07-兄弟
「今ひとつ状況が飲み込めんが……結婚おめでとうというべきなのか? 友として」
「縁起でもないこと言うなよ毅士っ!?」
「キミ、誰? うちの旦那のお友だち?」
「旦那違うっ!! 旦那言うなっ!!」
「結構仲いいな、おまえたち」
妙に息の合った和人と少女に毅士は少し感心した。
ちなみに毅士が来るまでに、少女は改めて傷の手当てをして服を着ている。
その傷の手当てをする際、当然のように手伝わされた和人は、少女の傷が最初に見た時よりも酷くなくなっているように感じた。その事を当の少女に尋ねたところ、
「うん。ボクは契約者だからね。傷の治りが早いんだ。ベリルも頑張ってくれているし」
と、和人にはよく理解できない事を言っていたが。
相変わらずぎゃいぎゃいと騒ぐ和人と少女を見て、毅士は少々うんざりして改めて声をかける。
「その辺にしておいたらどうだ? ここが怪獣自衛隊の管理する立ち入り禁止区域だという事を忘れたのか? 見つかる前に立ち去った方が無難だぞ。和人とそれから……」
「あ、ボクは茉莉。黒川茉莉。3月生まれの16歳だよ」
「茉莉くん、でいいか? 僕は青山毅士。こちらの和人とは腐れ縁が続いている友人だ」
「うん。ボクも毅士くんって呼ばせてもらうわ。ところで、旦那の名前は?」
「旦那って呼ぶな! 俺は白峰和人だよ。そういやお互い名乗っていなかったっけな」
「おいおい和人。名前も知らぬ相手と結婚するつもりだったのか? お人好しもそこまでいくと、もはや呆れるしかないぞ」
ふぅと溜め息を吐いて眼鏡を指で押し上げる毅士。
「だからそんなんじゃないってっ!!」
「ふうん、和人、ね。じゃあ旦那の事はこれから和人って呼ぶね」
「毅士には『くん』で俺は呼び捨てかよ?」
「いいじゃない、ボクたちは夫婦なんだし。ボクの事も茉莉って呼び捨てにしていいから」
「夫婦違うっ!! 夫婦言うなっ!! それにどうせ結婚するんなら、もう少し胸のある女の子の方が──」
「ん? 茉莉くんは小さいのか?」
言わなくてもいいことを思わず口走った和人に、毅士が律義にこれまた入れなくてもいい突っ込みを入れる。
「おう、そりゃあ見事な貧乳──」
「いくら仲のいい友だち相手とはいえ、妻のトップシークレットをさらっとばらす亭主がどこにいるかああああぁぁぁぁっ!?」
どうやら和人と茉莉の言い争いはもうしばらく続くようだ。
毅士は天を仰いで、深々ともう一度溜め息を吐いた。
『騎士』から降りた明人は、不意に脱力感に襲われてぐらりと態勢を崩した。
「大丈夫? 白峰くん?」
バランスを崩した明人を支えたのはシルヴァアだ。彼女は必要以上に身体を密着させるようにして、明人の身体を支えてた。
(へえ。細く見えるけど、意外と引き締まっているわね。自衛官なんだから日頃トレーニングしているから当然か。……この身体に抱き締められるも悪くないわね。きゃっ♪)
倒れそうになった自分を支えてくれたシルヴィアから、何故か妖気のようなものを感じ取った明人。
すぐさま彼女から離れようと思ったのだが、身体に力が入らずに思ったように動いてくれない。
ぶっちゃけ、自分の胸に押しつけられている彼女の豊かな柔肉の感触に、雄の本能が離れるのを拒否している部分もあるのも事実だ。
「その脱力感は、いきなり魔力を扱った反動よ。しばらく安静にしていれば収まるわ」
足元の覚束ない明人に肩を貸しながら、シルヴィアは格納庫を後にする。
「魔力の扱いに慣れれば、こんなこともなくなるわ。これからは魔力を扱う修行もしなくちゃいけないわね」
「……お、お願いします……」
格納庫の近くにある休憩所のベンチに明人を座らせると、シルヴィアは飲み物を求めて自販機へと向かう。
「という訳で、今日の白峰くんの勤務はもう終わりになったから」
熱いコーヒーの入った紙コップを二つ手にして、明人の所に戻ったシルヴィアは辛そうに肩で息をする明人にそう告げた。
「は、はい?」
今日の明人は当直要員で、明日の早朝まで勤務のはずだった。だが何が「という訳」か判らないが、その予定をこの上司が変更したようだ。
戸惑う明人に、シルヴィアは何処か妖しい笑みを浮かべて言う。
「だからこれから──私の部屋に来ない?」
取り敢えず、この場から離れる事で意見が一致した三人。だが、立ち入り禁止区域から抜け出した後、これからどうするかでまた揉めた。
「僕たちは学校に一度戻らねばならんが、茉莉くんはどうする?」
「勿論、和人たちについて行く」
「駄目だっ! 学校は部外者立ち入り禁止!」
「いや、そんな事はあるまい。怪獣が出現した今日は、校内の避難シェルターに近隣の住民も避難しているはずだ。その中に紛れ込んでしまえば判らないだろう」
「毅士ぃっ!! おまえはどっちの味方なんだよぉっ!?」
和人の慟哭にも動じず、毅士は事実を告げたまでだとあくまでも冷静。
そうだよ、おまえはそういう奴だよと、地面に「の」の字を書きながら愚痴っていた和人は、その時重大な問題を思い出した。
「そ、そうだっ!! なあ毅士、避難する途中でこっそり抜け出したの、やっぱり先生にばれてる……よな?」
「当然だろう。いくら近隣の市民も一緒に避難して混雑しているとはいえ、点呼を取らないはずがない。尤も、お互い後で説教を貰うのは覚悟の上で抜け出してきたのだろう?」
「そうだけど……やっぱ、叱られると判ってると気が重いよなぁ……」
和人ははぁーと一つ溜め息を吐くと、気を取り直して立ち上がった。
「仕様がねえよな、自業自得なんだから。それじゃあ説教を貰いに行きますか」
「話は纏まった? それじゃあ行こうか」
歩き出した和人と毅士の背に、彼らの後を歩く茉莉がのほほんと声をかける。
「何処へ行く気だ、おまえは?」
「だから和人たちの学校。あ、大丈夫、心配しないで。学校の中には入らずに校門のところで待ってるから」
振り返って問う和人に、茉莉はのほほんと答える。更に何か言おうとした和人だが、次の茉莉の言葉に何も言えなくなってしまった。
「それにボク、この街じゃあ他に行くあてないしね」
「──え?」
驚く和人に、茉莉はこくんと首を傾げる。
「まだ言ってなかったっけ? ボク、今日この街に来たばかりなの」
「……あてもないって……今日寝るところとかどうするつもりだったんだよ?」
驚きを隠せない和人の様子を知ってか知らずか、茉莉は軽い調子で続ける。
「どこか住み込みで働けるところを探すか、最悪野宿でもいいかなって。今は寒い季節じゃないからね」
そう言われて和人は思い出した。先程彼女は「飯盒は野宿の時に必要だ」と言っていたのを。
それはつまり、彼女はこれまでに何度も野宿をして来たという事だ。
「茉莉くん……失礼を承知で尋ねるが、君は家出でもしてきたのか?」
毅士が茉莉に尋ねた内容は、和人も一番最初に思い浮かんだ事だった。
「まあ、似たようなものかな。ボクの両親、怪獣の被害に遭ってね……運良く……運悪くかな? ボクだけ助かったの」
和人と毅士の二人は、茉莉の話をただ黙って聞いていた。
「その後ボクは、親戚に引き取られたんだけど、中学の卒業が近付いた時、その世話になっていた親戚の親父に、『中学を卒業したら働け』って言われて連れていかれたのが、如何わしい風俗系のお店でさ。頭きてその親父殴り倒してそのまま飛び出したの。元々、中学卒業したら自立するつもりだったから別に構わないけどね」
その後はあてもなく各地を転々としていたと、茉莉はその辛い過去を感じさせない明るい調子で言った。
「──判ったよ」
「え?」
「判ったからついて来いよ。行くあてないんだろ? だったらしばらく俺ん家に置いてやる。家は兄ちゃんと俺だけだし、兄ちゃんも宿直なんかで留守がちだからさ。その代わり、家事とか手伝って貰うからな!」
言い捨てるようにそれだけ言うと、和人は兄ちゃんに何て説明しょう、等とぶつぶつ零しながら一人で歩いていく。
「和人……どうかしたの?」
急な和人の翻意に、茉莉の方が逆に戸惑う。
「あいつも君と同じなのだ」
そんな茉莉に、傍らに立っていた毅士が告げる。
「あいつのご両親も、君と同じで怪獣の犠牲者でな。あいつにはまだお兄さんがいたが、当時そのお兄さんも進路の関係で遠く離れた土地へ行かなくてはならなかった。家族の思い出が一杯詰った家で、あいつもずっと一人だったのだ。だからきっと茉莉くんの事が放っておけなくなったのだろうな。全く、相変わらずお人好しな事だ」
「……そう……だったんだ……」
「おっと、この事はあいつには内緒に願う。勝手にこんな事を喋ったとあっては、何をされるか分からんからな」
茉莉は唇に立てた人差し指を当てている毅士に一つ頷くと、一人で行ってしまった和人の後を急いで追いかけた。
そこは腐海としか思えない場所だった。
明人がシルヴィアに案内された彼女の部屋。外観は小奇麗なマンションで、内部も掃除の行き届いた清潔感のある建物だった。
そして彼女の部屋の前まで来て、シルヴィアが鍵──魔術による施錠──を開けた瞬間、明人の目の前に腐海が現れた。
玄関といわず廊下といわず、所狭しと積み上げられたゴミ袋。後に彼女が言うには、回収日に出しても回収してくれないとか。
当たり前である。昨今、可燃ゴミや不燃ゴミ、資源ゴミ等に分類して出さなければ、回収車はそのゴミを回収してくれないのは当然だ。
そこかしこにあるゴミ袋の内容は、その事実を裏付けるように各種のゴミが雑居状態であった。
だが、足の踏み場を何とか確保しながらリビングに入ると、明人は玄関はまだましであったことを実感した。
リビングに置かれたテーブルの上には、使ったままの食器やコンビニ弁当の容器、各種空きビンや空き缶などが山積みにされており、ソファには衣服(下着含む)が何着も放り出されたままになっている。
台所も同様で、シンクには洗われていない食器が溜まり異臭さえ放っている始末。床には所構わずゴミが散乱している
この状況を腐海と呼ばず何と呼ぼう。シルヴィアという女性はどうやら、片付けるという事に弱いタイプらしい。
このような状態の部屋に、よくもまあ他人を呼ぼうとしたものだと内心呆れる明人に、シルヴィアはさらっと、
「ちょっと散らかってるけど、気にせず上がってね」
と、言いのけた。
「ちょっと……ですか? これが……?」
明人は普段からきちんとした生活を心がけている。それは勿論、弟の規範となるためだ。
自分がちゃんとしていなければ、弟に注意する事もできない。その成果かどうか、和人も片付けは人並みにするタイプであった。
そんな明人にとって、目の前の腐海は信じられない。いや、我慢できない。もしもシルヴィアの許可が得られるのなら、片っ端から掃除したい。そんな衝動に明人は駆られていた。
そして当のシルヴィアと言えば、別の部屋に入って「あれー、どこ行ったかなー?」とか「確かこの辺に……」とか言いながら何かを探しているようだ。
おそらくその部屋も、リビングや廊下と同じような有り様なのだろうなと想像しつつ、明人はこの部屋の主が戻って来るまでリビングで立ったまま待つ事にした。
しばらくして、何やら荷物を抱えたシルヴァアが戻って来た。
「これが魔力操作の修行に使う道具よ」
そう。今日明人がシルヴィアの部屋を訪れたのは、魔力操作の修行のためだった。決して甘いナニかを期待してのものではない。念のため。
「それで、その道具をここで広げるんですか?」
その道具はけっこうな大きさのようだ。当然、そのようなスペースなどあるはずもないリビングを見回しながら明人が言う。
「そうねえ……少し片付けないと無理かしら……」
「……少し……?」
何処をどう見れば『少し』なのだろう……明人は本気で悩んだ。
「あ、そうだわ! ベッドの上ならスペースがあるから、ベッド・ルームへ行きましょう」
「べ、べべべ、ベッドぉっ!?」
やばい。それだけは絶対にやばい。明人の鍛え抜かれた戦士としての何かが警鐘を鳴らす。
そこだけは決して足を踏み入れてはいけない。入ったら最後、絶対に抜け出せなくなる。色んな意味で。
だから明人は、自分の危機回避能力を信じてシルヴィアに提案した。
「それなら、自分の家へ行きませんか?」
──と。
本日の投稿。
毎日読みに来てくださる方々、本当にありがとうございます。とってもうれしいです。これからもがんばります。
ところで作中でちらっと出てきましたが、自衛隊の勤務シフトってどんな感じなんだろう。