エイン元帥
どちらかと言うとリアルさ重視の作品を書いてばかりだったので、思い切り好みな物を書いてみたかった。
反省はしない。後悔もしない。他作品も興が載ったら平行して更新する。多分。
月の綺麗な夜だった。
草原に立ち、射殺さんばかりに視線を交わす男女。
女はローブを着込み、如何にも魔術師然としている。
対して男はそこいらの村人が着ているような、なんの装飾もない布の服。
人ごみに紛れてしまえば簡単に見失ってしまうような風貌だった。
異様なのは、その目。
目だけが、ギラギラと輝き、それだけでその男がただの村人ではないと語っていた。
「Zer Acum towr」
女が何事か呟き、男は即座に常人には目で追えぬ速度で一歩踏み出す。
彼我の距離はおよそ20m。女に圧倒的な有利を齎す距離であった。
男の踏み出した後ろ、一瞬前まで男の立っていた場所から火柱が上がる。
「3小節の魔術を避けるか、化け物が……!」
女が吐き捨てる。
その間も、男の動きは止まらない。
酷くゆっくりとしたその歩みは、速度に反して威圧感が肥大している。
男がゆっくりと拳を握る。
単小節よりもなお早い、『力を込める』と同じ速度の身体強化。
男の武器は己の拳。
女の武器は玲瓏な魔術。
『魔術師に対抗できるのは魔術師のみである』
その絶対の不文律を破る存在がそこに居た。
男の歩みは止まらない。
女は口早に次の魔術を唱える。
「Zer Acum sol derow throp」
先ほどよりもやや長い詠唱。
それは女の開発した中でも、最も早く最も効率的に相手を殺害せしめる魔術。
にやり、と女の口角が釣りあがる。勝利を確信した者の笑みだ。
詠唱に応えて理が捻じ曲がり、女の前に火球が生まれる。
その大きさは人の頭ほどか。さして大きくもなく、さりとてまともに喰らえば殺傷力は言うまでもなく。
だが女の自信はその外見ではない。その性質にある。
この火球は、いわば粘着性の炎とも言えるもので構成されている。
対象に当たれば、その接地面を起点として纏わり付き、絡みつき、焼き尽くす。
最小の威力で最大の効力を。それを念頭に女が紡ぎ上げた最高傑作だ。
女の手が男を指し示す。と同時に火球が射出される。
彼我の距離は既に10mを切っている。余裕はないが、決着はこれでつく。
迫り来る火球に対し、男がとった行動は酷く単調だ。
酷薄なまでに、女の最高傑作を蔑ろにした対応をする。
僅かに身を落とし、拳を握り、上半身を前方に流しながらの、ただの突き。
女の笑みがさらに深くなる。突きを放ったその拳に着弾し、腕から全身へと炎に巻かれる男を幻視した。
しかしてその予想は裏切られる。
男の拳が当たった瞬間、火球はややその造形を崩れさせながらも、女の方へ跳ね飛ばされたからだ。
女の前、1mほどの所で女の障壁に阻まれ、女を囲い込むように絡みつく炎。
女は唖然としてその光景を見ていた。こんな事が可能だとは。
火球と同量の魔力を込めた拳でもって殴り。
拳の魔力と火球の魔力が拮抗する僅かな時間で余すところなく運動エネルギーを伝え。
そして火球に絡みつかれる前に腕を引く。
男がした事はたったそれだけ。
たったそれだけの事で、女の最高傑作は無力化された。どころか、威力をいささかも減じないまま跳ね返されたのだ。
「こんな事が、可能だなんてね……」
女の声に、最早覇気はない。
3小節は避けられ、5小節は跳ね返される。
女は10小節を超える、大魔術と区分される魔術も保有はしているが、男は既に5mほどの距離に居る。
とても、間に合わない。
男の歩みが止まる。
彼我の距離は、3m。男の攻撃が、完全に不可避な距離である。
男は何かを促すように女を見ていた。
女はそれをみて、再度笑みを浮かべる。自嘲の笑みを。
「ははっ。遺言くらいは聞いてくれるか。よいだろう、その耳に刻め、魂に刻め! 私の名はエイン・ザナクゥ・リストー。希代の魔術師にして研究者。ソルティリアの祖、エイン元帥だ!」
女の口上を聞き、初めて男が口を開く。
「覚えた」
草原にその声が響いた直後。
鈍い音が響き渡り、再び静寂が戻った。
月の綺麗な夜だった。
月下の惨劇は、月のみが観ていた。