09-邂逅
黒い石。
かつて、獣の王として絶大なる力を誇っていた、石。
それは今、力なく海底に横たわるだけ。
だが、その石がぴくりとわずかに震えた。
その後も断続的にぴくりぴくりと身悶えするかのように震えた石は、ふわりと海底から浮き上がる。
そしてそのまま、何かに導かれるかのようにふわふわと海中を漂い始める。
どれぐらいそうやって海底を漂っただろう。
やがて石は水面を突き破り、空中へと躍り出る。
そして、黒い石はその場にいた一人の青年の手にすぽりと収まった。
「……竜王と正面からぶつかって破れた、か。やはり、契約者の有無は大きいという事か……」
黒い石を手にした青年──プラチナ・ブロンドの髪にアイス・ブルーの瞳の誰もが振り返る美貌の西洋人──は、黒い石の表面を愛しげに撫でながら呟く。
「例えベルゼラーをぶつけたとしても、今の竜王には適わないだろう。第一、僕の魔力が回復していない。正面から竜王に対するのは愚策だろう」
青年は黒い石をポケットに落とし込みながら、つぅと視線を移動させる。
東──この国の心臓とも言える都市がある方向へと。
「ならば、ここは搦手でいこうか」
再びそう呟いた時、青年の姿はかき消すようにその場から消滅した。
東京。
日本の首都であると同時に、最大の都市でもある。
政治、経済、流通、文化など、一部の例外はあるだろうが、この国の全てにおいて中心と言ってもいい街。
そんな東京は池袋の某所に、和人と茉莉、そして二人に従う幻獣たちの姿があった。
なぜ和人たちがこんな所にいるのかと言えば、芸能人である沢村正護が目当てであった。
当然、ファンなので一目会いたいとか、どうしてもサインが欲しいという理由からではない。
ミツキいわく沢村正護は幻獣、それもミツキと同じ幻獣王の一体である鳳王なのだという。
鳳王ならば、獣王が何者かに操れていた事に関して何か知っているのではと思い至り、和人たちはわざわざ東京までやって来たのだ。
とはいえ、相手は今最も勢いのある芸能人。会いたいからといって会えるような人物ではなく。
和人たちは沢村正護のスケジュールを突き止め、こうして彼が訪れる場所に先回りしているのだ。
そのスケジュールによれば、沢村正護は本日この池袋のとあるスタジオで雑誌のインタビューと撮影をするらしい。
もちろん、単なる高校生に過ぎない和人たちに芸能人である沢村正護のスケジュールを突き止める方法などあるわけがなく、和人らは皆で相談した結果シルヴィアに協力を求めた。
その協力要請を二つ返事で請け負ったシルヴィアは、三日後にはこれから一週間先までの沢村正護のスケジュールを和人に笑顔と共に提出した。
驚いた和人がどうやって彼のスケジュールを突き止めたのかと問えば、
「当然、魔術を使ったのよ」
と、シルヴィアは不敵な笑顔を浮かべながら答えた。
確かに彼女の言った通り、スケジュールを突き止めるのには魔術を用いた。しかし、特別に難しい魔術を用いたわけではなく、即席の使い魔を作成して放っただけなのだが。
ちなみに、和人からの要請を受け、使い魔を放ってから標的である沢村正護をシルヴィア自身が知らなかった事に気づいたという、相変わらずの一面もあったのだがそれは和人たちには絶対に秘密だ。
そして今、和人たちの目の前には、本日沢村正護がインタビューを受けるはずのスタジオがある。
「ここで間違いない……んだよな?」
自信なさげに茉莉とミツキに尋ねる和人。だが、尋ねられた二人も、どこか自信なさげにきょろきょろと辺りの様子を窺っているばかり。
「少なくとも、魔術師の女の情報によれば間違いないが……どうも情報の出所があの魔術師の女かと思うと、ちと信用しきれぬわ」
「へー、これが芸能人がいるスタジオかー。初めて見たぁ。あ、ねえねえ、和人」
「なんだよ?」
「なんかさっきから、あそこの人がずっとボクたちの事を見てるよ?」
茉莉が指差す方を見れば、確かにスタジオの前で一人の男性がじっと和人たちに向けて厳しい視線を送っていた。
「うわ、やべ」
身につけている制服からして、その男性はスタジオの守衛だろう。
先程からずーっとスタジオを見詰め、こそこそと囁き会っている和人たちを、その守衛は芸能人目当ての追っかけか何かと思って警戒しているようだ。
「とりあえず、一回ここから離れよう」
いまだに視線を向けてくる守衛に愛想笑いを浮かべると、和人たちはそそくさとその場を後にした。
「久しぶりじゃな、鳳王」
「そちらこそ。君がこの国に来ている事は随分前から判っていたよ? いつになったら僕の所に顔を出してくれるのかと楽しみにしていたのに、全然来てくれないし。ちょっとばかり薄情なんじゃないかな、竜王?」
先程のスタジオから少し離れたとある喫茶店。
そこに、今人気上昇中の芸能人、沢村正護の姿があった。
明るい茶髪とやや灰色のかかった瞳。身長は180近くあるだろうか。
若い女性を中心に人気を博しているのが納得できる爽やかなイメージの青年だった。
そんな沢村の正面には銀髪の美少女。
もしも、この場に芸能専門のゴシップ雑誌の記者がいたら、迷わずカメラのシャッターを切るだろうシチュエーション。
だが、にこやかな沢村に対し、銀髪の美少女──ミツキは憮然とした表情だった。
「本気で気配を消したお主に、一体誰が気づけるというのだ? 連絡が欲しければ、気配を消すことなく堂々と己の存在を知らしめればよかろうが」
「いやぁ、そんな事をしたら、僕に熱をあげている女性格の幻獣たちが押し寄せてくるじゃないか。一応、今の僕の表向きの肩書きは芸能人だからね? 不特定多数の女の子と頻繁に顔を合わせるのは不味いのさ」
「ほほぅ。ならば、我はよいのか?」
「もちろん。他ならぬ愛しい竜王が相手だもの。例え今の僕の立場を崩したって会いに駆けつけるさ」
ぽかんとした表情で和人と茉莉が見詰める中、沢村はミツキに対して熱の篭もった台詞を吐き続ける。
そうなのだ。今、沢村が言った通り、彼は突然和人たちの前に現れたのだ。
スタジオの守衛に睨まれた和人たちは、少し離れたこの喫茶店で一息つきながらどうやって沢村に会おうかと作戦会議を開いていた。
しかし、妙案は誰一人浮かばず、どうしようかと途方に暮れていた時、突然沢村が和人たちの前に姿を見せたのだ。
もちろん、芸能人であることがばれないように最低限の変装──サングラスとニット帽──を施してはいたが。
「近くに我の気配を感じたからだろうて」
どうして突然沢村が、と驚く和人と茉莉に対して、ミツキは平然とした態度でそう答えていた。
「それで? 突然僕を尋ねて来たのはどういう風の吹き回しかな? もしかして、僕の求愛に応えてくれる気になったの?」
「うつけ者。以前も言うたが、お主の求愛など1000年経とうが10000年経とうが受けぬと言ったら受けぬわ。そもそも、今の我には和人様が──契約者がおるのだぞ」
「そうか……先程から気にはなっていたが、やっぱりそこの彼は竜王の契約者か……」
ぎろりと殺気の篭もった視線を和人に向ける沢村。
「本来なら、愛しい竜王をモノにした君をずたずたに引き裂いてやりたいところだが……君を傷つけたら竜王に嫌われるのは明白だし、竜王に嫌われるのは僕にとっても不本意だからね……精々、竜王に感謝したまえ」
沢村は笑顔を浮かべたまま、随分と怒気を含んだ声で和人に告げる。
だが、そんな沢村に茉莉がくってかかった。
「ちょっと待って! 和人の奥さんになるのはボク! ミツキはあくまで契約者であって、和人は別にミツキに手を出したわけじゃないんだからっ!!」
和人の腕を取り、ぐいっと引き寄せて胸に抱く茉莉。
突然腕に茉莉の胸のふよんとした感触を感じて、和人は思わず赤くなる。
「だが、古来より幻獣を娶った人間の数は多い。この国の昔話や伝承の中にも、妖怪の類と婚姻を結んだ人間の話はたくさんあるだろう? 彼が契約者であり、その契約者には逆らえないことを笠に着て竜王に無理矢理迫らないという保証はないよ?」
「そんな事はありませんっ!! 和人がそういう事をしたくなった時には、妻であるボクが引き受けますっ!! ね、和人? そ、その……そういう事がしたくなったら、ぼ、ボクに言ってね? 和人の期待には、が、頑張って応えてみせるから……」
頬を赤く染め、もじもじと身悶えしながらも茉莉がかなりの問題発言をかます。
幸い彼らの近くに他の客はおらず、今の茉莉の声を聞いた者はいないようでった。
茉莉の問題発言にうろたえながらも、その事には内心で安堵の息を吐く和人だが、先程の沢村の言葉の中に少々気になる箇所がある事に気づいた。
「ちょっと待ってください。聞きたい事があるのですけど」
「ん? なんだい? 本来なら口を利くのも嫌だけど、竜王に免じて特別に答えてあげてもいいよ?」
どうあっても自分と敵対する姿勢を崩さない沢村に、和人はちょっと引きながらも疑問点を上げる。
「人間と幻獣が夫婦となる事は可能なんですか?」
「君の言う『夫婦』が、この国の法律に基づいた書類上の関係をいうのなら、その答えは否だ。しかし、幻獣と契約者はいわば一心同体。幻獣と契約者の性別が異なる場合、その間に愛情が育まれることは多々ある事だよ。なんせ両者は最も身近で最も理解し合える間柄なのだからね。中には子を成した幻獣と契約者も存在する程だ。先程も言ったが、国の伝承にもあるだろう? 妖怪変化を娶り、その間に子を成す話は」
確かに沢村の言う通り、昔話などでは妖怪との間に子を設ける話は数多い。どうやらそんな昔話のうちの数例は、実際の話を元にしているということなのだろう。
「君ももう知っていると思うが、契約者が寿命を迎えた場合、その幻獣もまた満ち足りた安らかなる死を迎える。人生の最後の瞬間を共に迎えるというのは、ある意味で理想的な夫婦と言えないかな?」
心中でもしない限り、夫婦といえどもどちらかが先に逝く事は明白だ。しかし、共に最後の瞬間を迎えれば残される者を心配する必要もない。それは沢村が言うように確かに理想的な事なのかもしれない。
思わずそんな事を考え込んでしまった和人の耳に、ミツキの凛とした声が響いた。
「そこまでにしておけ、鳳王。今日ここに来たのはお主に我が主を紹介するためではない。獣王の事だ」
「獣王……? 彼がどうかしたのかい?」
首を傾げながらそう聞き返す沢村の姿に、ミツキが明かな落胆を浮かべる。
「その様子からして、どうやらお主は何も知らぬようじゃの。済まぬ、主よ。どうやら無駄足だったらしい」
謝罪するミツキに、そんな事はないと和人が言おうとした時。
「おやおや。竜王だけではなく鳳王も一緒とは。これは思ってもいなかった幸運だ」
そんな声が聞こえ、思わず振り向いたその先に。
プラチナ・ブロンドの髪にアイス・ブルーの瞳の、西洋人の青年がいた。
『怪獣咆哮』更新しましたー。
はあ、ようやく更新できました。ごく僅かな待っていてくださった方々、随分とお待たせしてしまいました。
G.W.明けから少々仕事が立て込みまして、結果的に二週間以上も間が空いてしまいました。
さて、今回は鳳王こと沢村くんの登場の回。そして一連の黒幕である青年もまた和人たちの前に姿を現しました。
沢村くんに関しては、軽いノリのチャラ男のイメージで。ただし、ミツキには大昔から一方的に熱をあげているという設定です。
さて、前回設定した当面目標である、「お気に入り登録150、文章評価とストーリー評価それぞれ100超」はいまだに達成されておりません(笑)。
現在、お気に入り登録:134、文章評価:64、ストーリー評価:65という現状です。
今後も引き続き、目標達成に向けてがんばりたいと思います。
では、次回もよろしくお願いします。