06-覚醒
力が抜けていく。
身体の表面に張り付いた泥のような闇。この闇が、自分から力を奪っていく。
いや、自分だけではない。
自分の内部にいる『主』である人物からも、この泥のような闇は力を奪っている。
どうにかしなくては。
このまま力を奪われ続けては、死に至るようなことはないがしばらく動けなくなるのは確実。
しかし。
しかし、この闇泥をどうやって駆除する?
その方法が思いつかない。その手段に心当たりがない。
だから、『それ』はいまだに地面に横たわったままでいた。
「シルヴィアさ……じゃない、カーナー博士! どんどん力が吸い取られていきます! 何ですかこれはっ!?」
内部にいる『主』が、シルヴィアという女性に尋ねている。
その事が、なぜか『それ』の芽生えたばかりの感情を逆なでする。
自分を頼ってくれない『主』。いや、『主』に頼りとされない自分に自分で腹が立つ。
だから、『それ』は自身の内部にいる『主』に思わず声をかけた。
「ご安心下さい、明人様。外にいるあのような女に頼らずとも、この私があなたの御身をお守りいたします」
「ご安心下さい、明人様。外にいるあのような女に頼らずとも、この私があなたの御身をお守りいたします」
突如響いた聞き慣れない声に、輸送ヘリの操縦席に静寂が訪れた。
『か、カーナー博士……? い、今の声は一体……?』
どうやらその声は『騎士』の中の明人にも聞こえたようで、狼狽えたような彼の声がシルヴィアの耳に届いた。
聞こえた声の感じは男性のそれ。それもおそらく二十代から三十代の若い声だ。
シルヴィアは素早く視線を二人の弟子に送る。
状況オペレーターのアンジェリーナは黙って首を振る。対して、機体モニターであるベアトリスは、その顔に驚愕をありありと浮かべていた。
「どうしたの、ベアトリス怪曹?」
シルヴィアに声をかけられ、はっと我を取り戻すベアトリス。
彼女はゆっくりとシルヴィアへと振り返ると、驚くべき事実を口にした。
「い、今の声ですが……ど、どうやら『騎士』自体が発した声のようです……」
「────え?」
「で、ですから……い、今の声は『騎士』の声です。『騎士』が喋ったんです──っ!!」
「で、ですから……い、今の声は『騎士』の声です。『騎士』が喋ったんです──っ!!」
魔術回線越しに聞こえたベアトリスの声。そして彼女の声が告げた事実に、思わず空白になる明人の思考。
「ほ、本当に今の声はおまえなのか……?」
明人は周囲を囲む全方位モニターをぐるりと見回しながら問う。
「Yes Sir.」
また聞こえた。
だが、もう驚きはしない。明人は先程、半ば返事があると思いながら質問していた。
そして、声の主が『騎士』であるのなら。己の相棒ともいうべき『騎士』が自ら喋ったと明かしたのなら、明人はそれに対して何らの疑いも持たなかった。
「よし、『騎士』。今の状況はどうなっている?」
「現在、私と明人様の魔力が敵に吸収されています。敵の目的は私の内部に侵入し、そこから更に魔力を奪うつもりと思われます」
「『騎士』の表面に張り付いている、泥みたいな奴が魔力を吸っているんだな?」
「Yes Sir.」
「ならば、この泥みたいな奴を取り除く方法は?」
「No Sir. 有効な対策案は現時点ではありません」
『騎士』からの返答を聞き、明人はしばし考え込む。
それはほんの数秒の時間。それだけの時間で決断を下した明人は、操縦席の中から『騎士』に命じた。
「『騎士』。大至急全動力を落とせ」
眼下に広がる一面の雲海。
その雲海を見下ろしながら、青年は一人、誰にも気づかれる事なくそこに存在していた。
雲海の下の様子はよく判る。彼の手足ともいうべき怪獣の視界を共有しているからだ。
だが、突然その雲海を突き破って巨大なモノが青年の眼前に躍り出た。
その色は純白。青年のプラチナ・ブロンドの髪よりもなお白いその体毛。いや、その表面は体毛ではなく羽毛で覆われている。
全身白一色の中で、唯一の色彩がその瞳の碧。まるで緑柱石のような輝きを見せる双眸。
この両の碧瞳こそが、主である少女が彼に与えた「ベリル」という名の由来だ。
(シルヴィアさんからの連絡通りね。やっぱり上空……雲の上にいた! でも、あいつって……)
(ああ。おそらくは茉莉の思った通りだろう。奴は怪獣ではなく、私と同じ幻獣だ。しかし……)
ベリルは気づいていた。目の前の青年から感じられる魔力の波動。その波動が極めて弱いことに。
(力を押さえ込んでいるのか? それとも……)
ベリルが悩むほど、目の前の青年から感じられる魔力は弱い。
力を押さえ込んでいるというのなら、まだいい。だが、問題は見たとおりの魔力しかない場合。
この青年は、どうやってあの一号怪獣を操っているのだろうか。
はっきり言って、一号怪獣ベルゼラーは強い。単純に力を比べれば、それは幻獣王であるミツキにも匹敵するだろう。
だが、その一号怪獣をこの青年が操っているとは、到底信じられない。それ程、青年の魔力は弱い。
(まずは様子見からだ、茉莉!)
(おっけーっ!!)
力強く羽ばたきながら雲の上で滞空する純白のグリフォン。
そのグリフォンの周囲に幾つもの輝きが出現したのを確認すると、プラチナ・ブロンドの青年は身体の周囲に球状の障壁を張り巡らせた。
障壁の完成と同時に、どんと青年に負荷が襲いかかる。
負荷の正体はグリフォンが打ち出した無数の小型雷弾。威力よりも手数を重視した、牽制用の攻撃手段。
だから茉莉もベリルも、この程度の攻撃で障壁が破れるとは思っていない。
だが。
障壁越しに青年の顔が苦痛に歪むのを、茉莉とベリルは確かに見た。
青年は障壁を解除すると、そのまま足元の雲海へ身を踊らせる。
(……ねえ、ベリル……?)
(……なんだ、茉莉?)
(……あいつ、明かに逃げたよね?)
(ああ……逃げたな)
純白のグリフォンは、雲の上で羽ばたきながら、青年が姿を消した雲海をじっと見詰めた。
「『騎士』動力ダウン! 完全に機能沈黙しました!」
ベアトリスがせっぱ詰まった声で告げる。
「まさか、もう『騎士』の魔力が尽きた……っ!?」
「いえ、どうやら白峰怪尉の指示のようです!」
「白峰怪尉の……?」
シルヴィアは魔術的な回線を『騎士』ではなく、明人本人へと切り替える。
「白峰怪尉! どういうつもり? 騎士の動力を落とせば、装甲表面の魔力障壁も消えて、敵の機体内部への侵入を許してしまうわよ!」
「お言葉ですが、カーナー博士! このままでいても、魔力を吸い取られて敵の侵入を許すのは時間の問題です! それなら、これ以上の魔力を奪われないよう、『騎士』の動力を落としました」
「でも、『騎士』の内部へと侵入した敵はどうするつもりっ!?」
「あの泥みたいなものはおそらく魔術的な存在のはず。ならば、魔術ならばそれに対抗する事も可能なのでは?」
「──────あ」
なんとも力の抜けた言葉がシルヴィアの口から零れ落ちた。
「……どうして、そんな単純な事に気がつかないの? 私……」
遺憾なくうっかりを発動し、激しく自信喪失しつつもシルヴィアは成すべき事を成すために、素早く魔術を編み上げる。
彼女が編み上げた魔術は一度に二つ。もちろん、こんな二重行使なんて反則的な事ができるのは、世界最高峰の魔術師の一人であるシルヴィアならではだ。
一つはあの闇の泥のようなものの正体を突き止める「解析」。そしてもう一つは、「解析」の結果を組み込んでから発動させるために待機させた「解呪」である。
「解析」の魔術により、あの闇泥の正体がシルヴィアの脳裏に浮かび上がる。
「特性は『収奪』、発動のための必要魔力量『大』……」
シルヴィアは「解析」で得られた結果を待機状態の「解呪」に組み込んで、『騎士』の表面に取り付く闇泥の一つにその「解呪」を放つ。
「解呪」をぶつけられた闇泥は、蒸発するかのように瞬時にその姿を消した。
「効果確認! 目標魔術構成物消失! 効いています、博士!」
ベアトリスが喜色の込もった声で報告する。
それに呼応して、シルヴィアが再度「解呪」を組み上げようとした時、再びベアトリスが叫ぶ。ただし、今度は先程のような喜色の混じった声ではなく、明かに疑問が含まれた声で。
「『騎士』機体表面の魔術構成物、全て消失しました!」
「え?」
一方、明人も全身から力が抜けるような感覚が不意になくなった事に気づいた。
「『騎士』再起動!」
『騎士』に再起動を命じ、生き返った全方位モニターで再生途中だった一号怪獣へと視線を向ける。
だがそれより早く、アンジェリーナの声が明人の耳に届いた。
「一号怪獣、再生途絶! 現在、完全に沈黙しました!」
「ど……どういう事だ、アンジェリーナ怪曹っ!?」
「理由は不明ですが、いきなり一号怪獣の再生が止まったんです」
「おそらく、一号怪獣に供給されていた魔力が途絶したから……でしょうね」
アンジェリーナに代わり、理由を推測するのはもちろんシルヴィア。
そして彼女は、きっと茉莉ちゃんが魔力の供給元を倒してくれたのよ、と付け加えた。だが。
(ごめんなさい、シルヴィアさん。敵と思われる奴を取り逃がしちゃいました……)
一号怪獣の再生が途絶した少し後、茉莉から入ったこの連絡は、シルヴィアたちに更なる混乱を招いたのだった。
ようやくできたあああああああああああああああああっ!!
えー、ようやく『怪獣咆哮』書き上がりました。ふはー、本当、随分と遅くなってしまいました。
本来なら先週の始めか半ばには出来上がっていたはずなんですがねぇ。本当、毎回話の展開に苦しみます。この『怪獣咆哮』。
さて今回、拍子抜けするほどあっさりと撤退した黒幕ですが、次回はちょっと時間を巻き戻し、和人とミツキVs獣王の方を描写しようと思います。
では、次回もよろしくお願いします。