04-拉致
遅くなって申し訳ありません。
ようやく『怪獣咆哮』の更新に漕ぎ着けました。
ベリルと魔術的に繋がっている茉莉が先行する形で、白峰兄弟とミツキ、そしてシルヴィアは浜辺で倒れているという緑川の元へと急いだ。
毅士とブラウン姉妹はホテルで待機。今頃は万が一緑川が負傷していた場合に備えて、各種手当ての準備をしている筈だ。
街燈もない真っ暗な砂浜。波打ち際には夜光虫が青白く仄かに光る。一行はそんな暗闇の中を懐中電灯のだけを頼りに進む。
唯一、ミツキの朱金の瞳だけは少ない光源で周囲を見渡せる。彼女は星明かりさえあれば十分、昼間同様に活動できるのだ。
だからミツキは一行の最後尾を行く。周囲を見回して警戒しつつ、時に視覚以外の感覚も使用して油断なく進む。
やがて先頭を行く茉莉の持つ懐中電灯が放つ光の輪の中に、砂浜に俯せに倒れている人物が映し出された。
短い悲鳴を発しつつも、茉莉はその近くに浮遊するベリルの小さな姿を認める。
そして懐中電灯を移動させてその人物の顔を確認。間違いなく緑川のようだ。
「和人! 明人さん! 緑川さんがいたよ!」
その声に明人は速度を上げると、持っていた懐中電灯を茉莉に預け、倒れている緑川の傍らにしゃがみ込んで彼の安否を確認する。
しばらく緑川のあちこちを確認した明人は、心配そうにこちらを見ている和人たちに微笑みかける。
「大丈夫。呼吸は安定しているし、見たところ外傷もなさそうだ。もっとも身体の中側まではここでは判らないけどな」
「じゃあ、取り敢えずホテルまで運ぼう……」
兄の言葉を受けて、和人が答える。しかし、その言葉が段々と小さくなっていき、その場にいた者たちは不思議そうに和人に注目する。
そしてそれに気づいた和人は、恐る恐る口を開いた。
「それでさ、兄ちゃん……どうやって緑川さんを運ぶんだ?」
和人のその一言に全員があっといった表情を浮かべた。
緑川は大柄だ。当然、それなりの体重がある。
明人と和人で二人がかりで運べなくはないだろうが、それでも緑川の体重を考えると大仕事だ。
「しまったな……予め担架を準備してくるべきだった……」
緑川が倒れているのは判っていたのだから、それなりの準備をしてくるべきだった、と後悔しても後の祭。
こうなれば弟と二人がかりで何とか運ぼうと明人が決意した時、茉莉がひょいっと右手を挙げて進言した。
「あのー……、ボクが運ぼうか?」
「え? 茉莉くんが? 一人で?」
言外にそれは無理だろうという雰囲気を滲ませる明人。だが茉莉はそんな明人に明るく笑いかけると、近くを浮遊していたベリルを呼び寄せた。
それに応じたベリルが、すうと茉莉と同化する。
「ほほう。魔力による筋力の増強か」
面白そうに呟いたのはミツキ。そしてこの場にいるもう一人の魔術のスペシャリストであるシルヴィアは、魔術を使用して緑川を運ぶという手段をうっかり失念していた。
魔術師としてそれでいいのかと言葉にはせずに悔やむシルヴィア。
最近、白峰兄弟たちといると、魔術師としての自分を失念しそうになる。なぜなら、彼らの周囲にはトップクラスの魔術師である自分を軽く超越した幻獣たちがいる。彼らの力に比べると、シルヴィアの力を以ってしてもどうしたって見劣りするのだ。
そんなトップクラスの魔術師の苦悩をよそに、茉莉は軽々と緑川を担ぎ上げた。
「重くないか?」
「うん。大丈夫だよ。ベリルがサポートしてくれているからね」
心配そうな顔の明人に、茉莉は笑顔で答える。
浴衣姿の小柄な少女が、大きな大人の男性を担ぎ上げる。端から見ればなんともな光景だが、この場に居合わせた者でそんな事を今更気にする者はいない。
そして茉莉がんしょ、と可愛い気合いの声と共に歩き出すと、その茉莉に担がれた緑川が小さな呻き声を上げた。
当然、全員の注意が茉莉の背中の緑川へと集まる。そして呻く緑川がもぞりと動いた。いや、動いたのは緑川の腕だけだ。
何かを探すように宙を彷徨う緑川の両腕。そしてその両腕は、何かを思い出したかのようにいきなりひしっと茉莉を抱きしめた。
いや、抱きしめたのではない。正確には握り締めたのだ。茉莉のささやかな胸を。
和人たちが見守る中で、突如胸を鷲掴みにされた茉莉。しばらく自分が何をされているのか理解できなかったが、ようやく自分の置かれている状況を理解する。
「みぎゃあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
夜の海に響き渡る茉莉の絶叫。そしてその絶叫に負けない叫び声がもう一つ上がった。
「こ……この感触はっ!! ま、間違いなく貧乳の感触っ!! うおおおおぉぉぉぉぉ! 貧乳最高ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
茉莉の胸に触れた事で意識を取り戻した緑川。
茉莉のささやかな胸に触れた事で、おそらく脳内を何か──彼にとってすっげえイイもの──が走り抜けでもしたのだろう。だがそれもすぐに再び暗転する事になる。
「ひ、貧乳って言うなあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
再度の絶叫と共に茉莉は緑川を放り投げた。ベリルによって筋力の増強を受けていた茉莉は、緑川の身体を優に3メートルは上空に舞い上げた。
そして緑川は頭から海に突っ込む。
その際、夜目の利くミツキだけは見ていた。放り投げられ、海に突っ込む間際まで緑川の顔が何ともだらしなくにやけきっていた事を。
もちろん、ミツキはそんな事は誰にも言わなかったが。
「ボク……ボク……今まで誰にも……和人にだって触らせた事ないのに……そ、それなのに……ご……ごめん……ね? 和人ぉ……」
「あ、ああ。いい。気にするな。あれは事故だ。おまえに責任はない。だからもう泣くなよ。な?」
自分にしがみ付き、胸に顔を埋めて泣きじゃくる茉莉を、和人は必死に慰める。
明人とシルヴィアも苦笑しながらその光景を眺めている。
特に明人は、先程の茉莉の台詞から二人がまだ「そういう関係」には達していないと判り、内心ほっとしていたり。
だがミツキは、和人と茉莉に一瞬だけ複雑そうな視線を向けると、うん、さすが和人だ。茉莉くんにみだりに手を出していないとは、俺の教育は間違っていなかった、などとぶつぶつ呟きながら頷いている明人に向き直る。
「のぅ、兄者殿」
「ん? 何だ?」
「良いのか、と思うての。先程小娘が放り投げたあのうつけ男……浮かんでこぬぞ? まぁ、我にはあのうつけ男が浮かんでこぬとも一向に問題ないがの」
ミツキのその言葉に、明人とシルヴィアは思わず顔を見合わせる。
先程茉莉が思わず緑川を放り投げてからかなりの時間が経つ。
もっとも「かなりの時間」とはいっても、それはほんの数分の事。だが、海に放り投げられた人間が数分も浮かんでこなかったとしたら。
それの意味するところを理解した明人が、慌てて海に向かって走り出そうとする。
「待ちなさい! 明人くんっ!!」
明人の足を、シルヴィアの鋭い声が止めた。
そしてシルヴィアの方を振り向いた明人は、彼女の足元に展開されて輝く魔法陣を見る。
シルヴィアが何らかの魔術を行使しようとしている事を理解した明人は、先程の制止の意味を問い質すのを諦めて静観する事を選ぶ。
やがて、目を閉じていたシルヴィアがゆっくりとその瞳を露にする。
「緑川くんと思われる生命体が海の中を移動中よ。ただし、人間が泳ぐものとは考えられない程の速度でね」
今、シルヴィアが行使したのは探査の魔術。術者の望むものの位置を掴むための魔術だ。
シルヴィアはどうやら先程のうっかりを余程気にしていたらしく、今回は素早く魔術という手段の行使に出た。
「海の中を移動中……? それで緑川さんはどっちに?」
明人の問いに、シルヴィアは先程感じ取った方角を指差す。
その時、明人はシルヴィアの眉間に皺が寄せられている事に気づいた。
「何か問題でもありましたか? そりゃ、緑川さんが海の中を高速で移動中というのは十分問題ですが……」
「ええ。緑川くんの傍に、もう一つ生命体の反応があるのよ。そして……」
シルヴィアは黙って先程自分が指差した方へと視線を動かす。
そして明人や和人たちもようやく気づく。シルヴィアの視線の先に何があるのかを。
先程シルヴィアが指差した方向。
それはホテルの支配人から聞いた、『磯女の洞窟』が存在する場所と同じ方角だったのだ。
一夜明けて。
暗い夜の探索は危険と判断した明人は、明るくなってから改めて緑川を探す事にした。
そして、この件に関しては警察には一切通報しないことも。
シルヴィアたちが温泉で遭遇した幽霊。
緑川を拉致し、海中を高速で移動した何者か。
この二つが同一である可能性はあるが、だからといってその確証があるわけではない。だが、現時点で判明している事が一つだけあった。
それはこの件に明らかに人外の存在が関わっている事。
もちろんその人外とは幻獣。下手をすると怪獣の可能性だってある。
だから明人は警察の介入を避けた。
相手が幻獣か怪獣である以上、警察が介入しても被害が拡大するだけだ。
それなら、ミツキとベリルという二体の幻獣を擁し、魔術師であるシルヴィアもいる自分たちだけで対応した方がましだろうというのが明人の判断だった。
そして明人たちが明るくなってから目指した場所。それはもちろん『磯女の洞窟』。そこに何らかの手掛かりがある可能性は極めて高い、と明人とシルヴィア、そして毅士は考えていた。
幸い、本日の干潮は午前8時ちょっと前。朝から『磯女の洞窟』を探索するにはうってつけだった。
そして今、明人たちの前に、その『磯女の洞窟』がぽっかりと口を開けている。
今、この場にいるのは明人、シルヴィア、和人、茉莉、毅士。そして幻獣であるミツキとベリルだ。
ブラウン姉妹は非常時の連絡要員としてホテルに待機。
彼女たちとシルヴィアの間には魔術によるパスが存在するので、携帯電話の電波が届かない洞窟内でも連絡が取れる。
そして明人は、この場に集っている面々を一人ひとり見回すと口を開いた。
「では改めて隊列を確認するぞ。先頭は俺が行く。その後ろに毅士、シルヴィアさん、茉莉くんとベリル、和人、殿はミツキに頼む」
明人の言葉に頷く一同。その明人の手には、ホテルのロビーにあった土産物用の木刀が握られている。
果たして幻獣相手に木刀程度が役に立つとは思えないが、他に武器がない以上仕方ない。それにないよりはましだろう。
洞窟の入口はけっこう広い。二人が並んで歩く事ができる程度の幅があり、高さも長身の明人の頭よりもかなり高い。
もっとも、この広さがどこまで続いているのかは疑問なのだが。
そしていよいよ一行は、各々懐中電灯片手に洞窟内に足を踏み入れる。
足元はあちこちに塩溜まりがあり、岩に藻類がくっついていて結構滑る。
その事を後ろに注意しようと明人が振り返った時。
それは不意に現われた。
洞窟の奥から細長い何かが風を切って明人たち一行に向かって疾る。
しゅん、という風切音と共に空を疾ったそれは、あまりの速度に全く反応できなかった明人の脇を通り抜け、更にその奥に立っていた茉莉の胴体に一瞬で巻き付いた。
「──え?」
茉莉自身、自分がどうなっているか判断できず、ただ呆けるのみ。
そして茉莉以外の誰かが反応するより早く、それは再び洞窟の奥へと引き戻される。
当然、それが巻き付いた茉莉をも一緒に。
「────茉莉?」
茉莉の後ろに立っていた和人は、急に茉莉が消えたようにしか見えなかった。
だが、次の瞬間には茉莉が何者かに連れ攫われたと理解し、他の誰よりも早く洞窟の奥へと向かって一歩を踏み出した。
そして。
そんな和人に再び洞窟の奥から伸ばされた何かが、茉莉の時と同様に和人の身体に巻き付いた。
「こ……このっ!!」
瞬時に自分の置かれた情況を理解した和人は、手にしていた懐中電灯を自分に巻き付いた何かに叩きつけようと振り上げた。
だが、その懐中電灯が振り下ろされるより早く、和人に巻き付いた何かがやはり茉莉の時と同様に引き戻された。
そしてその場から消え去る和人の姿。
明人たちがようやく反応した時には、その場には和人と茉莉が手にしていた懐中電灯だけが、塩溜まりの中で光を放っていた。
ようやく『怪獣咆哮』更新です。
お待たせ致しました。おそらく次回もこれくらいの時間を必要とすると思われますが、見捨てる事なくお付き合いいただければ嬉しいです。
それでは、今後ともよろしくお願いします。