13-偵察
「シルヴィア師たちは大丈夫でしょうか……?」
ぽつりと零れたアンジェリーナの声。その声に、怪獣自衛隊城ヶ崎基地の司令室にいる者たちの視線が彼女へと集まる。
「そもそも、なぜシルヴィア師と白峰二尉が偵察に? 本来なら別の人間を派遣すべきでは?」
姉の呟きを耳にしたベアトリスが、この部屋の、いや、この基地の最高責任者である権藤重夫怪将へと質問する。
確かにベアトリスの言う通り、シルヴィアや明人が偵察に赴くのは間違っているだろう。
明人は現在、怪獣と比肩し得る唯一の兵器である魔像機のたった一人のパイロットである。彼にもしもの事があれば、人類は怪獣に対して数少ない効率的な対抗手段を失う事になる。
また、シルヴィアもその魔像機の開発製造の責任者であり、彼女もまた換えの効かない人材であることは間違いない。
なぜ、そんな貴重な人材である二人を偵察に行かせたのか? それはブラウン姉妹以外の誰もが感じる疑問であった。
「確かに、あの二人を偵察という危険が伴う任務を任せるのは愚策と言っていいだろう」
皆の疑問に答えるため、口を開いた権藤の低い声が指令室に響く。
「だが、これはカーナー博士から要請があったのだ。彼女にはいざという時に緊急脱出の手段があるから、と。また、その際に彼女と同時に脱出できるのは精々一人まで。よって、これもカーナー博士の指名で、白峰二尉を同行させたのだ」
「緊急脱出の手段……ですか? それはどんな手段なのですか?」
「さあな。そこまでは博士も明かしてはくれなかった。なんでも、恥ずかしいから緊急事態以外では絶対に使いたくない手段だそうだが……」
腕を組み首を傾げる権藤。
「は、恥ずかしい……?」
そして、彼以外の者たちもまた、多かれ少なかれ権藤と同じような表情を浮かべるのだった。
「情況開始」
「了解。情況開始します」
うぞうぞと目の前で蠢く黒いアメーバのような物体。牛よりも一回りほど大きなその物体の前に、明人はM9機関拳銃を構えて飛び出す。
素早く照準を合わせると、明人はM9の引き金を引く。
射撃モードは単発。本来、M9機関拳銃のような空間制圧用の火器は連発で使用した方が効率的であるが、今回はシルヴィアからの要請で敢えて単発モードで使用している。
銃口から吐き出された銃弾は、狙い違わず黒いアメーバに命中。そして、そこから発火して着弾点の周囲を焼いていく。
「火炎弾着弾確認。効果アリ……いや、訂正! 効果ナシ! 火炎弾は効果ナシ!」
着弾点を中心にじわじわと広がっていた炎が、突然消失した。
どうやら、燃えている表面を内側に取り込む事によって炎を消したようだ。
加えて、瞬く間に燃えた箇所が修復されていく。
「予想以上の再生力ね。本来、私の付与した炎は簡単に消えないはずだけど……」
アメーバのような物体──再活動し始めた一号怪獣の細胞──の様子を観察しつつ、シルヴィアは頭の中で様々な考えを順次巡らせていく。
周囲には一号怪獣の細胞が「食べ残した」人間の腕や足、肉片や血痕などがあちこちに転々と落ちている。これがシルヴィアが言っていた「ちょっとした地獄」なのだろうと明人は内心で考える。
確かに気の弱い者が見れば卒倒ものの地獄のような光景だが、明人もそしてシルヴィアも敢えてその事には触れない。
「どうやら炎では再生を止める事は不可能のようね。次、冷却弾を用意」
「了解! 冷却弾を用意します」
明人はシルヴィアの指示に従い、M9のマガジンキャッチをリリースしてマガジンを交換する。
そしてM9を操作し、藥室から弾丸を排莢。火炎付与弾丸に代わり、新たに冷気付与弾丸を装填する。
一昔前の自衛隊なら空薬莢一つ失うだけで厳罰ものだったが、怪獣が出現して以来そのような些細な事を言う者はいなくなった。
前線の自衛官は、文字通り命をかけて怪獣と戦っているのだ。
その事実に比べれば、小さな備品程度で四の五の言うわけにはいかない。それどころか、怪獣との交戦では航空機や戦車までもが破壊されることがままある。
ある意味、怪獣の出現によって最も変化したのは自衛隊なのかもしれない。
そして今、彼らが行っているのは一号怪獣の細胞に対し、最も効果的な攻撃手段を見極める事であった。そのため、様々な付与弾丸による攻撃を行い、効果的な手段を模索している最中なのだ。
これら一連の情況は、シルヴィアの肩に装備された小型のカメラで撮影され、映像は城ヶ崎基地内にある彼女のオフィスのパソコンへと転送されて記録されている。
「冷却弾発射」
明人は言葉と同時に発砲する。発射された弾丸は再び対象に命中し、弾丸に付与された術式を展開して着弾点の周囲を氷結させていく。
(いくら目標が大きいとはいえ、あまり命中率の良くないM9で立て続けに命中させるなんて……明人くんは射撃の腕もいいようね)
記録映像に一号怪獣の細胞が写り込むように位置を調整しながら、シルヴィアはM9を構える明人の横顔に視線を注ぐ。
引き締められ、じっと標的を睨み付けるその表情はなかなかに凛々しいものがあり、シルヴィアは一瞬だけ現状を忘れて思わず見蕩れる。
(こうして見ると、やっぱり格好いいわよね、明人くんって)
彼女の明人への想いは、正直に言うと打算が大きかった。
だが、一緒に暮らして彼の色々な面を目にするうち、シルヴィアは本当に彼に惹かれていったのだ。
今でははっきりと愛していると断言できる程に。
だからこそ、彼女は何があっても彼を守ろうと決意する。
当然、そのための仕掛けは予め仕込んでおいてある。ただ、その仕掛けを発動させるためには、少々恥ずかしい思いをしなければいけないのだが。
(ま、相手が他ならぬ明人くんだからいいわよね。それに初めてってわけでもないし……)
シルヴィアは、迷彩服3型に取り付けた小さなボタンに触れながら、明人から視線を逸らし情況の変化を見極めていく。
「氷結弾効果ナシ!」
一号怪獣の細胞と慎重に距離を測り、発砲を繰り返す明人。
その彼の目は、一号怪獣の細胞の表面に張り付いた氷が剥離するのを確認した。
いや、正確には効果はあるのだろうが、再生が損害を上回っている。そのため、いくら損害を与えても端から再生されていってしまう。
(シルヴィアさんが言うように、本当に再生できない打撃があるのか?)
時折、細胞から飛び出す触手のようなものを避けながら、明人はちらりと頭の隅でそんな事を考える。
シルヴィアが予め用意した付与弾丸は、炎・冷気・雷・浄化・破術の五種類。
少なくとも事前の解析で浄化と破術の効果は確認されている。だが、この二つの系統は他の三系統に比べて付与が難しく、効果を付与した弾丸を量産することが困難らしい。
実際、事前に用意された付与弾丸も、炎・冷気・雷はマガジン三つ分に対し、浄化と破術はマガジン一つ分だけだ。
だからと言って、シルヴィアを矢面に立たせて魔術を行使させるわけにもいかない。
「白峰二尉。次は雷撃弾の用意を」
「了解」
背後からの言葉に従い、明人は冷却弾から雷撃弾へと交換する。
「雷撃弾発射用意ヨシ!」
「雷撃弾発射」
「雷撃弾発射!」
上官であるシルヴィアの命令を復唱し、明人は雷撃を付与した弾丸を発砲する。
結果から言えば、やはり雷撃付与弾丸も目立った効果は上げられなかった。
そして次にシルヴィアが指定した付与弾丸は、浄化の術式を付与した浄化弾である。
浄化の術式は本来、穢れや呪いといったものを払うためのものであり、普通の生物には影響のないものだ。
そう説明された時、明人はどうして浄化というものが一号怪獣の細胞に効果があるのかどうしても理解できなかった。
怪獣だって生物には間違いない。その核が魔石と呼ばれるものであり、その魔石と既存生物が融合した存在が怪獣だとしても。
破術の方はまだおぼろげながら想像が追いつく。ミツキたち幻獣と同じように怪獣もまた魔術的な存在であり、魔術の成り立ちを破壊する破術が怪獣に影響を及ぼすのはまだ理解の範囲内だ。
ちなみに、ミツキのように生まれて長い時間が経ている幻獣は、魔術的な肉体もその構成が強固になり、破術の影響を受けにくいという。
だが、浄化の術式がなぜ一号怪獣に効果があるのだろうか。
そんな疑問が沸くものの、自分の仕事は怪獣を倒す事であると明人は自分に言い聞かせる。
その辺りの事はシルヴィアたち研究者に任せておけばいい。自分はただ、その指示に従って怪獣と対峙するのみ。
頭でそんな事を考えつつも、明人の身体は慣れ親しんだ動作で再びM9を操作し、弾丸の種類を交換する。
「浄化弾発射用意ヨシ!」
準備が整った事をシルヴィアに知らせれば、即座にそれに聞き慣れた澄んだ声が応える。
「浄化弾発射」
「浄化弾発射!」
必中の念と共に明人はM9の引き金を再度引く。
銃口から吐き出された浄化の術式が付与された弾丸は、今度もまた一号怪獣の細胞に命中した。
ぼすっという泥に石を投げ込んだような鈍い音と共に、着弾点の周囲の色が徐々に変化し、やがて砂のようにさらさらと崩壊していく。
「じょ、浄化弾効果アリ!」
「射撃続け!」
「了解!」
続けて明人は二発目、三発目を発射する。
そして初弾と同じように、一号怪獣の細胞の命中箇所の周囲がぼろぼろと崩れていく。更に、崩れた箇所が再生する様子も見られない。
「二弾目三弾目着弾確認! 再生されません!」
明人の声が弾んだものとなる。
その声を聞き、シルヴィアの顔にも明るいものが浮かぶ。彼女浄化弾が再生を阻害しているのを目撃している。
続けて打ち込まれる浄化弾。命中した浄化弾は周囲の細胞を破壊していく。
この効果に満足したシルヴィアは、続けて明人に破術を付与した弾丸も試用してもらうように指示を出そうとした時。
一号怪獣の細胞が、突如爆発したかのように膨れ上がったのだった。
「一体何が……?」
迫り来る複数の触手を必死に躱しながら、明人はじりじりと後退しつつ何が起きたのか把握しようと試みる。
それまで、一号怪獣の細胞が繰り出す攻撃手段は触手のようなものを一本作り出し、それを振り回すだけだった。
その触手のようなものは鞭のようにしなやかで強靭であり、そして触れた生物を同化吸収する恐るべきものである。
とはいえ、その触手の速度はさほど速いものではなく、不意を突かれなければ躱すのは容易い。
これまでこの触手に捕らえられた者は、やはり不意を突かれたか、何が起きているのか判らずに混乱しているところを襲われたかのどちらかであった。
事実、落ち着いて避難した者は、触手に捕らわれることなく逃げおおせている。
しかし、突然その触手の数が十本以上になり、その動く速度も跳ね上がった。こうなるとその攻撃の全てを躱すのは不可能だろう。
明人がこれらの攻撃を何とか凌いでいるのは、彼の優れた空間把握能力と日々重ねられた厳しい訓練のなせる技だ。
「おそらく、私たちの事を驚異と認識したのでしょうね」
一方、後方にいたため触手の攻撃を免れていたシルヴィアは、冷静に情況を分析していた。
例えば、人間が蟻に噛まれたとしても、少々の痛みは感じるものの命の危険を覚えることはない。
だが、仮にその蟻が毒を有していたとしたら? それも命を刈り取るほどの猛毒を。
今、一号怪獣の細胞は、本能で目の前の生命体が自分を脅かす存在であると認識したのだ。
それまで一号怪獣の細胞は、せいぜい周囲を飛び回る羽虫を追い払うために触手を動かしていたに過ぎない。
だが、周囲をうるさく飛び回るその羽虫は強力な毒を有していた。
自身の細胞を破壊し、再生が及ばなくなる毒を。
そのため、目の前の存在を本格的に駆除しようとアメーバのような細胞から無数の触手を発生させ、驚異を取り除きにかかる。
迫り来る触手の数が増え、明人はM9を連射に切り替えて迫る触手を薙ぎ払う。
浄化の術式が付与された弾丸は、命中箇所から触手を破壊していくが、それでも迫る触手は後を断たない。
そして遂にマガジンが空になり、避けようにも避けられないほどの無数の触手が明人へと迫る。
「明人くんっ!!」
明人の危機を察したシルヴィアは、迷うことなく迷彩服3型に取り付けた小さなボタンを引きちぎる。
途端、彼女の身体から纏っていた全ての衣服がするりと脱げ落ち、その場で白い裸身を晒すシルヴィア。
彼女は裸のまま明人へと駆け寄ると、彼の身体を背後から抱き締め、そのまま手の中の引きちぎった小ボタンを握り締めて砕く。
それは無数の触手が殺到し、二人の身体を包み込むのと殆ど同時だった。
ようやく『怪獣咆哮』更新できました。
仕事が重なったりしてなかなか執筆できず、前回から三週間近くかかってしまいましたが。
お待ちくださった方々には、ご迷惑をおかけしてしまいました。とりあえず、今後は平常に戻りそうです。
とか言いながら、夏コミ用の原稿もあるので7月一杯はやはり更新が滞りがちになりそうですが(笑)。
そんなわけで、今後も気長にお付き合いいただければ幸いです。
では、次回もよろしくお願いします。