだけど、友達はまんざら冗談でもなかったらしく首を振って、
「とにかく気をつけろよ、おまえ人目惹くんだし……」
そう友人に真顔で返されてしまった。
僕は平田 智希、二十歳。
地方出身の大学生。現在安アパートに下宿中。恋人なし、友人少々。趣味は特になし、時間があるときはカフェでコーヒーを飲みながら読書をするくらいしか楽しみがない。ただ友人達に言わせると目立つらしいのだ。自分ではそんなつもりは全くないのに。
僕は色素が薄いので髪も茶色い。染めているのではなくて天然だ。髪がそうだから肌の方も白くて、日光に当たっても日焼けをしない。美容院が面倒で……(実は節約の意味もあって)現在、髪が伸びているので、女の子によく間違われる。線が細いし。。。。。
高校生くらいの時はそんな外見も気にしたけど、今ではもうどうでもいいことで、誤解されたときはそのままにしておくこともしばしば。たまに飲み会に行くと合コン相手や知らない人に女の子だとずっと思われてることもある。
「うん……だから女と間違われてるのかもね」
そのうちわかれば諦めるだろうって、軽い気持ちでいたのだけれど。
でもその日。
大学の授業が休講で、昼間から街中を歩いているとき、人混みの中ではっきりと感じた。見られている気配……はじめて気持ち悪いと悪寒が走った。しかもその直後、背中を押されて信号待ちしていた車道に体が突き飛ばされた。
「あぶないっ!!」
自分で叫んだけれど、強く押されて体が前のめりになって倒れかかった。車の往来が激しいなか、車に轢かれることも一瞬覚悟したとき、腕を思い切り掴まれて後ろに引かれた。前に倒れかけた体は反動で、今度は後ろの人にぶつかった。
「す、すみませんっ!!」
気が付けばその瞬間、壁のように立ちはだかる男の胸元に抱かれていた。ほんとうにでかい。身長が170センチとちょっとの僕が思わず見上げるほどの人間だった。
「ありがとうございました」
返事がないその人に、もしかして女の子とまたまた間違われたかな?そんな風に思って、ちょっと気まずかった。すみません、の意味には胸に抱かれちゃったけど僕は男です、の謝罪の意味もあった。けれどその人はそう言っている僕のことを離そうとはせず、ずっとその姿勢でいる。
「ぁ、あの……」
さすがにちょっと気まずくなってそっと声をかける。
「あーごめん、ごめん」
その声は妙に明るく脳天気に聞こえたが、その声の主は別の人間だった。
「君、大丈夫? ぁ……こらっ、いい加減に離さないかっ! 圭吾っ!!」
そこに人なつっこさそうな、大人な雰囲気の素敵な男性が立っていた。この大きな男と知り合いらしい。
「ぁ、びっくりしちゃって……」
「そうだよなぁ、危なかったし……その上こんなのに抱きつかれちゃな。おい、こらっ離れろよ」
大きな男の人がなかなか離れないので、その人は力ずくで引き離してくれた。嫌な感じはしないけど、何しろ恥ずかしい。気が付けば周りの人の注目を浴びていたから。赤くなって俯いた僕に、
「あのさ、時間大丈夫だったら、そこの店……ちょっと来ない?」
「え?」
指をさされて振り向くと、そこには見慣れたカフェが。夜はイタリアンか何かのレストランになる店だった。毎日のようにここの前を通るけど、一度も入ったことはない。すごく高そうな店だったから。
昼間はランチやお茶をする人が多いこともわかっていたけれど、学生にはちょっと敷居が高かったのだ。そう言えばこの人はウェイターのような格好をしている。そのお店の人のようだ。僕の返事を聞かずにその人はもう背中を向けて歩き出した。僕はどうしよう?とちょっと迷っていた。
そのとき。
「えぇーっ!?」
勝手に体が引きずられていた。さっきの大きな人が断りもなく返事も待たずに僕の手首を掴んで歩き出したのだ。
「ぁ、あの……?」
僕の意志には頓着せず、右手を痛いほど握ってそのまま歩き出した。僕は小さな子供のように、半分引きずられながらそのまま店の方へ歩き出した。
思っていたように、店は高級そうな雰囲気だった。落ち着いた雰囲気と、高そうなテーブルや椅子。そのほかのインテリアも上品だ。それでも今は時間が中途半端なこともあって他にお客が居ない。いや、窓際のテーブルに飲みかけらしいコーヒーがセットされていた。
僕はその席の方にどんどん連れて行かれる。この席はこの大きい男の席のようだ。この男は店の人って言う感じはしないので、お客なのだろう。と、頭の中で考えているうちにその席に無理矢理座らされた。
大きい男も向かいに座る。ここまで無言だ―――
(なぜ無言?何か言えよ!)
席に着く頃やっと手を離してもらえた。手首はやや赤くなっている。なんだかとにかく恥ずかしくて、僕は女の子のように俯いてもじもじしていた。顔を上げられない。けれど助けて貰ったことを思い出して、俯いたまま呟いた。
「ほんとうに……本当にありがとうございました」
まずい。こんなんじゃいけない。強引な相手でいくら恥ずかしくてもちゃんと顔あげてお礼を言わなくちゃ。そう思ったときにふわっといい香りがした。あわてて顔を上げると、目の前にコーヒーが置かれていた。横にさっきの素敵な男の人が立っている。
「コーヒー好き?」
「えぇ……大好きです」
「そう、それは良かった」
つい話しやすそうなこの人と会話してしまう。まずい、そうじゃなくて。
「あの……」
僕はやっと目の前の人にまっすぐ顔を向けた。やはり大きい。座っていても僕よりも一回り大きい感じだった。
「あの、先ほどは助けて頂いてありがとうございました」
今度こそきっちりと、立ち上がって頭を下げながらそう言った。
「まぁ、とにかく座りなよ」
横に立つ彼が促してくれた。
「はい、ありがとうございます」
僕は改めて座り、目の前の彼を見た。彼は横を向いていた。気分を悪くしたのだろうか。僕の方を見てくれない。
「あの……」
「おい、圭吾。いい加減にしろよ。彼が困っているじゃないか」
「いえ……そんなこと。いいんですけど……」
その言葉に、おもむろにその人は顔をこちらに向けた。思わずその迫力に仰け反りそうになる。
深い……瞳が深い色をしていた。黒い瞳が澄んでいる……というのとは違う。深く、昏く、どこまでも沈んでしまう底の見えない暗い湖のような。その瞳をまっすぐ僕に向けている。その迫力に、僕は負けそうになる。飲み込まれそうな感覚になって、そのまましばらく見つめ続けた。
「もしもし?」
横から話しかけられ、
「あぁっ、はいっ!」
見つめすぎてしばらく固まっていたらしい。
「ごめんな、こいつちょっと迫力だろ?無愛想だし」
「いえ、そんな。ぁ……はい……」
僕はしどろもどろで訳のわからない返事を返した。最悪だ。助けて貰ってこの態度は。
「あの、すみません……」
また俯いてしまう。もともと初対面の人間と話すのは苦手だ。よく言えばおとなしい。だがこの年齢で、成人した男が人見知りだなんて、褒められたものじゃない。
「あぁ、気にしないで。こいつの前じゃ誰でもそうなるから。なぁ圭吾」
大きな彼はにこりともしない。怖い、とは思わなかった。ただその迫力に圧倒されていただけだ。
「気をつけろ!」
そのとき落ち着いた低い声でぼそっとそう言われた。僕は思わずじっと見つめ返してしまった。すごくいい声だ。初めてかけて貰った声に、ちょっとぼうっとする。気が付けば彼もじっとこちらを見たままだ。そのことに気づいて、僕は更に顔が赤くなった。
「あ~なんか、見合いみたいだぞ。二人とも」
「ぁ……」
更に困った僕に、
「ごめんね、からかうつもりじゃないんだよ。こいつがさ、ずっと君のこと見ていて飛び出していったんだ。とにかく危なかったね」
「はい、助けて頂いて良かったです」
「まず自己紹介ね。俺は有賀 真司。こいつは俺の従兄弟で碧石圭吾」
「僕は平田智希です」
「これも何かの縁だ。僕はこの店にいつもいるし、こいつも毎日のようにここにいるから、これからは顔を見せに寄ってよ」
「はい、ありがとうございます」




