10-提案
無感情な西洋人の青年のアイス・ブルーの瞳が、その場に居合わせた者を順に見詰める。
「竜王と鳳王以外にも何かいるが……まあ、気にするまでの存在でもないな」
和人と茉莉に目を向けるもそれは一瞬だけ。
彼の意識に和人たちは最早なく、彼は鳳凰とミツキだけを見る。
青年のそんな態度に怒りを感じるが、それを押し殺して和人は隣の茉莉の耳元で囁く。
「なあ、茉莉……あいつは……」
「う、うん、間違いない。明人さんが一号怪獣と戦っている時、上空にいた外人……一号怪獣や獣王って幻獣を操っているんじゃないかって、シルヴィアさんが言っていたのはこの人だよ」
一連の事件の黒幕と覚しき青年。その青年を目の前にして、和人の緊張は極限に達する。
だが、当の青年は先程言ったように和人や茉莉の事など気にする事もなく、彼は竜王であるミツキと鳳王である沢村正護にだけ意識を向けていた。
「今日は君たちに提案があって来た」
そう言いつつ、青年はポケットから何かを取り出してテーブルの上に置く。
「これは……っ!?」
「獣王……か……」
青年がテーブルに置いた黒い石のようなもの。それが何なのかミツキと沢村にはすぐに判った。
「竜王……君との戦いで獣王は力尽きた。とはいえ、君たちも承知している通り、幻獣は例え力尽きる──その身に宿した魔力が底を付いても本当の意味での『死』ではない。もちろん獣王も、今はこのような姿だが力さえ……魔力さえ取り戻せばいずれ復活する」
その身に宿した魔力を全て失った幻獣は消滅する。とはいえ、それはこの青年が言ったように『死』を意味するのではなく、一時的な休眠状態のようなものに陥るだけなのだ。
その休眠状態に陥った幻獣は、今の獣王のように核たる魔石の状態で周囲から少しずつ魔力を吸収し、やがて一定の力を取り戻したところで再び元の姿で復活する。
とはいえ、その一定の力を取り戻すには数十年から時に百年以上の月日が必要となるのだが。
その核たる魔石でさえ、例え粉々に砕かれようとも、いずれ再生してしまう場合がある。そもそも魔石自体が様々な要因が重なって生み出される魔力の結晶体である。同じ条件が揃えば、再び再生したとしても不思議ではないだろう。
本当の意味で幻獣が『死』を迎えるのは、契約を交わした契約者の命が尽きる時のみ。それゆえ、幻獣は契約者を求めるのだ。
「君たちは幻獣とは実に素晴らしい存在だと思わないか? どれだけ年を重ねても老いる事も衰える事もない。幻獣とはすなわち、不滅の存在なのだ」
無表情ながらも、青年は雄弁に語る。それをミツキと沢村、そして和人と茉莉は黙って聞いている。
「その幻獣がだ……不滅の存在である幻獣が、なぜ人間などを頼る? 契約者などという楔以外の何物でもないモノを望む? 別に契約者など不要だろう? 契約者などいなくても、我らには力がある。時間がある」
青年がそう語るのを、ミツキと沢村は驚きを露にして聞く。彼ら幻獣にとって、青年の語る内容はその存在を根底から覆すものだからだ。
「貴様……貴様は一体何者だ? 我は貴様が幻獣だと思っておった。現に貴様からは我らの眷属と同じ気配がある。もっとも、その気配は我ら幻獣王に比べれば遥かに弱いものだがな。だが、今の貴様の話を聞いて悟ったぞ。貴様は幻獣ではないな? そして貴様は先程我らに提案があるとも言った。ならば言ってみよ。貴様の言う提案とは一体どのようなものだ?」
朱金の瞳を細く顰めた鋭いミツキの視線は、真っ正面から青年を射抜く。
それはミツキだけではなく、沢村もまた彼女程ではないものの強い力を秘めた目を青年に向けていた。
真っ向から浴びせられる幻獣王の圧力などないかの如く、青年はこの時初めてふわりと微笑んだ。
「如何にも。僕は幻獣では──純粋な幻獣ではない。僕は幻獣と人間の混血なのだから。そして、僕の提案とは君たち幻獣王に力を貸して欲しいのだ。君たち幻獣にとっても害悪にしかならない、人間を根絶やしにするために、ね」
怪獣とは違い、幻獣は決して人間に対して敵対的な存在ではない。
もちろん、個人に対して憎悪や殺意を抱く事がないとは言えないが、それでも種としての人間には総じて穏健な存在である。
なぜなら、人間とはいずれ現れる自身の契約者を生み出す母体であるからだ。
今は存在しない契約者も、近い将来、もしくは遠い未来には生まれてくるかもしれない。
だから、幻獣は必要以上に人間に敵対しないし傷つけるような真似もしない。
だが今、目の前のこの青年はその人間を根絶やしにすると言った。
それは幻獣が抱くことはない思い。そのような思いを抱くだけで、目の前の青年は異端と言っていいだろう。
しかも、青年は自分が幻獣と人間の混血とさえ言ったのに、だ。
「君は正気か? 人間を根絶やしにするなんて事が本当にできるとでも? 人間という種族は一見虚弱そうに見えるが、数が多いうえに台所に出没する黒いヤツよりしぶとい。しかもこの地球上の如何なる環境にも耐えかね、あっと言う間にその数を増やしてしまう。そんな人間をどうやって根絶やしにするというんだ?」
「簡単な事だ、鳳王よ。片っ端から殺し、喰らえばいいのだ。今、鳳王が言ったように、人間はどこにでもいる。見つけた端から殲滅して行けば、いずれは人間と言えども根絶やしにできる。何せ幻獣には無限の時がある。気長に少しずつ潰して行けばいい。そのために、僕は君たちの力を借りたい」
幻獣王たる君たちがそう決断すれば、少なくない幻獣たちが君たちに従って人間の敵となるだろう。それだけの影響力が君たち幻獣王にはある、と青年は続けた。
「ふざけるでないわっ!! 我は既に契約者を得ておるっ!! その我に人間を滅ぼす手伝いをせよ、だとっ!? それはすなわち、我の手で我が契約者を殺せと言っておるのと同意と心得ておるかっ!?」
「そもそも、我ら幻獣がなぜ契約者を求めるのか忘れたのかな?『満ち足りた安らかなる死』。それが我ら幻獣にとってどれほどの至福か……半分とはいえ幻獣である君にもそれは判るだろう?」
憤慨するミツキと、鋭い視線を向けながらも諭すように語る沢村。
だが件の青年は、二体の幻獣王を前にしながらも平然とした態度を崩す事はない。
「残念ながら、僕には『満ち足りた安らかなる死』を求める欲求がない」
「な……に……?」
「し、信じられないな……」
「もっとも、それが僕が半分人間であるからなのかは判らないがね」
『満ち足りた安らかなる死』を求めない。それは幻獣にとっては絶対に理解できない心境なのだろう。
現にミツキと沢村は、これまで見たことがないほどぽかんとした表情でその青年を見詰めていた。
二体の幻獣王の様子を目の端に捉えながら、和人は青年を凝視しながら考える。
なぜ、目の前の青年は人間を根絶やしにするなどと言うのか。
例えミツキたちのように『満ち足りた安らかなる死』を求める欲求がないとしても、人間を根絶やしにする必要はないだろう。
更に言えば、彼自身にも半分とはいえ人間の血を引いているにもかかわらず。
それが和人が感じている疑問だった。
しかし、そんな事は本人でなければ答えようもない疑問だろう。だから和人は、率直にそれを尋ねてみる事にした。
「なあ、あんた。あんたには名前はないのか?」
横から突然声をかけられ、青年はぴくりと視線だけを動かして和人を見た。
そしてその事に気づいた和人は更に言葉を続ける。
「幻獣は契約者から名前を貰って初めて個として確立するって、俺は以前にミツキに……竜王から聞いた。だけど、あんたの父親か母親のどちらかは人間なんだろ? だったら、我が子には絶対名前をつけると思うんだ。あんたには親からもらった名前があるだろ?」
それは幻獣ではなく、人間としての考え方だった。
今和人が言ったように、幻獣には個を現す名前はない。現に契約者を持たない鳳王である沢村が名乗っている名前は、あくまでも人間社会に紛れ込むための便宜上のものでしかない。彼を彼として現す名前はまだないのだ。
しかし、彼は違うと和人は思う。人間ならば自分の子供に名前をつけないわけがないのだから。
「……確かに、僕には母が──人間である母がくれた名前がある。レイフォード……それが母が僕にくれた名前だ」
「じゃあ、レイフォード。どうしてあんたは人間を滅ぼそうとする? 母親が人間であるなら……いや、母親が人間であるからこそ、人間を滅ぼうなんて考えないのが普通じゃないのか?」
「ふ、ゴミの割には頭が回るな。僕が人間を根絶やしにしようとするのは、確かにある理由がある。その理由とは……おまえたち人間がゴミ以下の価値しかないからだ」
青年は──レイフォードは北欧の片田舎の小さな村に生まれた。
彼の母親はその村の出身だったが、父親は余所者だった。彼が生まれた当時──今から二百年以上昔──、田舎である村は閉鎖的で余所者に対して非常に冷たかった。
そんな村である年、とある病が蔓延した。
現代ならばいくらでも対処できるような病気だったが、当時はそれは悪魔の仕業とされ、事実不治の病の一種であった。
病とその源と信じられていた悪魔を怖れた村人たちは、村で唯一の余所者であるレイフォードの父親こそがその悪魔であると決めつけた。
病を鎮めるには、その大元である悪魔を退治せねばならない。誰からともなく、村人たちはそう考えるようになった。
そしてその標的には、病を蔓延らせた悪魔と身体を重ねた母親、そして二人の間に生まれたレイフォードにまで及ぶことになる。
「────俺の両親は人間に殺された……幻獣である父とその契約者であった母。母が殺された時点で、契約者を失った父もまた消滅した」
もしかすると、自分に『満ち足りた安らかなる死』を求める欲求がないのは、そんな両親の最後を見たからかもしれないと、レイフォードは内心で考えながら話を続けた。
「病が蔓延するまでは、村人たちは父に感謝していた。父は幻獣とはいえ、そう大きな力を有している幻獣ではなく、その力は怪我の治療に特化した力だったから。とはいえ、病を癒す力はなかったのだがな」
もしも父に病を癒す力があれば、また別の未来が訪れていたかもしれない。
「それまで村人たちは父の力をありがたがっていた筈なのに、病が蔓延り、父にその病が癒せないと判った途端、病を広げたのは父であり、不思議な力を持つ父を突然悪魔扱いし始めた……人間とは所詮、自分たちの都合にいいことばかり考える醜悪な生き物に過ぎん。そして俺も両親と一緒にその場で殺され、再び覚醒したのは今から二十年程前だ」
そして覚醒した瞬間、レイフォードの胸の内を焼き焦がしたのは、父と母を自分たちの都合で死に追いやった人間に対する憎悪だった。
「再び覚醒してから、僕は力を求めた。人間に復讐するために。醜悪な人間なんて生き物をこの地上から根絶やしにするために」
淡々とした口調で語るレイフォード。しかし、その内に潜む激しい怒りに和人たちは気づいていた。
「君たち幻獣が思い描いている程、『満ち足りた安らかなる死』は至福などではない。例え契約者が現れても、その契約者が天寿を全うできるという保証もない。人間などちょっとした事故で容易く死んでしまう生き物だからな。事故などで契約者が天寿を全うできなかった場合、幻獣に残されるのは何とも中途半端な死しかない。僕の父親のように」
契約者を殺された幻獣。その幻獣に訪れた死は決して満ち足りた安らかなものなどではなく、契約者を守れなかったという後悔と苦悩に満ちた消滅であっただろう。
「それでもまだ、君たちは『満ち足りた安らかなる死』という幻想を信じて人間の味方をするのか? それとも、契約者という楔を外して、自由に永遠の生を楽しみたいとは思わないか?」
レイフォードは再び幻獣王たちを見る。その瞳は無言で彼らを誘う。
だが、ミツキと沢村、二体の幻獣王の返答は揺るぎのないものだった。
「断る。我は既に契約者を得た。我が身我が心の全ては契約者である和人様に捧げた。その主をどうして今更裏切れようか!」
「こう見えても僕は、人間が──特に女の子は大好きでね? だからこんな芸能人なんて道化じみた真似もしている。それに、僕の意中の存在である竜王が人間に付くと決めたのなら、僕も人間に味方する以外に道はないじゃないか? もしも人間の敵になってみろ。竜王に心底嫌われてしまう。それだけは御免被りたいのでね」
銀髪の少女はきっぱりと。ニット帽とサングラスの青年はどこかふざけた風で。
幻獣王たちははっきりとレイフォードの提案を拒否した。
『怪獣咆哮』更新です。
今回は黒幕の青年、レイフォードの正体と目的が明かにされる回でした。とはいえ、レイフォードの能力などはまだ闇の中ですが。当『怪獣咆哮』もそろそろゴールが見えてくるかな、といったところです。
さて、当面目的である「お気に入り登録150、文章評価とストーリー評価それぞれ100超」まで後少し。
現在はお気に入り登録:147、文章評価:73、ストーリー評価:74。とはいえ、これからがなかなか伸びなくて……くそう。
今後も目標達成に向けてがんばりたいと思います。
では、次回もよろしくお願いします。