目覚めたのは、誰よりも残念な男
時計の針が1日の終わりを知らせる頃、少年は人気のない町はずれを、息を切らせて走っている。学生服を着た、どこにでもいる少年。だが、その表情は切迫していた。
「……ぁ。……はあ。……はあ」
「どうした? 逃げ回るのは終わりか、少年。間延びした宴はあまり美しくない。そろそろ幕引きといこうじゃないか」
正体の見えない黒い影を纏った男は、少年に向かって、まるでオーケストラの指揮のように優雅な仕草でそう告げた。
少年の名は月見里京介。ひょんなことから、ここ最近街を騒がせている連続焼殺事件の解決に立ち上がり、ついに犯人と対峙するまでに至った、のだが……。
男は漆黒の炎を操る能力者。その熱は辺りを侵食し、息を吸うだけで喉が焼かれそうなほどだった。それが今、京介に向けて放たれる。何の容赦も、迷いもなく。
京介は傷ついた少女の手を引き、男から逃げていたが、とうとう袋小路に追い込まれてしまった。
少女をよく見ると身にまとうコートは端々が千切れ、呼吸も荒く、苦しそうにうずくまっている。
京介がこの事件に巻き込まれるきっかけとなった女の子。黒幕をつきとめ現場に駆け付けたとき、まさに黒幕に襲われていたところを割って入ったのだった。
「ぐうっ!」
京介は迫る炎を躱すことはしなかった。唯一の対抗手段である手持ちの剣一振りで、炎をまともに受けた。が、炎の勢いは強く、結果京介の身は高熱に曝され、耐えきれずに膝を折ってしまう。
「さあ少年。女を差し出す気になったか? 私はね、君だけなら見逃しても良いと思っている」
「ハッ、嫌だね。ここで諦めるぐらいなら死んだ方がましだ」
「……あれほど醜態を曝しておいて、言葉だけは飾るのか。ならば望み通りにしてやろう」
冷たく言い放ち、男はじりじりと京介に詰め寄る。
この窮地の中しかし、京介は堪えられないと言った様子で笑い出した。
「――くッく。ああ、さっきまでの俺はみっともなかったろうな。悪かったよ。だがな、俺は誘っていたのさ。お前を、俺にとって都合の良いこの場所に、な!」
そう言って京介はコンクリートの地面を拳で叩いた。瞬間、二人の周り、何もない空間から、無数の剣が次々に実体化していく。
京介の能力、それは“無尽蔵に刀剣を生み出し操る力”だった。
「なっ!? その力、まさか伝説の――」
男の声に焦りの色が混じる。
「ああそうだ。俺はさっきから剣をダウンロードしていたんだよ」
「……四方の壁に刻んだその文字。世界に対する命令、バイナリコードか!?」
男は忌々しげに京介を見た。京介は男の問いには答えず、ただ一言
「これで、終わりだ!!」
京介の宣言に呼応し、二人の空間を埋め尽くさんばかりに剣が隙間なく現れ、男はその切っ先に囲まれる形になった。
「く、くそおぁああ!!」
「終曲! ジャッジメント・オブ―――――」
その時、ガツンッ! と頭部に衝撃が走り、京介は眼前に火花が散ったのを感じた。
「―――?! くッ油断した。これも、お前の能力か!?」
京介はガバッと体を起こし、目の前の男に問う。
「……何を言っているんです、君は。授業中に居眠りなんて、普通科の生徒じゃあるまいし」
呆れた声で言う男は、先ほどまで京介と対峙していた黒幕、ではなく2時間目の担当教師だった。途端、クラス内で笑いが爆発した。教師は高いびきを上げていた京介を見かねて叩き起こした、ということらしい。
教師はやれやれ、といった調子で教壇へと戻っていく。
「どこまで進んだか…。えー、あ、そうそう。というわけで我々干渉者は、扱う術式を出来るだけ簡素化する必要があります。これからの基本能力向上において、何らかの壁に突き当たった時は、このことをいつも思い返してください。現在この学院に二人しかいない最高能力者ですが、皆さんもそこへ至る可能性は必ずあります。あきらめないで欲しいと私は願います」
などと、意味不明な事を口走っており…否、教師は真面目そのものの顔で生徒達に講義している。
そして生徒もまた教師の言葉一言一句聞き漏らすまいと真剣に耳を傾けている。
これは夢の続き、ではない。信じられないかも知れないが、これがこの学院の日常風景。
こんな電波な内容が延々と授業で展開されるし、定期テストにも出る。
――あぁ、誰か…誰でも良いんだ。俺の苦悩を聞いてほしい。
「俺は月見里 京介。ごく普通の、そう普通の高校生だ。名探偵でもなければ、超能力者でもない。人並みに成長し、人並みに“ちょっと背伸びしたくなる痛々しい時期”もくぐってきた。
そして、有名な進学校になんとか合格。春からリア充生活突入だ! 入学式の日まで俺はそう意気込んで、まだ見ぬ学校生活を色々想像してはニヤニヤしていた。だが…一体誰が予想できただろうか」
前置きが長くなったが、本題に入ろう。
「この学院、俺以外のヤツはみんな超能力者なんだ!!!」
ここで一つ想像して欲しい。
「例えば、君はある有名なバンドのライブを観に行ったという設定にしよう。ところが、そのバンドのドラムのヤツが突然交通事故にあってステージに立てなくなった。今更ライブを中止するわけにもいかない。困ったバンドのマネージャーは、君に目を止めた。
何でも君はドラムのヤツに顔が良く似てるらしい。頼む、ステージに立ってドラムをたたいてほしい。、マネージャーは言う」
今や京介は涙目になっていた。
「な!? 困るだろ? はイ? って感じだろ!? ドラムなんて、いきなり叩けるわけないじゃん。
無茶振りすぎんだよ! でも、俺の今の状況は、まさしくそんな感じなんだ!!」
京介が所属する情報処理科という学科は、実は超能力者(この学院では干渉者と呼称する)養成のための特別学科だった。
「知らないよ。というか、実はってなんだよ。入学案内にちゃんと明記しといてください!」
干渉者でもないのに、何故か合格した何も知らない京介は、そんな学校に通うことになってしまったのだ。
「この物語はそんなかわいそうな俺が紡ぐ、奇妙な話になるだろう…」
「……さっきから何をぶつぶつ言っているのかね、月見里君? 反省の色なしで、10ポイントのマイナス!」
「え、そんな!?」
教壇の上から下された、教師のあまりに無慈悲な判決に、手を伸ばして抗議するも、教師は一顧だにしない、そして懐から端末を取りだし、それを京介に向けた。
すると教室にピロンっ♪ という気の抜ける電子音が響いた。音は京介の保有ポイントがマイナスされたことを意味していた。それを契機に教室内は再び爆笑に包まれるのだった。
入学早々授業についていけなくなり、実技指導の教官から低能力者以下とこき下ろされた、蒼月館学院1年生、月見里京介。彼は、こんな授業風景もいつものことだ、とすっかり諦めてしまっていた。
そんな彼の高校生活の残念振りは、入学前から既に運命づけられたものだったのかもしれない。